オムロン 会長 コロナ。 立石義雄氏が死去 オムロン元社長 :日本経済新聞

新型コロナ:オムロン社長「4月売上高1割減」決算説明会で :日本経済新聞

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4月21日未明、弟の立石義雄が新型コロナウイルス感染症で亡くなった。 私より3つ年下の80歳。 これからも一緒に豊かな白秋期を歩もうと励まし合った直後の急逝で、大きなショックを受けた。 幼少時から共に歩んだ人生を想起し涙が止まらなかった。 オムロンは父の立石一真が1933年に前身の立石電機製作所を創業。 1960年代には駅の自動改札機を世界に先駆けて開発、70年の大阪万博に向け、阪急電鉄の新駅に初めて設置された。 さらに銀行ATM など時代を先取りした製品やシステムを投入した。 欧米や中国など海外展開し、私と義雄は手を携えて営業に出向いた。 ビジネスの合間に内外の美術館や名所を歩いたのは貴重な想い出である。 立石義雄は社長時代にはオムロンを世界的企業に育て上げ、90年に「会社は創業家のものではない」として社名を、工場のあった京都・御室にちなみオムロンに変更。 2003年には非創業家の社長を初めて後継に迎えた。 文字通り立石電機=オムロンの中興の祖と言っていい。 義雄の温厚で明るい人柄は多くの方々から慕われ、京都の顔として関西を代表する経済人だった。 オムロンの経営から離れた後は、今年3月まで10年以上にわたって京都商工会議所会頭を務め、地元経済の活性化に力を注いだ。 われわれ家族にも気配りし、会えばにこやかに少年時代や父母のことなどの想い出に浸った。 新型コロナウイルスの感染拡大をきっかけに注目される体温計など、健康機器はオムロンの主力事業の一つ。 弟自身も自宅近くの京都御苑での散歩を日課とし、健康管理に気を配っていた。 後任の会頭の塚本能交さん(ワコールホールディングス会長)と並んで退任記者会見をした3月24日には、新型コロナウイリスについて「企業活動にとって大きな打撃になっている。 経営者のリスクへの対応力が問われている」と危機感を示していたが、そのコロナに倒れたことは、さぞや無念だろう。 オムロンは、多くのユーザーのご愛顧をいただいたことに加え、よき後継者と有能な社員に恵まれ、全社員が創業の理念を正しく継承している。 ガバナンスの効いたCSR(企業の社会的責任)にも積極的に取り組む会社という評価も得て、成長し続けている 立石電機・オムロントップとして奮闘中に急逝した長兄・孝雄、そして三男・義雄まで突然帰らぬ人となってしまったが、父・立石一真、そして生みの母と育ての母に、この会社の発展した姿を見せてあげたいと思う。 弟の義雄が社長に就任した時、「兄さんの弔辞は読みませんよ」と私に語り掛けたことがあった。 「何てこと言うんだ、おまえは」と笑いながら返すと、「長生きしてくださいね」と言った。 義雄らしい憎まれ口だったが、優しさの裏返し表現だった。 私が残されその通りになってしまった。 父・立石一真は「最もよく人を幸福(しあわせ)にする人、最もよく幸福になる」という言葉を残した。 私も義雄も、この言葉をかみしめ、「人の幸せをわが喜びとする」という信条を実践してきた。 弟は「人の幸せづくりをする素敵な生き方をしたい」というのが口癖だった。 その言葉通りに実践し、人生を私より速く駆け抜けた。 1965年立石電機(現オムロン株式会社)取締役。 1995年代表取締役会長。 2003年相談役。 日本経団連・国際労働委員長、海外事業活動関連協議会 CBCC 会長など歴任。 SAM「The Taylor Key Award」受賞。 同志社大名誉文化博士。 中国・北京大、南開大、上海交通大、復旦大などの顧問教授や顧問を務めている。 SAM(日本経営近代化協会)名誉会長。 エッセイスト。 (立石信雄).

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<羅針盤>コロナに倒れた弟・立石義雄の無念に涙=立石信雄オムロン元会長|ニフティニュース

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新型コロナウイリスの感染拡大によって内外経済は大きなダメージを受けたが、経済活動の再開により最悪期を脱したとの見方も浮上。 株式市場はやや反転基調に転じている。 各国政府による異次元の財政出動と金融緩和により、経済回復を期待する声も多いが、「バブル」の萌芽も見え隠れしている。 「感染2波」懸念もくすぶっており、油断すべきでない。 4〜6月期の法人企業景気予測調査によると、大企業全産業の景況判断指数(BSI)はマイナス47.6。 リーマン・ショック直後の09年1〜3月期(マイナス51.3)に次ぐ低さという。 新型コロナウイルス感染拡大を受けた外出自粛や休業要請が、企業活動に深刻なダメージを及ぼした。 宿泊・飲食サービスの業績悪化だけでなく、サプライチェーン混乱の影響が製造業にも出始めた。 日本で解雇や雇い止めにあった働き手が2万人を超えたことが、厚生労働省が6月中旬に公表した集計でわかった。 飲食業で増加が目立つ。 実際に解雇や雇い止めにあっている人はさらに多いとみられる。 世界銀行は6月8日、2020年の世界経済が第2次世界大戦後で最悪の景気後退になるとの予測を公表した。 「世界経済は過去例のないスピードで下振れしている」とも指摘。 感染増に歯止めがかからないブラジル、インドの成長率見通しは大幅ダウン。 ただ、このシナリオは、新型コロナの影響が20年後半には落ち着くことが前提で、実際は「圧倒的な下振れリスクがある」という。 特に南半球の新興国は感染が急拡大している。 主要国では有力なワクチン開発の決め手に欠く中、感染第2波のリスクが拭えない。 問題は、世界全体の成長を主導する牽引役が見当たらないことだ。 2008年の米国発のリーマン金融危機時には中国など新興国がリードした。 今回の予測では南米や南アジア、アフリカの成長率は、極めて低い水準にとどまる。 こうした中、世界主要国は新型コロナ経済対策として、合計で8兆ドル(約880兆円)規模の財政出動に踏み切り、景気の立て直しを急いでいる。 これにつれて投資家や企業家の心理も持ち直す可能性もありそうだ。 半面、日米欧をはじめ各国・地域で財政赤字と債務残高が急増し、中央銀行のバランスシートが急速に悪化している。 日本でも令和2年度第2次補正予算が6月9日に成立した。 2次補正予算案の歳出総額は31兆9114億円。 従業員への休業手当の一部を助成する「雇用調整助成金」の拡充(4519億円)や、事業者の家賃負担を軽減する「家賃支援給付金」の創設(2兆242億円)などを盛り込み、予備費として10兆円を計上した。 売り上げが減少した中小企業向けの補助金である持続化給付金は、2回の補正予算計で4.2兆円に上り、さらに予備費の投入も予想される。 全国民に1人当たり10万円を支給する特別定額給付金など家計や企業に対する援助の合計は30兆円程度と推計され、国民1人当たりで約25万円に相当。 安倍首相が「空前絶後」と語るほどの規模に膨らんだ。 リーマン・ショックの元凶は米国のサブプライムローン(証券化商品)だったが、今回の世界的な超金融緩和路線の行き着く先も慎重に見定める必要があろう。 <直言篇121> (立石信雄)•

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コロナ不況脱却へ政策総動員、バブル懸念も―立石信雄オムロン元会長(レコードチャイナ)新型コロナウイリスの感染拡大によって内外…|dメニューニュース(NTTドコモ)

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立石義雄 オムロン名誉顧問 制御機器メーカー、元社長で名誉顧問の立石義雄(たていし・よしお)氏が新型コロナウイルス感染症のため、4月21日午前0時27分、京都市内の病院で死去した。 80歳だった。 連絡先は同社ブランドコミュニケーション部。 告別式は近親者で行う。 喪主は長男、郁雄氏。 オムロンの創業者である立石一真氏の三男。 1963年に立石電機(現オムロン)に入社した。 専務だった87年、長兄の孝雄氏の後任として、47歳で社長に就任。 社名変更やカンパニー制の導入など社内改革に取り組んだ。 リレー(継電器)などの制御機器に続き、電子部品を事業の柱に育て上げ、海外にも積極的に進出した。 2001年のITバブル崩壊で業績が悪化すると、構造改革に着手。 03年に創業家出身者以外では初となる作田久男氏に社長を譲り、自らは会長に就いた。 11年名誉会長、19年11月から名誉顧問。 関西経済連合会副会長を務めるなど経済界の活動にも尽力し、07年には京都商工会議所の会頭に就任。 20年3月末に退任するまで12年余り、独自の技術や市場を持つ京都ならではの中堅・中小企業の育成に取り組んだ。 伝統文化の保存・継承にも熱心で、京都ブランド向上による観光客誘致に大きな役割を果たした。 京商会頭を退任した直後の4月1日に倦怠(けんたい)感を覚え、2日に発熱。 5日に受診した医療機関で肺炎が確認されて入院。 6日に新型コロナウイルスの感染が確認された。 12年11月、日本経済新聞に「私の履歴書」を執筆した。

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