アド アストラ 意味。 アドアストラ【映画】タイトルの意味や原作は?ブラピ初の宇宙の旅へ!

『アド・アストラ』のタイトルの意味は?!

アド アストラ 意味

『彼方のアストラ』のタイトルの意味を考察 実は彼方のアストラのタイトルには 2つの意味があります。 そして片方の意味は、 ミスリードによって巧妙に隠されていました。 それではタイトルに隠された2つの意味について、作中の伏線も交えて考察していきましょう。 【考察1】カナタのアストラ号の解釈はミスリード 彼方のアストラと聞いて誰もが思い浮かぶ解釈。 それが1つ目の解釈である「主人公カナタの船・アストラ号」という意味です。 物語冒頭、惑星ヴィラヴァースへ向けて出発する前に、この宇宙船に名前はあるのだろうかという話題になります。 そこでカナタは船のプレートに書かれたある文字を発見します。 書かれていた言葉は「ペル・アスペラ アド・アストラ」。 しかし実はこれは作者によって意図的に仕掛けられたミスリード。 隠されたもう一つの意味が物語後半になって明らかになります。 そしてこちらがこの作品を示す真の意味といってもいいと思います。 それは『遥か彼方の惑星アストラへの旅路』という意味です。 カナタ達が目指している5千12光年離れた母星。 この母性は当然地球であると思い込まされていますが、実は地球ではないんです。 物語後半になって、この母星の名は「惑星・アストラ」であることが明らかになります! 実は惑星アストラは人類が地球から移住した後の星であり、カナタたちは地球という星の存在すら知りません。 ここで先程のカナタとザックの会話を振り返ってみましょう。 ザック「アスペラは困難、アストラは星。 困難を乗り越えて目的地へ。 宇宙関係の施設で標語に使われることが多い古い格言だ。 」 カナタ「ふむ。 古い意味だと星っつー意味があんのか。 じゃあそれでいいか。 アストラ号だ。 」 出典 彼方のアストラ カナタの発言の本当の意味を補足すると、 「ふむ、 (アストラって言葉は母星の固有名詞でしか知らなかったけど)古い意味だと星っつー意味があんのか。 じゃあそれで。 いいかアストラ号だ。 」 となります。 これも作者によって緻密に仕掛けられた伏線です。 真実を知ってからでないとこの伏線に気づけないですからね・・・。 また、ザックの言葉も興味深いです。 これはザックの頭の中で 「アストラ=目的地」という脳内変換が自然にあったからこそ出てきた言葉なのだと思います。 地球は実は母星ではなかった 実はカナタたちが球体によって飛ばされた先、 旅の出発地点。 そこに浮かんでいた 氷に閉ざされた星こそが地球です。 だから 彼方のアストラ。 主人公の名前をカナタにしたのは、この伏線に気づかせないようミスリードするためだったのでしょうね。 まとめ 実は『彼方のアストラ』というタイトルは• 主人公カナタのアストラ号• 遥か彼方の惑星アストラへの旅 のダブルミーニングでした! 本作における緻密な伏線の数々は考察すればするほど感嘆してしまいますね。 最後まで考察にお付き合いいただき、ありがとうございました!.

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映画『アドアストラ(Ad Astra)』の意味とネタバレ感想|MOV

アド アストラ 意味

「Ad Astra」が意味するのは、ラテン語で「to the stars」(星に向かって)です。 これは、ラテン語の格言 「per aspera ad astra(ペル・アスペラ・アド・アストラ)」から引用している言葉です。 意味としては 「困難な道(aspera)を通って(per)星々(astra)を目指す(ad)」という感じ。 困難を乗り越えて何かを達成するという解釈ができます。 本作は、地球から遥か遠く離れた海王星にいる父親を探しに行く旅を描いていて、当然その道は果てしなく険しいので、内容ともマッチしますね。 公開された2019年は、ブラックホールの撮影に初めて成功した記念的な年でもあります。 そのため、SF作品としては注目される作品になっていることでしょう。 最高傑作!驚異的な映像で見る者を圧倒する!(The Guardian)• ブラッド・ピット史上最高の演技!(The Wrap)• 完璧な作品(The Hollywood Reporter) 海外メディアで大絶賛された本作。 しかし、批評家たちと一般人の評価は割れることも多々あります。 壮大な宇宙と矮小な人間のコントラスト ブラッド・ピットは、同時期に公開された クエンティン・タランティーノ監督作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』で レオナルド・ディカプリオとのダブル主演を務めています。 動きが多く軽快で開放的な役柄だったスタントマン役とは対照的に、本作では 冷静沈着で感情の起伏の少ない閉塞的な宇宙飛行士を演じています。 公開時期が近い中で、これだけ違う役柄を好演していたのはさすがだと思いました。 壮大な宇宙空間と、そこで描かれるパーソナルな人間の模様。 その絶妙なコントラストが作品に深みを出していました。 ちなみに、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』でブラピは アカデミー賞助演男優賞を受賞しています。 地球から月へ 近い未来。 サージと呼ばれる巨大な電磁波・重力波が太陽系を襲います。 ロイも宇宙ステーションでの作業中に被害にあい、地球へと落とされるものの、間一髪で助かります。 復帰後、才能を認められ、極秘任務として父親が生きていることを伝えられるロイ。 さらには、サージが父のいる海王星付近から発生していることも伝えられます。 そこで、遠く離れた海王星にいる父親の安否を確認するために、息子からのメッセージをレーザー照射で送るというミッションを受けます。 海王星へメッセージを送るためには火星から送る必要があり、まず地球から月へ旅立ちます。 月 極秘任務のため、ロイには監視の目がつくことになり、プルーイット大佐と共に行動することになります。 月に到着後、火星行きの宇宙船ケフェウスに乗るため移動する途中、略奪者たちに襲われてしまいます。 ロイと大佐は命からがら逃げ切るものの、大佐は不整脈を起こし火星へは行けなくなります。 大佐はロイへデータを渡して気をつけるよう忠告します。 大佐からの情報で、父クリフォードが息子ロイからのメッセージに応じなければ、父の宇宙船もろとも破壊する計画であることが明らかになります。 月から火星へ 火星へと旅立ったロイたちは、道中で救難信号を受け、宇宙船の救出を試みます。 しかしその宇宙船では生物実験をしていて、乗組員は死んでいて、ロイと船長もその生物に襲われてしまいます。 間一髪で脱出するも船長は死んでしまいました。 トラブルに見舞われながらも火星に到着する一行。 そこで、父へのメッセージを送るも反応はありませんでした。 軍からの指示を無視して自分の気持ちを乗せて再度メッセージを送りますが、結果的に担当を外されてしまいます。 イライラするロイに火星基地の長官ヘレンが接触してきます。 彼女の話によると彼女の両親もロイの父と同じリマ計画のクルーであり、船内で起きた反乱によってクリフォードに殺されたと話します。 その事件を軍は隠蔽し、クリフォードを行方不明として処理したという経緯が明らかになるのでした。 同時にクリフォードとサージの対処のため、核爆弾を積んだケフェウス号は海王星へ行く準備が進められていました。 それを知ったロイはヘレンの力を借りて、船内に侵入します。 侵入がバレてしまい、軍の命令により乗組員から殺されそうになるも、返り討ちにして全員が死んでしまいます。 海王星へ 一人残ったロイは海王星へと代わりに任務を果たすべく向かうのでした。 海王星付近でリマ号を発見し、爆弾をセットするロイ。 その時、クリフォードが目の前に現れるのでした。 彼によると、海王星への長い旅路でおかしくなったクルーの反乱に遭い、彼らによってサージも起こされたのでした。 しかし一人になったクリフォードにはサージを止める術がなかったのです。 父を説得して地球に一緒に帰るよう話すロイでしたが、クリフォードには地球に未練などない語ります。 なんとか船外へ連れ出すロイでしたが、クリフォードは抵抗し宇宙へ投げ飛ばされてしまいます。 助けるロイでしたが父は話すよう伝え、ロイも最終的にそれに従うのでした。 地球に帰還 その後、父のリマ計画での調査資料を携え、ケフェウス号になんとか乗り込んだロイは、地球への帰還を遂げます。 ロイはこれまでの孤独だった自分を改め直すべく、愛する人に再開するのでした。 宇宙を舞台とした映画は数多くあるのですが、その多くが広大な宇宙を前にした時に感じる孤独というものを描いています。 今作においてもそれは同じで、目新しいものはあまり感じられませんでした。 しかし、それが面白い部分でもあり、宇宙の神秘に魅せられつつも、人間のパーソナルな部分に共感するんです。 月にファーストフード店の進出• 月での資源争い この辺りは、妙にリアルに感じるものがあり面白い演出でした。 時代が進歩して宇宙まで開拓できるようになった時代においても、紛争は起こり、人間の小ささが宇宙との対比で皮肉っぽく描かれます。 また、地球を含めた太陽系を脅かすサージを引き起こしたのも、結局は人間が原因であり、宇宙という無限の風呂敷の中でもがく人間模様というのも楽しめる部分ではありました。 一方で、発車直前の宇宙船に乗り込むのは無謀すぎたり、生物実験船のシーンの必要性を感じなかったりと、取ってつけた抑揚を描こうとしている風にも感じてしまいました。 『ゼロ・グラビティ』• 『インターステラー』• 『オデッセイ』• 『メッセージ』• 『パッセンジャー』 宇宙を舞台とした近年のSF映画はどれも面白く、高い標準でのクオリティがある分、それらと比較され差別化することの難しさを感じました。 関連記事 ブラピの演技は確かに申し分ない 本作ではブラッド・ピットが初めて宇宙飛行士役を演じました。 ブラピの演技に関しては前評判通りすごく良く、引退も示唆していますが役の渋みが増していて今後も出てほしいですね。 映画『アド・アストラ』はU-NEXTで無料ポイントを使って無料視聴できます。 30日間の無料体験で解約すれば一切お金がかかりませんので見ないと損ですよ。

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Per aspera ad astra.

アド アストラ 意味

孤独に追いやられた人々は、心に過酷な拷問を加えられたも同然だ。 内なる声が聞こえ始め、過去を回想するようになる。 本記事は完全ネタバレなので注意。 『アド・アストラ』は言葉による直接的な解説を控えた、全体としてやや難解な作風であり、そのことが賛否両論の評価を招いている。 サージ電流が地球を襲う、というハリウッド的スケール感を漂わせる設定から一転、内省的な旅に入っていき、SF映画というより文学作品のようになっていく。 ブラッド・ピットにトミー・リー・ジョーンズという二大スターに興味を持って本作を鑑賞した人の中には、単純なエンタメではないその内容に戸惑いを覚え、釈然としない様子で映画館を後にした人も多いだろう。 ネットの書き込みにも、途中で起きた事件の意図が分からないという感想が目立つ。 しかしに書いたように、監督はコメンタリーにおいては非常に饒舌に作品を語っている。 「監督の発言=確定した作品の意味・正解」ではないが、 本作を紐解く大きな手がかりとなるだろう。 実験動物の凶暴化が意味するもの 映画を観終わってから「アレッ?」と思うのは、物語中盤に救難信号を発していた宇宙船での出来事はなんだったのか、ということである(図1)。 あの場面だけSFスリラーのようであり、トラブルは一見、物語のテーマに直接的に関与しない。 航海中に船長が死んだというだけのことにも見える(そして船員たちは結局全滅する)。 あのシーンにはどういう意味が込められているのだろうか? このシーンで表現したかったこと。 それは宇宙の旅で予測不能の事態が起きるとは、実際にどういうことなのか。 そして地球の生物がどうなるかということだ。 挙動は完全に変化する。 無重力なので当然、体も変わってくる。 図2:実験動物の中に自分たち親子を発見するロイ・マクブライド(『アド・アストラ』) 「あの眼の中に、父と同じ怒りを見た。 それは僕の中にもある」というのがヒントになっているのだが(図2)、 実はこの凶暴化した宇宙猿は、主人公の父・クリフォードとの相似形として描かれている。 つまりクリフォードが狂っていたように、この猿もまた狂っていたのである。 人間は地球という固有の環境で生まれ、進化してきた。 人間が「我々の知る人間」として思考し、活動できるのは、地球という環境にいるためである。 そのような 一種の「環境適応」が起こるのではないか、というSF的仮説が『アド・アストラ』の大きなテーマだ。 統合失調症の父・クリフォード 図3:息子に対しておどおどした態度を見せるクリフォード(『アド・アストラ』) このような「環境適応」あるいは「気狂い」は、本作で宇宙に長期滞在した全ての人間に現れている。 ロイは途方もない長い旅路で孤独に悩まされ、調査船「ケウェウス」の乗組員たちは反乱を起こし、クリフォードは彼らを殺害して船に閉じこもった。 ロイとクリフォードの再会シーンは印象的だ。 そこに在る父親の姿は、誇らしく宇宙服を着ていた写真や、ビデオメッセージの中で喋っていた彼とは全く違う(図3)。 息子の登場に対し、まるで子供のようにビクビクし、ロイが伸ばした手から、思わず腕を引っ込める(図4)。 どちらが息子なのかわからない状態だ。 図4:息子から逃げるように手を引っ込める父親(『アド・アストラ』) 監督のジェームズ・グレイは、このクリフォードについて 「統合失調症のような状態」と表現している。 そして置かれる状況や頭に浮かぶ考えなども、地球とは違うものになってくるんだ。 宇宙は果てしなく空虚で無限の空間だ。 まさにこの空間が、日常のささいな懸念をすべて放棄させる。 例えばあなたも、旅先などの非日常空間でSNSなどを覗くと、そこでいつも通り生じている知り合い同士の日常空間が、ひどく遠のいていて、どうでもいいものと感じることがないだろうか。 別世界の出来事のように感じないだろうか。 地球から45億キロ離れた海王星の隔離空間では、大統領選挙とか、都会では自殺する若者が増えているとか、親戚に子供ができたとか、多分果てしなくどうでもいい。 「地球的な煩悩」から開放された宇宙船の人工空間では、あらゆる人間関係が遠のいている。 「去る者は日々に疎し」と中国の言葉にあるように、結局、人は頻繁に会っていない人間のことは次第に思い出さなくなる。 視界に入らないものは存在しないのと同じだ。 宇宙では食事も衣類もすべて選ばれている。 残るのは宇宙空間だけだ。 悪くもなく、良くもなく、何でもないもの。 まさにそれが残酷なんだ。 つまり地球と切り離され、孤独を強いられる。 日常的な煩わしさの欠如が、自分自身との対話を余儀なくさせるんだ。 つまりクリフォードは、あまりにも長い年月を地球から離れて孤独に過ごしたために、家族のことを忘れ、人工空間に存在する使命、即ち「地球外生命体を発見する」こと以外はどうでもよくなってしまったのだ。 この父親と息子のシーンで伝えたかったことがある。 それはつながりが欠如しながらも、ロイはまだ愛せるということだ。 クリフォードは心の奥底でそれを放棄している。 なぜ父親は自殺し、ロイは生還したのか? これについての、監督からの明白なコメントはない。 一つ言えるのは、 父親には既に帰るところなんて存在しなかったということだ。 クリフォードは永い宇宙滞在で、すっかり変質してしまった。 そして「任務のため」とは言え、いまや大量殺人犯だ。 もはやかつてのクリフォードはどこにもいない。 父親の死に際して息子も「なぜいつまでも続ける……」と絶望に囚われるが、ここで ロイは遠方に輝く太陽を眼にする(図5)。 図5:『アド・アストラ』 ロイは太陽の光を見ることで、地球での生活を思い出し帰ることになる。 地球を思い出したことが、ロイと父親の運命を分けたのだ。 月面での略奪者とのカーチェイスシーンはなんのため? この『マッドマックス』みたいな戦闘シーンは 世界観の描写のために挿入されたと思われる(図6)。 映像と音響的には作中の一つのピークなので、大予算の映画として見せ場を作る意図もあったのだろう。 図6:月面で盗賊集団に襲われる一行(『アド・アストラ』) 月にはヘリウム3がたくさんある。 これを使った商売が展開されるだろう。 国家間で条約も結ばれる。 だがほとんど守られないだろう。 かつてのヨーロッパ系アメリカ人は、アメリカ先住民と数々の条約を結んだとされる。 だが1つも守られなかったと思う。 中間地帯と言っても、高価な天然資源はあるだろうからね。 作中の中尉も話しているが、月面はまだ開拓や整備が不十分で、 かつての西部開拓時代のような無秩序が混在する。 これもまた「宇宙に進出した人類がどうなるか?」という空想科学的考察の1つなのだ。 ただ作品全体の中の位置づけとして、やや浮いているように見えるのも事実だとは思うが。 もしも地球が孤独だったら? 『アド・アストラ』の最大のテーマは「孤独」である。 そしてこの言葉には、ミクロとマクロで2つの意味が込められている。 一つはミクロな、個人レベルでの孤立だ。 それはロイやクリフォードに現れた変化である。 もう一つはマクロな孤独、つまり 宇宙規模で地球生命は孤立しているのではないかという絶望である。 図7:『アド・アストラ』 ジェームズ・グレイは序盤の地球をバックにしたシーンを映しながら、 地球外生命体について論じるSF映画に共通する点として「宇宙人は存在する」という前提があることを指摘する(図7)。 多くのSF映画には共通点がある。 それは宇宙人の存在が念頭にあることだ。 [……]我々はある人物の発言を作品の根底に置いた。 『2001年宇宙の旅』の原作者、アーサー・C・クラークだ。 彼は次のように述べた。 宇宙に存在するのが人類だけだったら?この問いかけは、人類や地球の在り方を問う、非常に奥の深い問題だ。 「地球外生命体が存在しない」という前提が語られない理由の1つには、それが 悪魔の証明だからというのもあるだろう。 宇宙は途方もなく広大なのだから、宇宙人が存在しないことを証明するために宇宙の隅々まで調査するより、人類が先に絶滅してしまう可能性の方がずっと高い。 だから人類が描く映画では、無意識のうちに宇宙人が存在する前提を選択してしまうし、これからもずっと「宇宙人はいる」と語られ続けるに違いない。 なんと孤独だろう! また監督が指摘するように、 仮に生命がいても、その生物が単細胞生物だったり、あるいは高度過ぎる存在だったりすると、結局コミュニケーションは成立しないことになる。 それは「生物」としては、ほとんど存在しないようなものであり、ガスや塵と同じようなものだ。 都合良く人類と同程度の知性を持った生命?それはとんでもなく低い確率でしか発生しないようにも思える…… ラストシーンの独白が意味すること このような孤独についての考えを深めるとき、物語の最初に親しげに自分の肩を揺すってきた相手に対し「僕に触れるな」と内心つぶやき、妻とも疎遠になったロイが、ラストにおいて 人間との繋がりを取り戻そうとする理由も理解できるだろう。 結末の語りによって『アド・アストラ』は、宇宙と孤独を巡るヒューマンドラマであることを鮮明にしたと言える(図8)。 図8:最後の独白は、作品テーマの宣言だ(『アド・アストラ』) 結末部分について、監督は「本来入れるつもりはなかった」と語る。 ロケットから降りるシーンで終わりにするはずだったのだ。 だがラストシーンとしてロイの独白を入れたことで、私はかえって余韻が増して作品テーマも分かりやすくなったと感じる。 最後に独白がなければ、『アド・アストラ』はさらに難解な映画になってしまっただろう。 彼が地球に帰還することは、大きな安心感と目覚めを意味する。 言い換えればロイの内面の変化と超越だ。 冒頭でロイは宇宙飛行士が夢だったと言う。 物語を通じてその理由が、父を捜すという目的を果たすためだったと分かる。 だが、こうして彼は地球に戻ってきた。 映画製作者としても悪夢のような時間が終わって欲しかった。 そして再び地球とつながった。 文字通りにも比喩的にもね。

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