信濃 川 氾濫。 県内 浸水被害8000戸|台風19号 長野県内 豪雨災害|信濃毎日新聞

河川の氾濫による洪水浸水想定区域図

信濃 川 氾濫

過去の災害、伝承、地名等に関する資料 長野県立歴史館にあるもの (この他、市町村史、全国版の地震資料等にも多くの文献があります。 長野県絵図・地図共同研究事業実行委員会編(2017)近代村絵図・地図の世界 明治の地図はどうつくられたか 長野県絵図・地図共同研究報告書、同ダイジェスト版• 長野県建設部砂防課(2009)長野県の地すべり• 長野県総務部消防防災課編(1965)長野県の災害と気象• 長野県生活環境部消防防災課編(1986)長野県地震対策基礎調査報告書 昭和60年度• 長野県生活環境部消防防災課編(1987)長野県地震対策基礎調査報告書-被害想定編-昭和61年度• 長野県土木部(1965)災害復旧の記録 昭和36年6月梅雨前線豪雨• 長野県総務部文書広報課(1960)災害をこえて 昭和34年の台風を中心として• 郷土出版社(2012)写真記録 長野県の災害• 小林フミ(1979)長野県の災害年表(長野No. 87)• 小林フミ(1979)長野県の災害年表(2)(長野No. 88)• 小林フミほか(1979)災害年表(長野No. 113)• 日本綜合建設株式会社(2009)地歩 地すべりとともに歩んだ50年• 栄村立栄小学校(2012)長野県北部地震の記録 大震災を乗り越えて• 長野市地附山地すべり災害誌編さん委員会編(1993)真夏の大崩落 長野市地附山地すべり災害の記録• 長野県地質ボーリング業協会(1994)善光寺地震と山崩れ• 赤羽貞幸・北原糸子編著尾(2003)善光寺地震に学ぶ• 山浦直人(2013)善光寺地震の災害に学ぶ 古資料から自然災害を学ぶ、伝える• 涌池史跡公園記録誌編集委員会(2011)善光寺地震と虚空蔵山の崩壊-弘化四年そのとき涌池でなにが起きた-• 長野市信更町涌池地区・湧池史跡公園整備委員会( )涌池史跡公園 今善光寺大地震を語る• 永井善左衛門(1985)善光寺大地震図絵 弘化四年(「地震後世俗語之種」(12冊)の復刻、合本)• 楜澤龍吉(1976)叙事 民謡善光寺大地震(研究・資料シリーズ1)• 三郷郷土研究会古文書を読む会(2016)善光寺地震の古文書を読む• 長野市立博物館編(1989)ゆれる大地~地震・観測・災害~第23回特別展• 長野県総務部消防防災課(1969)松代群発地震記録• 長野地方気象台地震観測所(1958)松代群発地震(3年間の概要)• 長野県他編(1966)松代地震一周年講演会(講演要旨)• 長野県(1969)松代群発地震記録• 信濃毎日新聞社編(1966)松代地震• 信濃毎日新聞社(1966)グラフ 松代地震• 信濃毎日新聞社編(1977)弘化四年善光寺大地震• 鬼頭康之(2011)近世北信濃の諸相-天保飢饉・善光寺地震・塩崎知行書-• 依田武勝(2012)武田騎馬軍団秘史 川中島決戦の真相と善光寺大地震• 中条唯七郎(2011)善光寺大地震を生き抜く-現代語訳『弘化四年・善行寺地震大変録』-• 千曲川工事事務所(2009)荏沢川石堰堤 登録有形文化財(構造物)登録申請書類• 征矢鑑(1995)古文書の窓13 善光寺大地震(伊那路No. 39-03)• 日本気象協会長野支部編(1983)長野市の災害と気象• 7梅雨前線豪雨災害復興記念誌編集委員会編1998)安心村の鬼無里へ 平成7年7月梅雨前線豪雨災• 信濃毎日新聞社出版局編(2002)寛保2年の千曲川大洪水「戌の満水」を歩く• 国土交通省北陸地方整備局編(2003)第2回河川文化ディスカーフォーラム千曲川講演記録集~千曲川大洪水に学ぶ~現在あるべき域管理と防災対策~• 原明芳(2012)発掘調査からみた仁和の洪水(長野県歴史館研究紀要No. 18)• 青木隆幸(2014)「戌の満水」(「寛保の満水」)試論(長野県歴史館研究紀要No. 20)• 塚田直道(2014)冬季展「山国の水害~戌の満水と善光寺地震~」を開催して(長野県歴史館研究紀要No. 20)• 山浦直人(2014)冬季展「山国の水害」で展示した善光寺地震による水害関係史料について(長野県歴史館研究紀要No. 20)• 青木隆幸(2017)気象条件からみた「戌の満水」(寛保二年の満水)(長野県歴史館研究紀要No. 23)• 長野市誌編さん室(2003)松代藩災害史料1• 長野市誌編さん室(2003)松代藩災害史料2• 長野市誌編さん室(2003)松代藩災害史料3• 長野市誌編さん室(2003)松代藩災害史料4• 長野市誌編さん室(2003)松代藩災害史料5• 長野市誌編さん室(2003)松代藩災害史料6• 長野市誌編さん室(2003)松代藩災害史料7• 長野市誌編さん室(2003)松代藩災害史料8• 長野市誌編さん室(2003)松代藩災害史料9• 長野市誌編さん室(2003)松代藩災害史料10• 長野市誌編さん室(2003)松代藩災害史料11• 長野市誌編さん室(2003)松代藩災害史料12• 長野市誌編さん室(2003)松代藩災害史料13• 長野市誌編さん室(2003)松代藩災害史料14• 長野市誌編さん室(2003)松代藩災害史料15• 霜田巌(1981)昭和の災害(私の体験したもの)(高井No. 054)• 倉石忠彦(1982)洪水説話と黒姫伝説(高井No. 059)• 佐藤慧(1991)弘化地震の水害(高井No. 097)• 浅沼健治(1994)千曲川洪水と防災へのあしあと(一)(高井No. 109)• 浅沼健治(1995)千曲川洪水と防災へのあしあと(二)(高井No. 110)• 浅沼健治(1995)千曲川洪水と防災へのあしあと(三)(高井No. 111)• 海野鉄治(1998)蛇抜山・柳入山・道灌山の災害と災害復旧(高井No. 123)• 研修部(2004)近世文書講習会「善光寺地震と救恤」の紹介(高井No. 146)• 山田正子(2013)史料紹介「万延元年七月筑摩川満水除目論見入用控」(部分)-「村々評議」千曲川上今井瀬直しの原点-(高井No. 184)• 松沢邦男(2015)近世、大俣村の災害と年貢割付(高井No. 193)• 岩戸貞彦(2017)笠間神社・笠原御牧の千年を再検討する(1)夜間瀬川激甚災害の再検証にもふれて(高井No. 198)• 降幡浩樹(1996)松代災害関係年表(松代No. 09)• 信濃史学会(1932)弘化大地震直前に於ける犀川北岸の真景(信濃No. 1-001-08)• 信濃史学会(1933)地震予報の話(信濃No. 1-002-03)• 大熊生(1934)松本大地震の記(信濃No. 1-003-04)• 水舟生(1936)中野代官所提出の地震史料(信濃No. 1-005-06)• 小林計一郎(1956)弘化四年の善光寺大地震について(信濃No. 3-008-11)• 信濃史学会(1966)埴科郡松代町教育員会で松代地震に関する文化財保護対策(信濃No. 3-018-01)• 信濃史学会(1966)科郡松代町で群発地震に備えて文化財の移動(信濃No. 3-018-07)• 信濃史学会(1966)出版:辰野町資料第55号・松代地震の記録(信濃No. 3-018-11)• 信濃史学会(1966)小県郡で松代地震に備える文化財管理の事前対策(信濃No. 3-018-12)• 倉石忠彦(1982)流れ寄る稲-長野県における穀物起源説話と洪水説話(信濃No. 3-034-08)• 倉石忠彦(1989)道祖神信仰と洪水伝説(信濃No. 3-041-05)• 近藤晴一(1997)文政~弘化期の名古屋の災害情報-善光寺地震を中心として-(信濃No. 3-049-02)• 寺内隆夫(2002)九世紀後半の洪水災害と復興への道のり(信濃No. 03-054-08)• 鬼頭康之(2004)善光寺西町の善光寺地震(信濃No. 03-056-12)• 倉石忠彦(2005)信濃の洪水説話と泉小太郎(信濃No. 03-057-05)• 鬼頭康之(2008)善光寺地震と善光寺役所の対応の軌跡(信濃No. 03-060-7)• 小野和英(2012)中条唯七郎著中村芙美子訳青木美智男校註「善光寺大地震を生き抜く-現代語訳『弘化四年・善光寺地震大変録-』」(信濃No. 03-64-3)• 中村芙美子・青木美智男(2013)加賀藩収集の弘化四年善光寺大地震関係情報について(上)-「信濃路大地震記」の紹介-(信濃No. 03-65-7)• 中村芙美子・青木美智男(2013)加賀藩収集の弘化四年善光寺大地震関係情報について(下)-「信濃路大地震記」の紹介-(信濃No. 03-65-8)• 青木隆幸(2013)「戌の満水」覚書(信濃No. 03-65-9)• 青木隆幸(2015)千曲市寂蒔に残る「戌の満水」の史料をめぐって(信濃No. 03-67-4)• 原明芳(2015)仁和の洪水と地域社会-善光寺平南部を中心に-(信濃No. 03-67-4)• 村松武・寺岡義治(2015)遠山川のせき止めと埋没林-遠江地震が引き起こした地変とその影響-(信濃No. 03-67-4)• 鬼頭康之(2015)県立長野図書館収蔵 善光寺地震関係文書の紹介(信濃No. 03-67-4)• 依田康資(1967)松代地震の頻発について(長野No. 11)• 高橋和太郎(1968)福嶋正則の千両堤について(長野No. 22)• 依田康資(1971)善光寺大地震大火犀川大満水両変災記(長野No. 36)• 小林済(1971)千曲川洪水とのたたかい(長野No. 38)• 高橋和太郎(1971)弘化四年大地震変難川田宿御用日記(長野No. 40)• 小嵐薫(1972)善光寺大地震(長野No. 44)• 藤森登志子(1972)善光寺大地震について(長野No. 44)• 小口忠夫(1976)長沼地震(長野No. 68)• 山岸みゑ(1977)弘化四年善光寺大地震百年の法要を追憶して(長野No. 73)• 臼井良作1978)弘化四年善光寺地震の記録(長野No. 77)• 松本小市(1978)高山村赤和の蛇抜け(長野No. 81)• 久保定宗(1978)善光寺地震と別所厄除観音並長雲寺無縁塚(長野No. 81)• 佐々木幸雄(1979)長野市七二会地方に於ける土地崩壊について(長野No. 87)• 内山信政(1979)弘化大地震による吉村の災害(長野No. 87)• 岡沢主計(1979)弘化四年地震の山田中村の被害(長野No. 87)• 桐山繁雄(1979)弘化大地震の湛水地域の避難(長野No. 87)• 大室昴(1979)弘化大地震の川中島平の被害と松代藩の善後策(長野No. 87)• 田中周二(1979)善光寺地震水災記(長野No. 87)• 小林明(1979)飯綱論電池決潰の災害(長野No. 87)• 内山信政(1979)弘化大地震による吉村の災害(長野No. 87)• 関川千代丸(1979)曾祖父母が伝える飢饉と大地震(長野No. 87)• 小林武雄(1979)地震滝の雨乞い(長野No. 87)• 新津武(1979)赤沼地震の思い出(長野No. 87)• 高橋和太郎(1979)洪水毎に流された千曲川の仮橋(長野No. 87)• 矢島憲之(1979)近世塩崎村洪水天災記(長野No. 87)• 矢島誠(1979)近世塩崎の洪水(長野No. 87)• 小林済(1979)千曲川洪水の跡(長野No. 87)• 真峯新平(1979)千曲川の洪水(長野No. 87)• 関保男(1979)寛保大満水の溺死者供養塔(長野No. 87)• 丸山寿(1979)完保大満水 小県秋和正福寺の千人塚と城田家文書(長野No. 87)• 原山久薫(1979)戸隠村上楠川の大水害(長野No. 87)• 依田康資(1979)湯福川氾濫について(長野No. 87)• 中村哲夫(1979)保科川氾濫と村争い(長野No. 87)• 内山信政(1980)弘化大地震による吉村の災害(続)(長野No. 91)• 丸山寿(1982)善光寺大地震横死者塚を建てた人々(長野No. 103)• 高橋和太郎(1983)須坂市村山の囲堤(長野No. 108)• 岡沢要(1984)弘化四年善光寺大地震の一記録(長野No. 114)• 長野郷土史研究会(1985)飢饉と災害(寛保二年戌の満水・天明三年の浅間山大噴火・天明飢饉・弘化四年の善光寺地震)(長野No. 119)• 仁科叔子(1985)よしのや藤井家の雑記 善光寺大地震後の世相(長野No. 121)• 和田修理(1986)明治七年の浅川・田子川堤防水害史料(長野No. 125)• 横山伊一郎(1986)大地震と和合昌禅寺(長野No. 127)• 小林計一郎(1986)柏原中村徳三衛門地震日記(長野No. 127)• 深堀達雄(1986)大地震後の飯山藩の申渡し(長野No. 127)• 長野郷土史研究会(1986)善光寺大地震瓦版(長野No. 127)• 池田一男(1986)亡者のたのみ(善光寺大地震余話)(長野No. 127)• 桐山繁雄(1986)岩倉山崩壊(長野No. 127)• 中村哲夫(1986)東川田村の災害日記(長野No. 127)• 高橋和太郎(1986)岩倉山崩れ(長野No. 127)• 長野郷土史研究会(1991)大地震被害書留 塩崎村(弘化四年)(長野No. 155)• 倉石忠彦(1992)道祖神祭祀源説話と洪水説話(長野No. 162)• 長瀬哲(1992)弘化四年善光寺地震と教室(長野No. 162)• 二沢久昭(1992)善光寺地震と戸隠(長野No. 162)• 関川喜八郎他(1992)善光寺大地震関係の奉納額-長野市芋井神社(長野No. 163)• 鬼頭康之(1995)弘化地震と善光寺大勧進門前横沢町住民(長野No. 181)• 宮沢芳己(1995)稲荷山における善光寺大地震(長野No. 181)• 金子万平(1995)善光寺大地震と鹿児島明神の石碑(長野No. 181)• 小林一郎(1995)善光寺大地震の被災者は語る-芹沢不朽の帰郷日記より-(長野No. 181)• 松橋好文(1995)善光寺大地震と情報の伝達-木曽街道馬篭宿の場合-(長野No. 181)• 青柳四郎(1995)善光寺大地震の爪跡「柳久保池」を再び訪れる(長野No. 181)• 大久保直美(1995)避難の二十日前-川中島小泉氏の「地震并水押万書留帳」(長野No. 181)• 大日方辰夫(1995)竹生村の地形を変えた弘化地震(長野No. 181)• 半田照彦(1995)善光寺大地震-屋代地区を中心に-(長野No. 181)• 宮下義徳(1995)「弘化大地震見聞記」からみた地震水害の実態• 小林計一郎(1995)堀内墨林庵の弘化大地震の記事古牧支部報から(長野No. 181)• 上水明一(1995)松代群発地震と耐震建築(長野No. 181)• 峰村武包(1995)松代群発地震-若補町綿内温湯-(長野No. 181)• 常盤真重(1995)古間地震と斑尾山付近の地震(長野No. 181)• 小林武夫(1995)斑尾地震の思い出(長野No. 181)• 金子清(1995)長沼地震の体験記(長野No. 181)• 高原英男(1995)長沼地震の爪跡(長野No. 181)• 長沢要(1995)新聞の長沼地震と長沼地震の体験(長野No. 181)• 山口義孝(1995)地震あれこれ(長野No. 181)• 峯村司(1995)母の父は土の中より弟は風呂桶諸共下の沢へ-大地震吾が家の出来事-(長野No. 181)• 小林計一郎(1995)善光寺大地震のまとめ(長野No. 182)• 翠川渡(1995)善光寺大地震のごぜ唄(長野No. 182)• 坪井喜造(1995)信濃国地震洪水実記(長野No. 182)• 北村市郎(1995)故郷の地震で思い出すこと(長野No. 182)• 新津武(1995)身近な地震三題-善光寺・長沼・阪神大地震-(長野No. 182)• 長沢要(1995)長沼地震 墓石の顛倒と家屋の被害状況(長野No. 182)• 坪井喜造(1995)信濃国地震洪水実記(長野No. 182)• 岡沢由往(2000)善光寺地震二次災害犀川大洪水と罹災地 川中島-犀川三堰普請を通して(長野No. 210)• 池田三夫(2000)続「古犀川」の記-仁和三年の大地震(長野No. 211)• 金子清(2002)狐に化かされた話 水難にあった狐-浅川堤防(長野No. 221)• 長野郷土史研究会(2002)善光寺境内 地震横死塚・千人塚・相撲年寄二十山供養塔(長野No. 224)• 岡沢由往(2002)村方文書にみる福祉-善光寺大地震・犀川大洪水罹災者への松代藩福祉政策(長野No. 226)• 矢野恒雄(2004)弘化四年善光寺大地震と農村-牟礼村東黒川の場合-(長野No. 234)• 高原英男(2007)要石信仰-地震鯰を抑える石に託された願い-(長野No. 251)• 鬼頭康之(2008)善光寺地震などを伝える『見聞録 坤』の紹介(一)(長野No. 262)• 鬼頭康之(2009)善光寺地震などを伝える『見聞録 坤』の紹介(二)(長野No. 263)• 鬼頭康之(2009)善光寺地震などを伝える『見聞録 坤』の紹介(三)(長野No. 264)• 鬼頭康之(2009)善光寺地震などを伝える『見聞録 坤』の紹介(四)(長野No. 265)• 鬼頭康之(2009)善光寺地震などを伝える『見聞録 坤』の紹介(五)(長野No. 266)• 鬼頭康之(2009)善光寺地震などを伝える『見聞録 坤』の紹介(六)(長野No. 267)• 長野郷土史研究会(2011)東日本大震災・長野県北部地震アンケート(1)(長野No. 277)• 長野郷土史研究会(2011)東日本大震災・長野県北部地震アンケート(2)東京に行っていた方、避難者を受け入れた方(長野No. 277)• 高原英男(2011)「長沼地震の思い出」聞き取りから(長野No. 277)• 塚原弘昭(2011)平成二十三年三月十二日栄村の地震と善光寺地震断層との関連-六地蔵が同じ方向に回転した理由の考察も含めて(長野No. 280)• 長野郷土史研究会(2015)平成二十六年長野県神城断層地震の記録(長野No. 299)• 三木政成(1999)相之島小史その一 千曲川の満水と溺死亡霊等について(須高No. 48)• 菊地清人(1999)仁和四年 千曲川の大洪水(須高No. 49)• 菊地清人(2000)仁和四年 千曲川の大洪水捕遣(須高No. 49)• 涌井仙一郎(2003)長野盆地における地盤の液状化と信濃川地震断層帯(須高No. 57)• 市川隆之(2012)松本平の古代の遺跡と洪水(長野県考古学会誌No. 141)• 倉石忠彦(1994)郷土と洪水説話(市誌研究ながのNo. 金井清敏(1994)弘化大地震の満水拾い物書留帳(市誌研究ながのNo. 古川貞雄(1994)善光寺地震の余震記録(市誌研究ながのNo. 長瀬哲(2001)善光寺地震いおける地震誌(市誌研究ながのNo. 滝澤公男(2004)明和期犀川末流域の洪水と国役普請(市誌研究ながのNo. 11)• 小林太郎(2004)史料紹介 善光寺地震と小田井宿(千曲No. 120)• 堤隆(2012)浅間 火山と共に生きる• 井上公夫(2009)噴火の土砂洪水災害-天明の浅間焼けと鎌倉土砂なだれ-• 浅科村教育委員会(1993)砂原遺跡 洪水に埋もれた耕地と古代の村(浅科村文化財調査報告第6集)• 島田恵子(1988)八ヶ岳崩壊の仁和四年説に関する考察(考古学的調査を中心として)(長野No. 56)• 菊地清人(1985)仁和四年八ヶ岳の大崩壊(信濃3-037-07)• 佐々木昭司(1994)下越村「戌の満水」について(佐久No. 13)• 菊地清人(2001)仁和四年八ヶ岳の大崩壊(上)(佐久No. 32)• 菊地清人(2001)仁和四年八ヶ岳の大崩壊(下)(佐久No. 33)• 堤隆(2004)企画展 浅間山大焼によせて(佐久No. 42)• 堤隆(2005)浅間山天明の大噴火(佐久No. 42)• 川崎保(2010)仁和三年(八八七)の八ヶ岳崩壊と仁和四年(八八八)の千曲川大洪水(佐久No. 60)• 小林範昭(2010)上畑村における戌の満水の背景と影響を探る(佐久No. 60)• 中沢裕(2010)ビデオ「今に伝わる『戌の満水』の思い」を制作して(佐久No. 60)• 小林節夫(2010)学校の周りと千曲川沿いの巨きな石(前編)「仁和四年」・「戌の満水」のつめ跡を追って(佐久No. 60)• 小林収(2010)寛保の満水における小諸藩の被害(佐久No. 60)• 大塚尚三(2010)平林村・入沢村三条の川除普請(佐久No. 60)• 臼田和一・臼田減太郎・臼田尚武・臼田明(2010)桜井新田村と千曲川の洪水を検証する-発見されたもう一つ(寛政三)の大洪水-(佐久No. 61)• 荻原與造(2010)鹿曲川の戌の満水(佐久No. 61)• 櫻井秀雄(2013)浅間山の大噴火~刻まれた災害史 一一〇八年、浅間山「天仁の大噴火」-浅間山、有史以来最大の噴火-(佐久No. 66・67合併号)• 飯島聖(2013)火山観測と噴火予知・防災 浅間火山観測百年について(佐久No. 66・67合併号)• 井上公夫(2013)特別寄稿 浅間山天明噴火(一七八三年)による土砂災害(佐久No. 66・67合併号)• 鷹野一弥(1961)長野県南佐久郡日北牧村の割付よりみた江戸時代農民の災害(1)(信濃No. 3-013-02)• 鷹野一弥(1961)長野県南佐久郡日北牧村の割付よりみた江戸時代農民の災害(2)(信濃No. 3-013-03)• 樋口和雄(2005)浅間噴火 鳴動・火山灰のふるまい-1596、1783について-(信濃No. 03-057-11)• 江川良武(2012)浅間山南麓における融雪型火山泥流と追分宿の発展(千曲No. 150)• 大橋幸文(1984)小谷村稗田山の大崩壊に関する一記録(信濃3-036-07)• 福嶋紀子(2016)小特集 文化財レスキューの諸問題 報告神城断層地震に伴う個人所蔵文化遺産への対応(信濃No. 03-68-2)• 細井雄二郎(2016)長野市立博物館企画展「救い出された地域の記憶~神城断層地震から1年~」開催報告(信濃No. 03-68-2)• 松本市安曇資料館(2006)トバタの山崩れと大水• 笹本正治(2017)災害と牛の伝説-牛伏寺の寺名から-(長野県歴史館研究紀要No. 23)• 宮坂五郎・市川一雄(1992)戦争が消した諏訪「震度6」昭和19年東南海地震を追う• 北原優美(1993)諏訪湖-氾濫の社会史-• 岡谷市教育委員会(2006)わが町の文化財保護 サクラの木は残った 18・7・19豪雨災害にみる文化財保護の記録(文化財信濃No. 33-3)• 町田(1933)堀江三四郎諏訪湖氾濫三百年史(信濃No. 1-002-10)• 町田(1934)諏訪湖水難の研究(社会経済史学4-6)(信濃No. 1-003-09)• 柳平千彦(1991)諏訪盆地(平坦部)と地震災害(信濃No. 3-043-10)• 三沢弥太郎(1971)諏訪湖の氾濫と天竜川通船(信濃No. 3-023-02)• 信濃毎日新聞社編(1984)長野県西部地震• 長野県生活環境部消防防災課編(1985)長野県西部地震の記録• 長野県西部地震の記録編纂委員会編(1986)まさか王滝に!-長野県西部地震の記録-• 南木曽災害対策連絡現地協議会・南木曽町編(1996)南木曽災害-昭和41年6月集中豪雨-• 天竜川上流河川事務所(2006)大西山崩壊と大鹿村の復興• 天竜川上流河川事務所 語りつぐ天竜川 全61巻(欠番あり)• 伊那市教育委員会(2009)治水と築堤・高遠石工• 中川村役場編(1964)中川村の災害史 36. 6梅雨前線豪雨• 中川村教育委員会(2009)理兵衛堤防• 中川村教育委員会(2009)理兵衛堤防 中川村埋蔵文化財発掘調査報告書18• 中川村教育委員会(2011)理兵衛堤防2. 中川村埋蔵文化財発掘調査報告書19• 中川村三六災害五十周年記念事業有志の会発起人会編(2013)三六災害五十周年記念事業記念誌-わすれまいあの体験を-• 飯田市美術博物館(2001)伊那谷の土石流と満水• 飯田市役所総務部(1962)災害を越えて一ヶ年 36. 6梅雨前線豪雨災害記録• 林文衛(1998)下市田大川除築堤• 長野県飯田市教育委員会(2015)飯田市史跡 座光寺の石川除• 村沢武夫(1955)正徳のひつじ満水(伊那No. 320)• 米山清(1955)理兵衛堤防の内助者「里女」(伊那No. 327)• 牧内雅博(1961)伊那の石文を尋ねて(二五)鉛岡城址の碑、茂穂歌碑、天竜川築堤記の碑(伊那No. 394)• 伊那史学会(1961)未満水に匹敵する伊那谷を襲った豪雨禍 昭和三六年六月二八日(伊那No. 398)• 野底山史(1961)野底川の未満水(伊那No. 399)• 三浦宏(1961)伊那盆地の地形紹介(3)氾濫原と天井川(伊那No. 399)• 原田島村(1961)口絵 再び河原となった夜泣石附近(伊那No. 399)• 原田島村(1961)三六年 梅雨前線豪雨の中心地那盆地踏査記(一)まさかと思った時又一瞬にして泥海、ひつじ満水の再来野底川の大荒(伊那No. 399)• 伊那郷土史学会(1961)三六年 梅雨前線豪雨の中心地那盆地踏査記(一)信南バス全線ストップ足を失う郡市民近道歩くも橋はなし(伊那No. 399)• 牧内雅博(1961)三六年 梅雨前線豪雨の中心地伊那盆地踏査記(一)虚空蔵山崩れ丸山知久町が大川(伊那No. 399)• 大沢和夫(1961)三六年 梅雨前線豪雨の中心地伊那盆地踏査記(一)阿南洪水記 家屋や家財が流過(伊那No. 399)• 伊那郷土史学会(1961)三六年 梅雨前線豪雨の中心地那盆地踏査記(一)飯田線 線路は寸断 全通迄十八日間 損害三億八千万円(伊那No. 399)• 飯田測候所(1961)梅雨前線豪雨続報特集 昭和三六梅雨前線豪雨 第二報• 原五郎(1961)災害地踏査記(二)地質より見た伊那谷の災害(伊那No. 400)• 村沢武夫(1961)災害地踏査記(二)山麓安全地帯が予想外なこの惨状 伊賀良地区(伊那No. 400)• 下平加賀雄(1961)災害地踏査記(二)一望白河原と化した四徳・桑原往く(伊那No. 400)• 林友治(1961)災害地踏査記(二)駒ケ根市の水害 中心は中沢地区(伊那No. 400)• 今牧芳平(1961)満水今昔考(伊那No. 400)• 倉沢節夫(1961)惣兵衛堤防決壊の記(伊那No. 401)• 松下胤実(1961)三六・六豪雨と大鹿の災害(伊那No. 401)• 長岡好伸(1961)天龍川洪水の歴史とその考察 其の一(伊那No. 401)• 原口勘助(1961)飯田松川・野底川・大鹿村災害調査報告(伊那No. 403)• 鋤柄啓子(1962)長野県の被害地震(伊那No. 405)• 鋤柄啓子(1962)伊那谷の昭和三六年梅雨前線豪雨(伊那No. 409)• 鋤柄啓子(1962)関東大震災における南信地方の地震(伊那No. 413)• 鋤柄啓子(1963)伊那谷の昭和三六年六月梅雨前線 伊那集中豪雨の解析(伊那No. 421)• 鋤柄啓子(1964)伊那谷の地震(伊那No. 429)• 牧内雅博(1965)伊那の石文を尋ねて(六二)小川先生頌徳碑、光沢金治追悼碑、災害復興記念碑(伊那No. 443)• 北澤秋司(1969)昭和四十三年10号台風と長野県南部の災害(伊那No. 491)• 原五郎(1971)三六災害復旧工事後の問題点(伊那No. 523)• 山中清隆(1972)嘉永~安政期伊那地方の水害(伊那No. 525)• 清水清治(1972)天竜川国営堤防はなん時からか(伊那No. 530)• 小木曽勝弥(1981)根羽地震の反応-八月十六日の根羽の地震に関するアンケート調査結果-(伊那No. 641)• 林文衛(1982)惣兵衛堤防について(伊那No. 653)• 日下部新一(1984)口絵 夜泣石(伊那No. 668)• 桃沢匡行(1984)口絵 六十年ぶり姿を現した理兵衛堤防(伊那No. 671)• 福澤仁治(1984)天竜川氾濫原の新田開発の一考察(一)-飯田市座光寺を例にして-(伊那No. 674)• 福澤仁治(1984)天竜川氾濫原の新田開発の一考察(二)-飯田市座光寺を例にして-(伊那No. 675)• 福澤仁治(1984)天竜川氾濫原の新田開発の一考察(三)-飯田市座光寺を例にして-(伊那No. 676)• 福澤仁治(1985)天竜川氾濫原の新田開発の一考察(四)-飯田市座光寺を例にして-(伊那No. 682)• 福澤仁治(1985)天竜川氾濫原の新田開発の一考察(五)-飯田市座光寺を例にして-(伊那No. 683)• 福澤仁治(1985)天竜川氾濫原の新田開発の一考察(六)-飯田市座光寺を例にして-(伊那No. 684)• 福澤仁治(1985)天竜川氾濫原の新田開発の一考察(七)-飯田市座光寺を例にして-(伊那No. 685)• 下伊那教育会郷土調査部地質委員会・上伊那教育会郷土館部地質班(1985)特集 伊那谷にみる長野県西部(王滝)地震(伊那No. 681)• 下伊那教育会郷土調査部地質委員会・上伊那教育会郷土館部地質班(1985)一、長野県西部地震の調査にあたって(伊那No. 681)• 681)• 下伊那教育会郷土調査部地質委員会・上伊那教育会郷土館部地質班(1985)口絵 長野県西部地震記象(伊那No. 681)• 楯英雄(1985)長野県西部地震現地報告 大土石流からの脱出時の聞き書き-大目義弘さんの証言-(伊那No. 681)• 鋤柄啓子(1985)地震計(飯田測候所)観測の長野県西部地震(伊那No. 681)• 浅井清志・渡辺盛(1985)四、長野県西部地震に伴う地下水の水質の変動(伊那No. 681)• 下伊那教育会郷土調査部地質委員会・上伊那教育会郷土館部地質班(1985)五、地震動についての考察(伊那No. 681)• 日下部新一(1985)伊那谷記録文書に見る地震資料(伊那No. 681)• 大澤和夫(1985)遠山地震について(伊那No. 681)• 下伊那教育会郷土調査部地質委員会・上伊那教育会郷土館部地質班(1985)飯田地方における主要地震一覧(伊那No. 681)• 熊谷孝敬(1985)東南海地震 昭和十九円十二月七日(伊那No. 687)• 塩沢仁治(1990)石川除建設の経過と現状(上)(伊那No. 749)• 塩沢仁治(1990)石川除建設の経過と現状(下)(伊那No. 751)• 前田金三(1991)災害の示唆するもの(上)(伊那No. 756)• 前田金三(1991)災害の示唆するもの(下)-大西山大崩落の三六災を顧みて-(伊那No. 758)• 吉川昭一(1991)松尾千振頌徳碑によせて 不撓不屈の農民魂を遺憾なく発揮して築き上げた伴野開墾堤防(伊那No. 761)• 松澤武(1994)旧伊久間村宝暦大水害の検証(上)(伊那No. 792)• 松澤武(1994)旧伊久間村宝暦大水害の検証(下)(伊那No. 794)• 松島信幸(1996)伊那谷の活断層と地震(第一回)兵庫県南部地震の一周年にあたって(伊那No. 814)• 松島信幸(1996)伊那谷の活断層と地震(第二回)兵庫県南部地震の一周年にあたって(伊那No. 815)• 西山克己(1996)遺跡で発見された地震跡(伊那No. 817)• 松島信幸(1996)伊那谷の活断層と地震(第三回・最終回)兵庫県南部地震の一周年にあたって(伊那No. 823)• 市橋雄一(1997)私の旧石器入門-柏原堤遺跡-(伊那No. 827)• 松下昇(1998)針ヶ原・堤ヶ原・出原開発の論争と理兵衛堤防裏面史-水防と救済の歴史-(伊那No. 844)• 桃澤匡行(2001)賢婦里女-理兵衛堤防建設陰の功労者-(伊那No. 878)• 松島信幸(2001)園原から人々が消えた?-天正地震時伊那谷に何が起きたか-(伊那No. 880)• 松澤武(2001)伊久間堤防の明治以降の変遷と水神祭り(一)(伊那No. 882)• 松澤武(2001)伊久間堤防の明治以降の変遷と水神祭り(続)(伊那No. 883)• 市沢英利(2002)神坂峠越えの道の性格とその変容-天正地震からどんな影響を受けたか-(伊那No. 891)• 891)• 飯田・下伊那地域研究団体連絡協議会(2006)第9回シンポジウム報告「伊那谷の災害」はじめに シンポジウムの趣旨・概要(伊那No. 937)• 吉沢明佑(2002)資料に見る近世伊那谷の地震被害(伊那No. 937)• 桜井弘人(2002)天災と霜月祭-大地震に直面した人々の立願-(伊那No. 937)• 松島信幸(2006)地震と台地-伊那谷の土地の変化と人のあり方-(伊那No. 937)• 寺岡義治(2006)遠山地震と埋没林(伊那No. 937)• 吉沢明佑(2006)資料に見る近世伊那谷の地震災害(伊那No. 937)• 竹内貴代子(2010)土石流から奇跡の生還(伊那No. 967)• 林登美人(2009)写真で見る部奈疎水の上流-三六災害以降はヒューム管を使って通水-(伊那No. 970)• 伊藤修(2009)現れた理兵衛堤防-発掘調査報告書から-(伊那No. 975)• 長沼和宏(2010)私の三六災害-災害の現場から教えられる-(伊那No. 987)• 松澤英男(2011)深見の池の成因とその周辺について-寛文二年の大地震によるとされているが-(伊那No. 994)• 伊藤修(2011)理兵衛堤防の歴史と地名(伊那No. 997)• 松島信幸(2011)天龍川の氾濫-松尾地区-語り新井順三・塩沢勉(伊那No. 999)• 伊藤修(2011)現れた理兵衛堤防(二)-平成二十二年の調査から-(伊那No. 999)• 湯澤道子(2011)三六災害五十周年に寄せて(伊那No. 999)• 北原倫平(2011)鉄砲水(三六災害より)(伊那No. 999)• 明石浩司(2011)上伊那地方事務所林務課が記録した三六災害(伊那No. 999)• 松島信幸(2011)大鹿村大西崩れを今井邦康・積夫妻から聞く(伊那No. 999)• 橋都正(2013)口絵解説 弘化三年「下市田前川原川除御普請所絵図」(伊那No. 1020)• 針間道夫(2015)災害地名より遠山地震に関係する地名について(伊那No. 1048)• 伊那谷研究団体協議会(2015)第17回シンポジウム 伊那谷の風土の多様性-天竜川流域の災害 消えていく鳥や樹木-(伊那No. 1048)• 松島信幸(1995)伊那谷の活断層と地震(伊那路No. 39-10)• 久保村覚人(1995)古文書の窓15 文化十三丙子年御廻状書留帳 川除普請用白口取(伊那路No. 39-10)• 北澤秋司(1995)伊那谷の自然災害を考える 最近の地震災害の教訓から(伊那路No. 39-10)• 北澤秋司(1998)土砂災害を点検する(1)(伊那路No. 42-09)• 北澤秋司(1998)土砂災害を点検する(2)(伊那路No. 42-11)• 北澤秋司(1998)土砂災害を点検する(3)(伊那路No. 42-12)• 内藤りつ子(2002)[第二十七回円買い実地踏査報告]武田勝頼を中心とする甲州と上伊那との関連を現地に探る 信玄堤(伊那路No. 551)• 平澤淳一(2003)柵立押出堤防-洪水との苦闘の歴史を伝える野底の天竜土手-(伊那路No. 557)• 牛丸達成(2004)土砂災害と分校の廃止に思うこと(伊那路No. 567)• 北澤夏樹(2005)総合学習で小黒川に発生した土石流を調査して(伊那路No. 581)• 矢島信之(2005)三峰川の霞提に見る先陣の自然との関わり方(伊那路No. 581)• 有賀元栄(2005)巨大地震から史跡を守れるのか-地震救援と『史跡めぐり』づくりから思うこと-(伊那路No. 585)• 中谷幹男・酒井卓実(2006)災害地からの報告(1)小さな沢の大きな災害(伊那路No. 598)• 上伊那郷土研究会(2006)災害地からの報告(2)18年7月豪雨による災害・被災者の話(伊那路No. 598)• 山口俊樹(2006)災害への対応(1)平成18年7月豪雨に対応して(伊那路No. 598)• 伊藤隆盛(2006)災害への対応(2)美和ダム 三峰川(洪水)バイパスの試験運用(伊那路No. 598)• 山口通之(2006)災害への対応(3)平成18年豪雨災害への対応の事例に学ぶ(伊那路No. 598)• 上伊那郷土研究会(2006)災害地からの報告(2)18年7月豪雨による災害・被災者の話(伊那路No. 598)• 有賀元栄(2007)無事だった太子様-平成18年7月長野県豪雨災害から-(伊那路No. 600)• 松牟田正明(2007)【文化短信】理兵衛堤防の石積み出現(伊那路No. 602)• 酒井卓実(2007)「平成18年7月豪雨」災害から一年(伊那路No. 606)• 池上正直(2007)【古文書の窓】78元禄十一年、天竜川満水と諸橋流失(伊那路No. 606)• 中川村教育委員会(2008)姿を現した片桐の理兵衛堤防-発掘確認調査の概要について-(伊那路No. 612)• 足助武彦(2008)豪雨災害はどのように進行したのか-上伊那地方における局地気象の研究(平成十八年七月豪雨)-(伊那路No. 613)• 有賀泰司(2008)辰野町紅羽土石流災害と地質-「平成十八年七月豪雨」被災地を訪ねて-(伊那路No. 617)• 辰野町赤羽土石流災害と地質-「平成十八年七月豪雨災害」被災地を訪ねて-(伊那路No. 617)• 【文化短信】理兵衛堤防の石はどこから運ばれたか(伊那路No. 649)• 『伊那路編集部』(2011)『伊那路』等に見る「三六災害」発生当時の記録(1)(伊那路No. 653)• 伊藤修(2011)三六災害から五十年の歳月を経て(1)-中川村滝沢・桑原・四徳-(伊那路No. 654)• 大場英明(2011)三六災害の記憶-飯島氏・宮崎氏夫妻よりの聴き取りから-(伊那路No. 654)• 山本勝(2011)「私の三六災害」北信濃にいて(伊那路No. 654)• 『伊那路編集部』(2011)伊那路』等に見る「三六災害」発生当時の記録(2)(伊那路No. 654)• 山口通之(2011)【文化短信】明治・大正期の災害支援の事例(伊那路No. 654)• 矢島太郎(2011)高遠地震について(伊那路No. 654)• 伊藤修(2011)三六災害から五十年の歳月を経て(2)-中川村滝沢・桑原・四徳-(伊那路No. 655)• 『伊那路編集部』(2011)伊那路』等に見る「三六災害」発生当時の記録(3)(伊那路No. 659)• 有賀直雄(2012)忘れ得ぬ故郷 中川村銭集落と「三六災害」(1)(伊那路No. 663)• 酒井卓実(2012)災害に強い里山づくり-西春近貝附近に広葉樹の苗木植樹-(伊那路No. 665)• 荒木香名・土井ゆい・名上絵利梨香・中田真也(2012)火山灰から見る上伊那の地層-伊那谷地震断層説の検証-(伊那路No. 665)• 渋澤日出子(2012)【文化短信】五年生の時の、悲惨な三六災害の体験(中川村桑原)(伊那路No. 669)• 市村咸人(1933)遠山峡谷に出土を造りたる享保地震史料(信濃No. 1-002-06)• 今井市郎(1936)徳川初期以降に於ける飯田町源長谷の浸蝕崩壊に就いて(信濃1-005-07)• 信濃史学会(1964)災害の市田郷出版(信濃3-016-01)• 飯田市歴史研究所(2016)飯田・下伊那の災害(飯田市歴研ジュニア・ライブラリー3)• 『58災害誌』編集・発刊委員会(2002)58災害誌 語り継ごう子や孫へ• 大沢昭(1995)伊那谷の地震(長野No. 181)• 笹本正治(1994)蛇抜・異人・木霊-歴史災害と伝承-• 笹本正治(1996)中世の災害予兆 あの世からのメッセージ• 笹本正治(1993)「新刻名古屋噺」をめぐって 木曽山と災害観(信濃No. 3-045-05)• 笹本正治(2003)災害文化史の研究• 笹本正治(2017)災害と牛の伝説-牛伏寺の寺名から-(長野県立歴史館研究紀要No. 23)• 一志茂樹(1949)建築史と郷土研究の間、考古学と歴史学との間に橋をかけよう土 木工学に災害史の尊重を-(信濃No. 3-001-07)• 原田和彦(2014)災害を記録する-災害絵図成立の一例として-(信濃No. 03-66-3).

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台風19号 氾濫河川一覧

信濃 川 氾濫

台風19号の影響で千曲川が氾濫して冠水した長野市赤沼では15日、女性1人の死亡が新たに確認され、今回の台風による県内の死者は3人となった。 行方不明者は少なくとも2人おり、けが人は同日時点で重傷4人、軽傷8人。 県のまとめと信濃毎日新聞の取材を総合すると、調査中の自治体があるものの、県内の床上、床下浸水は少なくとも8千戸以上に上る見通しだ。 赤沼で14日に死亡が確認された男性は15日、近くの西沢孝さん(81)と分かった。 同日午前に心肺停止状態で発見されたのは近くの69歳の女性と分かり、同日午後4時25分、死亡が確認された。 女性は2階建ての自宅で弟と2人暮らしで、被災当時は1階にいたとみられる。 県災害対策本部関係者によると、この2人の死因は溺死。 死者はほかに、佐久市中込の中島正人さん(81)。 一方、佐久市入沢で12日夕に外出したまま連絡が取れていない会社員三石量正(かずまさ)さん(68)の行方が分からなくなっている。 東御市では12日、千曲川の田中橋近くの道路が陥没して車3台が転落し、1台の少なくとも1人が行方不明になっている。 三石さんの服装は透明なカッパに白っぽい作業ズボン。 県警本部(電話0120・008・197)、県危機管理防災課(電話026・235・7184)が情報を募っている。 同対策本部によると、県内の家屋被害は15日午後3時時点で全壊4戸、半壊1戸、床上浸水2237戸、床下浸水1443戸。 この他、長野市は床上、床下浸水について調査中だが、計4800戸ほどに上る見通し。 北佐久郡軽井沢町などは集計中としており、家屋被害はさらに増えるとみられる。 国土交通省北陸地方整備局は15日、長野市の北陸新幹線車両センターを含む地域の浸水は約84%が解消したと発表した。 県内の避難者は15日午後3時時点で長野市や佐久市、須坂市など11市町村で計1081人。

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河川ごとに洪水浸水想定区域図を紹介しています。

信濃 川 氾濫

猛烈な風雨を伴う台風19号が12日夜に県内に最接近し、一夜明けた13日、千曲市から飯山市にかけての千曲川流域で氾濫被害が広がった。 長野市穂保では村山橋下流左岸の堤防が約70メートルにわたって決壊。 家々が濁流にのまれ、2階近くまで水に漬かった住宅も出ている。 自衛隊ヘリなどが取り残された住民らの救助を進めている。 県によると、千曲川の堤防が決壊したのは1983(昭和58)年以来。 佐久広域連合消防本部などによると、13日午前7時半ごろ、捜索中だった佐久市中込の男性(81)の遺体が市内で見つかった。 同市臼田入沢区では、男性が12日夕に「小学校に土のうを取りに行く」と言って外出したまま連絡がとれていない。 東御市では同日午後7時ごろ、千曲川の田中橋近くの道路が陥没し、車3台が転落。 1台の3人が行方不明になっている。 県などによると、流域では長野市穂保の堤防決壊の他、千曲市雨宮など11カ所で濁流が堤防を越える越水が発生。 氾濫は千曲市役所付近、長野市松代、長沼、篠ノ井、須坂市、上高井郡小布施町、中野市立ケ花、飯山市街地などに拡大した。 上田市諏訪形では約200メートルにわたって堤防が削られ、決壊の恐れが出ている。 この影響で上田電鉄別所線の鉄橋が崩れ落ちた。 千曲川の立ケ花観測所では13日午前3時20分ごろ12・46メートルの水位を観測。 83年9月29日に記録した11・13メートルを上回り、過去最高を更新した。 長野市では最大約4500人が避難。 千曲市は午前9時時点で457人が避難している。 長野市篠ノ井二ツ柳の特別養護老人ホーム「桜ホーム」では入居者約120人、同市穂保のグループホーム「やすらぎの家すばる穂保」でも9人が孤立。 同市下駒沢の県立総合リハビリテーションセンターでも入院患者約40人が取り残された。 同市豊野支所近くの高齢者施設でも約160人が孤立しているとの情報もある。 県警には午前10時20分現在、55件126人の救助要請が入っている。 同市赤沼の長野新幹線車両センターも水没。 県災害対策本部によると、北佐久郡軽井沢町、上田市、埴科郡坂城町で風にあおられて転倒するなどして負傷者が出ている。 長野地方気象台によると、大雨・洪水警戒レベルで最高の5に相当し、最大級の警戒や避難を求める大雨特別警報は13日午前3時20分に県内は解除された。 台風19号は勢力を弱めて「大型の台風」となり、13日午前9時現在、三陸沖を時速60キロで北東に進んだ。

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