歌謡 曲 という 言葉 は な に が 開始 され た 時に 作 られ た。 POP Music(歌謡曲)

専属作曲家・古関裕而のご紹介

歌謡 曲 という 言葉 は な に が 開始 され た 時に 作 られ た

西寺郷太(にしでらごうた) 1973年、東京生まれ京都育ち。 早稲田大学在学時に結成し、昨年メジャー・デビュー20周年を迎えたノーナ・リーヴスのシンガーにして、バンドの大半の楽曲を担当。 作詞・作曲家として少年隊、SMAP、V6、KAT-TUN、岡村靖幸、中島美嘉、そのほかアイドルの作品にも数多く携わっている。 音楽研究家としても知られ、少年期に体験した80年代の洋楽に詳しく、これまで数多くのライナーノーツを手掛けている。 を題材にした小説「噂のメロディ・メイカー」も話題となった。 いわゆる「歌謡曲」にとって何が大切か 西寺:少し前に、秋元康さんがプロデュースしてる「」っていうオーディション番組の審査員を、1年ぐらい前に番組が始まった時にも2回ぐらい出たんですけど、久々に頼まれたんですよ。 まあ、オーディションの内容はともかくとして、なんで僕がその仕事を受けてるかっていうと「好奇心」なんですよ。 それこそ80年代から現在までもちろん主流派ではない時代もありましたけど、「歌謡曲」というか「芸能界」の中心にいる秋元康という人はどんなこと考えてるんだろう? と。 いわゆる「歌謡曲」にとって何が大切なのかっていうのが、改めてわかる経験でしたね。 作曲が大事なのか、作詞が大事なのか、プロデューサーが大事なのか、もちろん全部大事なんだけど(笑)。 ただ歌謡曲とはなにかっていうのは、日本で愛される音楽がいわゆるアメリカやイギリス発信の「洋楽」と違っているところはなにかみたいな話で。 それは今、僕が考えてることのひとつでもあって。 で、自分もずっと色々考えてきた結論から言うと、歌謡曲っていうのはつまり「歌える歌」っていうことだから、最も大事なのは作詞だろうなと。 米田:洋楽っぽい音でやっても、日本語で歌えば全部、歌謡曲、J-POPになってしまうというか。 西寺:そう、僕は子どもの頃から洋楽が好きで。 正直、歌詞の意味がわかるものもあれば、そうでないものでも楽曲のパワーやヴォーカルの呼吸も含めて「音楽」として感動してきました。 メジャー・デビューした時にそう思ってたんですね。 正直、あんまり歌詞歌詞って聴いてなかったですし、今もある意味そうなんですけど、うるさいくらいに「作詞のほうが大事だから」ってディレクターやらプロデューサーに言われたんですよね。 若い頃、当時はね、それにすごくムカついてたんですよ。 だって、僕らはビートルズでも感動するし、マイケルにも感動するし、言ってることも「うっすら」わかるし、歌詞カード見ればよりわかるし、作詞が大事だっていうことは、音楽そのものの効能を否定するのかよ!って思ったりもしてたんですよね。 言葉のある音楽が生まれるよりもっと前から人類って何かを叩いたリズムで踊ったり、音そのものを楽しんだり怖がったりした長い歴史があるはずですからね。 決まった歌詞を歌うなんて、人類の歴史のごく最近のことの気もしましたし。 ただ20数年やってきて、特に歌謡曲の機能として日本人が感動できるものっていうことを考えた時に、言葉の力の圧倒的さに改めて気づきますね。 たとえば、槇原敬之さんの書かれたSMAPの『世界にひとつだけの花』がもし別の歌詞だったとすれば、あのメロディーに別の歌詞が乗ってたらあんなに売れることもなかったと思うんですよね。 まさに今年最大のヒットと言えるDA PUMPの『U. 』も、カバー曲ですけど歌詞の面白さとインパクトでしょうし。 米田:「歌える」ということで言えば、海外でもケンドリック・ラマーがピューリッツァー賞を獲ったりだとか、最先端って言われてるラッパーも、いちばん重要視してるのは客といかに合唱できるかっていう。 ケンドリック・ラマーと同じく今年フジロックに出演したN. Dなんかもそうでしたけど、やっぱりそういう「歌詞回帰」みたいなのは世界的にある気がしますね。 西寺:僕、2年前にポカリスエットのCMソングで『』っていう曲の歌詞を書いたんですよ。 そしたらもう、高校生や中学生が公園で踊っていたり、「子どもも歌ってます」みたいなうれしい感想をもらって。 あくまでもCMソングだったんで、CDや完成品としてパッケージされてないんで、ちょっともったいない曲でしたけど。 ただ、僕らはアンビヴァレントな世代なんですよね。 僕らより上の人って、明らかに「洋楽のほうが偉い」っていう世代でしたけど、僕らのあとぐらいの世代の認識では日本の音楽が越えていって、洋楽が売れないっていう話ばかりになって。 でも、ここ数年、ケンドリック・ラマーを筆頭にラップの世界は若い人にもストレートに浸透してるかもしれないですね。 ともかくケンドリックはインタビューとかで普通にしゃべってるだけでも、声とグルーヴがとんでもないって、それこそ人種や言語を飛び越えて伝わる人ですからね。 クインシー・ジョーンズのドキュメンタリーがNetflixでやってましたけど、ケンドリックの登場シーンだけは普通の会話が、え? これ完成してる新曲か? ってくらいクールで驚きましたよ。 西寺:松尾潔さんは、とかああいうアーティストは、向こうの人にしたらみんな歌謡曲なんだって言ってますよね。 僕らが「別れても好きな人」とか「時の流れに身をまかせ」とか聴いて感じる感情のような世界こそがベイビーフェイスが愛されてることを理解する真髄なのかもって。 僕らはどうしてもアメリカやイギリスから届いた「しゃれた音楽」として、英語だったり黒人が歌ってるソウルを受け取ってる。 インテリの音楽のようにも思ってるけど、向こうの年配の人がベイビーフェイスの歌詞を覚えて歌ってる時の気持ちっていうのは、まさに安全地帯と井上陽水さんの「夏の終わりのハーモニー」じゃないけど、日本でいうスナックとかで「染みるなあ」って思って歌ってるのとイコールなんだろうなって。 「和製プリンス」と言えば……? 米田:前に尾崎豊の話をしましたけど、僕ね、吉川晃司さんと岡村靖幸さんも大好きで。 尾崎さんと吉川さんと岡村さんって、仲良し3人組だったっていうじゃないですか。 とくに岡村さんは高校の頃によく聴いてて。 岡村さんって、サウンドとダンスってところによく注目されますけど、歌詞もすごく独特で良いんですよね。 西寺:あ、多分、岡村さんの歌詞は皆凄いと伝わってると思いますけどね。 彼は現在までどんどん若い人たちとコラボレーションしてアップデートしてて凄いですよね。 岡村さんは、「和製プリンス」って昔よく言われてたけど、個人的には和製ジョン・レノンでもあり、和製ボブ・ディランの方が近いんじゃないかって僕は思ってますね。 その前に、超多作のプリンスに比べて、岡村さんは寡作ですしね。 とはいえリリースした作品がとんでもなく凄いんですけど。 米田:たしかに、プリンスは亡くなるまでずっとコンスタントに作ってたし、未発表のままの曲も膨大にあるんですよね。 西寺:そうなんですよ。 大量に作って出すっていうことをいったら、曽我部恵一さんのほうがプリンスに近いと思います。 もう、わけわかんないもの、駄作かも知れないけどとりあえず出すみたいな。 本人も、自分でもよく意味わかんないって言ってましたから(笑)。 そのために自分のレーベルがあってね。 曽我部さんって凄いなぁ、と。 ジョン・レノンがもし生きていたら、ほんとボブ・ディラン以上の多作家になって、ネットとかも上手に使いこなしていた気がしますね。 米田:プレイヤーとしては、どっちかっていうと「味」ですよね。 西寺:ボブ・ディランも岡村さんもそうですよね。 そういえば、岡村さんの『ビバナミダ』っていうシングル曲は僕が歌詞を書いてて。 正確に言うとある当時の国民的アイドル・グループに提供する話で、僕が作詞、岡村さんが作曲と編曲って感じの座組で。 ただ歌うには難しい曲と判断されたのか、あんないい曲が返ってきちゃったんですよね。 今でももったいないと思ってますけど。 米田:岡村さんの曲って、独特のクセの強さがありますもんね。 西寺:僕、作詞する時には自分で仮歌入れるんですけど、そのアイドル・グループに渡す段階で岡村さんが歌い直してくれたんですよ。 それがまた不思議な感じで、どっちも知ってる人からしたら、同じ曲を僕が歌ってるとノーナに聴こえて、岡村さんが歌うとバリバリ岡村靖幸になるっていう。 当たり前なんですけど(笑)。 で、それがあまりにも良かったから、これ、岡村さんの曲にしたらいいのにって思ったのも事実だったんです。 結局、岡村さんが残りの歌詞を書き加えられて歌ってリリースしたら、人気曲になって。 タイトルは、コールドプレイでもヒット曲ありましたけど、常套句の『Viva la Vida』からとった言葉で、「ヴィヴァ・ラ・ヴィダ」から、「ヴィヴァ、涙」。 僕の最初のタイトル表記は『VIVA NA MIDA』だったのを、岡村さんがカタカナ「ビバナミダ」に替えたんですよ。 そっちの方が断然いいですよね。 表記へのこだわりもさすがだなって。 80年代とそれ以降で違う、スター音楽家のメンタリティー 米田:そう言えばこの前、80年代までのスター音楽家と90年代以降のスター音楽家は違うって、仰ってませんでした? 西寺:これは個人的な意見なんですけど、80年代までスター音楽家って、本当にお金も持って、若くして成功して、富みや名声もあるぶん、自分でコントロールできる範囲を超えたものが覆い被さってきて悩むこともあったと思うんです。 90年代中盤以降って、そこまで裕福にならないぶん、自分で自分の音楽ライフを適度にコントロールしやすいというか。 80年代のアーティストって、産業規模が大きい分、本人やバンドが持つ荒削りで未熟な部分を、レコード会社含む先輩や天才ミュージシャンがサポートしてくれて大きいビジネスになったような気がするんですね。 だから、10代とか20代前半で「天才」って崇められて。 でも、アーティスト個人にとっては自分が思い描いたシンプルな世界を、ピュアにそのまま表現したい欲望は消せないはずで。 スタジオで手練れの裏方の人にちょいちょい手を加えられていくことが許せなくなってくる。 で、そういう自分を脅かす裏方の人材を切り離し、ひとりずつ排除していくと、結果クォリティーの高いものができなくなってくると。 米田:本人の才能あってのことだけど、それを一緒に具現化してくれる人たちがいたからこそ、ってことですよね。 西寺:そう、「ここはどうすんの? 」ってなった時に、やっぱり80年代から90年代の途中までは音楽が良くも悪くも「産業」だったんで、それをなんとかできちゃう技術者っていうのが大勢いたんだと思うんですよね。 つまりそれは、富が集まるところにはそれなりの技術を持つ人が、名前が表に出てなくても、「仕事」になるからその役割を果たしてくれていたのかなって。 米田:ところで、郷太さんは、スランプってあったんですか? 西寺:歌詞も作曲も自分で歌うものは、ある意味苦労しますね、21年やってますしね(笑)。 でも、NONA REEVESに関しては正直最新作が一番凄いことになってますよ。 ただ僕は、遅咲きだと、10代の頃から思っていたんです。 妙に楽観的なんで「西寺郷太」の能力、総合力を考えると、若い頃よりもこれからの40代後半、50代で、もっと素晴らしい音楽を作れたり、歌えたりするんじゃないかっていうふうには思ってます(笑)。 米田:それってすごく良い志ですよね。 西寺:なんか、僕がやってることって分かりやすそうで分かりづらいというか。 やってること自体はポップな音楽だと思いますけど、ちょっとした骨董品じゃないですけど、形は普通の器だけれど気がつく人は「あれ?これ?」みたいな部分があると思ってて。 周囲の感覚も熟成した瞬間に、ようやく「こいつすげえかも」って思ってもらえるものなのかなって。 まあ、常に全力で走ってきたつもりですけど、冷静に今、自分の持ってるマシンガンの弾を数えたとしたら、「あれ? まだ結構残ってる」って気がするんですよね(笑)。 次の回は 過去の連載は.

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【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#22 作曲家・すぎやまこういちの言葉

歌謡 曲 という 言葉 は な に が 開始 され た 時に 作 られ た

概要 [ ] 半ばからの日本のポピュラー音楽は、洋楽の影響を受けたが主流となり、1990年代半ばから流行したものは と呼ばれ、伝統的な音楽理論の型を破るようにしてメロディ・コード進行・リズムなどが変遷して行った。 そのため、以降に歌謡曲から派生した「 」と呼ばれるジャンルと混同されがちになるものの、本来はあくまで西洋音楽の日本における派生形である。 ただし、流行の時代背景から愛好者の層が重なるため、演歌とともに昭和歌謡やそれ風の楽曲群を包摂的に扱う「 」と呼ばれるジャンルも存在する。 なお、歌謡曲は昭和初期まで「 」とも呼ばれていた。 本来の用法 [ ] 時代に、やなどから日本に入ってきた欧米のを「歌謡曲」と呼び、「新時代の歌」という意味で用いた。 歴史 [ ] 誕生 [ ] 明治から大正時代にかけて、江戸時代から受け継がれた、などに対し、都会で改変や新作された大衆歌曲を「俗謡」と呼び、その中で特に流行したものは「はやりうた」と呼ばれた。 明治中期に西洋音楽の普及を進める政府は、西洋音階と日本の音階を折衷した教育をすすめた。 唱歌調の音階はやなどの形で普及し、はやりうたを圧倒した。 大正3年(1914年)、「」(作詞:・、作曲:、歌:)が大流行し、それ以後、唱歌調の歌曲ははやりうたの言い換えとして「流行歌」と呼ばれるようになった。 後に日本のポピュラー音楽を指す用語となる「歌謡曲」の命名者は、で邦楽番組を担当していたという説と、大正11年(1922年)から大正14年(1925年)まで存在したレコード会社の東亜蓄音器という説がある。 大正12年(1923年)2月、東亜蓄音器(ハト印)の総目録に「歌謡曲」という言葉が現れているが、このときは、による創作に対して用いられていた (では「新日本音楽」とされた)。 2年(1927年)、NHKの『新日本音楽』で、新作の琴唄や三弦歌謡を「歌謡曲」として放送する。 同年5月にの「」などに町田嘉章が作曲し「新歌謡曲」として放送し、同年9月にはの詞に町田が作曲した「夜ふけてうたへる」を「新」のない「歌謡曲」として放送した。 いずれにしても、当初「歌謡曲」は(純邦楽)系の作曲家や演奏者の作品を指していたが、次第に対象範囲を拡大し、昭和8年(1933年)〜9年(1934年)頃からは日本のポピュラー音楽全般を指す用語として用いられるようになる。 昭和時代初期に、「歌謡曲」を日本のポピュラー音楽を指し示す一般的な用語にしたのはNHKのラジオ放送とされる。 戦前の番組である『』は、それまで流行歌と呼ばれていた歌曲を放送する際に、「はやるかはやらないか分からない歌を〈はやり歌〉とするのは適当でない」として「歌謡曲」として放送した。 当時、レコード販売によって流行を生み出すという「流行歌」の手法は風紀上問題視されることもあり、このラジオ放送では公共に広めるべき音楽の追求という目的があったとされる。 これによって「歌謡曲」は西欧の歌曲という限定的な意味だけでなく、日本の全般のうちのあるものの総称として用いられるようになる。 その後、日本がに邁進しが台頭するようになると、『』は当初の目的から外れ軍事利用されだし、戦時中の音楽は や と呼ばれた。 戦前の歌謡曲 [ ] 1930年代、の復興とともに東京の近代化が一気に進み、洋風の近代市民層が形成されると、な都会文化を歌いこんだ都会賛美調の歌謡曲が流行した(「」、「」など)。 対して、観光客誘致の目的から「」の走りとなる、旅情を誘う歌謡曲・が多数リリースされ(「」、「」など)、時として観光ブームへとつながった。 また、日本の勢力が海外で拡大するとともに「」や「」といった、それぞれの土地の娘を賛美する、異国情緒を明るく歌いこんだ歌謡曲が作られヒットした。 1945年~1960年代前半 [ ] 戦後になると、ラテン・ハワイアン・ジャズなどの洋楽的要素を取り入れて、大人の雰囲気を漂わせたような、やらが唄う が一世を風靡した。 後半、歌謡曲のジャンルの多様化はますます進行。 の『』(1959年)が多ジャンル化の契機とされている。 この曲は日本における本格的な曲として話題となり、日本の歌手が歌唱するポップス曲は「」とも呼ばれるようになった(ただし日本でのポップ・ミュージック曲そのものは戦前にもあった)。 に入るとに媒体が変わり、におけるプロモーションを重視した テレビ歌謡が発展していくことになる。 1960年代後半~1970年代前半:全盛期 [ ] 1960年代中頃にはやらによって和製という新たなジャンルも歌われるようになり、歌謡曲のジャンルの多様化も本格化した。 また、、らのも大ブームとなった。 を始めとする、や、にらの優れた作曲家や、作詞家ではを筆頭に、・・・・らがヒット曲を連発し、歌謡曲は黄金時代を迎える。 の、、らも若者から支持された。 に入ると、やロック・グループなど、テレビ出演しない歌手も登場した。 1970年代後半~1980年代:昭和歌謡・ニューミュージックの終焉 [ ] また、中産階級志向・・志向のは、歌謡界とは一線を画しながらファンを拡大していった。 1960年代からすでに存在していた アイドル歌謡も、引き続きヒットを出し続けた。 1978年のの『』にが使われ、同年にが活動開始することでが日本で流行。 その影響下でつくられた歌謡曲を とも呼ぶ。 になると、アイドル歌謡を中心に一部の楽曲は、それまでの歌謡曲の範疇から外れていく。 さらにも1980年末に到来したことも追い打ちをかけた。 に昭和が終わるとともに昭和歌謡の歌姫であるが逝去し、人気の高かった歌謡番組「」も終了した。 1990年代:J-POP到来と歌謡曲の見直し [ ] 初めにが発生し、歌番組における露出が控えめな歌手でも売上が伸びる現象が起き、従来の「歌謡曲」に代わって「」などの言葉が流布されるようになった。 しかし、その後も、一部の歌手が歌謡曲調の楽曲を歌ったり(例・)、歌謡曲のを中心とした若者向け番組が放送されるなど(例・)、かつての歌謡曲が見直されつつもある。 評論 [ ] 音楽学者のは1977年に発表した「歌謡曲の音階構造」 において、四七抜きから二六抜き音階 エオリア短調 へ移行しつつあると指摘し、これを日本の伝統的音楽感覚、民謡音階の復活とみて、1970年代の歌謡曲における「ラドレミソラ」音階を「日本のうたの古層の出現」と評した。 この小泉理論に対しては、世界的にロック音楽が浸透した結果、さらにロック音楽のルーツにあるジャズやブルースなどの黒人音楽の影響のもとに二六抜き音階の出現があるとしており、たとえば美空ひばりの「」 1967年 には、日本伝来の民謡よりむしろアメリカ音楽の影響が強く、民謡の再現というよりも、ロック音楽としてみなすべきだとした。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 他方、演歌サイドにとっての「歌謡曲」とは「ひたすら耳に快感を与える」音楽といった説明がなされることもある。 この用法は現在でも使用されることがあり、的な歌曲、欧米のポピュラー音楽の曲、を指すとしてなど、広いカテゴリーを持っている。 『』の8年7月7日の記事には「『歌謡曲』というから、やのリート )を放送するのかと早合点すると、そうではない。 渋谷の姐さんが歌う流行歌であり、AK(現在のNHK東京)の当事者に理由を聞くと、何故か放送ではなるべく流行歌なる語を使いたくないそうだ」(仮名遣い等を一部現代語化、小学館日本国語大辞典「歌謡曲」の項に掲載)と書かれており、当時、「歌謡曲」がクラシック音楽の歌曲を意味していたこと、そしてNHK側も「流行歌」という言葉を使用しなかった事情の一端が窺える。 これらの戦中時代の歴史については一部では現在の「歌謡曲」と繋がりがありながらタブー視される傾向が強い。 戦後、番組は『』として再開する。 しかし、戦後の歌謡曲の流行においてはNHKの歌の系譜が軽視される傾向があるが、その理由については「NHKが戦後、戦時中の音楽をタブー視し、『國民歌謠』から『國民合唱』の歴史を回顧しようとしないことが大きい」と述べている。 この頃には演歌の歌唱法と比較した場合に感情表現が少なめな音楽として歌謡曲という用語が用いられている。 にレーベルが『テクノ歌謡』をタイトルとするを発表。 に収録。 13-21, 鳴門教育大学" が論じている。 出典 [ ]• 菊池清麿. 2009年5月31日閲覧。 JASRAC寄附講座 2002年10月21日. 2009年5月31日閲覧。 279。 藍川由美公式HP. 2013年2月11日閲覧。 , pp. 254-257。 NHK『』2003年6月放送「ザ・ピーナッツ特集」での解説。 参考文献 [ ]• 「昭和歌謡曲の歌詞にみる旅と観光:三つの旅をめぐって」『民族音楽叢書6 観光と音楽』、1991年1月。 小泉文夫『歌謡曲の構造』、1984年5月。 版:1996年10月1日。。 関連書籍 [ ]• 関連項目 [ ]• 、 - 歌謡曲における構成要素.

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今村直美の歌謡曲でないと!

歌謡 曲 という 言葉 は な に が 開始 され た 時に 作 られ た

2017年5月31日リリース決定!! 初のオールタイムベスト 『 ALL TIME BEST』 多くのミュージシャンがその非凡な才能を手放しで絶賛し、リスナーは日本でいちばん歌がうまいと讃辞を呈する不世出のアーティスト、玉置浩二。 そんな「天才」玉置浩二がキャリア初のオールタイム・ベストアルバム『 ALL TIME BEST』を5月31日にリリースすることが決定した。 これは1987年のソロデビューから30年というアニバーサリーイヤーを記念してリリースされる作品。 日本を代表するアーティストとして数々の名曲を生み出し、世代を越えて愛されている玉置浩二のシングルの表題曲の全てを収録。 1987年から2013年まで、在籍したレーベルの垣根を越え、ソロデビュー曲の「All I Do」から、大ヒット曲「田園」、名曲「メロディー」「MR. LONELY」、そして自身も出演したドラマ『東京バンドワゴン 下町大家族物語』のエンディングテーマ「サーチライト」までの全25曲が、最新リマスター、高品質CD=Blu-spec CD2規格の2枚組で届けられる。 また、同日5月31日には、2月25日にデビュー35周年を迎えた安全地帯の『 ALL TIME BEST』がユニバーサルミュージックよりリリースされる。 こちらもシングル表題曲が30曲収録され代表曲が詰まったアニバーサリーイヤーを飾る作品となっている。 Release Information 2017. All I Do 1987年07月25日発売• 作詞は安全地帯も手掛けていた松井五郎。 3枚組の大作『安全地帯V』を発表した後の、このブラックソウル調の作品は、安全地帯とは全く異なる色合い。 これ以降、玉置浩二として発表する音楽についての意志表示だった。 メロディはシンプルだが、厚い女性コーラスと鐘の音が壮大なイメージを作りあげている。 キ・ツ・イ 1989年01月25日発売 TBS系ドラマ『キツイ奴ら』主題歌• 本人出演のドラマ『キツイ奴ら』(TBS系)の主題歌で、作曲のクレジットは。 番組内で小林薫と共に流しの役を演じ、毎週ロック、歌謡曲、演歌他の名曲を披露し、その圧巻のボーカルを楽しみにしている視聴者が多かった。 この曲もそのパワフルなボーカルが全開で、前作に続き女性コーラスがポイントに。ちなみに音楽番組でこの曲を披露する時、コーラスを務めていたのは、当時ユーミンや久保田利伸のツアーにも帯同していた人気3人組コーラスグループ・AMAZONSだった。 氷点 1989年03月25日発売 ANB系ドラマ『氷点』主題歌• 三浦綾子『氷点』を原作にした、同名のテレビ朝日開局30周年記念ドラマの主題歌で、前作からわずか2か月後に発売された。 そしてまるで童謡のようなシンプルなメロディ、旋律が、美しくも哀しい。 それがドラマから感じる哀しさをより増幅させる。 ソングライターとしての才能を、改めてみせつけてくれた。 ちなみに作詞はいつもの松井五郎ではなく、後に稲垣潤一や田原俊彦、楠瀬誠志郎などの曲を手がける並河祥太。 当時『週刊コミックモーニング』 講談社 に連載されていた人気マンガ『右曲がりのダンディー』が実写映画化され、玉置が主演を務め、その主題歌になった。 さらにJT「MIASS」CFソングにも起用され、10万枚を超えるヒットになり、自身のシングル売上げランキングでも上位に入る人気曲。 《悲しいDANCEはやめて》というサビが、わかりやすく印象的。 なお、この作品と「キ・ツ・イ」「氷点」「行かないで」の4作は、オリジナルアルバム未収録。 行かないで 1989年11月20日発売 CX系ドラマ『さよなら李香蘭』主題歌• フジテレビ開局30周年記念ドラマ『さよなら李香蘭』の主題歌として玉置が書きおろし、元々中国で安全地帯の人気が高かったため、この曲も中国語、広東語に翻訳され、現地の多くのアーティストがカバーしている。 玉置の美しく強いファルセットが堪能できる。 コール 1993年01月30日発売 東宝映画『ナースコール』主題歌• 約4年ぶりの作品は、薬師丸ひろ子主演の映画『ナースコール』主題歌。 編曲は前作に続いて星勝と、玉置の共作。 シンプルな言葉とメロディを感動的なオーケストレーションが盛り上げる。 この後2月に発売されたシングル「ひとりぼっちのエール」を最後に、安全地帯が活動休止に入る。 玉置はソロと俳優業をメインに活動を中心に置き、8月、レコード会社をキティレコードからソニーミュージックに移籍。プロデューサーに須藤晃氏を迎え、須藤氏はこの曲の作詞を手がけている。 元気な町 1993年08月21日発売 三菱地所CMイメージソング• レコード会社移籍第一弾シングル。 シンプルなサウンドに、自身の幼少期、故郷の風景を描いた歌詞を乗せている。 本人が直接見た、心に焼き付いている景色、想いを歌い、これまでの作品とは異なる雰囲気の、温かく強い歌。 この作品以降、人間味あふれる詞と曲が増えていった。 カップリング曲「カリント工場の煙突の上に」はこの年の9月に発売された3rdアルバムのタイトル曲。 このアルバムでは玉置がほぼ一人で作詞・曲、演奏まで手掛けている。 ここからシンガー・ソングライター玉置浩二の道がスタートしたといってもいい。 LOVE SONG 1994年11月11日発売 NTV系ドラマ『おれはO型牡羊座』主題歌• この年の12月に発売された4thアルバム『LOVE SONG BLUE』のリードシングルで、ドラマ『おれはO型牡羊座』 主演:武田鉄矢 の主題歌に起用された。 物哀しいサックスが差し色になって、シンプルだが強い意志を持った愛の言葉を、より感動的に伝えてくれる。 ちなみにカップリング曲の「星になりたい」も同ドラマの挿入歌に起用されていて、アルバム『LOVE SONG BLUE』の最後を飾るナンバーでもある。 STAR 1995年06月21日発売 '95東京電力CM「バヂャー家シリーズ」イメージソング• アコースティックギターが前面に出た、優しいメロディと歌。 パワフルで情熱的な歌の時とは打って変わって、抑え目で時には囁くように歌い、繊細さを感じさせてくれる。 これも玉置節。 実は玉置の作品には他にも星や月、宙をテーマにしたものが多い。 メロディー 1996年05月22日発売 TBS系『筑紫哲也ニュース23』エンディングテーマ• 玉置の作品の中でも、「田園」と並んで名曲の誉れが高い通算10枚目のシングル。 多くのアーティストがカバーし、歌い継がれている。 玉置のアカペラで始まり、鳥山雄司のアコースティックギターが乗って、静かに始まるシンプルな構成だが、玉置の歌から優しさと共に情熱が迸り、胸を打つ。 『筑紫哲也 NEWS23』 TBS系 のエンディングテーマ、また、自身が出演した東芝日曜劇場『メロディ』 TBS系 の挿入歌にもなっている。 この年はNHK大河ドラマ『秀吉』に足利義昭役で出演、年末の『NHK紅白歌合戦』にも出場するなど、歌に俳優業に忙しい年となった。 田園 1996年07月21日発売 CX系ドラマ『コーチ』主題歌• 初のミリオンセラーで、自己最大のヒット。 自身が出演したドラマ『コーチ』 主演:浅野温子 の主題歌で、ドラマの視聴率も好調で、最終回は21%を超えた。 日本の民謡の、素朴な土着的リズムが醸し出す大衆性、それが《生きていくんだ、それでいいんだ》という、シンプルで根源的なメッセージをより際立たせ、一度聴くと忘れられないフレーズになっている。 LONELY 1997年08月06日発売 CX系ドラマ『こんな恋のはなし』主題歌• 前作の「田園」から1年ぶりの作品。 同年9月に発売された6thアルバム『JUNK LAND』からの先行シングルで、自身が出演したドラマ『こんな恋のはなし』 主演:真田広之 の主題歌に起用された。 イントロのファルセットからひきつけられ、歌いだしの《こんな僕でもやれることがある》という言葉で、いきなり引っ張られる。 ひたむきで優しい歌詞は、聴き手の肩を抱き、背中を押してくれ、ファンの間では支持が高い曲。 ルーキー 1998年05月21日発売 大鵬薬品「チオビタドリンク2000」CMソング• ファンハウス(当時)レコード会社移籍第一弾。 大のジャイアンツファンの玉置が、当時ルーキーだった高橋由伸選手をイメージして書いたものだが、《なんだって精一杯やってる君を 見てると何でだろう涙…こぼれる》という歌詞は、頑張っている全ての人を勇気づけてくれる。 「チオビタドリンク2000」のCMソングで、商品の特性とリンクしている。 野性味があり、疾走感あふれるアコースティックギターが奏でるメロディと、ソウルフルでメリハリあるボーカルが、躍動感を生んでいる。 HAPPY BIRTHDAY~愛が生まれた~ 1998年10月03日発売 メナード「ジュピエル モイストベールN」CMソング• イントロのオルゴールが奏でるメロディに乗せ、聴こえてくる印象的なコーラスが、幸福感を演出してくれる。 優しく、力強い詞を時には囁くように、時には情熱的にひと言ひと言かみしめるように歌う玉置の歌が素晴らしい。 歌頭と最後は、囁くように願い、祈っているようで、幸せな穏やかさを感じさせてくれる。 カップリングの「愛だったんだよ」はNHK『みんなのうた』に起用され、こちらもファンの間では名曲として根強い人気を誇る一曲。 「愛」という言葉は最後の一行まで出てこないが、それが全体をより切ないものにしている。 虹色だった 1999年11月03日発売 ANB系ドラマ『はみだし刑事情熱系』主題歌• 作詞は須藤晃氏で、全体的にシンプルなトーンの中で、玉置の抑揚のあるボーカルが《みんなで仲良く暮らせるように》《世界中に愛があふれてるんだ》と大きな愛を歌う。 大人向けのヒューマンアクションドラマだけに、じっくりと聴かせる作品が多い。 この年の6月にはドラマ『古畑任三郎』 フジテレビ系 にゲスト出演している。 aibo 2000年03月23日発売• 同年4月に発売された、約2年ぶりのオリジナルアルバム『ニセモノ』のリードシングルでもあるこの曲は、以前から玉置のファンだった香港の人気俳優・歌手のアンディ・ラウに、1999年に「痛…」というタイトルで提供した楽曲のセルフカバー。 「aibo」=相棒。 イントロの郷愁感漂うギターの音色に導かれ、玉置がひと言放った瞬間に、どこか懐かしさと切なさあふれる世界に引き込まれる。 このリズムで 2001年03月28日発売• 9枚目のオリジナルアルバム『スペード』と同発の、約1年ぶりのシングル。 軽井沢にある自宅兼プライベートスタジオで制作されたアルバムは、色々なものを削ぎ落したシンプルなロック、ブルースで構成され、人肌の温かさとでもいうべき心地よさと、カッコよさとを湛えている。 しあわせのランプ 2004年06月09日発売 ANB系『いまどき! ごはん』エンディングテーマ• コブクロがカバーアルバム『ALL COVERS BEST』でカバーしている。 《しあわせになるために生まれてきたんだから 好きな人と一緒にいなさい》という歌いだしから心をつかまれる。 語りかけるように、メロディに寄り添うように歌ってくれ、シンプルなサウンドを彩るストリングスと相まって、ゆるやかで温かな風を吹かせてくれる。 2002年にレコード会社をソニーミュージックに移籍し、約10年ぶりに安全地帯の活動を再開させたが、2003年再び活動休止に。 愛されたいだけさ 2005年01月13日発売• 約5か月ぶりのシングルは、安全地帯での名コンビで、ソロとしては初となる松井五郎が作詞を手がける。 前作とは一転、重厚なサウンドに乗せた、甘く危険な香りがする大人のロック。 カップリングの「名前のない空を見上げて」 NHK連続テレビ小説『天花』主題歌 はMISIAに提供した楽曲のセルフカバー。 いつもどこかで 2005年10月05日発売 CX系ドラマ『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』主題歌• 9か月ぶり通算20枚目のシングル。 言葉とメロディが優しく癒してくれるバラード。 作詞は本人、松井五郎、安藤さと子の共作。 ドラマ『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』 主演:稲垣吾郎 の主題歌に起用され、その内容を意識した詞は、優しく温かな感動を与えてくれる。 同年6月には約4年ぶりのオリジナルアルバム『今日というこの日を生きていこう』をリリース。 プレゼント 2005年11月02日発売 NTV系ドラマ『あいのうた』主題歌• 2か月連続リリース。 8年ぶりに出演 警察官役 したドラマ『あいのうた』 主演:菅野美穂 の主題歌で、ゆったりとしたテンポに乗せ、《この世界には 愛があふれてる》《この世界には 夢があふれてる》と、ともすれば夢想家の戯言と捉えられがちな、優しく前向きな言葉の数々を、説得力のある豊かな歌で、真っすぐ、そして強く心に届けてくれる。 ドラマの優しくせつないラブストーリーとリンクして心に残る、代表曲のひとつといってもいい名バラード。 Lion 2006年03月15日発売 NTV系アニメ『エンジェル・ハート』オープニングテーマ• 人気TVアニメ『エンジェル・ハート』の福留裕介役で声優に初挑戦。 この曲がオープニングテーマに起用された。 愛と希望に溢れた応援歌だが、決して押しつけがましくない、爽やかなミディアム・チューン。 途中でアカペラになるアレンジが、全体に豊潤さを与えている。 この作品の翌月に発売した約1年ぶりのオリジナルアルバム『PRESENT』はAOR色が強く、「いつもどこかで」「プレゼント」、そしてこの曲と、人気曲が収録されている事でファンの新規開拓ができた、キャリアの中でもポイントになっている一枚。 惑星 2007年06月27日発売• 同年8月にリリースされる約1年4か月ぶりのオリジナルアルバム『惑星』のリード曲。 この曲もそう。 優しくどこかミステリアスな雰囲気が漂う。 アルバム制作後玉置は、体調を崩して活動休止を余儀なくされたが、2010年には安全地帯の6年ぶりの活動再開が発表され、ファンを喜ばせた。 2012年ソニーミュージックへ再移籍し、自主レーベル「ソルトモデラート」を立ち上げた。 純情 2013年04月24日発売• 約6年ぶりのシングルのジャケットは、玉置と母親。 写真だけでも胸に迫るものがあるが、玉置が年老いた母への限りない愛情と感謝の気持ちを表現した歌は、感動のひと言。 圧倒的かつ繊細な玉置の歌だからこそ表現でき、伝わってくる純粋な歌。 後半部分の「かあちゃん」と絶叫する玉置の声は、母へのこれ以上ない感謝の絶唱。 作詞は名コンビ、須藤晃。 万感の想いを込めた母親へのラブレターだ。 玉置浩二のファンか否かに関わらず、間違いなく後世に聴き継がれて欲しい一曲。 サーチライト 2013年11月27日発売 NTV系ドラマ『東京バンドワゴン 下町大家族物語』エンディングテーマ• 8年ぶりの連続ドラマ出演となった『東京バンドワゴン』のエンディングテーマ。 さらに深みと色気が増した玉置の声が、心に響く。 オリジナルアルバムとしては、2014年に発売されたこの曲も収録されている『GOLD』が最新作となる。 Live Information 08月17日(金) 千 葉 ・ 市川市文化会館 大ホール 08月23日(木) 東 京 ・ かつしかシンフォニーヒルズ 08月26日(日) 愛 知 ・ 常滑市民文化会館 08月28日(火) 宮 城 ・ 東京エレクトロンホール宮城 08月30日(木) 群 馬 ・ 伊勢崎市文化会館 09月02日(日) 富 山 ・ 富山オーバード・ホール 09月03日(月) 長 野 ・ 長野市芸術館メインホール 09月09日(日) 埼 玉 ・ 川口総合文化センターリリアメインホール 09月13日(木 大 阪 ・ フェスティバルホール 09月14日(金) 大 阪 ・ フェスティバルホール 09月21日(金) 兵 庫 ・ 篠山市たんば田園交響ホール 09月23日(日) 大 阪 ・ 河内長野市立文化会館(ラブリーホール) 09月24日(月・祝) 滋 賀 ・ ひこね市文化プラザグランドホール 09月30日(日) 山 口 ・ 周南市文化会館 10月01日(月) 広 島 ・ 上野学園ホール 10月05日(金) 東 京 ・ 昭和女子大学 人見記念講堂 10月06日(土) 東 京 ・ 昭和女子大学 人見記念講堂 10月08日(月・祝) 栃 木 ・ 佐野市文化会館大ホール 10月14日(日) 北海道 ・ 苫小牧市民会館 10月16日(火) 北海道 ・ 札幌文化芸術劇場hitaru 10月20日(土) 大 分 ・ エイトピアおおの(豊後大野市総合文化センター) 10月21日(日) 福 岡 ・ アルモニーサンク北九州ソレイユホール 10月27日(土) 奈 良 ・ 奈良県文化会館国際ホール 10月28日(日) 兵 庫 ・ 赤穂市文化会館ハーモニーホール 10月31日(水) 静 岡 ・ 焼津文化会館大ホール 11月02日(金) 大 阪 ・ 豊中市立文化芸術センター大ホール 11月03日(土) 京 都 ・ 宇治市文化センター大ホール 11月10日(土) 福 島 ・ とうほう・みんなの文化センター(福島県文化センター) 11月11日(日) 山 形 ・ やまぎんホール(山形県県民会館) 11月13日(火) 北海道 ・ 旭川市民文化会館大ホール 11月18日(日) 東 京 ・ 東京国際フォーラム・ホールC.

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