ドゥテルテ。 マスクを着用しなければ逮捕 フィリピンのドゥテルテ大統領が表明

「ポスト・ドゥテルテ」に長女浮上 22年の比大統領選 :日本経済新聞

ドゥテルテ

フィリピンのドゥテルテ大統領が天皇皇后両陛下の前で見せた「礼儀正しさ」が、フィリピンメディアの間で驚きをもって受け止められている。 ドゥテルテ大統領は麻薬の売人の殺害を容認するなど過激な言動で知られ、日本政府内では懸念の声もあがっていたという。 2017年10月下旬に北京を訪れた際は、習近平国家主席を前にガムをかんでいたことが問題視されたばかりで、動向が注目されていた。 過去の言動から「日本政府の一部からは懸念の声も」 ドゥテルテ大統領の訪日は今回が2回目。 16年10月の初訪日の際にも両陛下と会見予定だったが、三笠宮さまの逝去で中止になっていた。 日本メディアが宮内庁の話として報じたところによると、会見は17年10月31日に約25分間にわたって行われ、天皇陛下は第2次世界大戦で多くのフィリピン人が犠牲になったことに言及。 ドゥテルテ大統領は、両国は過去を乗り越えて協力関係を築いたことを指摘し、日本による継続的な支援に感謝を述べたという。 ジャパンタイムズによると、 「政府筋によると、過去の議論を呼んだ発言を理由に、大統領の訪日日程に両陛下との会見が含まれることについて、日本政府の一部からは懸念の声もあがっていた」 というが、実際の会談では 「皇族に尊敬の念を持ち、部屋に入る際に一礼するなど、会見の冒頭では緊張している様子だった」 という。 この異例の態度にはフィリピンメディアも注目しているようだ。 ニュースサイト「ラップラー」は、 「ドゥテルテ氏はスーツを着て、普段よりも礼儀正しく控えめな様子だった」 と指摘。 大手テレビ局のGMAは、ドゥテルテ大統領が天皇陛下との会見後に 「恐れ多いことだった」 と述べた、と報じている。 中国ではポケットに手を入れたまま部屋に入り、居眠り ドゥテルテ大統領は10月の訪中では、全く違う態度を見せていた。 前出の「ラップラー」は、10月20日に北京で行われた中国とフィリピンの間の協定調印式で、ドゥテルテ大統領が習主席を前に「ガムを噛んでいた」と動画つきで指摘。 「両国の政府関係者、記者、カメラマンがいる前で、ズボンのポケットに手をいれたまま部屋に入ってきた」 「目を閉じて、うとうとしている様子だった」 などと態度を非難していた。 もっとも、ドゥテルテ大統領は親日家として知られており、10月29日にフィリピン国内で開いた会見で、 「天皇陛下の退位前に会見できるのは光栄なこと」 で、 「おそらくフィリピンからの心からのご挨拶をお伝えする以外は、言葉を選ばなければならないだろう」 と発言している。 ドゥテルテ大統領ですら、天皇陛下に対する尊敬の念が態度に現れた、ということのようだ。 外部サイト.

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フィリピンのドゥテルテ大統領、「マスク着用拒否すれば逮捕」 [爆笑ゴリラ★]│エンがちょブログ

ドゥテルテ

人物 [ ] のマアシンの出身。 父親は法律家、母は学校教師という家庭に育ち幼少時にダバオに移った。 父親 ()はフィリピンのであるの政権で内務相を務めた。 ドゥテルテはを主張し、マルコスの遺族からも支援を受けていた。 大学時代の恩師は、の創設者で者の ()であり 、シソンからは大統領選での支持も受けている。 また、共産党員を閣僚に起用する案を掲げるなど、との協力にも積極的である。 大統領就任後は、との間で、無期限の合意にも成功している。 10代の頃には喧嘩に明け暮れていて、度々刑務所に出入りをしていた。 そして16歳の時には、喧嘩で人を刺殺したと語っている。 大学卒業後は法科大学院に進む。 在学中に同級生から少数民族の出自をからかわれ、この同級生を大学の廊下で銃撃する事件を起こしたが退学は免れた。 ダバオのとして約10年働いた後、政界に進出した。 母方の祖父がで呂 Roa という名字を名乗っており、母親の旧姓もRoaであった。 ドゥテルテもについても「聴いてて理解できる」と語っており 、前述の外祖父がであると発言している。 ・・を話すことができ、ミンダナオ島で地元民に語りかける時にはビサヤ語を使う。 ドゥテルテ自身の性的少数者の権利などに関する意見は一貫しておらず、度々意見は変わっているが、本人は元妻のエリザベス・ジマーマンに出会う以前まで同性愛者だったと言い、「(元妻の)ジマーマンとの関係を始めて、そうだこうでなければと思った。 私は再び男になったんだ」として「私は自分で(同性愛を)治した」と発言した。 2019年10月には、難病のを患っていることを明かしている。 政治家として [ ] ダバオ市長 [ ] ドゥテルテはにダバオ市長に選出され、とに改選、3期務めた。 4期以降はフィリピン共和国憲法の多選禁止規定に引っかかるため、にダバオ初となる下院議員となりまで務める。 2001年に再びダバオ市長に立候補して当選し、2004年と2007年に改選され3期、合計で市長職を6期務めた。 のダバオ市長の改選では憲法の多選禁止規定により、ドゥテルテ自身は立候補できず、娘の ()を立候補させて当選、ドゥテルテは副市長に就いた。 2013年の市長選挙で再び出馬し当選、7期目の市長を務めることとなった。 ドゥテルテ執政下のダバオは記録的な好況を実現し、タクシーのが無くなるなど、治安の改善を実現した。 ダバオ観光局はフィリピンでも最悪の犯罪発生率を劇的に軽減させることに成功し、「東南アジアで最も平和な都市」を標榜している。 ダバオ市長在任中のドゥテルテは、私財を投じて「人類は皆家族」という自らのメッセージを刻んだ「日比友好の碑」を建立した。 この碑は、日本人も埋葬されているミンタル墓地にある。 ダバオは、ドゥテルテの暗黙の容認の下で「」と呼ばれる組織が犯罪者をによるで殺害しており、人権団体やがドゥテルテの手法を批判している。 はドゥテルテのことを「処刑人」と記述した。 ドゥテルテはこのような不法な殺人について、自身のいかなる関与も否定しているが 、の直前には、ビデオメッセージで「犯罪者たちよ、これがお前たち最後のメリークリスマスだ」とフィリピン大統領選挙に向けて意気込みを語り、フィリピンで話題となった。 後に明かした所によると、ドゥテルテは市長時代、警察官達に手本を示すために大型バイクで路地をパトロールし、喧嘩やいざこざを探し回って犯罪者とみられる人々を自ら殺害していたという。 市長時代には3人の犯罪容疑者を射殺したと発言している。 また、強姦殺人容疑の中国人の男性をヘリコプターから投げ捨てたこともあると発言している。 フィリピン大統領 [ ] については2015年10月の時点では不出馬を表明し、同時期に行われるダバオ市長選挙にも出馬しないとしていた。 しかし、同年11月には一転して大統領選挙への出馬を表明した。 選挙戦中は、同時期に進行していたに立候補するで過激な発言を行う人物として注目されていたのになぞらえ、「 フィリピンのトランプ」とも揶揄された。 しかし、フィリピン大統領選挙に勝利し、当選後の会見では「冗談であった」とするなど選挙期間中の過激な発言を修正し始めている。 その後、に大統領に就任した。 2016年10月25日から27日にかけてを訪問(大統領就任後では初の訪問)。 27日にとの面会が予定されていたが、その日にが薨去したため、面談は急きょ中止となった。 なお、天皇は同年1月に1989年の即位後初めてフィリピンを訪問していた。 2017年10月29日から31日にかけて日本を訪問し、31日に天皇と初めて面会した。 2019年5月13日の中間選挙では、22日に中央選管が公式結果を発表し、大統領派が上院下院ともに大勝したことが明らかになった。 この選挙では「大統領の魔法」と評される。 超法規的殺人指令問題 [ ] 詳細は「 ()」を参照 ドゥテルテは大統領就任前から麻薬撲滅のために厳しい態度で臨むことを表明しており、就任後の施政方針演説では「麻薬王や資金源、密売人の最後の一人が自首するか、あるいは投獄されるまでやめない。 彼らが望むならあの世に葬り去ってもよい」と公言した。 この発言は当然人権上問題がある発言であるが、ドゥテルテは「人権に関する法律など忘れてしまえ。 私が大統領になった暁には、市長時代と同じようにやる。 麻薬密売人や強盗、それから怠け者ども、お前らは逃げたほうがいい。 市長として私はお前らのような連中を殺してきたんだ」として、人権を事実上、無視することにしている。 実際に、麻薬犯罪に関わる容疑者を裁判にかけることなく、逮捕の現場で射殺する事件が2016年に就任後わずか1ヶ月余りで1800件が発生している。 9月18日には麻薬取引に関与する者が多すぎて「全員を殺しきれない」と述べ、厳しい取り締まりを6か月延長することを発表し 、就任から半年後の12月21日には麻薬戦争の死者が6182人に達した。 2016年7月7日の演説においてドゥテルテは、フィリピンの麻薬王の一人と疑われる実業家のピーター・リムについて、「彼(ピーター・リム)は飛行機から出てきた瞬間、命を落とす」と発言し、15日には南部ダバオの麻薬取締局で面会を果たした。 その際、リムに対して面と向かって「殺すぞ」「処刑するよ……始末するよ」と脅し、リムに麻薬から手を引くよう警告した。 ドゥテルテは、腐敗警官の対処などにも超法規的殺人を利用することを考えており、2018年8月9日までに重罪犯罪に加担した疑惑で捜査を受けている国家警察の警察102人をに呼び付け、「犯罪行為を続けるのなら、殺害する」と脅した。 また、ドゥテルテは外国人に対しても超法規的殺人は適応する方針で、韓国の暴力団がセブで売春、麻薬、拉致を行っているという情報を得た際には「彼らは外国人だという理由で特権を持つわけではない」と述べ、「業と麻薬売買など違法行為をする韓国人を、フィリピン犯罪者と同じように扱う」として、の暴力団を射殺する可能性もあると警告した。 自身の息子である政治家のパオロ・ドゥテルテの麻薬密輸関与の疑惑が出たときには、「私の命令は前に言った通りだ。 『私の子供たちが麻薬にのめり込むなら、彼らを殺せ。 そうすれば誰も文句は言えまい』」「だから私は息子に言った。 『お前が逮捕されるようなことがあれば、殺すよう命じた。 もしそれが事実ならば、私はお前を殺した警察官を守るつもりだ』」と語り、息子の麻薬密輸関与が事実であれば、警察官に殺害することを命令し、殺害を実行した警察官は訴追されないと述べた。 なお、超法規的殺人を実行するのは警察官だけではなく、警察官から指示を受けて主婦などの一般人が実行する場合がある。 その際には、1人殺すと多くて2万の報酬を得ることができる。 対国連関係 [ ] 上記のについて、は繰り返し警鐘を鳴らし 、2016年8月5日には虐殺の即時中止を求める緊急行動要請を発表している。 さらにも、2016年8月18日、「超法規的な処刑から国民を守るため必要な措置を取ることを求める」声明を発表した。 これに対しドゥテルテは、こうした警告に強く反発し、一時はの脱退をほのめかし 、かつてので「第二国連」を掲げたのように、と共に国連に代わる新しい国際機関を設立することも示唆した。 のとの会談も拒否し 、「者」と罵倒している。 外務大臣のは、一連の発言は国連に対する深い失望や苛立ちを表現したもので、脱退することはないと国際社会に説明するなど、ドゥテルテ発言の火消しに追われた。 また、2018年3月にドゥテルテの麻薬撲滅戦争を批判してる国連人権高等弁務官事務所のゼイド・ラアド・アル・フセイン弁務官が、ドゥテルテのことを「精神鑑定」が必要と言ったことに関して、ドゥテルテは周囲から反論を控えるよう言われていたが、後の4月3日の演説中に「おい、売春婦の息子、俺が精神科医に診てもらう必要があるだと?」「精神科医は『あなたは大丈夫だ。 ただののしるのが好きなだけだ』と言っていたぞ」と発言し、さらにゼイド弁務官に対し「見ろ、お前の頭は大きいが空っぽだ。 頭脳がない。 空洞だ。 空っぽだ。 髪を伸ばす栄養分すらない。 なぜならほら、はげているから」と非難した。 2019年3月17日にフィリピンは、国際刑事裁判所から正式に脱退をした。 ドゥテルテの麻薬撲滅戦争において多数の死者が出ており、国際的な批判が高まったことから予備調査を開始したことに対する反発とされている。 対米関係 [ ] 人権蹂躙をやめるよう訴えたを、で最大級の侮蔑語である「売春婦の息子」を意味する「プータン・イナ Putang ina 」という表現で侮蔑するなどの行為を繰り返した。 こうした差別的な姿勢は問題であるばかりか、アメリカ大統領への侮蔑とも取られ、で開催されたでの、アメリカ-フィリピン首脳会談は中止に追い込まれており、後にドゥテルテ大統領はこの侮蔑発言に後悔の念を示したものの 、オバマと会談する最後の機会だったアメリカ・ASEAN首脳会議は欠席した。 2016年9月にはフィリピン南部、に駐留するについては「出て行かなくてはならない」とも発言している。 上記のように、ドゥテルテにはの傾向があったため、2017年にに就任したも、当初はフィリピン訪問にためらっていたが、での日米首脳会談の際に、が「絶対行った方がよい。 あなたとドゥテルテ氏はきっとウマが合う」と促され、トランプはフィリピン訪問を決意した。 実際の会談でドゥテルテは、米国の軍事機密に近い情報を渡されて、を称賛されたり 、トランプから問題をめぐる中華人民共和国との仲介役も任され 、トランプとの初の首脳会談でも「素晴らしい関係にある」と称賛されて、人権問題は殆ど議題にされない などオバマ前大統領と比較すれば非常に友好的な関係を築いている。 2017年5月にミンダナオ島にて、への支持を明確化したがを起こすと、フィリピン政府はに軍事支援を仰ぎ、米軍の支援を得ることとなり 、同年11月のトランプ大統領との米比首脳会談でも、アメリカ軍の協力でアブ・サヤフに占拠されたを奪還できたことに感謝を表明した。 2020年2月11日には、国家警察長官時代にフィリピン麻薬戦争を指揮した ()への発給拒否を理由に、米比地位協定の破棄を発表した。 のは、遺憾を表明するもトランプ大統領は「お金の節約になる。 ドゥテルテとは良好な関係にある」と述べて歓迎した。 対中関係 [ ] ドゥテルテ大統領は問題をめぐっては「戦争は選択肢にない」として 、と二国間協議を開始するために元大統領を特使として訪中させると発表し 、を不服とする中華人民共和国側もこれを歓迎し 、ラモス元大統領も受諾を表明した。 麻薬中毒者を収容する大型治療センターの建設も中華人民共和国から資金援助をされている。 ドゥテルテ大統領は就任後初の施政方針演説で南シナ海を「西フィリピン海」と呼ぶ一方、「中国海としても知られている」とするなど中華人民共和国への配慮を打ち出した。 同年10月20日、ドゥテルテ大統領と・は南シナ海判決を棚上げして各方面の協力で合意した。 合意によりフィリピン漁民の操業が再開され 、フィリピン領となる人工島の建設を中国が開始した。 2017年4月には予定されていた南シナ海での軍事作戦も「中国に頼まれ、大事な中国との友情を思って止めた」と発言して中止し 、その後に開催された同年5月の首脳会議では議長声明から中国を非難する文言を削除し 、習主席から電話会談で称賛された。 また、同時期に長年ASEAN諸国が求めてきた「南シナ海行動規範」の枠組みが中国に有利な形で高官協議で合意され 、同年8月のマニラのASEAN外相会議で承認された。 2017年5月1日に地元のダバオに寄港していたの「長春」に中国海軍の軍帽 を被って乗艦し、中国とフィリピンの両国海軍による合同軍事演習を開始することで合意した。 また、寄港の際は娘のダバオ市長らが歓迎式典を行った。 また、同年5月14日に開催されたをテーマにした ()にも出席した。 中国によるフィリピンへの武器供与も受け入れており 、同年5月には系の企業と新たな軍装備品の調達で合意し 、同年6月には中国からの約五千万ドル相当の武器の輸送に立ち会い 、同年11月にフィリピン軍特殊部隊の射撃演習を視察した際に中国から供与された狙撃銃の試射を行った。 2017年11月のASEANのフォーラムでは「南シナ海問題は触れない方がよい」と主張し 、フィリピンの首都で行われたASEAN首脳会議の議長声明では核・ミサイル開発を続ける北朝鮮を脅威として「重大な懸念」を示すもそれまで掲載されてきた南シナ海問題への「懸念」の文言が消えて代わりに南シナ海行動規範の大枠合意など「中国とASEANの関係改善」への評価が盛り込まれた。 同時期、マニラで行われていたの議長声明では北朝鮮問題では「複数の首脳が非難した」「深刻な懸念」を表記し 、草案では空白だった南シナ海問題で前回の議長声明にあった「複数の首脳が懸念した」ではなく 、「懸念事項を議論した」という文言で日米に配慮しつつ引き続き「中国とASEANの関係改善」も盛り込まれた。 2月、中比ビジネスクラブの創立20周年記念イベントで「フィリピンを中国の一つの省に変えることができる」「南シナ海の軍事施設は我々ではなく、米国に対抗するもの」と発言した。 同年4月に中国のに出席する際には「習主席を本当に愛してる」と発言している。 6月、アメリカが排除を呼びかけているの製品をフィリピンの通信ネットワークに採用し、同年4月にの懸念からファーウェイのを導入する予算案を議会が阻止した際も大統領権限でを発動した。 同年7月にはで日本などの22カ国が中国のなどを非難した共同書簡に対抗して中国を支持する書簡を公開した、、、などの37カ国にフィリピンも加わった。 対北朝鮮関係 [ ] 2017年6月4日、フィリピンを訪問したと北朝鮮問題で会談し、「我々は日本とともにある。 私はを Idiot と呼んでいる」と発言した。 また、寄港したのも視察した。 2017年8月、北朝鮮の代表も出席するASEANサミットがマニラで開催される前に北朝鮮の金正恩委員長を「バカ」「ろくでなし」と扱き下ろす発言をしている。 2017年9月、フィリピンが北朝鮮との貿易停止を表明した際はドゥテルテ大統領からの指示が示唆された。 なお、フィリピンは北朝鮮にとって第五の貿易相手国だった。 from the official website of Davao City. 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ロドリゴ・ドゥテルテ

ドゥテルテ

のドゥテルテ大統領が「戦争」と呼ぶ撲滅作戦。 報復を恐れて口を閉ざす多くの関係者に直撃し、謎に包まれた組織の正体に迫る渾身の現地ルポ! * * * 日本の安倍晋三首相がフィリピン第3の都市、ミンダナオ地方ダバオ市を訪れた1月中旬のこと。 私は同市内である人物と待ち合わせていた。 クルマに乗り込んできた、浅黒い肌に丸い童顔の男は、開口一番「今も話そうかどうしようか迷っている」と語り、冴(さ)えない表情を浮かべた。 アレックス(仮名、30代半ば)と名乗る中肉中背の男は、グレーのパーカーに黒いデニム、ビーチサンダルといういでたちだが、普段は制服を着て警察官として勤務している。 しばらくクルマを走らせ、市街を一望できる山の頂(いただき)のカフェに到着した。 真っ昼間だが、飲まなきゃ話せない、とばかりに彼はビールを次々に注文した。 だが、なかなか口を割らない。 しびれを切らした私は単刀直入に切り込むことにした。 「麻薬撲滅戦争」を掲げて昨年6月末に就任して以来、 これまでに殺害された密売人・中毒者は7千人を超えた。 だが、そのうち警察によるものは約2500人で、 残る約4500人の一部は「自警団」と呼ばれる謎の組織によって殺害されている。 しかも、この自警団のメンバーは政権発足から半年以上が経過した今も、誰ひとりとして逮捕されていない。 自警団の背後にはドゥテルテの存在があるといわれ、国連などの国際機関や欧米メディアからは厳しい非難が相次いでいる。 司法制度が独立して機能する国では想像できないかもしれないが、それは決して根拠のない話ではない。 それが ダバオ・デス・スクワッドである。 ダバオ市では、それぞれの頭文字を取って 「DDS」と呼ぶ。 直訳すれば「ダバオ暗殺集団」。 言葉の響きからイメージされるのは、得体の知れない殺し屋グループといったところか。 報道によれば、 ドゥテルテ市政時代、DDSに殺害された麻薬密売や窃盗などの犯罪容疑者は1千人に上るという。 ただし、ドゥテルテ自身はかつて関与をほのめかす発言をしたものの、側近や現政権側の人間はDDSの存在を一貫して認めていない。 一方、人権団体や現政権に批判的な勢力は「存在する」と言い切る。 双方の主張はずっと平行線をたどり、真相は闇の中だ。 これまでにDDSのメンバーが逮捕されたとの報道もなく、そもそも実在するのか否か、まさに謎に包まれた不気味な存在なのだ。 ダバオの街には、DDSというアルファベット3文字を公の場で口にしてはならないという不文律がある。 それを知ったのは、昨年11月に私がダバオ市を訪れたときのこと。 とある日本料理店で数人の日本人が集まるなか、「DDSは実在するのですか?」と何げなく聞いた私は、隣席から「周りにフィリピン人もいるから、その言葉を口にするのはまずいよ」と叱られた。 事情を知らない私がうかつだった。 例えば、元メンバーを名乗る男はある英字紙の取材に、 「ドゥテルテが8回の殺害に関与したのを目撃した」と証言し、話題となっていた。 ミンダナオ地方で15年以上英字紙の記者を続けてきたフィリピン人男性は声を潜めて言う。 「 DDSは存在する。 それを認めない側近たちはドゥテルテを擁護したいだけだ。 それに、ダバオ市のメディアは現政権に批判的なことは報道できない。 もしそんなことをしたら、大多数の支持派から『麻薬の蔓延(まんえん)を放置するのか!』などと叩かれるからだ」 実のところ、ドゥテルテ市政下でダバオの治安は劇的に改善した。 例えば、ダバオでタクシーに乗るとほぼお釣りをくれる。 乗車拒否すら日常茶飯事の首都マニラでは考えられないほど市民は規律正しい。 街は禁煙が徹底され、25時以降は酒類の販売はできない。 これらはドゥテルテの市長時代に築かれ、市民の多くは彼を支持している。 大統領就任後も、国際社会から非難が相次ぐ一方で、国民の支持率は8割を維持している。 この人気ゆえに、地元メディアはDDSの問題に沈黙を貫かざるをえないのだ。 そんな折、ある協力者からの情報が私の元に届いた。 アレックスは重い口を少しずつ開き始めた。 「DDSという言葉はメディアの造語にすぎない。 そもそも実際に街で『俺たちは暗殺集団だ!』と言いふらしているわけではないから実在するか否かを証明するのは難しい。 ただ、警察内部に犯罪者の殺害を実行する『機密部隊』があるのは事実だ」 つまり、この機密部隊がメディアから「暗殺集団」と解釈されているということだ。 アレックスが解説した手口は次のようなものだった。 「部隊は各自治体から入手した犯罪者リストを基に、幹部の指示に沿って計画を進める。 標的となるのは、麻薬の密売人や窃盗犯などの軽犯罪者が多く、まずは違法行為をやめるよう警告し、それでも従わない場合は抹殺する。 部隊に警官以外の殺し屋が含まれていることもあるし、現職警官が殺害することもある」 まず見張り役を現場周辺に配置し、続いてオートバイに乗ったふたり組が標的に近づき、45口径拳銃で射殺するーーこれが主な手口だという。 それにしても、本当に警官が殺害するのか…? 念を押して確認すると、 彼は私の目を真っすぐに見つめ、「イエス!!」と断言した。 「詳細は差し控えるが、ある警官はふたりほど殺害した。 私は手を下したことはないけれど、幹部から命令されれば従うしかない」 ただ、市長時代のドゥテルテの関与については「それはわからない。 ニュースで報じられているのは知っているが」と述べるにとどまった。 警察が犯罪者を逮捕して送検し、検察が起訴して法廷で裁く。 これが近代国家における司法制度の基本形だ。 ところが、DDSは自治体のリストに基づき、死刑判決などとうてい下るはずがない軽犯罪者の殺害を繰り返す。 なぜ、そんなことが「必要悪」としてまかり通るのか? 私がそう聞くと、アレックスは少し声を荒らげて言った。 「容疑者を逮捕し、立件するのは長期にわたる手続きが必要だ。 しかも、せっかく逮捕しても保釈されればまた犯罪に手を染める。 だから司法制度自体に問題がある。 この状況を打開して安全な街づくりを進めるには、『殺害』で一掃するのが好都合なだけだ」 実際のところ、フィリピンの司法制度はお世辞にもまともに機能しているとは言い難い。 例えば、ダバオ市から西に約200km離れたマギンダナオ州で09年、報道関係者ら58人が虐殺され、国際社会に波紋が広がった事件。 治安当局によって実行犯や政治家ら約200人が逮捕、起訴されたものの、事件から8年近く経過した現在も公判は継続中で、結審の見通しは立っていない。 私がこれまで取材した多くの日本人殺害事件でも、大半が実行犯すら特定できないまま迷宮入りしている。 この問題は非常に根深く、短期間での改善は予算的にも文化的にも望めない。 既存の司法制度に頼っていては、治安改善という根本的な問題解決にはいつまでたっても結びつかないーー。 こうした事情が、DDSの暗躍の背景にあるということだ。 公務員の汚職や不正を追及する行政監察院は12年3月、DDSによるものとみられる殺害事件に関与したとして、国家警察ダバオ市本部の幹部ら警官21人に対し、減給などの処分を下した。 処分理由はこうだ。 〈05年から08年までの4年間、この21人が管轄する地域で起きた殺害事件は720件に上るが、半数以上の約400件が未解決に終わった。 そこには「殺害事件の減少に努めない勤務怠慢」があり、21人はDDSになんらかの関わりを持っている可能性がある〉 私は処分された21人のうち、幹部警官ひとりを探し当て、直撃した。 とはいえ、「DDS」という言葉自体が禁句(タブー)とされる街である。 関与を疑われた幹部警官ならなおさら、そんな話を聞かれたくはないはずだ。 直接取材を行なうことで、私の身に危険は及ばないのかーー。 そんな一抹の不安が頭をよぎり、最初は念のため「安倍首相訪問時の警備態勢はどうですか?」などと、まったく別の話から始めた。 しばらくしてから思い切って本題に入ると、彼は急に身を乗り出し、 「DDSはメディアの造語だ!」と従来どおりの主張を繰り返してから、こう口にした。 「未解決の殺害事件については、 目撃者が現れなかったために立件できなかった」 ただし、目撃者不在の問題については、遺族側に次のような主張がある。 窃盗やシンナー吸引などを疑われた息子4人が警官らに相次いで殺害されたと訴える母親のクラリタさん(63歳)が、涙ながらに私に語った内容だ。 「実際に現場を目撃した人もいるのだが、誰も警察に証言してくれなかった。 事件には警官も関与していると聞いている。 だから、みんな報復を恐れて証言集めに協力してくれないんだ」 このような発言に対し、幹部警官はこう説明した。 「 でも、それは彼らの言い分でしかない。 目撃者たちが正直に心を開けば協力する」 DDSに殺害されたとみられる容疑者と、その遺族の多くは貧困層だ。 社会的弱者が犯罪に手を染め、抹殺される。 このゆがんだ構造が、DDSの正体を覆い隠している。 行政監察院から名指しで処分された事実について聞くと、幹部警官はこう回答した。 「反論の機会も与えられず、自分の名前が公表されて深く傷ついた。 すでに過去のことなのでコメントは控えたい。 何度も言うがDDSは存在しない。

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