小田 和正 とき を こえ て。 明治安田生命CMまとめてみた Meijiyasuda Movie CM PV

たしかなこと

小田 和正 とき を こえ て

タイトル『会いに行く』の意味 まず、この『会いに行く』の考察に入る前に基本情報! この楽曲をもう聴きなじんでいらっしゃる方も多いことでしょう、 2018年のめざましテレビのテーマソングなのです! なので、めざましテレビが小田和正さんに依頼して、製作されたため、 めざましテレビの想いも強く影響している楽曲なのです。 このタイトルについては、小田和正さん自身が 番組に向けたコメントの中で話しています。 その番組の映像がこちら 抜粋すると、 「様々な企画で全国の視聴者と繋がるんだという番組制作者たちの想いとツアーで全国の待っている人たちのところへ行くんだという僕の想いを重ねて『会いに行く』という曲を書きました」 めざましテレビは今年25周年ということで、 キャスター達が全国を回るという企画を用意しています。 一方小田和正さんも、ついこの前5月4日から全国ツアーを開始。 この両者にとっても、「会いに行く」という言葉がマッチしたのですね。 『会いに行く』のテーマ この曲のテーマとしては、 「ひとそれぞれ悩みも哀しみもあるけど、だからこそ、会って、 哀しいことは分けて減らそう、幸せは分けて増やそう」 こんな人間らしい、優しさに満ちた楽曲です。 小田和正『会いに行く』歌詞の意味 それでは、考察に入りましょう! 今、会いたい人は? 想いを馳せながら踏み出す導入 会いに行く どこにでも その笑顔に会うために その声を聞くために 想いを伝えるために サビからの導入で、入りから心にすっと染み込んできます…. その笑顔に会うために、その声を聞くために、想いを伝えるために 「ために」を繰り返すことで、強い意思を感じます それに加えて「どこにでも」ときます笑 歌い手が強い意思を表明するとともに、 その小田和正さんの優しい歌声からか、 「一緒に行こうじゃないか」とも言われている気がします 今、あなたが会いたい人を思い浮べよう。 会いたいなら、外に出て、どこへだって会いに行こう。 そんな強いメッセージを、サビを導入に持ってくることで、 早速曲が心に染み渡ってきます いいことあるさ、だから歩こう 雨の音は やさしい気持になる 懐かしい人に 会いに行く 雨はいつか 街から遠離れて たそがれが 遠くの空 染めてゆく 次の描写は雨です。 雨というと、少し哀しげな心情描写で捉えられると思います。 このメロディーから考えても、おそらく雨そのものは「哀しみ」を表現していると思います。 哀しい時、誰を思い浮かべるか。 哀しい時に寄り添ってくれる、懐かしい友人などを思い出すこともあるでしょう。 会ったらその時間だけでも過去に戻れる、そんな仲間に想いを馳せることができそうです。 そんな仲間との時間を過ごせば、哀しみを忘れることができる。 そういう心情変化を 雨がやんで、たそがれのオレンジ色の鮮やかな空に重ねたのだと思います。 また、「雨の音は やさしい気持になる」ですが 哀しい体験は、同じような境遇になった人に寄り添える優しさになる。 あなたも誰かに寄り添えるということを、伝えてくれているのかもしれません。 会いに行く どこにでも その笑顔に会うために その声を聞くために 想いを伝えるために だから、今会いたいと想ったら会いに行こう、そして話そう そういう純真で無垢な言葉は 哀しみは分けて減らして、幸せは分けて増やせる そしたら、きっと笑顔になれるよ そんな想いを3度繰り返されるサビメロで、強く、強く刻み込んでいます まとめ 想像以上に悩みや哀しみにもスポットを当てていて ものすごく人間らしさというものが、滲み出ていて、 そこに寄り添う小田和正さんの楽曲の優しさが溢れている この『会いに行く』なんだと強く思いました。 今、どこでも繋がれる世の中。 効率化、便利さ、より速く、加速する時代の流れ。 それでも、いやむしろ余計に、その時代に追われるように、 せわしなくなり、焦り、悩む人々。 そんな今だから、「会う」ことがどれほど素敵なことか、 思い出させてくれたような気がします。

次の

明治安田生命CMまとめてみた Meijiyasuda Movie CM PV

小田 和正 とき を こえ て

この項目では、歌手について説明しています。 漫画「」に登場する 小田和正については「」をご覧ください。 小田 和正 出生名 小田 和正 別名 (通称)小田さん K. 元のでボーカリスト。 株式会社 FAR EAST CLUB INC. 代表取締役社長。 身長172cm。 はA型。 来歴 [ ] 生い立ち [ ] 出身。 すずらん通り商店街にある小田薬局で次男として育ち、兄が一人居る。 兄は家業を継ぎとなり小田薬局の店長を務める傍ら、日本チェーンドラッグストア協会、横浜市金沢区薬剤師会などの要職を歴任している。 幼少時代は横須賀中央の教室に通っていた。 実父は、の出身で、すずらん通り商店街の基礎を築きを受章している。 趣味は、。 [ ]のファンである。 、横浜市立八景小学校を経て、、に進学。 小学3年生の時中学受験のため通っていた進学塾への通学途中、の車中でと運命の出会いを果たす。 鈴木とは第1志望だったの受験に失敗(2人共に)し、進んだ中高一貫教育である聖光学院では中学校・高等学校を通じて同級生だった。 高校3年時、学園祭(「」)にて小田、鈴木、、須藤尊史の4人で演奏を披露した。 オフコースとしてレコード・デビュー後も(5人構成となる前までは)小田と鈴木が母校を訪れ、聖光祭にて演奏を毎年披露していた(聖光学院には1,000名以上の観客を収容可能な大ホール(=ラ・ムネホール)がある)。 これは、学園祭実行委員の後輩達より毎年のように出演依頼を受け、小田と鈴木が快諾したことにより実現したものであった。 なお、、聖光学院創立40周年記念行事にて、小田、地主、須藤の3人が再び集結、当時の演奏ナンバーを披露した。 また、新校舎完成時にもホールで演奏を披露するコンサートに出演した。 オフコース [ ] 聖光学院卒業後、須藤は、小田は地主とともにに進学、を。 聖光学院在学時に授業でを製作して以来建築に興味を抱いていた。 また、を受験しようとも思ったが、大学見学の際に消毒臭・カーテンの汚さに嫌気がさし、東北大学を選んだという。 鈴木はに進学、離ればなれとなったが、仙台と横浜をお互いに頻繁に行き来し、音楽活動も続けていた。 後にグループは「ジ・オフ・コース」(後にオフコースと改名)と名付けられた。 、アマチュア音楽活動にけじめをつけるために「」に東北地区より出場。 東京でなく東北から出場したのは東京ではレベルが高く、東北のほうが勝ち抜きやすそうだからと考えたためだが、実際に出場してみると東北地区も大変レベルが高かったという。 それでも東北地区を1位で通過、全国大会に進出した。 全国大会は、フォー・シンガーズ(のいたグループ)ら強敵がいたが、小田曰く「寝ててもできるくらい」猛練習を重ね、自信をもって臨んだにもかかわらず、1位は赤い鳥、オフコースは2位だった。 小田らは優勝して音楽活動にけじめをつけるつもりだったが、2位になったことで「このまま終われない」とプロの道を歩むことを決める。 しかし、鈴木は音楽一本に決めたが、地主は小田と鈴木の音楽性についていけず、に進路を定めた。 小田もに進学、建築の研究も続ける一方で鈴木との音楽活動も続けていた。 その後徐々に気持ちは音楽に傾き、大学院時は完全に音楽の道を選択することを決めていた。 のタイトルは「建築との訣別」(ただし、審査の担当教授に「私的建築論」とタイトルを変更させられている)。 オフコースは数度のメンバー変遷を経てより小田、鈴木の2人構成、後に、、を加えた5人構成となる。 数年間は売れない時代が続いたが、やがて、からにかけて次々とヒット曲を生み出し、時代を代表する人気グループとなった。 オフコースが発表したのA面のほとんどは小田の曲であり、そのシンプルで、ストレートに愛を歌う歌詞とハイトーンの澄んだボーカルはオフコースの大きな特色であった。 オフコース時代のヒット曲には「」「」「」などがある。 にはオフコースのオリジナルメンバーである鈴木康博の脱退に伴い一度は解散も考えたが、約1年の活動休止を経て4人で活動再開、まで活動した。 オフコース時代の活動の詳細はの項参照。 ソロ以降 [ ] に初めてのソロシングル「」、初のソロアルバム『』を発表。 オフコース時代からソロ活動を始めてはいたが、のオフコース解散以後にソロ活動を本格化。 、『』の主題歌として制作した楽曲「」が、と見事なを成し、ドラマ・主題歌共に大ヒット。 オフコース時代に叶わなかった、「シングル第1位」と「シングル突破」を一挙に成し遂げた。 その後は、ヒットメーカーとしての地位を確立し、楽曲はドラマ・などに積極的に採用され、「伝えたいことがあるんだ」、「キラキラ」、「まっ白」などのヒット曲を生み出している。 また、オフコース時代を含む過去の楽曲を集め、新アレンジで再録音したセルフカヴァー・アルバム『LOOKING BACK』シリーズや『』は、幅広い年代に支持される大ヒットとなった。 7月22日夜、愛車を自身で運転して事務所・関係者らとの恒例行事「DEATH MATCH」(ゴルフコンペ)開催のへ向かうため、の下り線を走行中、自損事故を起こし全治4週間の重傷を負う。 現場付近は雨が降っており、80キロの速度規制のところを、約20キロオーバーの100キロ前後で走行。 スリップしてコントロールを失い、ガードロープに接触した。 その衝撃で後部座席に飛ばされ、後部座席で横たわった形で救出される。 同乗者は無し。 幸いにも、後続車による追突や横転、反対車線への飛び出しなどがなかったため、一命を取りとめる。 約2週間の入院後、奇跡的な回復を見せ、同年9月12日、にある「」で行われたとのジョイントコンサートで、完治していない体だったが歌手活動に復帰した。 にはオリジナルアルバム『』、2007年にはシングル「」で、それぞれオリコンチャート週間1位を獲得。 とかく過去の楽曲が注目・起用されがちな日本の同世代アーティストの中で、新曲で音楽シーンに存在感を示すことができる貴重な存在となっている。 CMとのや、他のアーティストへの楽曲提供や、も行うようになった。 また、初めて持ったテレビのレギュラー番組は大変な反響を呼んだ。 「」も参照 また、音楽以外の分野ではやの制作なども行った。 が好きで、何度も足を運んでいる(特にが設計したのがお気に入り)。 それが縁となり、明治村を経営するの企業CMで小田の曲が使われている。 、東北大学が創立100周年記念事業の一環として開催した「東北大学100周年記念式典」において、「東北大学100周年記念文化貢献賞」を芸術・文化部門において受賞する。 さらに、聖光学院が開催した「聖光学院中学校・高等学校創立50周年祭」において、招待公演をで行った。 、地元に近いのに「」が採用された。 「ツアー2008 今日もどこかで」で第59回文部科学大臣賞受賞。 同年7月、知人の招きを受け、の落成記念公演を行った。 オフコース解散後、初の元メンバーとのコラボレーションとなる。 2011年から2012年にかけて、ソロ歌手として史上最年長となる自身初の5大ドーム公演を含む31会場全59公演の全国ツアー「どーもどーも その日が来るまで」を開催。 約74万人を動員し、自己記録を超え、国内ソロアーティスト歴代最多動員数記録を更新。 2016年4月20日発売のベストアルバム『あの日 あの時』はで週間1位となり、「アルバム首位獲得最年長アーティスト(68歳7ヶ月)」として、「63歳8ヶ月」の記録を更新。 映画制作 [ ] 中学生時代に見た映画『』の主題歌「」に感動して初めてレコードを買い、「将来こんな素敵な仕事ができたら」と思っていた。 オフコース在籍時から、ステージで曲の演奏中にイメージフィルムを流したり、当時まだ珍しかったを制作するなど、音楽と映像の融合を積極的に行っていた。 、第1回監督作品となる映画『』が全国公開されたが、評判は芳しくなく、興行成績も成功とはいえなかった。 、監督第2作目となる映画『』を制作、「歌手である主人公が映画を制作する」というストーリーが、1作目での制作体験を基に描かれた。 この時は映画会社配給ではなく、ホールに機材を持ち込んで全国各地を廻る「シネマ・ツアー」という方式で上映された。 ソングライターとして、、やらの楽曲を全面的にプロデュースする他、や、らとする。 また、のための主催、らとのチャリティライブ、、らとのジョイントライブや音楽イベントに積極的に参加するようになった。 小田自身のソロライブでも、コーラスに、、、らを起用している。 作品 [ ] 群馬県民会館 宇都宮市文化会館 静岡市民文化会館 北海道厚生年金会館 大宮ソニックシティ 仙台サンプラザ 新潟県民会館 神奈川県民ホール 徳山市文化会館 広島厚生年金会館 四日市市文化会館 神戸国際会館 徳島市立文化センター 高知県立県民文化ホール 松山市民会館 香川県県民ホール 鹿児島市民文化ホール 熊本市民会館 福岡サンパレス 名古屋国際会議場センチュリーホール 青森市文化会館 岩手県民会館 京都会館 長野県県民文化会館 大阪フェスティバルホール 福井フェニックスプラザ 富山市公会堂 石川厚生年金会館 日本武道館 大分文化会館 長崎市公会堂 郡山市民文化センター 以後「ご当地紀行」と呼ばれる、ツアー先の名所などを小田が訪れるVTR上映がスタート。 - Presents K. ODA TOUR 1997-1998 THRU THE WINDOW 全国50か所、65公演 - 島根県民会館 鳥取県立県民文化会館 宇都宮市文化会館 山形県民会館 青森市民会館 岩手県民会館 仙台サンプラザ 北海道厚生年金会館 長野県県民文化会館 山梨県立県民文化ホール 市川市文化会館 岐阜市民会館 静岡市民文化会館 秋田県民会館 郡山市民文化センター 群馬県民会館 福井フェニックスプラザ 新潟県民会館 佐賀市文化会館 大分文化会館 京都会館 高知県立県民文化ホール 徳島市立文化センター 香川県県民ホール 松山市民会館 倉敷市民会館 広島厚生年金会館 福岡サンパレス 名古屋市民会館 大阪フェスティバルホール 国立大ホール アクトシティ浜松 名古屋国際会議場センチュリーホール 鹿児島市民文化ホール 第1ホール 長崎市公会堂 熊本市民会館 日本武道館 日本武道館公演で、ステージ上に客席の設置が試みられ、以後オンステージ・シートとして定着していく。 SAME MOON! KAZUMASA ODA TOUR 2000 全国45か所、59公演 - 千葉県文化会館 山梨県立県民文化ホール 秋田県民会館 山形県県民会館 大阪フェスティバルホール 三重県文化会館 宇都宮市文化会館 大宮ソニックシティ 長野県県民文化会館 佐賀市文化会館 九州厚生年金会館 京都会館 島根県民会館 鳥取県立県民文化会館 高知県立県民文化ホール 香川県県民ホール 松山市民会館 倉敷市民会館 徳山市文化会館 広島厚生年金会館 神戸国際会館 こくさいホール 東京国際フォーラム・ホールA 富山オーバードホール 石川厚生年金会館 静岡市民文化会館 神奈川県民ホール 新潟県民会館 宮城県民会館 郡山市民文化センター 岩手県民会館 北海道厚生年金会館 名古屋国際会議場センチュリーホール 熊本市民会館 鹿児島市民文化ホール 福岡サンパレス 日本武道館 このツアーからがコーラスに参加(2002年のツアーまで)。 Presents K. ODA TOUR 2002 「Kira Kira」 全国25か所、39公演 - 静岡エコパアリーナ 米子コンベンションセンター マリンメッセ福岡 三重県文化会館 長野県県民文化会館 青森市文化会館 岩手県民会館 横浜アリーナ 旭川市民文化会館 富山オーバードホール 大阪城ホール 日本ガイシホール 国立代々木競技場第一体育館 鹿児島市民文化ホール 屋外劇場 広島グリーンアリーナ 朱鷺メッセ 新潟コンペディションセンター 京都会館 第一ホール さぬき市野外音楽広場テアトロン 山梨県立県民文化ホール 真駒内セキスイハイムアイスアリーナ 岡山市民会館 日本武道館 愛媛県県民文化会館 関東地区の公演(一部)の主催がに変更。 東京、神奈川を除き、日程の大半が週末に組み込まれた が、 一部公演が東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の影響により、延期および見送り(公演中止)となった。 明治安田生命Presents KAZUMASA ODA TOUR 2012 "どーも どーも その日が来るまで" 東北地区、横浜市6か所、11 - グランメッセ熊本 静岡エコパアリーナ 函館アリーナ ビッグパレットふくしま ワールド記念ホール 日本ガイシホール さいたまスーパーアリーナ 横浜アリーナ 宜野湾海浜公園屋外劇場 さぬき市野外音楽広場テアトロン 日本武道館 盛岡タカヤアリーナ 大阪城ホール マリンメッセ福岡 朱鷺メッセ 新潟コンベンションセンター セキスイハイムスーパーアリーナ 真駒内セキスイハイムアイスアリーナ 広島グリーンアリーナ 当初6月20日、21日に開催予定の大阪城ホール公演は、6月18日に発生したの影響により2019年、9日に延期。 また、熊本公演の収益を熊本地震の義援金として寄付した。 全1公演 - ・マリーナヤード 山本潤子 鈴木雅之 明治生命 他アーティストとのジョイント [ ]• その他の出演者:、、、、(、)。 〜青春の影〜 CHAGE and ASKAと共演。 財津和夫がゲスト出演(2003年8月9日、・コニファーフォレスト)• LIVE KiroroKobukuro LIVE in EXPO'70にゲスト出演。 、、佐藤竹善、らと共演(2004年8月12日、大阪・もみじ川芝生広場)• にゲスト出演。 、、、と共演(2005年11月20日、)• J-WAVE LIVE 2000+6でののコーナーに飛び入り出演。 「」と「たしかなこと」をセッション(2006年8月19日、国立代々木競技場第一体育館)。 スターダストレビュー結成25周年記念ライブ『25年に一度の大感謝祭 6時間ライブ おやつ付き』にゲスト出演。 オダレビ(小田とスタレビのジョイントユニット)としてそれぞれの代表曲を演奏したほか、このイベントのために即興で作った「思い出はうたになった」 (未発表曲)を根本要とデュエット(2007年5月19日、さいたまスーパーアリーナ)• 創立100周年記念祝賀会(野外)の坂本サトルのコンサートに飛び入り出演(2007年8月26日、東北大学片平キャンパス・屋外特設ステージ)• にてと共演(2007年9月23日、2008年9月6日、京都)• INGNI Presents『Your Songs Our Songs』にゲスト出演。 、、、矢井田瞳、スガシカオ、と共演(2007年11月4日、大阪城ホール)• にゲスト出演。 葉加瀬太郎、佐藤竹善と共演。 その他の出演者は、、、、、(2008年8月9日、)• J-WAVE LIVE 2000+8でのくるりのコーナーに飛び入り出演し、「」をセッション(2008年8月17日、国立代々木競技場第一体育館)。 グランドフィナーレにゲスト出演し、出演者、観客とともに『今日も どこかで』を歌う。 このときの共演者は大塚範一、高島彩、中野美奈子、、、生野陽子、、、皆藤愛子、 (2009年2月15日、)• にゲスト出演し、と共演(2009年4月22日、日本武道館)• STILL20 SPECIAL LIVE RADIO MAGICに出演し、松たか子、佐藤竹善、らと共演(2009年5月31日、大阪城ホール)• 情熱大陸スペシャルライブ〜サマータイムボナンザにゲスト出演。 葉加瀬太郎、森山直太朗と共演。 サマーピクニック・フォーエバーinつま恋にゲスト出演。 南こうせつ、、、、、、山本潤子、松山千春らと共演。 サプライズゲストとしてが出演(2009年9月20日、特設会場 )• ga FESTIVAL 『What a Wonderful World!! 09』にゲスト出演。 MONGOL800と共演。 2009年10月3日、ヨミタンリゾート特設会場)• THE BOOMと共演(2010年5月29日、静岡県屋外ステージ)。 なごや・きよす夢まつり「夢花火音楽祭 音市音座」にゲスト出演。 その他の出演者は、、STARDUST REVUE、、(以上、五十音順。 2010年10月16日、南六軒付近 特設ステージ(みずとぴぁ庄内前)• OTODAMA FOREST STUDIO 2010にゲスト出演。 その他の出演はキマグレン、THE BOOM、スターダスト・レビュー、Chara with laidbook(2010年10月17日、神奈川県・めぐりの森)• に出演。 アンコールでは、、(以上、出演順)とともに「今日も どこかで」を演奏した(2013年10月27日、日本武道館) チャリティコンサート [ ]• 復興支援のためのチャリティーコンサート『KAZUMASA ODA TOUR 2003「Kira Kira」』(2003年5月4日 内記念講堂) テレビ [ ] テレビメディアへの見方 [ ] 時代よりテレビというには不信感を抱いており、めったに出演しないことで有名であったが、ソロ活動を始めて以降、の出演を皮切りに、自身の露出にも関心を持つ。 しかしいわゆる普通の音楽番組にはほとんど出演しないことからも分かるように、制作段階から自身の構想や意見を反映できることを条件にしている。 ネスカフェのCMも、自分の注文(それまで定番だった『違いの分かる男…』のコピーを使わない)が受け入れられたからOKしたと語っている。 『』の成功により番組は毎年制作され、ファン層の広がりやCDの売り上げなど、テレビ出演が自身の音楽活動に強く影響することを実感したと思われる。 には『クリスマスの約束』の発展形である『』を、3か月間毎週放送の自身初TVレギュラー番組として制作。 制作に当たっては、時間的制約の中で選曲や練習、観衆の中での本番と、大変な奮闘だったようであったが、ここでもまた達成感と共に意識変化があったと見え、「やるかやらないか」の選択時「やらなければ"ゼロ"、やれば"何か"が残る」と、積極的なコメントが聞かれるようになった。 には17年ぶりに企業CM出演の依頼も引き受けた。 2005年末に一部で、への出演依頼を受けているとの噂が流れた。 小田和正やオフコースの曲が、同年新企画の視聴者アンケート「」上位にランクインしたためであるが、結局出演することはなかった。 小田自身はコンサート(2005年ツアー、日本武道館)で、同年の紅白歌合戦に選出されたをゲストに迎えた際、この番組に対し 「大きな偏見を持っている」と話している。 クリスマスの約束 [ ] 「」を参照 ドキュメンタリー [ ]• 日本をすくえ(1994年9月14日 1994-09-14 、テレビ朝日) - ライブ制作のドキュメンタリー。 (2019年2月2日 2019-02-02 、) - 2018年 2018 に行われた全国ツアーのドキュメンタリー。 その他テレビ出演 [ ]• (1984年2月14日 1984-02-14 、) - に、からの紹介で出演。 普段から「苦手な芸能人」の一人と公言していたを手こずらせ、終始気まずい雰囲気の中で放送された。 小田は翌日のお友達にを紹介している。 (1991年12月3日 1991-12-03 、フジテレビ) - 同年12月から翌年4月にかけて行われたコンサート・ツアーの公演()から「ラブ・ストーリーは突然に」を披露。 なお、歌唱シーンはコンサートの開演前に収録したもので、演奏後のインタビューは、石川厚生年金会館の楽屋から生出演で行われた。 追いかけて、追い続けて〜小田和正の世界(1992年1月24日 1992-01-24 、NHK) - ファンを公言するによるロングインタビューがメイン。 その他、映画「いつか どこかで」監督風景や、 リハーサル・ライブの映像(インタビュー以外は、後述の「音楽達人倶楽部」で放送されたものとほぼ同じ)。 音楽達人倶楽部「小田和正」(1992年2月6日 1992-02-06 、) - 映画「いつかどこかで」監督風景や リハーサル・ライブ映像。 (1996年2月9日 1996-02-09 、1997年12月19日 1997-12-19 、テレビ朝日) - ピアノ弾き語りによる歌唱あり。 (1997年9月19日 1997-09-19 、NHK総合) - このほか、1997年の映画「緑の街」公開の際には映画プロモーションも兼ねていくつかのTV番組に出演。 (1998年1月15日 1998-01-15 、)• (2000年4月3日 2000-04-03 、フジテレビ)• (2000年6月19日 2000-06-19 、2001年6月25日 2001-06-25 、・フジテレビ)• 「」(2004年10月 2004-10 -12月、TBS) - 全11回• 「小田和正 58歳を歌う」(2006年1月22日 2006-01-22 、NHK総合)(2006年1月26日、NHK)• 居酒屋の(2006年1月26日 2006-01-26 、NHKBS2) - (元選手)が経営する台湾料理店でのトーク番組。 200勝達成記念特別番組「夢の途中〜だから僕は投げ続ける〜」(2009年1月2日 2009-01-02 、) - ナレーションを担当。 笑った! 歌った! 涙した! 元気のミナとも感動スペシャル(2009年3月2日 2009-03-02 、フジテレビ)• (2009年7月4日 2009-07-04 、11日、)• 『が撮る小田和正』(2012年6月10日 2012-06-10 、6月17日、)• (2012年6月24日 2012-06-24 、7月16日(再放送)、8月15日(再々放送)、) - 2011年 2011 から2012年 2012 にかけて行われた全国ツアーから2011年9月28日 2011-09-28 、29日の公演の模様を放送。 (2016年3月22日 2016-03-22 、NHK総合)• 「時は待ってくれない〜小田和正」(2017年3月20日 2017-03-20 、) - 聞き手はオフコース時代からの大ファンであるアナウンサー。 同年3月15日の『』(NHK総合)でも10分間のダイジェスト版を放送。 同年6月11日に60分の短縮版(同年8月10日未明(同年8月9日深夜)にもNHK総合で放送)、同年8月13日に未公開シーンとライブ映像、オフコース時代に出演した『』のダイジェストを織り込んだ3時間の完全版を放送。 小田和正音楽特番『風のようにうたが流れていた』(2019年3月30日 2019-03-30 、TBS) - 2001年 2001 から2017年 2017 までクリスマスの時期に放送されていた小田出演の『』の制作チームが手がけた特別番組。 小田の母校であるの中学校・高等学校で収録。 (2019年10月19日 2019-10-19 、NHK BSプレミアム) - 全国24か所64公演、およそ55万人を動員した最新の全国ツアーの中から追加公演の模様を放送。 さらにライブではおなじみとなっている名物企画「御当地紀行」を、阿部渉アナウンサーと一緒にめぐり、ライブにかける思いや心境が語られた。 CM [ ] 本人出演 [ ]• ゴールドブレンド• 君にMerry Xmas(1989年 2日間限定)、Oh! Yeah! (1991年)、my home town(1992年)• アルバム『Oh! Yeah! 』(1991年)• Yeah! アルバム『自己ベスト』(2002年)• アルバム『そうかな』(2005年)• (2005年)• シングル「こころ」(2007年)• アルバム『自己ベスト-2』(2007年)• 「希望の歌声」編(2009年)• 今日も どこかで タイアップ [ ]• 卒業編 - 僕の贈りもの(1988年)• 床屋編では自身も出演。 風と君を待つだけ(1991年)、だからブルーにならないで(1993年)• 液晶ビューカム• 風の坂道(1993年)• ほんだし• またたく星に願いを(1993年)• 風のように(1997年)、こんな日だったね(1999年)• ブランドCM• woh woh(2000年・2011年)、19の頃(2000年・2012年)、風の街(2001年)、彼方(2013年)• 北海道シチュー• 大好きな君に(2003年)、• 緑茶「」• オリジナル曲(2006年3月-6月)• 大好きな君に(2006年)、風の坂道(2008年)、緑の街(2011年)、Re(2013年)、この街(2014年- )、キラキラ(2018年-)• 若葉のひと(2009年3月)• 今のこと(2013年6月)• wonderful life(2015年5月- )• オリジナル曲(2017年3月- ) 関連書籍 [ ]• Time can't wait(小田和正 著、1990年初版、)• キャディ(小田和正 著、1994年初版、)• YES-NO小田和正ヒストリー(小貫信昭 著、1998年初版、)• 小田和正歌詞集 風うた〜恋〜(小田和正 著、2006年初版、)• 小田和正全詞集 大切なことば(小田和正 著、2007年初版、ジービー)• 小田和正という生き方(陥合真司 著、2009年初版、)• 小田和正ドキュメント1998-2011(小貫信昭 著、2011年初版、)• ダイジョウブ(小田和正 著、2011年初版、) 記録 [ ]• シングル「」(・小田和正・財津和夫共作) - 「オリコン シングルチャート1位」獲得は、小田の音楽キャリア史上初。 シングル 「」 - 「オリコン シングルチャート週間1位」「年間シングルチャート1位」ソロで初の1位獲得、270万枚を売り上げ、ソロでの44歳3か月最年長記録によるダブルミリオンを獲得し、当時のシングルCD・レコード売上枚数記録史上、過去最高記録、達成。 アルバム 『』 - ソロでの「オリコン アルバムチャート週間1位獲得 最年長記録」 53歳8か月(それまでの同記録は『』 51歳0か月)• アルバム 『』 - ソロでの「オリコン アルバムチャート週間1位獲得 最年長記録」 54歳8か月(自己記録更新、それまでの同記録は53歳8か月)• 『自己ベスト』 - 「オリコン集計上でのアルバム売上200万枚突破 最年長記録」57歳3か月(それまでの同記録は松任谷由実『』 44歳10か月)、「オリコン集計上での男性ソロアーティスト アルバム200万枚突破 史上2人目達成」(同年12月、初記録は『』)• アルバム 『』 - ソロでの「オリコン アルバムチャート週間1位獲得 最年長記録」 57歳9か月(自己記録更新、それまでの同記録は54歳8か月)• シングル 「」 - ソロでの「オリコン シングルチャート週間1位獲得 最年長記録」59歳11か月(それまでの同記録は「」 52歳7か月)• 2007年 アルバム 『』 - ソロでの「オリコン アルバムチャート週間1位獲得 最年長記録」60歳3か月(自己記録更新、それまでの同記録は57歳9か月)、60代でのオリコン1位獲得・30代から60代すべての年代でオリコンアルバムチャート1位獲得ともに史上初。 アルバム 『自己ベスト 』 - 「オリコン アルバムランキングで通算400週目のランクイン(トップ300)」オリコンアルバムチャート史上初• 2010年 アルバム 『自己ベスト』 - 「オリコン集計上でのアルバム出荷枚数300万枚突破 最年長記録」63歳2か月• アルバム 『』• ソログループ含めての「オリコン アルバムチャート週間1位最年長記録」・「ソロ(シングルアルバム含めた)での1位獲得最年長記録」・「日本人でのアルバムチャート10位以内最年長記録」63歳7か月(アルバムチャート首位達成はソロでは自己記録を更新、それまでの同記録は60歳3か月。 グループを含めても、それまでのアルバムチャート1位獲得最年長記録はのメンバーの『』(付 60歳4か月)。 それまでのソロシングルアルバムを含めて1位獲得最年長記録はの61歳7か月(2009年付でシングル『』)。 それまでのアルバムチャート10位以内の日本人最年長記録はの63歳0か月での6位獲得(付『』))。 「デビューからの1位獲得最新達成の最長記録」 41年0か月 (それまでのデビューから1位獲得最新達成最長記録は『』(2009年11月9日付) デビューから最新1位獲得40年0か月)• 2011年 アルバム 『どーも』 - 「オリコンアルバムチャート週間8位で獲得 10位以内獲得日本人最年長記録」63歳8か月(自己記録更新、それまでの同記録は63歳7か月)• アルバム 『自己ベスト』 - 「オリコン アルバムランキングで通算500週目のランクイン(トップ300)」オリコンアルバムチャート史上初• アルバム 『』 - 「オリコンアルバムチャート週間3位で獲得 10位以内獲得日本人ソロ最年長記録」 66歳10か月(それまでのアルバムチャート10位以内の日本人ソロ最年長記録はの64歳4か月での4位獲得(付『』))。 アルバム 『』 - ソロでの「オリコンアルバムチャート週間1位獲得 最年長記録」68歳7か月(それまでの同記録はの63歳8か月(付『』))。 2016年 アルバム 『あの日あの時』 - 返り咲きでの「オリコンアルバムチャート週間1位獲得 最年長記録」・ソロでの「オリコンアルバムチャート週間1位獲得 最年長記録」68歳8か月(それまでの返り咲きでのオリコンアルバムチャート1位獲得最年長はの59歳8か月(付『』)。 それまでのソロでのオリコンアルバムチャート1位獲得最年長は(自己記録更新、それまでの同記録は68歳7か月))。 2016年 アルバム 『あの日あの時』 - 「2016年度上半期2位獲得 上半期10位以内獲得最年長記録」 68歳9か月(それまでの同記録はの63歳7か月での2012年度上半期10位獲得(『』))• 2016年 アルバム 『あの日あの時』 - 「2016年度年間4位獲得 年間10位以内獲得最年長記録」 69歳3か月(それまでの同記録は山下達郎の59歳10か月での2012年度年間10位獲得(『OPUS 〜ALL TIME BEST 1975-2012〜』)) 声 [ ] 男性ながらを使わずまでの高音を素直に出せる歌声が大きな特徴である。 初期には、バンドに女性がいると間違われることもしばしばあったという。 その少年のような歌声からを経ずに成長したのではとの見方もあり、自身も音楽評論家の小貫信昭のインタビュー本『たしかなこと』で「変声期があった記憶がないので、声変わりしていないと思う」との旨を述べている。 しかし、2005年のコンサート中のにて「医者に尋ねてみたが、声変わりしていないという事は有り得ないそうだ」と、その認識に変化があった様子を窺わせた(発声が生来しっかりしていたため、声変わりしても元の音域で話せたせいで、声変わりに気づかなかっただけという可能性が指摘されている)。 近年、も自身のラジオ番組などで、「小田さんは変声期がなかったみたいに言ってるけどそんなわけない。 具体的な楽曲名とコーラス部分を挙げながら 小田さんは低音もすごいんですよ」という趣旨の発言を何度もしている。 話す声は比較的低く聞こえ、歌声とのギャップが大きいと感じる人が多く、「どうしたら高い声で歌えるのか」という質問をよくされるが、それに対しては「僕はただシャウトしているだけ」と答えている。 東北大学時代は団でを担当していた。 混声合唱団では、男性高音パートを受け持つテノールのパート・リーダーを務めた。 声楽の褒め言葉として、「テノールのような」、「アルトのようなテノール」という表現があるが、小田の声はまさに後者に当たる。 「声変わり」していないという俗説があるが、声変わりした男性の声は女声より確実に1低くなる。 の声は女声と同じ音域であるが小田の 話声は女声より1オクターブ低く声変わり後の男声である。 ただ、小田の 歌声の発声領域は、「」楽譜の下のソ音 G2 付近から「」楽譜の上のレ音 D6 付近までである。 つまり、小田は女性の声域のさらに下に1オクターブ追加された声域ということになる。 音域が広いため、よく聴いてみると高音部が目立つ楽曲の中にもの領域を少し下に外れの領域に入る部分が僅かに組み込まれているものもあり、男声として高域の伸びと声の質が小田の天性の魅力となっている。 その発声はいわゆる、音の揺らぎ--の少ないフラットな澄んだ声であることと、音程の正しさも小田の高域の声の美しい印象を高めている。 通常は一般開放されていて営業時間内は飲み物のほか、オリジナル・グッズ(全商品限定生産)も取り扱っている。 また、Far East Cafeではインフォメーションプレス『FAR EAST CAFE PRESS』がPRESS入会者に毎月25日に発行され、最新情報や活動内容の詳細やインタビュー、スタッフが連載する小田の日常、Far East Cafeでの出来事やオリジナル・グッズの紹介が掲載されている。 そのほか1994年からは、小田の一年間の活動を編集した映像集『LIFE-SIZE』がPRESS会員限定で発売されている。 受賞歴 [ ] 1997年• 第14回 主題歌賞(『』)(ドラマ『』主題歌) 脚注 [ ] []• TV番組「・」でも小田自身による同趣旨の発言あり。 2010年2月25日付 日本経済新聞夕刊に掲載された名古屋鉄道の企業広告• 、2012年5月27日、オリコン。 ORICON STYLE オリコン. 2016年4月26日. 2016年4月26日閲覧。 サンケイスポーツ. 2017年11月23日. 2017年12月11日閲覧。 東京公演として10月2日、3日の2日間実施。 10月3日公演では鈴木雅之がゲスト出演。 追加公演として11月5日、6日、7日の3日間実施。 最終日にあたる11月7日公演は体調不良で予定より30分遅れで開演(プロアマ戦出場後に声が出なくなったため)、MCで「この落とし前は必ず着けます」とコメント。 終了後にFNS歌謡祭に出演。 1991年12月に2公演、1992年に1公演実施。 1月18日、19の2日間実施。 1月19日公演では映画『』の出演者、、がゲスト出演。 4月1日、2日の2日間実施。 追加公演として4月23日、24日、25日の3日間実施。 最終日に当たる4月25日はアンコールでCHAGE and ASKAがゲスト出演、3人で「」を歌う。 小田は「駆け出しの2人が来ています」と紹介。 2月に2公演を予定していたが、による倒壊のため中止。 代替公演として4月に裏で行われたイベント『神戸元気村』でミニライブを実施。 コンサート・グッズなどの売り上げの一部をに充てた。 その後1999年6月に新装し、同年6月15日、『FUN MORE TIME! FINAL』として改めて行われた。 このときのゲストは泉谷しげる。 4月27日と4月28日、5月22日と23日に2公演ずつ行われた。 4月28日公演では島倉千代子と佐藤竹善、5月22日公演では鈴木雅之がそれぞれゲスト出演した。 5月23日公演はVTR収録が行われ、その模様はファンクラブ会員限定ビデオ『LIFE-SIZE 1995』に収録された。 前回のツアー終了後、「次にツアーをやるときには神戸から始めたい」という小田の申し出により実現したもの。 9月20日の公演が小田の50歳の誕生日ということもあり、アンコールの前にスタッフが用意したバースデーケーキとファンからの「ハッピーバースデー」の大合唱に驚く場面があった。 12月10日、11日の2日間実施。 翌年2月3日には追加公演として実施。 の収録も行われた。 1月30日、31日の2日間実施。 1月31日公演ではツアーメンバーとのソロコーナーがそれぞれ設けられたほか、佐藤竹善がゲスト出演。 PLUS ONE「クリスマスが過ぎても」を披露。 7月26日、27日の2日間実施。 がゲスト出演。 『ご当地紀行』で市内の動物園を訪れたとき、中高年の女性ファンから財津和夫に間違えられるというハプニングが起きた。 このとき「もう二度と熊本には来ません! 」と冗談交じりにコメントしたが、以後、熊本でのコンサートは2011年のグランメッセ熊本まで実施されなかった(2005年のツアーのご当地総集編 12月の日本武道館公演 で熊本を取り上げたときにもその映像が使われ、「それ以来、熊本には一度も来ていない」という字幕が付けられた)。 10月11日、12日の2日間実施。 最終日でアンコールの最中にカウントダウン・コンサートの開催を発表し、観客を驚かせた。 明治生命も協賛。 当日は渋谷の街頭ビジョンで生中継された。 とがゲスト出演。 コンサート終了後、「」の収録でと対談。 8月6日、7日の2日間実施。 8月7日公演はファンクラブ会員限定DVD『LIFE-SIZE 2002』に収録された。 8月17日、18日の2日間実施。 8月と10月に2公演ずつ実施。 鈴木雅之がゲスト出演する予定だったが、体調不良のためキャンセル。 財津和夫がゲスト出演。 ソロとしては初の沖縄公演だが、オフコース時代を含めると1987年9月以来。 10月13日公演ではがゲスト出演、「」と「」を披露した。 7月6日、7日、9月21日、22日、12月6日、7日にそれぞれ2公演ずつ(計6公演)。 7月6日公演では、9月22日公演では、12月6日公演ではと、12月7日公演ではがゲスト出演。 12月10日、11日の2日間実施。 12月11日公演ではがゲスト出演し、「」をデュエット。 12月20日、21日の2日間実施。 12月20日は親交のある(現:監督。 当時の役職は・シニアディレクター)がゲスト出演し、小田とトークセッションを繰り広げた。 4月と9月にそれぞれ2公演ずつ。 9月20日の小田の誕生日当日にも実施され、アンコールでは観客による「ハッピーバースデー」の大合唱が起こった。 ソロ初のツアーとなった1990年以来。 5月21日、22日と8月12日、13日にそれぞれ2日間ずつ実施。 オフコース時代の1987年以来。 6月6日、7日と9月27日、28日にそれぞれ2日間ずつ。 6月7日公演の終了後、(、2008年6月23日放送。 当初は同年6月16日の放送予定だったが、報道を優先したため変更された)の取材を受ける。 インタビュアーはキャスターのと、、、(とは不参加)。 6月と9月2日、3日にそれぞれ2日間ずつ。 9月3日公演では松たか子がゲスト出演し、「おやすみ」を披露。 またアンコールでの「今日も どこかで」ではコーラスを担当。 6月18日、19日に2日間実施。 がゲスト出演。 8月に2公演実施。 8月24日の公演では松山千春がゲスト出演し、小田のギターに合わせて「」を歌った。 9月10日、11日に2日間実施。 9月11日の公演では、2001年の同日に起きたに因んでの「Today」を演奏した。 それまではや、、フジテレビ、などが主催を受け持ったことがあった。 東京公演は、横浜公演はがプロモートに付く。 オフコース時代の1989年2月(解散コンサート)以来。 11月27日公演ではVTR収録も行われ、その一部が『クリスマスの約束2008』に使われた。 開演前に急病人の看護があり、予定より45分遅れで開演。 終了後スタッフから胴上げされ、感極まり涙を見せた(同年12月22日の各局のでもこの日の公演の模様が一部放送)。 当初の予定では全国28か所、55公演だった。 当初は3月26日から9月29日までの予定だった。 6月8日、9日の2日間実施。 6月9日は公演中に地震が発生したが、混乱もなく予定通り行われた(この時のの震度は2)。 4月22日、23日に実施予定だったが、6月18日、19日に延期、実施。 2000年のツアーでの熊本市民会館以来の熊本公演。 4月8日、9日の2日間を予定していたが、7月29日、30日に延期、実施。 5月3日、4日に実施予定だったが、8月9日、10日に延期、実施。 8月10日公演分ではアコースティック・コーナーでNew Christy Minstrelsの「Today」を演奏。 また、アンコールの最後では「生まれ来る子供たちのために」を演奏した。 4月と8月にそれぞれ2公演実施予定だったが、4月公演分(4月1日、2日)は8月19日、20日に延期、実施。 8月公演分(8月19日、20日)は10月13日、14日に延期。 4月と8月に2公演ずつ実施を予定していたが、4月公演分(4月26日、27日)は8月24日、25日に延期、実施。 8月25日公演ではアンコールの最後で『ラブ・ストーリーは突然に』を演奏した。 8月公演分(8月24日、8月25日)は10月25日、26日に延期、実施され、ツアーとしての最終公演地となった。 9月3日実施。 の影響で、30分遅れで開演した。 9月10日実施。 9月17日、18日に実施。 9月24日、25日に実施。 9月28日、29日に実施。 2日間ともVTR収録が行われ、9月28日公演分がの民放各局のワイドショーで一部放送されたほか、9月29日公演分がファンクラブ会員限定DVD『LIFE-SIZE 2011』に一部収録された。 さらにこの模様は2012年6月24日21:00 - 23:00にで放送された。 8月11日、12日に実施予定だったが、他会場の延期日程調整の都合上により、8月11日公演分は見送り。 8月12日公演分は10月18日に延期、実施。 3月26日、27日に実施予定だったが、10月21日、22日に延期、実施。 4月16日、17日の2日間を予定していたが、地震の影響で見送り。 6月18日、19日に実施予定だったが、地震の影響で見送り。 7月29日、30日に実施予定だったが、地震の影響で見送り。 原則として1会場2公演だが、京都会館、びわ湖ホール、テアトロン、札幌ドーム、福岡 Yahoo! JAPANドーム公演は1公演のみとなる。 4月14日、15日の2日間実施(前年4月16日、17日の振り替え公演)。 4月21日、22日の2日間実施(前年6月18日、19日の振り替え公演)。 4月22日公演ではがゲスト出演し、『』を披露した。 4月28日、29日の2日間実施。 5月12日、13日の2日間実施(前年7月29日、30日の振り替え公演)。 5月19日、20日の2日間実施。 雨天決行。 荒天の場合はに延期となっていたが、予定通り実施。 またこの模様はの民放各局のワイドショーで放送。 2012年1月25日付の公式ホームページ上で正式に発表された。 6月28日、29日の2日間実施。 の民放各局のワイドショーで初日公演の模様をダイジェスト放送。 7月5日、6日の2日間実施。 7月12日、13日の2日間実施。 東京公演が週末に行われたのは1991年12月から1992年4月にかけて行われたツアーでの日本武道館公演(1992年4月23日、24日、25日)以来22年ぶり。 7月12日公演の終了後、めざましテレビ(フジテレビ、2014年7月16日放送)の取材を受ける。 インタビュアーはキャスターのと、軽部真一、生野陽子、(は不参加)。 7月18日、19日の2日間実施。 7月26日、27日の2日間実施。 8月5日、6日の2日間実施。 8月13日、14日の2日間実施予定。 8月21日、22日の2日間実施。 8月26日、27日の2日間実施。 9月4日、5日の2日間実施。 9月10日、11日の2日間実施。 9月18日、19日の2日間実施。 9月25日、26日の2日間実施。 10月2日、3日の2日間実施。 10月11日、12日の2日間実施。 10月16日、17日の2日間実施。 10月22日、23日の2日間実施。 日本武道館で行われるのは2008年ツアー以来6年ぶり。 10月28日、29日の2日間実施。 1月29日、30日の2日間実施。 2月3日、4日の2日間実施。 国立代々木競技場第一体育館で行われるのは、2011年ツアー以来4年ぶり。 2月10日、11日の2日間実施。 2日間とも大雪に見舞われたが、公演は予定通り行われた。 2月17日、18日の2日間実施。 2月28日、3月1日の2日間実施。 3月11日、12日の2日間実施。 初日となった3月11日はMCで東日本大震災のことについて語った。 3月17日、18日の2日間実施。 2日間ともアンコールの最後は『my home town』を演奏したほか、2日目のアンコールでは『YES-YES-YES』でを使用した演出が見られた。 なお、2日目の模様は民放各局のワイドショーで一部が放送された。 (スポーツニッポン 2016年1月25日付)• 4月30日、5月1日開催。 5月7日、8日開催。 5月14日、15日開催。 5月21日、22日開催。 5月28日、29日開催。 6月7日、8日開催。 6月14日、15日開催。 さいたまスーパーアリーナでの公演は『クリスマスの約束・大好きな君に』(2005年11月29日)以来。 6月21日、22日開催。 6月30日、7月1日開催。 7月1日公演ではめざましテレビ(フジテレビ)から軽部真一、、、三上真奈(フジテレビアナウンサー)が来場。 後日、軽部と永島が小田の所属事務所を訪れ、インタビューを敢行した(この模様は同年7月14日に放送)。 7月6日、7日開催。 7月13日、14日開催。 7月23日、24日開催。 7月30日、31日開催。 8月5日、6日開催。 8月11日()、12日開催。 8月17日、18日開催。 8月24日、25日開催。 8月30日、31日開催。 9月6日、7日開催。 9月17日、18日開催。 9月27日、28日開催。 10月9日、10日()開催。 10月18日、19日開催。 10月29日、30日開催。 5月4日、5日開催。 5月12日、13日開催。 5月19日、20日開催。 5月26日、27日開催。 6月5日、6日開催。 6月13日、14日、10月24、25日開催。 6月26日、27日開催。 7月3日、7月4日、10月30、31日開催。 7月14日、15日開催。 7月21日、22日開催。 7月28日、29日開催。 及びの影響で開催が危ぶまれたが、公演は2日間とも予定通り行われた。 8月8日、9日開催。 の影響で開催が危ぶまれたが、公演は2日間とも予定通り行われた。 8月9日の公演終了後、めざましテレビ(フジテレビ、同年8月15日放送)の取材を受ける。 この時訪れたのはキャスターの三宅正治、永島優美、軽部真一(ともにフジテレビアナウンサー)。 8月18日、19日開催。 8月28日、29日開催。 日本武道館での開催は2014年ツアー以来4年ぶり。 9月6日、7日開催。 前回ツアー開催時は「盛岡市アイスアリーナ」。 9月12、13日、2019年1月8日、9日開催。 9月22日、23日開催。 9月29日、30日開催。 10月5日、6日開催。 10月12日、13日開催。 10月18日、19日開催。 5月14日、15日開催。 前年に続いての開催。 5月21日、22日開催。 前年に続いての開催。 6月1日、2日開催。 四日市ドームでの開催は2016年ツアー以来3年ぶり。 6月19日、20日開催。 長野ビッグハットでの公演は2011年ツアー以来8年ぶり。 6月26日、27日開催。 前年に続いての開催。 2日間ともVTR収録を行った。 7月4日、5日開催。 前年に続いての開催。 7月18日、19日開催。 前年に続いての開催。 7月30日、31日開催。 後にスターダスト・レビューのアルバム『ALLWAYS』 2008年11月17日発売 に収録された。 軽部真一とはスケジュールの都合で不参加。 この日は自身の62歳の誕生日であり、南こうせつの音頭で観客から『ハッピーバースデー』の合唱で祝福した。 また、でもイベントの模様が生中継されたが(13:00-18:00、18:45-20:00)、自身が出演した時間帯は大河ドラマ『』を放送していたため、出演部分が放送されなかったが、同年10月18日にで放送された総集編ではオンエアされた。 ちなみに演奏曲目は『ひとりきり』(。 シングル『』のB面曲)と『今日も どこかで』。 「たしかなこと」、「Yes-No」、「ラブ・ストーリーは突然に」、「キラキラ」、「言葉にできない」、「その日が来るまで」の6曲を演奏。 ()2013年9月10日号(29ページ)より。 オフコース時代にのCMソングを歌ったことがある。 関連項目 [ ]• (、大学時代からの友人) 楽曲提供・プロデュース• (1970年4月5日 1970-04-05 )• (1971年10月5日 1971-10-05 )• (1972年4月25日 1972-04-25 )• (1973年2月20日 1973-02-20 )• (1974年4月5日 1974-04-05 )• (1974年10月20日 1974-10-20 )• (1976年5月5日 1976-05-05 )• (1976年10月5日 1976-10-05 )• (1977年2月5日 1977-02-05 )• (1977年8月5日 1977-08-05 )• (1977年11月20日 1977-11-20 )• (1978年4月5日 1978-04-05 )• (1978年7月20日 1978-07-20 )• (1979年1月20日 1979-01-20 )• (1979年6月5日 1979-06-05 )• (1979年12月1日 1979-12-01 )• (1980年3月5日 1980-03-05 )• (1980年6月21日 1980-06-21 )• (1980年12月1日 1980-12-01 )• (1981年6月21日 1981-06-21 )• (1981年12月1日 1981-12-01 )• (1982年2月1日 1982-02-01 )• (1982年6月10日 1982-06-10 ) (1984年 1984 — 1989年 1989 )• (1984年4月21日 1984-04-21 )• (1984年7月18日 1984-07-18 )• (1984年9月21日 1984-09-21 )• (1985年2月21日 1985-02-21 )• (1985年5月22日 1985-05-22 )• (1985年9月21日 1985-09-21 )• (1985年11月30日 1985-11-30 )• (1987年3月4日 1987-03-04 )• (1987年5月25日 1987-05-25 )• (1988年1月25日 1988-01-25 )• (1988年7月25日 1988-07-25 )• (1988年10月25日 1988-10-25 )• (1973年6月5日 1973-06-05 )• (1974年5月5日 1974-05-05 )• (1975年12月20日 1975-12-20 )• (1976年11月5日 1976-11-05 )• (1977年9月5日 1977-09-05 )• (1978年10月5日 1978-10-05 )• (1979年10月20日 1979-10-20 )• (1980年11月21日 1980-11-21 )• (1981年12月1日 1981-12-01 )• (1982年7月1日 1982-07-01 )• (1982年9月21日 1982-09-21 ) ファンハウス• (1983年11月3日 1983-11-03 )• (1985年8月31日 1985-08-31 )• (1989年1月25日 1989-01-25 )• (1989年1月25日 1989-01-25 )• (1989年1月25日 1989-01-25 )• (1989年1月25日 1989-01-25 )• (1989年1月25日 1989-01-25 )• (1989年1月25日 1989-01-25 )• (1989年2月1日 1989-02-01 )• (1990年9月5日 1990-09-05 )• (1998年3月28日 1998-03-28 )• (1998年5月21日 1998-05-21 )• (2006年12月6日 2006-12-06 )• (2015年12月16日 2015-12-16 ).

次の

小田和正『坂道を上って』歌詞の意味・考察と解釈

小田 和正 とき を こえ て

小田和正のプロフィール• 生年月日 1947年9月20日• 出身地 神奈川県横浜市金沢区• 身長 172cm• 血液型 A型• 趣味 ゴルフ・絵画・散歩• 最終学歴 東北大学工学部、早稲田大学理工学部建築科修士課程卒業 オフコースとして一世を風靡し、ソロ活動でも数々の大ヒット曲を世に送り出してきた小田和正さん。 美しい歌声で泣かせる名曲が多いのも小田和正さんらしさかもしれません。 私生活に謎の多い小田和正 70歳を超えてなお、ミュージシャンとして最前線で活躍し続けている小田和正さん。 その私生活については自ら語ることはなく、プライベートは謎に包まれています。 小田和正さんと鈴木康博さんは2人ともが第1希望の栄光学園中学に合格できず、受かっていた聖光学院に入学したそうです。 第1希望の失敗は当人には小学生時代の苦い思い出かもしれませんが、後の成功を考えると運命だったのかもしれません。 1969年のコンテスト出場がプロの道へ進むきっかけに 高校3年時の学園祭にて、小田和正さんと鈴木康博さんに加え須藤尊史さん、地主道夫さんというオフコース結成メンバーが揃って初演奏を行いました。 それぞれ大学に進学後もアマチュア音楽活動を続けていましたが、1969年に転機が訪れます。 「ヤマハライトミュージックコンテスト」の東北地区大会に出場し、なんと1位通過で全国大会に進出したのです。 優勝して音楽活動のけじめにするぞと意気込んで臨んだ全国大会で、結果は惜しくも2位となります。 しかしこの結果が「このままじゃ終われない」と、プロの道に進むきっかけとなったようです。 もし優勝していたらオフコースは無かったと考えると、この結果もまた当人には辛く悔しい結果でしょうが、ファンからするとうれしい敗北でしょう。 オフコースは数々のヒットを飛ばすも、鈴木康博が脱退 オフコースには「さよなら」「言葉にできない」「愛を止めないで」など名曲が非常に多くあります。 当時はテレビに出て人気を獲得するのが主流でしたが、オフコースはテレビの音楽番組には出ませんでした。 レコードとコンサートにとことん注力することを頑なに貫いたバンドだったのです。 1982年には運命の出会いを果たした鈴木康博さんが脱退し、メンバーの入れ替えを行いながらも、変わらず数々の名曲を世に出していきました。 1989年、オフコースが解散!ソロ活動が本格化 1989年にはついにオフコースは解散となります。 解散時に結成メンバーとして残っていたのは小田和正さんだけでした。 東京ドームで行われた解散コンサートは、集まった5万人が涙を流すファンには忘れられないシーンとなったようです。 ファンにとっては悲しい解散でしたが、小田和正さんはその後はオフコース時代にもしていたソロ活動を本格化させ、精力的に動きだします。 1991年「ラブストーリーは突然に」が大ヒット! そして1991年、月9ドラマの「東京ラブストーリー」の主題歌「ラブストーリーは突然に」がリリースされます。 日本全国が「ラブストーリーは突然に」を聞き、誰もが「東京ラブストーリー」に感化されるような一時代を築きました。 この「ラブストーリーは突然に」で、オフコース時代には成しえなかった「オリコンシングル1位」「ミリオンセラー突破」を遂に達成します。 この結果で小田和正さんはヒットメーカーとして認められ、「伝えたいことがあるんだ」や「キラキラ」など次々とヒット曲を生み出していきます。 1998年、自損事故を起こし重傷を負う 2002年2月27日発売のソロとして通算21枚目のシングルCDです。 フジテレビ系のテレビドラマ『恋ノチカラ』の主題歌として発表されました。 実は「ラブ・ストーリーは突然に」以来のドラマ主題歌であり、小田和正さんの発売したCDの中で、21世紀では一番の売上を記録しています。 小田和正は子供はいないが奥さんとは仲良し 小田和正さんは奥さんとは付き合いも長く、子供はいませんが、それもお2人の決められたことのようですし、今も仲良くされているようです。 運命的なオフコースの結成や解散、大事故や実父を亡くすなどのトラブルも超えて、今も美しい歌声を聞かせてくれる小田和正さん。 これからもたくさんの心を震わせる名曲を生み出してことをファンも心待ちにしていることでしょう。 あなたにオススメ.

次の