西成 区 あいりん 地区。 西成暴動

あいりん地区

西成 区 あいりん 地区

多くの場合、発展途上国の郊外に広がるゴミ山や狭い通路、暗い街並みをイメージする場合が多いのではないでしょうか。 愛隣地区とも表記され、旧来からの地名である 釜ヶ崎とも呼ばれる。 宿泊料金が安いため、近年はバックパッカーの宿泊地としても人気を集めている。 Wikipediaより いわゆる、『ドヤ街』ということですね。 宿泊料金が非常に安く、近年はバックパッカーの利用も増えているようです。 あいりん地区で泊まってみた かくいう僕も、実はバックパッカー。 そんなわけで、『あいりん地区』へ行って泊まってみました。 早速、最寄りの新今宮駅から歩いてみます。 西成を歩く 歩き始めて、まず目にするのは 『あいりん総合センター』です。 ここはかつて労働福祉センターやハローワークが入っていたようで、日雇い労働者の多く集まる場所だったようです。 しかし、現在では老朽化し、耐震問題から建て替えが決まっているようです。 建物を閉鎖している壁には、移転反対のポスターや釜ヶ崎暴動(西成暴動)の歴史などが書かれていました。 少し歩くと、 『あいりんシェルター』という看板を見つけました。 ベッドは約500床あり、利用は一日単位で、17時20分から配布される整理券をもらう必要があるようです。 雑多な雰囲気のドヤ街から、日本一高いビルが見える風景には少し妙な違和感を覚えます。 三角公園につきました。 こちらは、 萩之茶屋南公園というのが正式名称だそうで、三角公園というのは通称なんだそう。 名前の通り、敷地は三角形をしており、公園内には簡易な住居がたくさん建てられています。 ここでは、ときどき炊き出しなども行われているようです。 あいりん地区には、三角公園のほかに 四角公園というものもあります(写真右のフェンス内)。 こちらは 萩之茶屋中公園というのが正式名称のようです。 こちらも、三角公園と同様に簡易な住居がいくつか建っており、周辺には激安の100円お好み焼きの屋台や、ひたすら安いラーメン屋などがあり、激安グルメ?を楽しむことができます。 街のなかの自販機を見てみると異常に安い。。。 モノによっては500mlのペットボトルで20円とかのものもありました。 また、この周辺の名物と言えば ホルモンでしょう。 写真に撮るのを忘れてしまいましたが、 『やまき』はテレビやYouTubeでもたびたび紹介される有名店ですので、ぜひ行ってみてください。 あいりん地区に泊まる さて、今晩泊まる宿を探していきます。 え!?500円?? なんと 一泊500円の宿(旅館かなめ)がありました。 泊まろうと思い、宿の人に話してみると、連泊でないと泊まれないのだとか。 他の宿を探してみますが、1500円とか1200円とか、どこも1000円以上のところばかりです。 まぁ、それでも充分安いんですけどね。 あまりにも見つからないので、結局、で検索して宿を見つけました。 見つけた宿の価格は 一泊980円!激安です。 部屋に入ってみます。 広さは3畳とやや狭さは感じますが、荷物がそこまで多くないので問題ありません。 これが入り口側の写真です。 テレビ• 冷蔵庫 は備え付けられており、風呂は大浴場がありました。 宿で一休みしたら、夜の街に出てみます。 大阪の新世界が近いのもあいりん地区のいいところです。 少し足を延ばせばこんな風に大阪らしい風景を見ることができます。 以下に、僕が西成に泊まった時の動画を載せておくので、よかったら参考にしてみてください!.

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大阪西成ドヤ街「あいりん地区」の今…売春・闇市・暴動など、危険な実態とは?

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秋山謙一郎 [フリージャーナリスト] あきやま・けんいちろう/1971年兵庫県生まれ。 『弁護士の格差』『友達以上、不倫未満』(以上、朝日新書)、『ブラック企業経営者の本音』(扶桑社新書)、『最新証券業界の動向とカラクリがよーくわかる本』『いまこそ知っておきた い! 本当の中国経済とビジネス』(以上、秀和システム)など著書多数。 共著に『知られざる自衛隊と軍事ビジネス』『自衛隊の真実』 別冊宝島)などがある。 週刊ダイヤモンドでの主な参加特集は、『自衛隊 防衛ビジネス 本当の実力』『創価学会と共産党』がある。 JAPAN Another Face 白昼の世界からは窺い知ることのできない、闇の世界や夜の世界。 日本社会の「もうひとつの貌」に迫る。 泥棒市に並ぶ衣類や靴はどれも中古品ばかり。 児童ポルノや不正入手した医薬品も売られている 労働者と路上生活者の街・西成の朝は早い。 かつては、「もっと大勢の露天商がいた」(地域で暮らす路上生活者・60代)というが、今では行政や警察による取り締まりもあってか、その数はめっきり減ったという。 ここでは労働者の街らしく作業着や作業用ヘルメット、安全靴といった建設道具各種のほか、洋服、靴、時計、CDにDVDなども売られていた。 地域住民によると中古車が売られていることもあるという。 露天商の1人に写真撮影はいいかと尋ねると、真顔で「100万円出せ」と言う。 もし隠し撮りがバレると「誰かにボコボコにされるで!」と忠告された。 周囲の人たちも黙って頷く。 そんな泥棒市を廻っていると露天商の1人から声をかけられた。 「お兄ちゃん、DVDどうや?若いのは高いけど熟女やったら1000円でええで!」 手作り感溢れるそのDVDには、「綾乃・71歳」というタイトルが付けられている。 「若い子のないの?」と記者が問うと、その露天商は心なしか困惑した表情を浮かべ、「ちょっと高いで…」と言いながら鞄の中からDVDを取り出す。 「2500円や!」と露天商は言う。 そのタイトルは、「こころ・10歳」と書いてある。 あきらかに10歳前後と思われる女児の全裸写真がDVDに貼り付けてあった。 これは違法DVDではないか。 記者がそう問うと、この露天商は記者に諭すような静かな口調でこう言った。 「ここに法律なんてあらへんわ。 堅いことゆうたらあかん。 ストレス溜まるで!」.

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大阪市西成区は治安が悪い?飛田新地やあいりん地区とは?

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概要 [ ] 暴動の現場となっているあいりん地区は、のとともに()として有名な地域である。 日雇いの労働条件は決して良くはなく、及びそれらを束ねるなどにピンハネされるなど、鬱積した感情が高まっており、暴動発生の温床となっていた。 はに発生している。 その頃の暴動は、ある意味「 自然発生的」な暴動事件であった。 そしてに入ると、 がを掲げてドヤ街に乗り込み、日雇い労働者を煽動するようになった。 からまでの13件の暴動は70年代前半に集中している。 その頃になると扇動者による計画的な暴動になってきている。 6月の第21次暴動を最後に17年間の空白があったが、にが発生した。 に入ってで起きた最初の暴動事件であった。 のから16年経った、が発生した。 各暴動一覧 [ ] 1960年代 [ ]• (1961年8月1日-8月5日) 日雇い労働者がに轢かれたの処理を巡って発生した暴動。 最初の西成暴動である。 (1963年5月17日-5月19日) 夜間作業のが意外に少なかったことに端を発する暴動。 (1963年12月31日-1964年1月5日) 求人が思ったよりも少なかった事に端を発する暴動。 (1966年3月15日) 立ち飲み屋の支払いを巡るで、日雇い労働者がに連行されたことに端を発する暴動。 (1966年5月28日-5月30日) の現場にいた野次馬が暴徒化した事件。 (1966年6月21日-6月23日) 屋の店員と日雇い労働者が喧嘩したことに端を発する暴動。 (1966年8月26日) 屋でのトラブルに端を発する暴動。 (1967年6月2日-6月8日) で支払った代金を巡るトラブルに端を発する暴動。 店の備品のほとんどを破壊した。 1970年代 [ ]• (1970年12月30日) 年末で求人が激減したことに端を発する暴動。 ちなみに活動家によるが始まるのは、この後からである。 (1971年5月25日-5月30日) 夜間作業の求人に来ていた業者とのトラブルに端を発する暴動。 新左翼活動家がこの暴動に介入し騒ぎを大きくした。 (1971年6月13日-6月17日) の管理人が玄関に寝ていた日雇い労働者をどかそうとしたことに端を発する暴動。 (1971年9月11日-9月15日) 果物屋の店員が酔っ払っていた日雇い労働者を転倒させたことに端を発する暴動。 果物屋が焼打ちされた。 (1972年5月1日-5月2日) 釜ヶ崎メーデーでされたのを求めた暴動。 新左翼活動家がこの暴動に介入し騒ぎを大きくした。 (1972年5月28日-5月31日) 労働組合員と手配師との喧嘩に端を発する暴動。 (1972年6月28日-7月3日) 第14次暴動の検挙者の釈放を求めた新左翼活動家とそれに煽動された日雇い労働者による暴動。 (1972年8月13日-8月16日) (釜共闘)ととのトラブルに端を発する暴動。 (1972年9月11日-9月15日) 新装開店したパチンコ屋が、の故障でただちに閉店したことに端を発する暴動。 (1972年10月3日-10月4日) 職員と日雇い労働者とのトラブルに端を発する暴動。 (1972年10月10日-10月11日) 釜共闘と手配師とのトラブルに端を発する暴動。 (1973年4月30日-5月1日) 中の求人減に不満を抱く日雇い労働者が釜共闘に煽動されて起こした暴動。 (1973年6月14日-6月30日) 酔っ払い同士の喧嘩に端を発する暴動。 1990年代 [ ]• (1990年10月2日-10月7日) あいりん地区を管轄するの署員が、暴力団から賄賂を貰ったことが発覚したことに端を発する暴動。 (1992年10月1日-10月3日) が行っていた資金貸付を、資金が尽きたことを理由に中止したことに端を発する暴動。 2000年代 [ ]• (2008年6月13日-6月17日) 飲食店の支払いを巡るトラブルで、日雇い労働者が警察に連行されたことに端を発する暴動。 参考文献 [ ]• 大阪府警察史編集委員会編『 大阪府警察40年の記録』大阪府警察本部、1998年 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。

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