勝手 に ふるえ てろ 考察。 【映画レビュー】「勝手にふるえてろ」が想像以上に面白かった

映画『勝手にふるえてろ』(2017) の感想は?【ネタバレあり】で魅力も解説!

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Contents• 映画「勝手にふるえてろ」とは? 「勝手にふるえてろ」は2017年12月23日に公開された、松岡茉優さん主演のラブコメディ映画です。 松岡茉優さんはドラマ「コウノドリ」の産婦人科医役で有名ですよね。 NHK連続テレビ小説「あまちゃん」にも出演していました。 原作は、2010年8月10日に出版された恋愛小説、綿矢りささんの「勝手にふるえてろ」です。 綿矢りささんは2001年に出版された「インストール」で小説家デビュー。 2004年には「蹴りたい背中」で芥川賞を受賞しました。 当時19歳という若さでの受賞。 最年少記録にもなりました。 金原ひとみさんと同時受賞でも話題になりましたね。 主人公の江藤良香(松岡茉優)は24歳のOLで、趣味は絶滅した動物について夜通し調べること。 オタクな一面を持つヨシカは、中学の同級生「イチ」(北村匠海)に10年間片思いしていました。 イチをモチーフに漫画を書くほど、恋い焦がれていたのです。 その想いは10年もの間冷めることはなく、未だにヨシカの脳内にはイチで溢れています。 運動会でイチに言われた「こっち見て、俺を見て」の一言を今でも忘れられません。 そんなヨシカでしたが、会社の同期の飲み会で自分のタイプではない「二」(渡辺大知)に強引に連絡先を交換させられます。 その後デートして、酔っ払った二から「俺と付き合ってください」と本気で告白されます。 タイプでないとはいえ、人生で初めて男性から告白されたヨシカ。 「人生初、告られた!」と舞い上がります。 しかし、今まで10年もの間脳内にいたイチの存在はやはり大きく、二に対してなかなか気持ちが動きません。 ついに「一目でいいから、今のイチに会いたい」とヨシカは思うようになってしまいます。 アメリカに転校した同級生の名前を借り、同窓会を開くことを思いつきます。 当日まで二とのデートは上の空。 待ちに待ったイチと再会の日の同窓会でしたが、中学時代とおなじようになかなかイチと会話することができません。 ですがなんとかイチのグループに加わり、二がヨシカにしたように無理やりイチと連絡先を交換したのでした。 ヨシカはイチと再び東京で会う約束を取りつけました。 果たしてヨシカは現実に生きるイチと両想いになることができるのでしょうか。 はたまたイチから卒業し、二と新しい人生を歩むことになるのでしょうか。 「情けなくも自分の信じるロマンに身も心も没頭する主人公が脚本にも受け継がれていて嬉しかった」とコメントしています。 映画でも原作のようなヨシカが楽しめるということですね。 主人公ヨシカ役の松岡茉優さんはヨシカを演じるにあたって、 「嘘がないこと」に気をつけていたそうです。 ヨシカは思案してから行動をするタイプではないので、何かを隠すような演技はしていないと語っています。 等身大でリアルなイマドキ女子が描かれているということでしょうか。 二役の渡辺大知さんは「黒猫チェルシー」でボーカルを担当しており、主題歌「ベイビーユー」を歌っています。 作曲も担当されたようで、この映画への自分なりの愛が伝わればと思って書いたと語っています。 その裏には、バンドとの両立に葛藤した10年があった。 日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞した後のドン底時代、NHK『まれ』での手応え、そして大好評の映画『勝手にふるえてろ』を語る。 — CINRA. NET CINRANET 監督は、二役の大和くんの歌声で閉めたいと思って黒猫チェルシーに主題歌をお願いしたそうです。 主題歌も映画の一部ということですね。 逃さずチェックしたいものです。

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【映画レビュー】「勝手にふるえてろ」が想像以上に面白かった

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芥川賞作家・ 綿矢りさの小説が原作。 映画『勝手にふるえてろ』が公開 2017年もあと少し。 今年は洋画・邦画ともにかなりの話題作があり、映画ファンは充実した一年を過ごせたはず。 しかし、「これを見ずして年は越せないだろ!」と言わなければならない映画が年末に公開されることになった。 その名も『 勝手にふるえてろ』。 芥川賞作家・ 綿矢りさの小説を原作に、脚本・監督は『でーれーガールズ』『恋するマドリ』などの 大九明子。 コンペティション部門で観客賞(一般観客からもっとも多くの支持を得た作品に与えられる)を受賞した。 邦画としては吉田大八監督『紙の月』以来、三年ぶりの受賞となった。 予告編はこちら。 (映画『勝手にふるえてろ』予告編) あらすじはこちら。 まったくタイプではないニへの態度は冷たい。 ある出来事をきっかけに「一目でいいから、今のイチに会って前のめりに死んでいこうと思ったんです」と思い立ち、同級生の名を騙り同窓会を計画。 ついに再開の日が訪れるのだが…。 劇中、松岡茉優演じるヨシカが「ファーーーーーーック!!」と叫んだり、「ファック!ファック!ファック!」と連呼したりするシーンがある。 まず、ヨシカを演じる 松岡茉優がとにかく素晴らしい。 テレビドラマ『あまちゃん』や『コウノドリ』、映画『ちはやふる』などで注目の女優が今回初めて主演をつとめることになったわけだが、これを機に、彼女が主演する作品は間違いなく増えていくだろう。 観客は彼女の一挙手一投足にキュンとなるに違いない。 会話劇における抜群の間の取り方(特に「……は?」の言い方が際立って素晴らしいので要注目)、光も影も感じさせる多面的な表情。 同世代ならばヨシカに自分を投影し、上の世代ならば自分の娘を見ているような気持ちになるかもしれない。 ついつい、「わたしたちの(俺たちの)ヨシカ」と言いたくなる。 それくらいの強烈に感情移入させるキャラクターがこの主人公にはある。 あまり空気が読めず、自分勝手で視野が狭く、コミカルだけどもウザさが目立つ。 しかし、あまりにも自分の気持ちに純粋でストレートな彼は、中盤からみるみる魅力を増していく。 彼には嘘がひとつもなく、嘘ばかりの世界で唯一信用できる存在として輝いていく。 かわいい男の子って、こういう人のことを言うのではないか。 渡辺大知にはこうした役が合う。 ストレートでキュートな男子を演じさせたら渡辺大知はピカイチだ。 2017年は黒猫チェルシーとして4年半ぶりにフルアルバムを完成させるなど音楽活動でも波に乗っていたが、役者として、日本の映像作品に不可欠な存在になりつつある。 原作から増えたキャラクターたち。 見事な脚本。 原作ファンにこそ見てほしい。 また、原作では登場しなかったキャラクターがたくさん登場する。 アパートの隣人(片桐はいり)、釣りのおじさん(古館寛治)、最寄駅の駅員(前野朋哉)、金髪の店員(趣里)などなど。 これらのキャラクターたちが非常に良い仕事をしていて、物語的にも重要な意味を持ち、映画に色彩とリズムと奥深さを与えている。 彼らの存在によって、ヨシカの心情は観客の心に突き刺さることになる。 映画版で付け足された完全にオリジナルの人物たちが、この映画が大成功だと言える大きな要因のひとつになった。 原作モノ映画は難しく、原作ファンと映画ファンが対立してしまうようなことがあるが、『勝手にふるえてろ』に関しては、そうしたことはほとんど起きないように思う。 なぜならこの映画は、原作小説のエッセンスを的確に抽出し、最大限に広げてみせたお手本のような映画だからだ。 こうした脚本、演出は、見事というほかない。 作り手としてこれから映画に関わる人にとって、『勝手にふるえてろ』は今後末長く「良い例」として参照される教材にもなるだろう。 作家や漫画家たちから絶賛のコメントが届いているので、一部を抜粋。 (作:花くまゆうさく) この小説を映画にするってどういうことだろう。 そう思っていた二時間前の自分に教えてあげたいです。 綿矢さんの作品ならではの痛みも、突飛さも、もどかしさも、開放感も、形を変えて全部ちゃんと襲いかかってくるよ、と。 朝井リョウ(小説家) この映画は、すごく変で、狂っていて、とても愛おしい。 ヨシカの中には、「恋」と「人間」が奇妙なまま標本になっている。 その純粋さからも、いびつさからも、目が離せない。 村田沙耶香(小説家) 描いた物語を、自分の思うように語りたい。 それが独り言であったとして、 語られる自分もまた他者になるような反復に、揺り動かされる主人公。 松岡茉優さんの、一歩引いてはいるがスレてはいない、絶妙な匙加減の眼差しが最高。 羽田圭介(小説家) 学生時代のドブ臭さは、大人になって抗ったところでどうやっても消えないものです。 映画後半の「うわ」と言わざるをえない展開は軽くヘコむレベル! 「陰キャ」というのは因果なものですねえ・・・。 ヒャダイン(音楽クリエイター) 2017年ベストを更新するかも…… イキイキとした二人の主人公、映画オリジナルのキャラクターと設定、原作との完璧な調和と優れた脚本など、見どころの多い『 勝手にふるえてろ』。 この映画に描かれている等身大の20代の恋愛と生き方は、観客に様々な感情を喚起させる。 コメディの衣をまといながら、ふるえるほどキュートで美しくて、泣ける。 見たあとには、ラストシーンのある人物のように叫びたくなるかもしれない。 公開は12月23日だが、もしかしたら本作を2017年ベスト映画に推す人もいるかも。 隠れた今年の大本命と言っていいだろう。

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「勝手にふるえてろ」のネタバレ&あらすじと結末を徹底解説|綿矢りさ

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C 2017映画「勝手にふるえてろ」製作委員会 ヨシカ 江藤良香 は、普通のOLとして生活しています。 しかし、彼女は生まれてこのかた異性との恋愛経験がなく、中学の時好意を抱いていたイチ 一宮 と脳内恋愛に日々耽っていました。 そんな彼女ですが、ある日突然会社の同期である霧島 二 に告白されます。 生まれて初めて異性から告白されたヨシカは喜びますが、彼女は脳内のイチの存在が忘れられません。 ヨシカは脳内のイチと二の間で心が揺れます。 ヨシカはイチへの想いを確かめるため、かつてのクラスメートで同窓会を開き、イチとの再会を果たすことになるがー。 映画『勝手にふるえてろ』のネタバレ感想 【解説】現実と妄想の間で苦しむ、ある意味リアルな人間の姿を描く物語 C 2017映画「勝手にふるえてろ」製作委員会 「勝手にふるえてろ」はヨシカが現実と妄想の間で苦しむ描写がよく描かれていました。 映画の冒頭から、ヨシカの荒唐無稽な妄想によるイチへの脳内恋愛模様が炸裂していますが、本作の事前情報を頭に入れていない場合は、最初は何がなんだか分からなかったですよね。 しかし、話が進むにつれて、ヨシカが凄まじいほどの妄想癖の持ち主で、一部の映像や登場人物がヨシカの妄想の産物であることが、なんとなく理解できたと思います。 このヨシカが見ている現実と妄想の、差や対比などを考えるのが面白いなと感じました。 ヨシカの妄想では、ヨシカの願望や都合の良いことが反映されているので、ヨシカ自体も生き生きとしています。 釣りをしているおじさんやバスで隣に乗るおばさん、そしてハンバーガーショップで働く可愛い店員。 これら全てはヨシカの都合の良いキャラクターか、ヨシカの願望を反映したようなキャラクターであると言えます。 ヨシカの妄想で出てくるキャラクターは、ヨシカの話をしっかりと聞いてくれるだけでなく、ヨシカのことを快く迎え入れてくれましたよね。 あの世界ではヨシカを脅かす存在はなく、彼女にとってはどこまでも安全で幸せな世界であるわけです。 しかし、現実は全くそうではありません。 霧島の存在や同僚の月島みたいに、助けてもらったり救われるような時もありますが、自分の心を脅かす存在が現実には常にいます。 本当はヨシカのことを気遣ってくれている優しい人がたくさんいるのですが、当のヨシカは脳内恋愛に忙しいので、そんなことは気にもとめていません。 このことに気づけないヨシカも、またちょっと不幸で可哀想だなと思うところ。 そんなヨシカにとって恐ろしい現実の世界では、ヨシカは妄想の世界のように、振る舞うことはできません。 強いて言えば、本当の自分の姿で振る舞えることができるのは、1人でいる自分の部屋の中くらいです。 実際にヨシカは、彼女の妄想世界では歌ったりはしゃいだりしていますが、現実の会社や自宅では無口で、周囲の人から見たらただのイタイ子でした。 本作は、上記のような現実と妄想の差がハッキリ描かれています。 2つの世界を巧みに映している映像は鑑賞していてとても面白いですし、2つの世界を比べて考察することもできることも本作の魅力です。 この現実と妄想の世界の話は他の映画でもよく見られますが、2つの世界がごちゃごちゃになる感じのものがあります。 ですが、本作は完全に分かれていており、決して交わらないのも特徴的です。 あくまでヨシカというちょっとイタイ子が思い描いているちっぽけな妄想なのですが、よく彼女の内面が描かれていて、その世界が全く現実で交わらないというのがある意味現実的とも感じられました。 本作は現実と妄想を扱っていますが、話的にはリアルに扱っていたのではないかとも感じました。 現実と妄想の描き方や使い方について意識してもう一度映画を鑑賞したら、また違った楽しみが生まれてくるかもしれませんね。 【解説】ヨシカと絶滅した生物アンモナイトについて C 2017映画「勝手にふるえてろ」製作委員会 主人公のヨシカは、現実と妄想の間で右往左往する女性です。 そんなヨシカは絶滅した動物が好きで、映画の中ではアンモナイトの化石を購入していましたよね。 イチとの会話でも絶滅した会話で盛り上がっていました。 ちょっと変わったヨシカの趣味ですが、この絶滅した動物であるアンモナイトは、この映画では重要なアイテムとなっています。 本作のキャッチコピーでもある「この恋、絶滅するべきでしょうか?」からも、絶滅という言葉からアンモナイトとつながりがあることは明らかでしょう。 まず、アンモナイトとは生きるために、自分の体を変化させて生き延びた生物です。 自分の体を変化させないと、自分を取り巻く環境で生きていけないから、アンモナイトは自ら変化しました。 この生きるために自分を変化させたということは、人間であるヨシカにも同じことが当てはまります。 ヨシカの子供時代は教室でキャラクターの絵を書いている内気な女の子でした。 恐らくですが、描写的に友達も多くなかったと思うので、とても寂しい思いをしていたはずです。 なぜなら、ちょっと喋ったイチに対して、あんなにも強い想いを募らせているのですから。 他人と本当に関わりたくないのなら、イチに恋心を抱くことはなかったでしょう。 だからヨシカは、現実では孤独だったのだと思います。 でなければ、あそこまで妄想を拗らせることはなかったはずです。 そんな孤独な状態のヨシカが生きるために、必要としたのがイチの妄想です。 このイチの妄想がなかったら、現実のヨシカはどうなっていたのか分かったものではありませんが、孤独という環境に、ヨシカは妄想という手段で生き延びていたのです。 アンモナイトが体を変化させたように。 イチの脳内恋愛の妄想は、ヨシカにとっては彼女の生存戦略でもあったわけです。 しかし、そんな都合の良い妄想もずっとは続きません。 それは映画の流れから見ても明らかですよね。 ずっと妄想で現実を生き抜くことは到底できないことは、想像に難くないと思います。 ここでヨシカは再び自分を変化させる必要があったのです。 妄想で生きる、イチを想い続けるという自分の気持ちを絶滅させることで…。 ここまで見ていくと、ヨシカは作中で2回自分を変化さているのがわかると思います。 1つは、イチと出会ったことから始まったイチへの妄想、2つ目は現実を直視し霧島とキスをした時です。 ラストで霧島とキスをしたのは、ヨシカが現実と向き合ったという意味でもあると思います。 アンモナイトが絶滅しないように変化したのと同じで、彼女は現実世界で絶滅しないために、再び自分を変化させたのです。 結果、ヨシカの脳内恋愛は絶滅しましたが、ヨシカ自身は生き残りました。 以上のことから、アンモナイトはこの映画を紐解く上で非常に重要な存在でした。 もう一度本作を鑑賞する場合は、アンモナイトを意識して鑑賞すると、新しい発見や気づきがあるかもしれません。 【解説】ヨシカの妄想が絶滅した瞬間 C 2017映画「勝手にふるえてろ」製作委員会 「勝手にふるえてろ」で個人的に印象に残っているシーンが、ヨシカの妄想が完全に絶滅してしまった瞬間です。 イチがヨシカの名前すらも知らなかったという事実を突きつけられ、ヨシカが叫びながらしゃがみこんでしまうシーンになります。 ヨシカにとってイチは脳内の中では、まるで神のような存在でした。 そんなイチと現実でようやく話をすることができ、絶滅した動物でも楽しく語り合ったのに、イチはヨシカの存在自体気にとめていなかったのです。 この時のヨシカの慟哭の理由は想像に難くありません。 ヨシカは現実で、興味のない人の名前を全く覚える気がありませんでした。 その最もたる例が「二」である霧島です。 仮ににも告白された人物であるにもかかわらず、ヨシカは全く名前を覚える気がありませんでした。 ヨシカにとって名前を覚えていないということは、現実の他人に全く興味がないということ。 イチがヨシカに興味がなく、ヨシカの名前を知らなかったように。 ヨシカが霧島の名前を覚えようとしない理由は、イチがヨシカの名前を知らない理由と同じなのです。 だからイチがヨシカの名前を知らなかったことは、ヨシカのことを全く気にもとめていないことであり、イチにとってヨシカは無関心でどうでもいい存在である。 イチにとってのヨシカは、ヨシカにとっての霧島と同じような関係なのです。 恐らくですが、ヨシカの妄想はちょっとしたことでは、絶滅することはなかったと思います。 ヨシカが今まで接してきた他人との関わり方を、似たような形で大好きなイチに振る舞われたから、ショックであっという間に強固だったヨシカの妄想が絶滅してしまったのだと思います。 そう考えるとヨシカの慟哭は、長い時間も含めて考えると、想像し難いほどの絶望だったのではないでしょうか。 そのため、あのヨシカの慟哭のシーンは強く印象的に残るのです。 【解説】不安定のヨシカを演じる松岡茉優の演技に感嘆! C 2017映画「勝手にふるえてろ」製作委員会 「勝手にふるえてろ」の見どころの1つに、松岡茉優さんの演技は外せないと思います。 松岡さんが演じたのは、脳内恋愛で現実と妄想の世界をいったりきたりしているヨシカ。 このヨシカですが、妄想ではかなりはっちゃけていて、明るい感じのヨシカですが、現実では融通も何もきかないようなイタイ子でした。 この現実と妄想で別人のようなヨシカの演技の使い分けが素晴らしく、ヨシカの内面と現実の上辺をよく演じていて、違和感がありません。 この松岡さんの演技がなければ、ヨシカというキャラクターをうまく描けなかったと思います。 現実と妄想のヨシカを使い分ける演技だけでなく、妄想が絶滅してしまうところからの不安定なヨシカの演技もすごいです。 まず、ヨシカがイチから全く興味を持たれていなかったことを悟って、叫びながらしゃがみこんでしまうシーンは圧巻でした。 あのシーンだけで、ヨシカの大切な何かが壊れてしまったのだなと一発でわかり、絶望感がかなり伝わってくる迫真の演技です。 その後のヨシカは、長年すがってきた妄想に依存することもできず、どこかぼーっと過ごしている時もあれば、急に激しい独り言をつぶやいたりなど、不安定な様子が違和感なく演じられています。 独り言でマシンガントークの如く喋りだしたり、汚い言葉を次々と吐き散らかすシーンは、コメディ的な見方もできますし、ヨシカの不安定さをよく表していて趣深い演技だと思いました。 それだけでなく、妄想を失ったヨシカは恋愛経験もないただの初な女性です。 霧島に詰め寄られて、我慢できずに逃げ出したりしたシーンなどで、ヨシカが初であることがまるわかりですよね。 前半は妄想の脳内恋愛を明るく楽しんでた様子をみせていたヨシカですが、初で不安定なヨシカになっています。 まるで、ヨシカの中にはいくつかの人格があるような感じでしたね。 これらヨシカの人格を、演技できっちり演じ分けることの凄さは映画を鑑賞していて面白いだけでなく、一体松岡さんはどれだけのキャラクターを演じられるのだろうと驚きました。 松岡さんの演技とビジュアルがなければ、「勝手にふるえてろ」はここまで話題にならなかったのではないでしょうか。 もう一度本作を鑑賞する時は、松岡さんの巧みな演技に注目して鑑賞すると、きっと本作の面白さが増すはずです。 【考察】ラストシーンの赤い付箋と最後のセリフの意味とは? 「勝手にふるえてろ」を鑑賞し終わって、真っ先に考えることが本作のラストシーンだと思います。 意味ありげな赤い付箋とヨシカの最後のセリフでありながら、タイトルでもある「勝手にふるえてろ」というセリフ。 ここでは、そんな本作のラストシーンに対する個人的な考察を書いていきたいと思います。 まず、意味ありげな赤い付箋に関することですが、これは霧島がヨシカにプレゼントしたものです。 ヨシカはこのプレゼントである赤い付箋をもらった時は、全く嬉しそうではありませんでしたが、ラストシーンでこの赤い付箋が重要なアイテムとなっています。 ラストシーンで赤い付箋はヨシカから離れ、雨で濡れた霧島の体に付着します。 そしてその赤い付箋が濡れるシーンがありました。 これはヨシカが霧島を受け入れたことでもあり、彼女が現実としっかり向き合ったという意味だと思います。 このラストシーンでヨシカは初めて霧島のことを「二」ではなく、「霧島」という名前で呼んでいました。 ラストシーンまでヨシカは、霧島を名前で呼ぶことは全くありませんでしたよね。 これは、記憶力がないということではなく、現実で霧島に興味がないという意味です。 現実に興味がなく、イチの妄想の方に夢中なヨシカにとっては、現実のことや現実の人間には興味の範囲外だったのでしょう。 だから、ヨシカは現実で他人の名前など覚える気がなかったのだと思います。 そんなヨシカがラストシーンで霧島と呼んだのは、実はかなり大きな変化だったわけです。 そしてそんな霧島の存在を、ヨシカはようやく受け入れることができ、そのことを意味しているのが赤い付箋になります。 霧島から貰った赤い付箋が霧島の体で濡れる。 ラストシーンの赤い付箋はヨシカのことであり、ヨシカが霧島のことを受け入れたという意味だったのではないかと思います。 そして最後のセリフである「勝手にふるえてろ」。 様々な意見がありますが、個人的にはヨシカが自分に向かって言い放った言葉なのではないかと思っています。 イチとの脳内恋愛を楽しむヨシカは現実では非常に脆い存在でした。 他人から寄せられる好意にもまともに応えることはできず、1人でぶつくさ意味不明なことをつぶやく。 あげく、自分の脳内恋愛が壊れた時は、その場で泣き崩れる哀れとも言えるほどか弱い。 イチとの脳内恋愛を楽しんでいたヨシカは、現実では自分の周りの環境に震えてる弱い存在なのです。 しかし、現実の霧島を受け入れたヨシカは、かつてのイチの脳内恋愛を楽しむヨシカではありません。 ラストシーンのヨシカはそんな脳内恋愛を楽しんでいたヨシカとは決別したヨシカです。 そんな脳内恋愛と決別したヨシカが、かつての脳内恋愛を楽しんで、現実では震えていた過去のヨシカ自信に言い放った言葉。 それが「勝手にふるえてろ」というセリフだったのではないでしょうか。 こうしてみると、最後の「勝手にふるえてろ」というセリフは、ヨシカの最後の妄想であるので、非常に感慨深い終わり方だと思います。

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