歌手 宮本 浩次。 宮本、独歩。 [通常盤][CD]

宮本浩次 going my way 歌詞

歌手 宮本 浩次

スポンサーリンク 宮本浩次の出身地 宮本浩次さんは、東京都北区赤羽の出身です。 北区立赤羽台中学校時代に、ディープ・パープル、レインボー、RCサクセションなどのコピーバンドを組み、翌年には、地区予選に出場し、のちにデビュー曲となる「デーデ」を作り披露し、エレファントカシマシがスタートしました。 宮本さんは赤羽出身ですが、特に赤羽に思い入れはないと語っています。 しかし、アルバムのジャケットが赤羽の商店街の写真だったり、1997年に大ヒットした「今宵の月のように」のプロモーションビデオに赤羽の新川土手が登場したり、赤羽台団地内でプロモーションビデをを撮影したりしています。 この赤羽台団地は、実は宮本さんの実家。 宮本さんは、24歳で実家を出て一人暮らしするのですが、暮らした場所は、なんと同じ団地の別棟。 理由としては「ご飯を食べに行けるから」とのことで、実際、24歳の時に大失恋をしてライブもほとんどできないほどブルーになっていた宮本さんは、1ヵ月の半分は実家でご飯を食べていたとか。 スポンサーリンク 宮本浩次の家族 宮本浩次の父親は雪印? 2002年に閉鎖してしまいましたが、雪印乳業の東京工場が東京都北区にあり、宮本さんの父は営業マンとして働いていました。 このことは、2008年に「宮本浩次100問突撃」というインタビューをされた際、ミュージシャン以外の仕事をするならの問いに「スーツを着て、サラリーマン」と答え、父が雪印の営業マンだったことを告白しています。 宮本さんは、デビュー当初は、父親に借りたジャケットをステージ衣装として着ています。 そんな父親は、音楽活動に反対していたようです。 宮本浩次の5歳年上の兄貴 宮本さんには、5歳年上の兄がいます。 年が離れていることもあり、小さい頃から可愛がられていて、「僕は猫かわいがりだった」と語るほど、ひたすら愛をそそがれていたようです。 宮本浩次の最愛の母親 小さい頃、家族で初詣に車で行く時には、宮本さんと一緒に、後ろの座席に座り歌っていたという母は、バンドをすると言った時にも賛成してくれた、宮本さんの唯一の理解者だったようです。 エレカシのライブを見にきた71歳だった母は、耳栓をしてきたとか。 理由は「あんたの声がうるさいから」。 スポンサーリンク ボーイ・ソプラノのスターだった小学生時代 【本店2F野球ジャケ新入荷】NHKテレビ『みんなのうた』より'76年に発売された宮本浩次のシングル『はじめての僕デス』。 エレファントカシマシのヴォーカリスト小4時代のソロデビューシングルであることは、もはやファンのあいだでは常識ですが、歌い方が既にエレカシ宮本になってることに驚くよね。 — サウンドパック本店 中古レコード・CD soundpak 宮本さんは、小学校3年生から5年生までNHK東京児童合唱団に入団して、声楽指導を受けていました。 ソロを任されるほど歌が上手くて、ボーイ・ソプラノのスター的存在でした。 NHK教育の「みんなのうた」で、小学生時代の宮本さんの歌声が流れていました。 あるテレビのトーク番組で、泉谷しげるさんにその話しをすると「だからか~」と泉谷さんが納得。 だから宮本さんの声は良いとのこと。 この合唱団を勧めてくれたのが母親でした。 歌が好きだった宮本さんを合唱団に入れちゃおう!と入団させたそうです。 小学5年生の時、歌うことが恥ずかしくて辞めてしまいましたが、母親には照れながらも感謝していたそうです。 カテゴリー•

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宮本浩次 ハレルヤ 歌詞

歌手 宮本 浩次

88年(22歳)エレファントカシマシとしてシングル「デーデ」でデビュー。 97年(31歳)エレファントカシマシのシングル「今宵の月のように」がヒット。 ・年齢が離れた兄がいる。 ・乗り物が好きだった。 将来、タクシー運転手か新幹線の運転士になりたいと思っていた。 ・小学校時代、給食の時間にクラスメイトの前で面白い話をするのが好きだった。 ・中学時代、バドミントン部。 ・中3の時、エレファントカシマシを結成。 メンバーは全員同級生。 メンバーのひとりと中学校の入学式で仲良くなった。 「エレファント」は映画「エレファントマン」、 「カシマシ」は「かしまし娘」から取ったような気がするが記憶が定かではない。 ・高校時代、太宰治を耽読。 ・高校時代、反復横跳びが好きだった。 左耳の手術を受けた。 病気を機に禁煙した。 ・好きな音楽…日本の歌謡曲(大ファン)。 ・火鉢を暖房器具として使って一酸化中毒になった事がある。 ・緊張すると髪の毛をかきむしる癖がある。 ・家賃4万円の公団住宅に住んでいた。 ・他のアーチストのライブを観てよく泣く。 ・散歩が好き。 昔の街道や屋敷跡を見て歩く。 ・首都高速をゆっくりドライブするのが好き。 ・ポルシェに乗っていた。 ポルシェに乗るのは小6の時からの夢だった。 1ヵ月で7000㎞走った事があった。 ・37歳の時、知人に貯金を全部盗まれて、当座の金の為にポルシェを売った。 ・彼女に誕生日プレゼントで図書券をあげて「親戚のおじさんみたい」と言われた事がある。 ・秦基博…高校時代にバンドでエレカシをコピー。 ・光浦靖子…高校時代から宮本の大ファン(エレカシのファンクラブに入った)。 ・博多大吉、本上まなみ…宮本のファン。 ・大杉漣…エレファントカシマシのファン。 よくライブに行く。 ・金田哲(はんにゃ)、篠山輝信、西野亮廣、恵俊彰、森脇和成、 木村佳乃、相楽樹、成海璃子…エレファントカシマシのファン。 ・江角マキコ…交際を噂された。 ・NHK「みんなのうた」で歌った「はじめての僕デス」が10万枚以上のヒット(=76年)。 ・高校卒業後、レコード屋でアルバイト。 髪の毛をかきむしる癖のせいで3日でクビになった。 ・20歳でデビュー後7年間ヒット曲が出なかった。 ・27歳の時、レコード会社に契約を切られ、 毎週レコード会社関係者にテープを持ち込んで自ら売り込んだ。 ・エレファントカシマシの主なアルバム… 「明日に向かって走れ 月夜の歌」「STARTING OVER」「昇れる太陽」 ・ギターはデビュー後にやりはじめた。 ライブで全然弾けなくてファンに唖然とさた事がある。 ・「RESTART」のPVで髪を切った(=17年)。

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宮本、独歩。 [通常盤][CD]

歌手 宮本 浩次

宮本浩次は自らの54歳の誕生日である6月12日にバースデーライヴなるものを行った。 コロナウイルスで世間が混乱している中通常のライブハウス等では行えないので急遽wowowで無料ライヴという形で配信された。 彼が数々の名曲を生み出している作業場から生中継である。 宮本は今回のライヴをアルバム名と同様に『宮本、独歩』と銘打った。 本来であるならばツアーを行うはずであったにも関わらず新型コロナウイルスの影響の為中止せざるを得なくなってしまった。 私も高い倍率競争に勝ち抜き参加券を手に入れたにも関わらず中止になってしまい実に残念、無念であった。 正直、『宮本、独歩』の為に今年は生きていたといっても過言ではない。 然し、私以上に深く落胆した人物は宮本浩次自身であろう。 然し彼は諦めなかった。 どうすれば自分の歌を我々ファンに届けられるか模索した結果が今回のオンラインライヴである。 ライヴが発表された時私は大変に嬉しかった。 また、宮本の声が聞けると。 然しそれと同時に暗澹たる不安も生じた。 どうかすれば怒って帰ってしまうのではないか。 然しそんな不安も杞憂に終わった。 宮本はステージでもオンラインでも自らの溢れんばかりのエネルギーを解き放てる男なのであった。 セットリスト 宮本は見慣れた革製のソファーにアコースティックギターを持って着席していた。 目の前にはこれまた見慣れたテーブルとその上に何やら薄い本とぺんが置いてあった。 おもむろに本ペンをとるとサラサラと何かを書きそしてそれをカメラの方へ向けた。 薄い本の正体は『宮本、独歩』のパンフレットであった。 そこに些か見えにくかったが『ひきがたり』と書いたのである。 当日のお召し物は革靴に黒いスキニーパンツ。 ハリウッドの白シャツに黒を基調とした白い斑点のついたネクタイでジャケットは黒のダブルジャケットであった。 成程、今回のオンラインライヴは座って弾き語るのだなと思ったのも束の間。 一曲目の『夜明けのうた』が始まるとすぐに立ち上がって画面から見切れてしまった。 すると画面が切り替わりさぎょうばのぜんたいふうけいが映し出された。 そこには何台もの無人カメラが準備してあったのだ。 宮本は歌唱中縦横無尽に作業場を行き来していた。 『冬の花』も同様に縦横無尽に移動し鬼気迫って歌い上げていた。 最初からよく声が出ていた。 『孤独な旅人』は今の宮本と重なるものが多くて様々なことを思っていたら涙が出そうになった。 『孤独な旅人』が終わると準備されたスタンドマイクの前に立った。 ギターを変え「フェンダージャガー」と紹介して『悲しみの果て』が始まった。 後半のアレンジは天に突き抜けるような宮本の高音が聴けた。 石巻で行ったフェスと同様のアレンジであった。 このアレンジを聞く度、エレカシ浪人中の下北シェルターで初披露された初々しい『悲しみの果て』を思い出す。 宮本はmacの前に移動して何かを説明しようとしたが言葉が出なかったらしく諦めてボタンを押した。 すると『解き放て、我らが新時代』の打ち込みビートがなり始め宮本が暴れ始めた。 大変格好良い。 曲が終わり再びギターチェンジ。 今度はレスポール。 そして軽快な『going my way』が始まった。 曲の終盤宮本がどこかに消えて何かを持ってきた。 曲が終わってから彼の紹介で何かが判明した。 『月桂冠 THE SHOT』である。 一応説明しておくと宮本はこのcmに出演しcmソングに起用された曲が『going my way』である。 再びアコースティックギターにチェンジして高橋一生氏に提供した楽曲『君に会いたい-Dance with you-』をセクシーにそれでいてワイルドに歌い上げた。 次いで椎名林檎氏の紹介をした後コラボ曲である『獣ゆく細道』を歌い上げた。 女性パートも自らのパートも歌っていた。 女性パートを歌う時は若干内股だった。 そしてエレファントカシマシのヒット曲『俺たちの明日』である。 アコースティック一本のはずであるが開幕私は一瞬バンド演奏に聴こえた。 先ほどのようにパソコンから音源を流しているのかとも思ったがどうも違う。 私の幻聴だったようだ。 宮本は縦横無尽に動き回りついに作業場の扉を開けてスタッフがちらと写ってしまった。 皆、嬉しそうに笑っていた。 続いて椅子に座り直しアコースティックを弾き始めた。 聴きなれないコード進行であったから新曲か?と思ったがまさか以外の『赤いスイートピー』であった。 今回もCovers、Mステ同様原曲キーであった。 一音一音噛みしめるように丁寧に歌っていた。 次いで『デーデ』のイントロを弾き始めた瞬間に中断した。 何か、と思ったらどうやらチューニングが狂ってしまったようだ。 チューニーングをし終わった後弾き始めたのはまさかの『珍奇男』であった。 『赤いスイートピー』からの『珍奇男』は誰も予想出来ないだろう。 カメラに向かってまるで誰かを小馬鹿にするように狂気を孕んだ表情で歌っていた。 次いで『デーデ』これもまた何か今の世間の風を嘲笑うような歌い方であった。 東京スカパラダイスオーケストラの紹介をして歌い始めた。 足りないピースは自らの声で補っていた。 力強い歌い方であった。 そして「行こうぜ」と言って始まったのが『旅に出ようぜbaby』縦横無尽に動き回りながら陽気に歌っていた。 流石にこの後半であるから宮本も疲れた様子であった。 そんな中で歌い始めたのは『昇る太陽』である。 アルバム『宮本、独歩』の中でもいや、最近リリース他の楽曲の中でも特に難しいであろう曲を持ってきた。 私は心配した。 然しそんな心配もすぐに忘れた。 宮本はとんでもない声量で歌い上げたのである。 私はヘッドフォンをして視聴していた故、まるですぐそばに宮本が歌っているかのような錯覚に陥った。 パワフルでハートフル。 私は余りの凄さに唖然とした。 正に咆哮。 彼は怪物である。 最後に宮本が「ありがとう」と言って『ハレルヤ』が始まった。 最後の曲とは思えないほど元気に動き回っていた。 椅子の上やテーブルの上。 そしてドラムに座って演奏し始めたりなど。 正に自由であった。 その姿に私は勇気を与えたれた。 こんなご時世だからこそ『バカらしくも愛しきこの日々を ああ涙じゃなく笑いと共にあれ ハレルヤ』という歌詞が身に染みる。 曲が終わり宮本は我々ファンに感謝の気持ちを述べた。 そして「第二部もあります」と言って作業場をさっていった。 私はしばらく待ったがどうやら第二部は7月に公開されるらしい。 前代未聞の試みであるオンラインライヴはこうして終わった。 まさしく圧巻の一言に尽きる。 観客が誰一人としていない空間で宮本がライブをやっていた。 それによってステージ上よりグッとパーソナルな彼を見ることができた。 さらには初期の頃のような反応してはいけないライヴをも思い出した。 このことから言えることは歌手、宮本浩次はいつの時代もどこの場所であっても真剣勝負、全力投球なのである。 赤裸の宮本浩次が全てを解き放った。 それは彼の新たな歴史を告げるシグナルだ。 私は其の様に思う。

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