も こう 創価。 創価学会の芸能人や有名人一覧【2019最新版】

生協(コープ)と公明党(創価)私の家ではコープをやっているのですが、母が宅...

も こう 創価

創価学会員です。 監禁とか軟禁をされたと言うのなら、警察に被害届けを出すべきですが、それをしなかったと言うことは、本人が嘘をついている可能性もありますね。 そもそも、信教の自由がありますから、するもしないも辞めるも辞めないも本人の自由です。 仮に、創価学会員の誰かが辞めるのを引き留めようと、話し合った場合、それは監禁や軟禁にはなりません。 無理に引き留めたり、力づくで引き留めたりされたのなら、監禁や軟禁になります。 大袈裟にネットで風潮し、創価学会のイメージダウンを図る他宗教者やアンチ、脱会者も多くいる世の中です。 創価学会のデマをネットで流し断罪された、他宗教者が現実にいるのですから、信用性は低いと思います。 実際の報道です。 よく読んでください。 彼女が創価学会を脱会したのは92年。 その二年前に夫を亡くし、娘たちと同居になった。 それと同時に、、近所の創価学会ブロック長(既婚者で現職の高校教師)が多い時は週に4回、Aさん宅を訪れるようになる。 しかも決まって夜に、だ。 娘さんはいまだ未婚。 そんな家に上がり込んで、明け方の4時まで居座るのである。 「可哀そうだ」----そういっては、娘たちの肩を揉んだりする。 恐怖を覚え、玄関に鍵をかけるとブロック長は、非常口のサッシをドンドン叩く。 ことここに至って、Aさん一家は創価学会を辞めようと決意。 脱会するやいなや、今度は地域の学会幹部が4~5人の集団で押しかけてくる。 制止を振り切って、勝手に居間へ上がり込んで居座る。 Aさん一家への口汚ない中傷、誹謗をわめきちらすのである。 近所には、Aは気が狂ったと触れ回り、ガス栓を細工するなどの嫌がらせ・・・・・・。 これがなんと1年半にわたって続いたという。 97年初夏、Aさんは彼らに対して遂に批判活動を始める。 その時実施されようとしていた東京都議選に対して、「創価学会の選挙違反を監視・告発し よう」と題された「創価学会による被害者の会」のビラを近所に配布し始めた。 その途端である。 全国から学会員がやってきて、Aさん宅を取り巻く。 監視、暴 言、暴力 ----ありとあらゆる嫌がらせがAさんたちを襲った。 いくら警察に届けても、まともに取り合ってくれなかったというのである。 現 実にそんなことがあるのかと、読者は思うに違いない。 選挙になると、どんなツテを介したのか公明党、、あるいは連立を組む自民党への投票依頼電話が舞い込 む。 「とにかく取ってくれないか」と、学会機関紙『聖教新聞』の購読を勧誘してくる学会員のしつこさ。 公立小学校に子供を入れてPTAの役員を仰せつかっ た。 ところが自分以外、他の役員たちは昔から知り合いの様子。 大方の人に とって、創価学会(員)との接点はこの程度にすぎないだろう。 勧誘の執拗さには辟易しても、、ちょっとした迷惑で、家庭でも職場でも、街角や電車の中でも 「創価学会の圧力」を感じることはなかろう。 しかし、その実態を知れば前述したAさんのように恐怖をおぼえざるを得ないのだ。 (中略) 1960 年代、拡大する創価学会にメディアは一応の警鐘を鳴らし続けてはいる。 例えば信者を獲得することで自らも功徳を受けるとする、強烈な入信勧誘=折伏が、 「寝ている老人を道路に引きずり出して」行われたり、「邪宗を信じれば地獄に落ちる」と他人の仏壇を壊したりする行動へ大手紙が批判を加えたのである。 そ れは今や、選挙への投票依頼や聖教紙購読に姿を変え、一見、柔和でソフトな路線となり、、他者、他宗教に対する批判も陰を潜めたかに受け止められている。 だ が、実際は「ソフト路線」に転換したとメディアが思い込んでいるだけなのである。 もっと言えば、メディアが沈黙し学会批判を行わなくなったためである。 言 い換えると、言論弾圧事件を教訓化して、学会は対メディア戦略を見直し、世間に対して「危険な宗教団体」というイメージを払拭させ、さらに池田大作以下、 学会活動への理解から称賛へと仕向ける方法が成功したのである。 ある大手紙担当幹部はこう語る。 「とても学会批判記事などは書け ない。 理由は聖教新聞の印刷を請け負っていること。 新聞業界は80年代初頭をピークに部数の頭打ちを経て衰退産業になりつつある。 読者の奪い合いは、結果 として多ページ建てとカラー化の競い合いとなり、サテライト工場の建設に拍車がかかった。 こうした設備投資には、輪転機ひとつとっても莫大なカネが必要 で、コスト回収は必須の課題。 機械の空いている時間に、他紙を『賃刷り』(印刷の請負)することはオイシイ仕事」 そこに現れたのが創価学 会である。 彼らは自前の印刷所を持たず、しかも全国で550万部(公称)という日本3位の部数を誇る聖教新聞を発行している。 この厖大な印刷は、毎日、読 売の関連子会社始め、ブロック紙、県紙など全国各地の新聞社が引き受けている。 もはや新聞社は、聖教新聞の印刷収入なくしては立ち行かぬ状況に追いつめら れている。 (中略) 「辞 めたらどんな目に遭うのか。 」創価学会最大のタブーだろう。 恐怖をベースにした組織支配、いや、池田支配といっても過言ではあるまい。 創価学会は、カネと 票を使って、政権与党にその別動隊が食い込み、メディアを徹底的に封殺していても今なおこう考えている。 「不当な言論で中傷されている。 ありもしないこと で批判を浴びている。 」 いつでも自分たちは被害者で、理解されない。 そして、組織を拡大すれば、必ず魔物が現れ、行く手に立ちふさがると 彼らは教えられ、信じ込んでいる。 この理屈でいくと、いつまで経っても彼らの敵は現れ続けることになり、誰かを血祭りにあげねばならない行動原理が導き出 される。 恐怖を母とし、憎悪を父とするこの宗教組織の恐ろしさは、一貫して変わっていない。 それが証拠に、池田大作が言論事件で詫びたに もかかわらず、同種の事件は次々と起きている。 あの時のように、国民世論が沸騰しないのは、事件をまともにメディアが報じないからである。 かつて新聞は、 学会批判記事を掲載すると、「不買運動を起こしてやる」と脅されたものだった。 しかし一月2000円弱の聖教新聞を公布のために2部、3部と買い込んでい る会員も多い。 一般紙を買うほどの経済的余裕はないはずなのだ。 従って、不買運動など恐れることはないのだ。 憎悪と恐怖で形成された集団 が、表向き柔和な顔をして立ち現れても、誰が信用できようか。 しかも彼らは、人口比では少数派だが組織的にはすべての面で日本一だ。 輩出される人材は、中 央官庁、大手企業、、そして法曹界、教育会、さらに警察組織にも存在する。 創価学会員であることの「会益」と、社会的な「公益」のどちらが優先されるか。 こ のような選択を迫られた時、政治と宗教が別々であるなら、おそらく問題は起きまい。 それに反して、創価学会と公明党のように政教一致の関係であると、何が 起きるか自明だろう。 現に、ドコモを舞台にした通話記録盗み出し事件において、学会員のひとりは、学会に対して批判的な人物の通話記録も盗み出していた。 その明白な事実があるのに、警察は立件すらしないのである。 藤原弘達がかつて予言してみせた状況は、「今、そこにある危機」として、我々の目前に差し迫っ ていることを忘れてはなるまい。 小生は学会組織の第一線で37年活動させて頂いております。 脱会された方々もいらっしゃいました。 其れこそ信教の自由ですから脱会も自由ですが、こちら側としては、はいお辞めくださいとは言えません、可能な限りの対話はします。 けど監禁軟禁等はした事有りませんね。 勿論、中には不届きな会員も居るかも知れませんが。 少なくとも小生の知り得る限りではその様な事はありません。 此れは当たらずも遠からずの話ですが、脱会する時に監禁された等のお話をする方々をよくよく伺うと、学会組織では厳禁としている金銭貸借や男女関係や対人関係でトラブルを起こして会内に居られなくなった方々が多いですよ。 そんな方々を惨めで可哀想な脱会者と呼称しています。 最近では惨めで可哀想な老害の脱会者も居ますけど。 >本当なんでしょうか? よくある話です。 それだけで済んだのなら運がいい方ですよ。 既に何十人もの人が殺され、何万という人が嫌がらせに遭っているのですから。 まずはマスコミの報道からどうぞ、 法華講員に集団暴行 平成17年12月19日午後9時45分頃、東京都台東区在住の法華講員・山谷一成さんが帰宅したところ、マンションの階段で、いきなり3名の創価学会員に取り囲まれた。 彼らは口々に、「学会員を折伏しに回るな! 」「なめんなよ! 」などと山谷さんを恫喝。 "ここでは近所の迷惑になる"そう判断した山谷さんは、「近くのファミリーレストランで話をしよう」と、彼らをレストランに誘導しようとした。 どこに待機していたのか、学会員の人数は、10人以上にもなっているではないか。 そのうち、「埋め立て地まで運べ! 」「車に入れろ! 」等と叫びながら、学会員らは、山谷さんの手足を掴んで担ぎ上げ、車に運び込もうとした。 山谷さんが必死で暴れるため、運ぶことができなくなった学会員は、今度は、抱えていた山谷さんを路上に叩きつけ、殴る・蹴るの暴行を加えてきた。 帰宅してからも、頭や体中の痛みが引かないため、近くの病院で受診。 その結果、頭部裂傷・胸部挫傷・腰椎捻挫等により全治3週間、と診断されたのであった。 宗教問題を考える月刊誌 FORUM21 「嫌がらせ重ねて脳内出血に追い込む」 批判は許さないという創価学会の陰湿なやり方は、今が初めてではない。 「オウム事件のころ、私がテレビでちょっと創価学会を引き合いに出したとたんに抗議電話が殺到し、ディレクターが真っ青になったことがあります。 以来、テレビで学会問題はタブーになってしまった。 自分たちに不都合なことは総攻撃をかけてでもつぶしてしまうという体質は昔からまったく変わっていないのです」 「創価学会が、自分たちに対する批判に過敏で攻撃的なのは、それだけデタラメな集団ということです。 あの教団は政教分離の憲法に違反するばかりか、宗教法人としての条件も満たしていない。 」 彼らの実態を公にしようと、「創価学会による被害者の会」のビラの配布を開始した。 途端に学会員による激しい嫌がらせが行われていく。 「被害者の会」のビラを近所のポストに投函しただけである。 それに対して学会員らは、以下のような執拗な嫌がらせを実行した。 集団での二十四時間体制での監視、複数の都道府県ナンバーの車による尾行、敷地内への侵入、知人への暴行、所持品の奪取。 いぎたない言葉での罵り、中傷はいうに及ばずだ。 嫌がらせを受けるたびに北川さんは、所轄の警察署へ連絡したが、一向に動く気配はなかったという。 裏の家は学会員宅。 そこから四六時中行動を見張るようにもなった。 突然電話がはいる。 三か月後、ストレスの溜まった鈴木さんは、脳内出血を起こして、救急車で入院。 そのような指向性を持った集団が、政権与党の一角を占めている。 お次は、マスコミと宗教関係者が共同で脱会者3300人を追跡調査した記事です。 『創価学会 脱会者 3300人大調査』 「娘が学校から帰るのを待ち伏せしていて、一緒に(信者が)入り込むことがあった。 家のフェンスを乗り越え、カーテンの隙間から中を覗いていた。 外で待っている車には、婦人部がいた。 」(40代女性) 「電話でニセの情報を流すと、学会員はそれに沿った形で監視や尾行活動を行うのです。 ですから盗聴されていると考えています」(元副支部長のKさん・北海道) 実際に盗聴器が発見されたケースもある。 「電話に雑音が入るので、電話局に言って調べてもらうと、家の外壁ボックス中に盗聴器が仕掛けてあった。 犯人は分からないが、当時は学会男子部が現れて頻繁に尾行されたり、二階の窓ガラスが石を投げられて壊されたので、学会関係者の仕業と考えています。 」 (元副ブロック長のKさん・新潟) 「『癌で死ね。 うろちょろするなクソババ-、殺してやる』と書かれた脅迫状が投げ込まれた。 手紙の中には小学校の教員のものからもあった」(50代女性) 「危険人物のレッテルを貼られて突然除名された後、夜中の一時、嫌がらせの電話がかかる。 がやがや雑音が聞こえるなか『あんな奴は殺せ!』『交通事故で死ぬぞ』と電話の遠くから怒鳴っているのが聞こえました。 実に陰湿な脅迫で、家内も電話が鳴る度に恐怖におののいていました。 」 (元支部指導長のSさん・福岡) 「数限りない嫌がらせを受けてきた元創価学会理事・公明党鹿児島県書記長の山口優さんは、(1年にわたる)電話脅迫、無言電話で心労を重ねた義母は、入院後五十日で死亡しました。 」 酷似している嫌がらせの手口 デマを口コミで流すことは学会の得意とするところだが、個人の生活に関わるだけに罪は重いと言わざるを得ない。 「平成六年七月『町内のみなさん、この男女にご注意ください』『夜な夜な市内に出没し、脅迫・嫌がらせをする変態夫婦!』などと書かれた中傷ビラを私の住む団地のほぼ全戸にばらまかれました。 顔写真、自宅住所や電話番号、勤務先とその電話番号まで記されていた。 」 (元ブロック長のTさん・北海道) この事件について、Tさんは刑事告訴している。 「理容室を経営していますが、脱会後、会合など口コミで『店が立ち退きになり引っ越す』など中傷、デマを流されました。 また営業中に5人の学会員が一度に来店、ひとりは客になったが、他はただ待合室に座り他の客の来店を妨害」(男性) 「自営業をしています。 『裏切り者だから、あの店には行くな』と会合で指導があり、以後学会員は来ません。 また、一般の方から『あの店を潰すのに協力してほしい、と学会の幹部の人から頼まれました』と聞きました。 営業時間中、少なくても二、三回の無言電話がかかってきます」(元夫人部のSさん・神奈川) 「脱会後、口コミによる不買運動が近隣の県まで及んだ。 何とか頑張ろうとしたが倒産した。 」(男性) 「私の所有する賃貸住宅の入居者に『自分は(暴力団)S会の者だが・・』と脅迫電話が入りました。 どうやって入居者の電話番号を調べたのか今も分かっていません。 」(元ブロック幹部のSさん・北海道) 「勤務先へ電話してきた。 『影山は町内で変なことをするから注意しろ』と言って切れた。 家には学会員から何度も『殺してやる』と電話が入った。 」 (元壮年部のKさん・広島) 「近くにブティックに勤める。 ところがそこに学会幹部、婦人部が毎日やってきて、店主にヒソヒソ話していく。 『あの人を使うなら、洋服は買わない』。 ある日、店主に店を辞めてくれと言われ、クビになる」(女性) 「学会の会合で、私が気が狂っているから注文をやめた方がいい、と流され、注文が減り、仕事を変わらざるを得なくなりました。 そのほかにも、死にかけだの、病気だのと遠い地域に住む友人に嘘を流し、聞いた人から安否確認の連絡が入ってようやく嫌がらせに気がついたこともあります。 」 (元婦人部のMさん・岡山) このほか、「人殺し」「泥棒」「不倫で家庭不和」「倒産して夜逃げした」などというデマも限りない。 脱会者は、どうしても地獄に落ちなければならないのだろう。 学会員の職業を利用した犯罪的な嫌がらせも少なくない。 「学会員の医者に掛かっていたが、脱会したら主人の病名を会合で言いふらされた。 私自身の病名や家族の病状も筒抜けになってしまった。 」 「引っ越し先の住所を学会員の市職員がコンピュータで調べて学会幹部に教えた。 その後、面談強要、脅迫が続き、入院先に押しかけてきた。 」 創価学会を脱会したから地獄に落ちるのではない。 創価学会が脱会者を地獄に落とすのだ。 そう思えてならない。 嫌がらせの手法は全国で酷似しており、時期も集中し、一斉に静かになる。 ともすれば、これは、早速、組織的な動きと言わざるを得ない。 嫌がらせやストーカー犯罪を信者にやらせていた幹部は、インタビューにこのように答えた。 尋常ではない非常識で異常な嫌がらせを脱会者に対して行う彼ら。 なぜそこまでやるのか?なぜそこまでできるのか? 昔は嫌がらせを指示していた側であり、今は嫌がらせを受ける側になった、元学会幹部で脱会者の佐貫修一氏に話を伺った。 -話を聞く限り、ホント酷い嫌がらせですよね。 異常ですよね。 『そうですね。 鶏の頭を10個、20個と家の前に置かれたヤツとかいますからね。 』 -そ、相当気持ち悪い図ですね。 佐貫さんが脱会したときも嫌がらせは酷かったんですか? 『その頃はナンバーディスプレイがほとんど普及していないし、着信拒否なんてできなかったから、毎朝3時、4時まで電話が鳴りっぱなしですよ。 』 -10年以上、経っているのに?それって上の人が指示するんですか? 『指示しなくても、自分からやるヤツもいます。 学会男子部など裏工作や他宗教への攻撃など外部に対して働くことを主とする中心の謀略グループみたいなものがあって、持ち回りでやるんですよ。 担当を決めて。 もちろん指示してやらせる場合もあります。 私は幹部だったからやらせていた方ですけどね。 』 -中に居たときは、それは良いことだと思ってやっていたんですよね? 『もちろん、そうですよ。 池田先生を守るためですからね。

次の

創価学会の芸能人や有名人一覧【2019最新版】

も こう 創価

池田大作の正体 この20年間、世の中を騒がせ続けてきた団体といえば、創価学会に勝るものはありません。 しかし、一般の人々には少しわかりづらい 宗教という仮面をかぶった団体であるため、何か他人事のように思われて、野放しにされてきてしまった感があります。 どうか、この現実を直視し、私たちの将来、そして子孫たちの将来のために、この問題を自分達の身に引きあてて、真剣にお考えください。 創価学会の目的は日本国支配だった!? すでに各分野に送り込まれた工作員 まず、次に挙げるのは、創価学会の実質的支配者・名誉会長池田大作の発言記録です。 要所要所を全部ね、学会員で占めなかったら広宣流布できゃしませんよ」 (『聖教』昭和32年9月6日) 「天下をとれることが少し私には見えて来た。 天下をとらない党なら、やる必要はない。 私がひかえているから心配するな」 (公明党議員との記念撮影・昭和51年11月16日) 「私が教わったのは帝王学だ。 私は最高権力者になる。 最後に残ったのは経済だ。 これから、この社長会を中心に経済革命をする」 (第1回社長会・昭和42年6月25日) 「目立たないように枝を伸ばし、産業界に網の目を張りめぐらして、最後に総合商社を作って決戦だ。 (中略)中曽根康弘は心配ない、こちらの小僧だ。 総理大臣になりたいと云っていたので、よしよしと云っておいた。 ケネディきどりだ、坊やだ」 (第6回社長会・昭和42年11月25日) 「警察だって、動かしているのは竹入・井上だよ」 (第13回社長会・昭和43年7月8日) 等々。 また、こうした池田発言を受けて、池田の忠実な弟子達も、しばしば 「(広宣流布の時には)わが男子青年部の手によって内閣を結成して」 (『大白蓮華』昭和39年2月号・現会長秋谷発言) 「池田先生が、日本の指導者として立っていただく」 (『聖教』40年7月26日・四代会長北条浩発言) 等の本音を述べていました。 これらをまとめてみますと、要するに、• 精神面では、日本中を学会員にして池田の弟子にする• 政治面では、公明党が政権を樹立する• 経済面では、学会系企業が財界を支配する• その他(行政、司法、マスコミ、教育、芸能等々)の要所要所に学会員を送り込んで日本国の機構を完全掌握する• 最後に、これら全体を統括し、池田大作が日本国の最高権力者となる といった多面的構想で、日本国を完全支配しようと画策していたのです。 これは、単なる誇大妄想狂の絵空話ではありません。 現に学会の急激な教線拡大を背景として、公明党は第三政党にまで議席を伸ばしましたし、各分野に送り込まれたエリート学会員(弁護士、検事、判事、公認会計士、税理士、警察官や外交官等の国家公務員上級職等々)はおそらく現在では約一千名を数えるでしょう。 池田大作と創価学会による 日本国乗っ取り計画は着実に進んでいるのです。 恐るべきファシズム国家「創価王国」 学会員はすべて使い捨てという残酷 また、池田大作は、 「創価国、創価王国を、地球上に宇宙に作って、みんなを守ってあげよう」 (第2東京本部最高会議・昭和50年6月10日) と述べ、やがて池田の支配下に置かれるであろう国土を「創価王国」と名づけています。 そして、この社会においては、これまで創価学会が引き起こしてきた言論出版弾圧事件や、替え玉投票事件、盗聴事件、リクルート事件、砂利船舶汚職事件等々を見ても明らかなように、独裁者・池田大作の名誉と富と権力を守るためなら、暴力や汚職・不正すらも正義としてまかり通ってしまうのであります。 こうした恐るべき「創価王国」構想こそが、宗教の仮面に隠れて、池田大作・創価学会が目指してきた野望の 正体といえましょう。 なおまた、池田大作にとっての創価学会とは、所詮、自身が天下を取るための勢力作りの基盤であり、手段でしかなく、したがって、天下取りを実現できさえすれば、 「そのときには創価学会を解散してもいい」 (『現代』昭和45年7月号) とまで池田は考えていました。 要するに、創価学会員は全て使い捨て、日本国乗っ取りのために利用されているだけなのですから、哀れなものです。 また、このような感覚ですから、日蓮正宗富士大石寺についても、 伝統仏教の仮面として利用する、というような意識しか持っておらず、 「学会のために本山が犠牲になる。 学会が全ての主体である」 (第2東京本部最高会議・昭和50年6月10日) などと豪語していたのです。 「目的のためなら嘘も暴力も何でも使う」 学会が起こした反社会的事件の数々 ともあれ、創価学会は現在も依然として、目的に向かって突き進んでいます。 しかも、この団体の恐ろしいところは、池田大作自ら、 目的のためなら手段を選ばぬ謀略思想を幹部達に叩き込んでいることです。 すなわち、 「口八丁・手八丁でよ、なんでもうまくやるんだ。 社会(社会党)だって方便を使っている。 共産(共産党)だって目的のためならみんな謀略じゃないか。 一般社会だって利益のためならあらゆる手段をつかう。 うちは信心のため、信心を守るため、学会を守るためだ。 」 (扶桑研修所での指導・昭和51年6月1日) むろん、ここで池田が『信心を守るため、学会を守るため』などと言っているのは、本音に訳せば「学会の勢力を伸ばし、池田の野望を達成するため」ということに他なりませんが、池田に盲従する狂信的幹部達は、この池田の教えを忠実に実行に移していきました。 替 え 玉 投 票 事 件 昭和43年の参議院選挙の際、組織ぐるみで他人の投票入場券を盗み集め、本人になりすまして公明党に投票した事件で、なんと新宿区を中心に10万通もの投票入場券が消えています。 この事件では、学会学生部の北林芳典、宮本孝、砂川昭夫ら八人が有罪判決を受けました。 言 論 出 版 妨 害 事 件 昭和44年の暮れに表面化した事件で、創価学会・公明党の実態に疑問を投げかけた多くの出版物を闇に葬ろうとして、金や政治家、右翼関係者まで使って、出版社に圧力をかけたり、組織力を動員して脅迫まがいの電話を架けたりしたものです。 およそ、宗教者たる者、加えられた批判に対しては、堂々と言論をもって答えるべきが当然であるのに、権力・財力・暴力に物を言わせて弾圧する手口は、学会の体質を物語って余りあります。 昭和45年、共産党の宮本委員長宅の電話を盗聴した事件で、後の裁判では、故・北条浩氏(4代会長)の資金提供のもと、学会の組織ぐるみで行なわれた犯罪であることが確定しました。 なお、学会の盗聴は、その後、日蓮正宗寺院(保田妙本寺・妙縁寺・常泉寺等)に対しても行なわれていたことが判明しています。 裁判では、報道内容の真実性の立証が不十分であるとしてペン社が有罪となりましたが、しかし判決は、池田らの行動もそうとうに関係を疑わしむるものであり、かつ学会側が、この裁判の途中、奇怪にも、名誉を毀損した側であるはずのペン社に2000万円もの裏工作金を渡していること等から、求刑を大幅に下廻る微罪となりました。 ……渡部(一郎議員)はフザケ半分ではいけない。 たたき出すぞ!渡部、矢野(絢也元委員長)はふざけ半分では許さない」 などと獅子吼しており、この一連の経過は、会員の浄財の使い途と、公明党の存在目的について、大いに考えさせられるものとなりました。 公明党議員汚職収賄事件 昭和63年のリクルート事件で、池田克也衆院議員が5000株の譲渡を受けていたことから、議員辞職、起訴され、同年の砂利船舶汚職事件では、田代富士男参院議員が受託収賄罪となって、離党、議員辞職となったほか、翌平成1年には、矢野絢也委員長までもが、明電工事件に関与していたことが発覚して辞任しています。 暴行・吊るし上げ事件 池田創価学会の暴力性を表わす事件は数多くあります。 昭和44年7月、東京・練馬区の選挙投票所(第4投票所=豊玉第2小)において、投票終了時間後に訪れた二人が投票できなかったことを理由に、百数十人の学会員が投票所を取り囲んで襲撃、女性・高齢者を含む投票立会人四人に集団暴行を加えて流血させた事件。 昭和52年、学会の誤りに批判的だった宗門僧侶を次々と本部に呼びつけ、野崎勳副会長らが大勢で軟禁、恫喝した上、土下座させたり詫び状を書かせた事件。 昭和63年7月、創価学園正門前で、池田を取材しようとした『フライデー』誌はじめマスコミの記者・カメラマンに対し、警備の学会員5、60人が、いきなり、殴る、蹴る、壊すの集団暴行を加えた事件。 巨額の脱税疑惑 平成3年3月に発覚した、ルノワール絵画をめぐる三菱商事の架空取引事件で、学会の八尋副会長および富士美術館が深く関与していることが判明、使途不明の15億円が学会の裏金になったのではないかとの疑惑がもたれています。 また同年5月には、学会の墓苑事業に巨額の申告漏れのあることが国税局より指摘され、約24億円にものぼる修正申告をし、法人税約6億4千万を納付することとなりました。 学会に対する税務調査は現在も続いています。 さらには同年7月、証券会社が公表した損失補てんリストにより、学会が4億5千万円もの補てんを受けていたことが判明、学会では「損失補てんではない」としていますが、補てんであるか、ないかはともかく、これにより学会が、会員から集めた浄財を70億円も株取引に運用していたことが明るみに出ました。 このようにして得た灰色の利益が、また、学会の謀略・反社会活動の資金として使われるのです。 かの1億7500万円入り金庫が捨てられていた事件(平成元年7月)にしてもしかり。 中西治雄総務(当時)が犠牲となり、すべてをかぶって記者会見しましたが、中西氏個人の商売で得た金が、金庫に入って聖教新聞社の地下にあり、それも昭和46年当時で現在の6億円にもあたる大金を二十年近く忘れていたなどという釈明を、いったい誰が信じるというのでしょうか。 ますます学会の金の流れに疑惑が集中するばかりです。 右翼団体までが学会に反対する者を攻撃 私達の未来「握られて」しまってよいのか!? これは要するに、創価学会にタテつく者は暴力をもってしてでも紛砕する、という、凶悪な正体を露見したものでありましょうか。 また、学会内部では、次の参院選に向け、何としても公明党の議席を守ろうとして、とんでもない内部文書(幹部指導用)が配布されています。 いわく、 「日本の中で公明党の占める位置が、誠に重要になってきた。 ある意味でいえばキャスチング・ボートを握る立場になり、事実上、自民党が二百数十議席あろうと、最後に参議院の二十議席の公明党ですべての重要法案が決まってしまう。 現実に今、そういう事態が起こっている。 しかも、そのバックに創価学会がある。 日本の命運を決していくのが創価学会・公明党である。 創価学会・公明党によってがっちり握られているのが今の日本である。 (中略)そう見ると日本を挙げてその焦点は、すべて池田名誉会長のところに集まる時代になってきている。 大聖人御在世当時のことを考えるのはもったいないことだが、大聖人お一人に、日本全国が宗教界も権力者も注目をして、それで日本の動向が決まるという状況にあった。 現実に広宣流布がそういう段階に入ったのだ。 」 皆さん、いかがでしょうか。 このような恐ろしい組織・創価学会に、私たちの国の将来、子孫の運命を『がっちり握られて』しまってよいのでしょうか。 学会員の皆さん、非学会員の皆さん、どうか、この現実を真剣にお考えください。

次の

池田大作の正体

も こう 創価

略歴 [ ] 、を経て、(20年)、を卒業()。 のに師事。 教授を務めたのち政治評論家となり、 きわめて攻撃的な独自の右翼的政治論評で一世を風靡した [ ]。 1957年、が創設した「ノンフィクションクラブ」に参加する。 人物 [ ] テレビ界での活動 [ ] の『』でとホストを務めた他、同局のニュースショー『』で金曜日と土曜日 のメインを務めた。 また、企業のトップをゲストに招いてゴルフを交えた対談番組『』()の司会もしていた。 晩年は、の『』に放映開始時から数回出演。 「たけし落とし」を最初に獲得した「生徒」であり、同番組の第1回の最優秀優等生でもある。 またラジオでは、で平日午前7時から放送されていた「」のニュース・パーソナリティーを長く務め、番組冒頭では「おはよう!! サラリーマン諸君!! 今朝のニュースパーソナリティーは藤原弘達です」と言うのが定番だった。 創価学会・公明党に対する批判 [ ] 藤原弘達は(昭和37年)から創価学会を非難する論評をしており 、(昭和44年)、2か月後にとのなどを批判する『創価学会を斬る』を出版するという広告が出ると間もなく、公明党の中央幹部のや『』主幹(当時)のなどから出版の中止や、書き直しなどを要請された。 藤原は2回目の1969年(昭和44年)の約1時間40分に及ぶ藤原行正・秋谷栄之助との会話を隠しマイクで録音した。 同年直後に藤原のインタビューがマスコミによって報道された。 藤原はこれを出版阻止を目的とした創価学会による言論弾圧の脅しであり、金銭授受による買収工作であったと表明した。 年明けの6か月後、テープの内容が誌上で公開された(『週刊朝日』、昭和45年3月20日号)(藤原行正 『池田大作の素顔』 講談社)。 今度は公明党委員長(当時)のの依頼を受けた(当時)のから2度に渡り出版の中止や書き直しを求められたが、これも断り出版に踏み切った。 出版された該当著作の書き出しは「日本の極貧層は約五百万人である。 創価学会の公称会員は一千万以上であるが実際には五百万人くらいであろう。 両者は五百万人でありこの数は一致する。 創価学会員全員が日本の極貧層とはいわないが、日本の底辺層の民衆である」という内容で、続いて創価学会の文化活動を、現在のに相当するような軽蔑的な表現をもちいて批判している。 藤原の主張を最初に公にしたのは、機関紙『』(当時)の記事およびそれに続く同党活動員による街頭でのビラ配りであった [ ]。 日本共産党系の書店の店頭にはいち早く藤原の著書が陳列された [ ]。 これは事件の直前に起こったNHKテレビでの共産党対公明党の政治討論会の内容の影響、および直後の総選挙の影響が考えられる [ ]。 藤原はそれまで日本共産党に対する痛烈な批判評論、非難評論を行ってきたので、政敵であったはずのが行った予想せざる動きは、創価学会のみならず一般世間をも驚かせた [ ]。 これに続きや、、の議員によるので政府への追求が起こった。 マスコミは後にこれを言論・出版の自由の侵害の問題(「」)と呼んだ。 この件の数年後に起こった宗門との問題について、創価学会の会長(当時)であったが公式に「猛省」表明を行い、創価学会と公明党を制度的に分離することなどを約束した。 声明の中には公明党の議員が創価学会の役職に就かないことが含まれており、これは即座に実行された。 この件は創価学会と宗門との問題であり、藤原弘達とは直接関係がない [ ]。 藤原の1969年の著書『創価学会を斬る』および他の創価学会批判本にまつわる「」についての世論の批判を受け、創価学会会長のが1970年に謝罪した。 (2年)以降は主だった活動がなかったが、(平成6年)に藤原は創価学会に反対する保守派の政治家、宗教団体などが設立した「四月会」 (発音は「死学会」の意味) [ ]に顧問として参加。 実質的な活動はなかった [ ]。 (平成11年)死去。 藤原の自宅に不特定多数の者から匿名で「おめでとうございます」などという藤原の死亡を祝う電報が届いたり電話が頻繁にかかっていたとの遺族の証言が『』(平成12年)3月30日号に掲載された。 著作 [ ] 単著 [ ]• 『近代日本政治思想史序説』三和書房、1952年。 『政治学以前』文雅堂書店、1957年。 『保守独裁論』中央公論社、1958年。 『現代日本の政治意識』創文社、1958年。 『国会議員選挙要覧』弘文堂、1959年。 『教養としての政治』文雅堂書店、1960年。 『日本の椅子』文芸春秋新社、1962年。 『サブ・リーダーの政治意識』民主主義研究会、1963年。 - 藤原弘達執筆。 『おしゃべり自叙伝』展望社、1964年。 『官僚 日本の政治を動かすもの』講談社〈講談社現代新書〉、1964年。 『実力者 政治力とその背景』実業之日本社〈実日新書カルチュア〉、1964年。 『吉田茂 その人その政治 怪奇な"ワンマン"のすべて』読売新聞社、1965年。 『犬猿の仲 政党における離合集散の論理』光文社〈カッパ・ブックス〉、1965年。 『ガラッ八教授世界考察 見た歩いた考えた』ダイヤモンド社、1967年。 『日本教育改造案』日新報道〈この日本をどうする 1〉、1969年。 『創価学会を斬る』日新報道〈この日本をどうする 2〉、1969年10月。 『体験的マスコミ批判』日新報道〈この日本をどうする 3〉、1970年。 『続・創価学会を斬る』日新報道、1971年。 『近代日本の国家原理』日新報道、1971年。 『人材総点検』日新報道〈この日本をどうする 4〉、1971年。 『新・創価学会を斬る 傷つけられた大衆の怒声』日新報道、1972年。 『田中内閣の動向と新聞販売店』東京新聞販売同業組合〈東京組合文献シリーズ 6〉、1972年11月。 『悪童のすすめ』日新報道〈藤原弘達人生ルポ その1〉、1973年。 『失恋のすすめ』日新報道〈藤原弘達人生ルポ その2〉、1973年。 『官僚の構造』講談社〈講談社現代新書〉、1974年。 『屈辱のすすめ』日新報道〈藤原弘達人生ルポ その3〉、1975年。 『不安の時代に処す』日本書籍、1978年10月。 『弘達侃侃諤諤』読売新聞社、1978年11月。 『弘達喧喧囂囂』読売新聞社、1979年4月。 『藤原弘達の生きざまと思索』6、藤原弘達著作刊行会、1979年12月。 - 発売:学習研究社。 『藤原弘達の生きざまと思索』7、藤原弘達著作刊行会、1979年12月。 - 発売:学習研究社。 『藤原弘達の生きざまと思索』8、藤原弘達著作刊行会、1979年12月。 - 発売:学習研究社。 『弘達戦戦兢兢』読売新聞社、1980年2月。 『藤原弘達の生きざまと思索』1、藤原弘達著作刊行会、1980年2月。 - 発売:学習研究社。 『藤原弘達の生きざまと思索』2、藤原弘達著作刊行会、1980年3月。 - 発売:学習研究社。 『藤原弘達の生きざまと思索』4、藤原弘達著作刊行会、1980年6月。 - 発売:学習研究社。 『藤原弘達の生きざまと思索』3、藤原弘達著作刊行会、1980年7月。 - 発売:学習研究社。 『藤原弘達の生きざまと思索』5、藤原弘達著作刊行会、1980年10月。 - 発売:学習研究社。 『藤原弘達の生きざまと思索』9、藤原弘達著作刊行会、1980年11月。 - 発売:学習研究社。 『藤原弘達の生きざまと思索』10、藤原弘達著作刊行会、1980年12月。 - 発売:学習研究社。 『男にとって闘いとは何か 弘達流「生きざま」の研究』PHP研究所〈PHP business library〉、1982年5月。 『弘達激談 ホンネ・内幕・裏の裏』講談社、1982年5月。 『どくぜつ登板 弘達横談270』報知新聞社、1982年8月。 『おもしろ大物図鑑 弘達の言いたい放題 大物の泣き所はここだ! 』え、日本文芸社、1982年10月。 『遺恨十年筆誅三昧』学習研究社、1983年3月。 『弘達大激突』講談社、1983年4月。 『弘達エッセンス』1、講談社〈講談社文庫〉、1984年4月。 『弘達エッセンス』2、講談社〈講談社文庫〉、1984年4月。 『弘達エッセンス』3、講談社〈講談社文庫〉、1984年5月。 『弘達エッセンス』4、講談社〈講談社文庫〉、1984年5月。 『弘達エッセンス』5、講談社〈講談社文庫〉、1984年6月。 『弘達エッセンス』6、講談社〈講談社文庫〉、1984年6月。 『弘達エッセンス』7、講談社〈講談社文庫〉、1984年7月。 『弘達エッセンス』8、講談社〈講談社文庫〉、1984年7月。 - 藤原弘達年譜:pp. 396-419。 『角栄、もういいかげんにせんかい』講談社、1984年9月。 『創価学会・公明党をブッタ斬る いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするのか』日新報道、1985年10月。 『独断の戦後史 この四十年をいかに斬るか』PHP研究所、1985年12月。 『中曽根政治の功と罪 いまだから話せる こんな中曽根を踏み越えろ』日新報道、1987年12月。 『虫ケラどもをひねり潰せ 「21世紀は日本の世紀」の大ウソ』光文社〈カッパ・ブックス〉、1988年5月。 『創価学会池田大作をブッた斬る』日新報道、1988年11月。 『わが父ヒロヒト天皇 Never ending century the 20th』ファラオ企画、1990年11月。 論文 [ ]• 「西園寺公望論」『五十周年記念論文集』明治大学政治経済研究所、1954年。 - 明治大学政経論叢第23巻第3・4号(政経学部五十周年記念号)。 「いわゆる「昭和維新」」『近代日本断面史』・編、青木書店〈青木新書〉、1955年。 「日本人の社会意識」『日本の社会』編、毎日新聞社〈毎日ライブラリー〉、1957年。 「自由民主党の政治感覚」『現代教養全集』第21、、筑摩書房、1960年。 「アフリカ旅日記」『世界の旅』第3、・・編、中央公論社、1962年。 「時事放談」『特別研修叢書』昭和44年度、編、日本弁護士連合会、1970年7月。 共著 [ ]• 「国民政治意識の基調と変化の態様」『弓家七郎博士古稀記念論文集』第31巻、明治大学政治経済研究所〈明治大学政経論叢〉、1964年。 富田信男『政治悪への挑戦』ダイヤモンド社、1967年。 富田信男『保守独裁の底辺』文雅堂銀行研究社、1968年。 - 現代日本の政治意識(藤原弘達)の続編。 富田信男『現代政治と議会制民主主義』有信堂〈Yushindo sosyo〉、1969年。 、『いかに国を守るか』日新報道、1970年。 、『裸のデヴィ夫人 波瀾の半生における実像』八雲井書院、1970年。 『創価学会に未来はあるか 「興」から「亡」へ動き出した巨大集団の実相』日新報道、1979年9月。 『隆元・弘達の実録「時事放談」うらおもて』山手書房、1979年4月。 『激動を射る』プレジデント社、1982年10月。 長谷川慶太郎『転換期の処方箋 「激動を射る」第二弾』プレジデント社、1983年6月。 『この日本をどうするか 中東・日米関係・コメと人・教育・不公正是正・政治改革を語る』日新報道、1990年12月。 編著 [ ]• 『藤原弘達のグリーン放談』1、藤原弘達編、藤原弘達著作刊行会、1986年8月。 - 発売:学習研究社。 『藤原弘達のグリーン放談』2、藤原弘達編、藤原弘達著作刊行会、1986年8月。 - 発売:学習研究社。 『藤原弘達のグリーン放談』3、藤原弘達編、藤原弘達著作刊行会、1986年8月。 - 発売:学習研究社。 『藤原弘達のグリーン放談』4、藤原弘達編、藤原弘達著作刊行会、1986年10月。 - 発売:学習研究社。 『藤原弘達のグリーン放談』5、藤原弘達編、藤原弘達著作刊行会、1986年10月。 - 発売:学習研究社。 『藤原弘達のグリーン放談』6、藤原弘達編、藤原弘達著作刊行会、1987年2月。 - 発売:学習研究社。 『藤原弘達のグリーン放談』7、藤原弘達編、藤原弘達著作刊行会、1987年2月。 - 発売:学習研究社。 『藤原弘達のグリーン放談』8、藤原弘達編、藤原弘達著作刊行会、1987年4月。 - 発売:学習研究社。 『藤原弘達のグリーン放談』9、藤原弘達編、藤原弘達著作刊行会、1987年9月。 - 発売:学習研究社。 『藤原弘達のグリーン放談』10、藤原弘達編、藤原弘達著作刊行会、1988年7月。 - 発売:学習研究社。 翻訳 [ ]• 『角栄、もういいかげんにせんかい』 [ ]訳、藤原弘達著作刊行会、1985年11月。 - 英語書名: Tanaka Kakuei: godfather of Japan、英文併記。 脚注 [ ] []• 「大宅壮一を読む」(時事通信社)プロローグ• (昭和40年)からスタートされた日曜版も含む• 『時』(1962年)4月号 参議院の目〃創価学会〃-第三勢力をねらうその実力と組織に(『』38年()7月号• 藤原弘達 『』( 9月)藤原によると、その都度創価学会信者から激しい抗議の手紙が相次いだという。 その一方で、創価学会系の出版社が発行している雑誌(『』)への寄稿、講演会への出席などを誘う懐柔策も採られていたという。 その後、元学会会員だった、(ペンネームは)などが書いた創価学会批判の本が創価学会側の妨害に会い、出版できなかったと主張。 藤原によると、彼をマスコミに出られなくし、教授としての地位を奪おうとするためと思われる中傷やいやがらせが、エスカレートするようになったと主張している。 藤原は『新評』(新評社)紙上で「公明党七つの大罪」という論評を書いたが、これに対しても、掲載前から圧力があり、同雑誌の発売後も、などに手を回して、圧力をかけてきたと主張。 さらに、記者・の公明党批判の本も各方面から圧力を受けたとし、創価学会・公明党の問題を指摘すること以上に、言論に対する圧力に対して人間の権利を確保するための闘いとしての認識が強まったというと後に主張している。 懇意にしていた書店、出版社主から本の出版を断られたので、「日新報道」という小出版社を選んだと表明した。 『創価学会』 岩波書店、2004年6月20日。。 95-96• 平成16年3月25日• 「藤原弘達「創価学会を斬る」は今も生きている」『週刊新潮』第45巻13号(通号 2245号)、新潮社、2000年3月30日、 pp. 55-56、。 関連文献 [ ]• ほか座談会及び執筆協力『藤原弘達『創価学会を斬る』41年目の検証 人権侵害・政権簒奪・歴史改竄 創価学会・公明党による言論出版妨害事件を風化させてはならない』言論出版の自由を守る会編、、2012年2月。 関連項目 [ ]• :明大時代の教え子 外部リンク [ ]• 10 1964. 3 () 1964. 4 1965. 3 1965. 4 1968. 9 1968. 10 1969. 9 1969. 10 1975. 3 1975. 4 1981. 3 1981. 4 1983. 9 1983. 10 1984. 9 期間 平日 週末 メイン お天気 スポーツ メイン スポーツ 1984. 10 1987. 9 (シフト) 1 (シフト) 1 1987. 10 1988. 9 2・3・4 5 1988. 10 1989. 9 4 1989. 10 1990. 3 3 3• 「シフト」は「シフト勤務」の略。 1 、ほか日替わりで担当。 2 『』お天気コーナーを兼務。 3 『』も続投。 4 『』も続投。 5 1988年10月から『』を兼務。

次の