皇室 ジャーナリスト。 スーパープリンセス愛子さま 万能すぎると学習院でファン急増

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皇室 ジャーナリスト

今年6月に成立した皇室典範特例法によって、天皇陛下は平成32年6月までには退位されることになった。 退位日は「政令で定める日」と規定されているので閣議で決めることになる。 しかし、同法で「内閣総理大臣は、あらかじめ、皇室会議の意見を聴かなければならない」とも規定されている。 皇室会議というのは皇室典範で規定されている国の審議組織である。 衆参の議長・副議長、内閣総理大臣、宮内庁長官、最高裁判所長官、同判事、皇族2名の計10名で構成され、皇位継承の順序変更、皇族男子の婚姻、摂政の設置など皇室の重要事項を審議する。 皇族の議員は現在、秋篠宮殿下と常陸宮妃殿下である。 そして議員が事故等で出席できない場合の予備議員2名は常陸宮殿下と秋篠宮妃殿下である。 この皇室会議に議員である秋篠宮殿下が出席されるのかどうか、以前から気になっていたのだが、本日(9月21日)朝日新聞が「予備議員である常陸宮殿下に交代する可能性がある」と報じた。 天皇陛下が退位されると、秋篠宮殿下は皇嗣となり、皇族費が現在の3倍に増額される。 ここで問題になるのが、皇室典範第36条に「議員は、自分の利害に特別の関係のある議事には、参与することができない」という規定である。 利害については金銭に関することが分かりやすいだろう。 秋篠宮殿下の皇族費は現在、年間3050万円だが、皇嗣となると3倍の年間9150万円となる。 例えば、平成31年3月にご退位される場合と平成30年12月にご退位される場合では、平成30年12月の方が3か月分の1525万円多くなるということである。 もっともこの差は今後発生し続けるものではないが、額に違いが生じるのは事実である。 最大で平成32年5月末のご退位と平成29年12月末のご退位では約1億4700万円の差が出る。 皇室会議は内閣総理大臣に対して意見を述べるのであって、退位日を決定するわけではないが、当然、影響を及ぼすものである。 皇室会議は年内に開かれると思われるが、筆者は今回の会議に秋篠宮殿下は出席されないほうがいいと考える。 秋篠宮殿下が出席されようとされまいと、皇室会議全体の意見は変わらないだろうから、誤解を避けるためにも、今回は予備議員の常陸宮殿下が代わって出席されるのが無難である。

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皇族は「性風俗」に通ってよいのか? 「個人の意思」の尊重を(宮本タケロウ)

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11月28日のTBS系【爆報! THE フライデー】に、 皇室ジャーナリスト・渡邊みどりさんが登場します。 その家族と皇室ジャーナリストを意識させた人物に ついて調査をしました! スポンサードリンク プロフィール・略歴 名前 : 渡邉 みどり(わたなべ みどり) 生年月日 : 1934年(現在85歳) 出身地 : 東京府(現在の東京都) 職業 : 皇室ジャーナリスト、文化女子大学客員教授、 元・日本テレビ放送網報道局エグゼクティブ・プロデューサー 略歴 : 戦時中は秋田県へ疎開していたが、戦後、東京女学館中学校・ 高等学校に進学。 文化祭で原爆展を企画したことを学校から 咎められ、東京都立城南高等学校に転校した。 早稲田大学へ進学後、1958年に日本テレビ放送網へ就職 1959年の皇太子(現上皇)成婚記念パレードの放送を機に 皇室放送に携わるようになる。 結婚は?家族は? その出生は、 政治家・古屋亨氏の私生児(隠し子)でした。 しかし、 2度流産を経験し、子供に恵まれなかったそうですし、仕事に 一人で集中したいと、結婚10年で離婚をされてからは独身との ことです。 スポンサードリンク 人生を変え、皇室を意識するきっかけは〇〇だった?? 人生をかけて皇室ジャーナリストとして活動されている渡邊さんは、 20歳の時に 「成人の日」を記念して、読売新聞が懸賞論文 「はたちのねがい」を全国的に募集した事がありました。 その際に、 渡邊さんも応募し3次選考で落選しました。 それだけだったら何てこと なかったのですが、そこで衝撃の出会いがあります。 後日新聞に、 『 2位入選、聖心女子大学の 正田美智子さんは、賞金2千円を 恵まれない人への社会事業と、聖心の奨学資金に寄付 』と報じました。 渡邊さんはその時、賞金を取ったらスキー旅行へ行こうと思っていた そうで、これを見て自分を恥じたそうです。 更にこの3年後、史上初の民間出身の皇太子妃が発表された時、 あの時 2位を受賞した 正田美智子さんだと知り、人生を変わります。

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渡辺みどり

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1959年、4月10日の皇太子(上皇明仁)成婚記念パレード中継で、美智子さまの聡明な笑顔をアップで捉えることに成功したのをきっかけに、皇室報道に携わるようになりました。 1984年(昭和59年)にチーフ・プロデューサー、昭和天皇崩御特番で総責任者を務め、報道局エグゼクティブ・プロデューサーとなります。 1990年日本テレビを退職し、フリーの皇室ジャーナリストとして活動。 1995年『愛新覚羅浩の生涯』(読売新聞社)で日本文芸大賞特別賞受賞。 最新著書では、『イギリス王室 愛と裏切りの真実』があり、日本だけでなくイギリス王室についての本も出版されています。 渡辺みどりの父親 古屋亨(ふるや とおる) 生年:1909年1月6日 没年:1991年6月20日 享年82歳 出身地:岐阜県 学歴:東京帝国大学法学部 警察官僚から衆議院議員に転出し、中曽根政権下で自治大臣、国家公安委員会委員長などを務めた内務・警察官僚。 初代の内閣官内閣房調査室長で、総理府総務副長官。 退官後は弁護士として活躍。 古屋氏が25歳のとき、みどりさんは生まれますが、母親とは結婚しなかったので、庶子となります。 これは古屋家が秋田の旧家で、当時看護師をしていた母親との結婚を許さなかったからです。 みどりさんはその事実を幼い頃から知っていて、学校では「お妾さんの子」と言われいじめにあったこともあるそうです。 古屋氏はみどりさんと全く親子関係をもたなかったわけではなく、公然の秘密といったかんじで、官僚仲間の紹介したり、みどりさんの結婚式に出席したりしていました。 古谷氏が認知しないことをみどりさんは長い間黙認していたのですが、苦労して日本テレビに内定させた男性に、古屋氏が政治的圧力をかけ取り消しにしたのをきっかけに、認知訴訟を起こしました。 みどりさんは勝訴し、古屋氏の子として認知されました。 この時みどりさんは、57歳、古屋氏は亡くなる4ヶ月前の82歳でした。 渡辺みどりの母親 渡邉貞 貞さんは秋田の出身で、東京で看護師をしていて、古屋氏とダンスホールで知り合いました。 みどりさんが生まれても、結婚を承諾しない古屋家から慰謝料をもらいその資金で、赤坂区青山に看護師を派遣する感が深いを1938年に設立しました。 貞さんは「青山の宋美鈴」と言われるほど美人で働き者でした。 また、みどりさんの教育に非常に熱心で、看護師会を継ぐよりも違う道を進められ、早稲田に入学したそうです。 貞さんは、がん性腹膜炎のために54歳の若さで亡くなっています。 みどりさんはこのとき27歳で、たいそう心細かったと思います。 義理の弟に衆議院議員の古屋圭司さんがいます。 圭司さんは古屋氏の甥であり養子にはいっています。 kodansha. sponsored link 渡辺みどりの夢は? 渡辺みどりさんは、結婚をしましたが、10年で破局をむかえ、その間2度も流産しています。 もし、令和の時代に生まれたら、子供を持ち温かい家庭を持ちたいとインタビューで語っていました。 日本テレビに33年間在籍した後、文化女子大学の教授を22年間務め、現在はフリーの皇室ジャーナリストですが、脊柱管狭窄(せきちゅうかんきょうさく)症と第二腰椎(ようつい)圧迫骨折で毎日、強い痛み止めを飲みながら、働いているようです。 働く女性の先駆者とした第一線を活躍してきた渡辺みどりさんは、現代の憧れの女性です。 しかし、実際は仕事も私生活も常に戦場であったように思われます。 平凡に結婚して子供を産み育てたかったと願う渡辺さんは、真の女性らしさを感じますし、誰もが手に入れやすい夢が叶わなかったことに、先駆者の人生の悲哀を感じ得ずにいられません。

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