ビー ブルース。 ブルース・ホーンズビー

ブルース・ホーンズビー&ザ・レンジ ロックパラスト・ライブ

ビー ブルース

ブルース・リー Bluce・Lee は、サンフランシスコの中華街出身の武術家・ジークンドーの創始者・俳優・脚本家・映画監督である。 2本の棒を鎖で連結した武器であるヌンチャクも彼の影響で有名になったともいえる。 ブルース・リーの映画代表作といえば、「燃えよドラゴン —Enter the dragon-」だろう。 しかし、『燃えよドラゴン』の初公開日の6日前、32歳の若さで突如この世を去った。 世界は、愕然した。 なぜこんな急に?病気、自殺、それとも…暗殺か?当時は様々な憶測が飛び交っていた。 しかし、現在では死因のおおよその見当がついてきているという。 まずは、死の前後の状況を紐解いていく。 死の前後の状況 まず死亡日を確認する。 ブルース・リーの死亡日は、1973年7月20日だ。 『燃えよドラゴン』製作終了後、ブルースは同作品の製作前に途中まで製作していた「死亡遊戯」の撮影を再開させるため、香港に帰国した。 ブルースは、死亡遊戯の共演者である、女優ベティ・ティン・ペイ(丁珮)の自宅に向かった。 死亡遊戯の脚本について、レイモンド・チョウ 映画会社である現 ゴールデン・ハーベスト会長 と相談するためだ。 その後、ジョージ・レーゼンビーと合流し、ホテルハイアットリージェンシーで死亡遊戯のキャスティングの詳細的な相談を進める予定だった。 レイモンドから、死亡遊戯への出演オファーをされていた。 ブルースーの死後、死亡遊戯の脚本の大幅な変更により、レーゼンビーの出演は実現しなかった ただ、このときブルースは、疲労が蓄積していて、満身創痍だったといえる。 当時、製作し終えた『燃えよドラゴン』のプロモーション、『死亡遊戯』の製作再開、自身の武術トレーニングなど、やることは山積みであった。 蓄積した疲労もあり、ブルースはティン・ペイの自宅で突然の頭痛を訴えた。 そこでブルースは、元々ティン・ペイが服用していた鎮痛剤をもらって服用し、その後寝室で横になった。 ブルースは、レイモンドに「少し休んでからホテルに向かうので、先にホテルに行ってレーゼンビーと合流しておいて」との内容を伝えた。 レイモンドはブルースに言われた通り、先にホテルに向かった。 ティン・ペイは、寝室に向かいブルースの様子を見たが、ブルースがよく休んでいたのを確認した。 ブルースの様子を電話でレイモンドに伝えた。 しかし、いつまでたってもベッドで寝ていて、未だにホテルに来ないブルースを不審に思ったレイモンドは、ティンの自宅に向かった。 レイモンドはブルースを起こそうとしたが、ブルースが起きることはなく、昏睡状態に陥ってしまっていたのだ。 レイモンドは、ティンのかかりつけの医師である朱博懐をすぐに呼ぶようティンに伝えた。 やがて、朱博懐がティンの自宅に到着し、ブルースの様子を診ると、ブルースは意識不明で心臓も止まっていた。 人工呼吸や酸素注入などあらゆる救命処置をされながら、ブルースはエリザベス病院に搬送されたが、23:時30分頃正式に死亡が確認された。 死因 死亡当初の死因の推察 死亡当初、最も有力とされた原因は、ティン・ペイが服用していた鎮痛剤に対する「過剰なアレルギー反応による突然死」だった。 朱博懐が鎮痛剤をティンに処方する際、「この鎮痛剤はアスピリンよりも効力が強い。 通常は1日1錠のみ服用するように。 ティン、もしあなたにこの鎮痛剤に対するアレルギーを持っている場合は、何らかの副作用を起こすので用心せよ」と注意を促した。 ティンは副作用などを起こさなかったが、ブルースはアレルギーを持っていたと思われる。 エリザベス病院にいた医師の曾広照は、搬送されたブルースに、血管を拡張させて心拍数を増加させる効能のあるエピネフリン注射を施した。 しかし、ブルースは何の反応もなかったのだ。 死亡当時ブルースは、頭部への外傷などはなく、脳出血などもみられなかった。 検視結果では、ブルースの脳が通常の1,400gから1,575gまでに膨らんでいた。 これは、鎮痛剤に対する急なアレルギー反応による症状と考えられる。 ただ、法医学者の葉志鵬は、ブルースが映画の撮影中に突如気を失ったことがあることを理由に、急死だと判断した。 法廷が示した7つの可能性 1973年9月、香港法廷は以下の7つの死因を列挙した。 他殺:ブルースには外傷がなく、ブルースが寝ていた寝室も荒らされた形跡がなかったため、この死因は排除する。 誤殺:ブルースには外傷はなかったため、排除する。 合法的殺害:突然死のため、これは考慮する必要がない。 自殺:レイモンドやブルースの妻リンダによると、ブルースには心身の不安定な様子がなく、自殺の動機が見当たらなかったため、可能性が少ない。 自然死:検死では、死に至る疾病を確認できなかったため、排除する。 事故死:鎮痛剤の服用でアレルギーを起こした可能性があり、これを考慮する。 死因不明:専門家の意見に異議があれば、これは考慮すべき。 結果として、明確な根拠が確立されなかったため、世間にも死因は急死だと公表された。 これに対して世間は納得することせず、世間の要望もあり、引き続き死因の調査が行われた。 調査再開後、新たに分かったのは、ブルースの体内から 微量の大麻が検出されたことだ。 ただ、エリザべス病院の病理医である黎史特によると、「この程度の量の大麻であれば、死因に直結しない」と判断している。 やはり、鎮痛剤に対する過剰なアレルギー反応による脳の膨張によって、脳幹が圧迫されて死亡したと結論付けられた。 明らかになってきた本当の死因 しかし、アメリカのシカゴのクック郡医療検査官事務所ジェームズ・フィルキンス氏によると、ブルースの死因は 「癲癇 てんかん 」だという。 鎮痛剤に対する過剰なアレルギー反応であるならば、ブルースはアナフィラキシーショックを起こし、発疹が起きているはずだという。 しかし、ブルースの死亡当時、ブルースが何の外傷もなく、皮膚の荒れなども確認されていない。 癲癇とは、神経の興奮が強く働き、興奮作用を抑制する力が弱まることで、過剰な興奮が生じる病気。 手足がぴくぴく震えたりすることはあっても、体中に発疹などが起きる病気ではない。 そのため、鎮痛剤により癲癇を発症して死亡したというのが、現在最も有力な死亡原因といえる。 癲癇による死亡が認識されたのは、1995年以降である。 アグネス・チャンの意味深な発言 アグネス・チャンといえば、香港出身の歌手。 日本でも芸能活動をしている。 代表曲は、『ひなげしの花』『小さな恋の物語』など。 かつて、テレビ番組で司会者がアグネスにブルースの死因を尋ねたところ、アグネスは、 「本当の死因なら香港の芸能人なら誰でも知っている。 でも、命が惜しいから言わない」 と述べた。 …本当の死因を述べたら自分の命が狙われる、ということを意味している。 果たしてどういうことなのか。 香港の芸能界と裏社会の組織との関係は昔から根深く、売れっ子となった芸能人がよくマフィアに金目的などで狙われている事情は、よくいわれていた。 例外なく、ブルースも狙われていたとのこと。 つまり、香港マフィアが何らかの金銭目的でブルースに近づいたが、ブルースから関係を断られ続けていたので、ブルースを暗殺したとする説だ。 アグネスは、このような背景を知っているのか。 日本の暴力団が関わっている説 日本の有名暴力団が、ブルースの暗殺に関わったというもの。 ブルースのアシスタントを担当していたハーセン氏が、ブルースの死因が脳浮腫だと報道されたのを疑問に思い、アメリカの人体学者にブルースの死因調査を依頼したらしい。 その学者の自宅のメイドによると、ある日複数人の日本人の団体が学者の自宅に訪れたという。 ハーセンが死因調査をしている最中、 日本のある企業が開発した電気刺激による筋肉の鍛錬装置器具が、健康に悪影響を及ぼすとして販売停止となったとのこと。 この筋肉鍛錬装置器具が、ブルースの生命に悪影響を与えたという説だ。 ハーセンによると、実はブルースも映画の撮影などの忙しい時期には、その筋肉鍛錬装置器具を使ってよくトレーニングをしていた。 ハーセンはそれに気づき、自宅にあったはずの筋肉鍛錬装置器具を探したが、なぜか消えていた。 しかも、ハーセンから死因調査の依頼を受けていた探偵の調査によると、筋肉鍛錬装置器具の生産元企業のバックにいたのは、日本の暴力団らしい。 しかし後に、学者は死因調査を突如中断しただけでなく、行方不明となった。 つまり、死因調査をしている過程で、ブルースの真相を暴かれることを恐れた日本の暴力団やその関係者に拉致された可能性がある。 古参の中国武術家による陰謀説 ブルースは以前から、中国人だけでなく、様々な国々の生徒に対して、詠春拳やブルースが研究していた独自の中国武術を教えていた。 このことに、古くから中国武術を中国国内で教えている古参の中国武術家はよく思っていなかった。 中国人以外のものに中国秘伝の武術のいろはを教えるのは言語道断という古参らの考えと、ブルースの教え方との間には、対立が生じていたのだ。 古参らの忠告を無視し続けていたブルースに対して、古参らの我慢の限界が訪れ、中国マフィアに暗殺を命じたとするものだ。 ブルース・リーの息子も、ブルースの死の20年後に亡くなった! ブランドン・リー(Brandon Lee)は、ブルースの長男で中国系アメリカ人の俳優。 カリフォルニア州オークランド出身。 空砲としてマイケルに渡された銃には実弾が入っていたのである。 空砲と思っていたマイケルは、銃に対して特に不審に思わず、台本通りに銃をブランドンに向けて撃った。 実弾を腹部に受けたブランドンは、病院に搬送され手術を受けたものの、死亡した。 ブランドンの死を事故死としているが、「不自然すぎる」と疑う声もある。 そもそも、なぜ実弾が入った銃が撮影現場に持ち込まれていたのか。 映画関係者のなかには、ブランドンの死因を、 「ブルースに何らかの恨みを持った者が、ブランドンを暗殺するように仕向けた」 という者もいる。 まとめ ブルース・リーの死因は、様々な推測がある。 100%の断言はできないが、 最有力な死因は、鎮痛剤による癲癇と思うのが自然かもしれない。 癲癇による突然死は起きて不思議ではないのだ。 ただ、一般のメディアでは報じていない 報じられるのを圧力によって禁じられているかも 説も、軽視してはならない。 そもそもブルース以外にも、中国の芸能界と裏社会が深い関係があるのだとすれば、そもそもそれ自体が問題だろう。 とにもかくにも、32歳という若さでこの世を去ったのは、当時も現在でも衝撃だ。 もっと長生きしていたら、現在の武術や格闘技の在り方はもっと進化していたのかもしれない。 現在の総合格闘技の源を作ったとされるのが、ブルースなのだから。 もし、ブルースが今も生きていたら、ブルースは現役の格闘技の選手たちにどんな指導をし、格闘技界をどう変えていたのか。 こんなにも競技化を重視する現代の格闘技に対して、どんなアプローチをしたのか。 最後に。 ブルース・リーの生前最後にして最大のヒット作となった『燃えよドラゴン』を少し紹介する。 武術に少しでも興味のある人は、必ず観た方がいい。 カンフー映画の王様といえる。 本作では、ディレクターズカットをおすすめする。 日本語吹き替え版もあり、特別秘蔵映像もあるからだ。 最近では、インターネットでも観られるようになっているが、ディレクターズカットの動画はインターネット上にはないと思われる。 あったとしてもすぐに削除される。 ブルースの動きが速すぎて、撮影していた当時のフィルムには、ブルースの動きが収まりきらなかった。 そのため、映像監督から「技の動きを遅くしてくれ」と頼まれたほどである。 遅くしてアクションをしても、作品を見れば分かるが、ものすごく速い! また、劇中にブルースがボブウォールにサイドキックを本気で当てたシーンも圧巻だ。 人間が蹴りによってここまで吹っ飛ぶものなのか…と感心してしまう。 ちなみに、ブルースのサイドキックを受けたボブの後ろにいたエキストラも、吹っ飛んできたボブに当たって腕の骨を折った者もいるほどだ。 エキストラのなかには、本物のギャングがいて、撮影の休憩中にブルースに本気の勝負 実戦 を申し込んだ者もいたらしい。 ブルースは、最初は断っていたが、勝負を断ることでエキストラの統率が取れなくなってきたので、あえなく承諾。 勝負は一瞬にして、ブルースの勝利に終わった。 その光景を見た他のエキストラは、その後ブルースの指示にきちんと従い、尊敬の念が止まなかったという。

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ビー・ガン監督の衝撃の長編デビュー作『凱里ブルース』予告

ビー ブルース

9年の刑期を終えて出所を果たした、とある詩人の男。 ところが、彼の妻はすでにこの世を去っており、家を奪われた弟の態度は冷たく素っ気ない。 孤独となった詩人は、亡き母の追憶に浸りながら、故郷に小さな診療所を開くことになる。 貴州省凱里市。 中国南西部に位置し、亜熱帯で霧に包まれた山間部の村が、『凱里ブルース』の出発地点だ。 先んじて日本公開された第二作『ロングデイズ・ジャーニー この世の涯てへ』 では、60分にわたるワンシーン・ワンカット(それも3Dに色付けして)を披露してみせたビー・ガン。 世界を魅了する彼のアイデアは、本作でも同様の輝きを放っており、処女作という限られた予算のなかで、実に40分ものワンカットを成功させている。 ビー・ガンの意欲的な手法を、映画史の傑物と照らし合わせることは難しくないだろう。 たとえば、それはアンドレイ・タルコフスキーであり、タル・ベーラであり、あるいはアピチャッポン・ウィーラセタクンであるかもしれない。 とかく映画狂を、文字通りに発狂させるだけの破壊力は十全に備えており、その力学とリズムは息を呑むほど美しい。 とはいえ、技術論は措いておこう。 こうして多岐にわたる参照項を持ちながらも、私たちが『凱里ブルース』の映像にいささかも既視感を覚えることがないのは、いったいなぜなのだろうか。 言い換えれば、ビー・ガンの静謐なワンカットを、唯一無二のものにしている主題とは、いったい何なのだろうか。 幸いというべきか、すでに『ロングデイズ・ジャーニー』を目撃した私たちであれば、そこに流れる通奏低音を聴き取ることは難しくない。 記憶と時間。 その森の深奥へと分け入るように、あるいは川の淵へと潜り込むように、物語の後半で挿入される幻想的なワンカット。 遊動するカメラワークは一切のくびきを逃れ、主人公の断片化された経験を拾い集めていく。 そこで発された「時計は永遠の象徴だ」という台詞は、私たちの心に鮮やかな痕跡を残していることだろう。 『凱里ブルース』においても、やはり時間のモチーフが象徴的に盛り込まれている。 たとえば、主人公チェンの甥にあたる少年、ウェイウェイが描く時計の絵。 壁掛け時計、腕時計と形を変え、全編にわたって反復されることになるそのモチーフは、本作が時間をめぐる内省的なロードムービーである事実を、ためらいもなく明かしてくれる。 実際、このウェイウェイが父の策略により連れ去られてしまったことで、孤独者チェンの物語は別の時空間へと開かれるのだ。 彼はウェイウェイの行方を探して、同じ貴州省、ミャオ族が暮らす鎮遠の地に向かうことになる。 ところが、その道中でダンマイと呼ばれる奇妙な街に迷い込み、自身の記憶と対峙するのである。 虚実が入り乱れる世界で、チェンは現実の時間軸を見失うことになる。 そこで出会うことになるのが、純朴なひとりの青年と、彼が想いを寄せる可憐な少女・ヤンヤンだ。 ちなみに、このヤンヤンを演じているのはルナ・クォックで、ロカルノ国際映画祭で最高賞に輝いた『幻土』(2018年/ヨー・シュウホァ監督)にも出演している。 中国映画の新時代を牽引する存在として、ビー・ガンともに心に留めておきたい。 話を戻そう。 この二人を水先案内人として、チェンはダンマイの街を観光することになる。 ロードムービーらしく、列車からバイク、そして軽トラックへと乗り換えていく彼の様子を、ビー・ガンのカメラは執拗にトラッキングし、そうかと思えば、今度は勝手気ままな一人歩きを始めるのだ。 あたかも、夢の世界では身体など必要ないと言わんばかりに、空間を自在に漂うのである。 挙句の果てに、チェンのもとを離れたカメラは、ヤンヤンと一緒に小舟へと乗り込んでしまう。 凱里の出身と話す彼女のガイドによって、私たちまでもが街へと招かれるのだ。 「凱里市の東は台江県と雷山県で……」と、ヤンヤンが話すのは故郷の地理と気候である。 40分のワンカットを介して、私たちはこのダンマイの街が、物語の出発地点であった凱里の、チェンの故郷のヴァリアントである事実に気付くだろう。 そこでは母の追憶が水のイメージによって喚起され、妻への愛がポップ・ソングの歌詞に重なり合う。 それだけでなく、この街の青年にはウェイウェイの未来までもが暗示されているのだ。 いわばマジックリアリズム的な手法によって、過去と現在、そして未来の記憶が同時に現前するのである。 もちろん、時を巧みに操る映像作家は、なにもビー・ガンだけではない。 たとえばウォン・カーウァイがそうだろう。 時計のモチーフが印象的な『欲望の翼』(1990年)に代表されるように、彼の作品にも現実とは異なる時間が流れている。 独創的な文法で叙述されるカーウァイの世界観は、少なからずビー・ガンにも影響を与えているはずだ。 とはいえ、それにしても『凱里ブルース』は異質である。 チェンの記憶は時制の概念を超越し、ダンマイという街に偏在しているからだ。 けだしカーウァイ作品のテーゼが「記憶は時間に宿る」であるとすれば、ビー・ガンのそれは「記憶は空間に宿る」ではないだろうか。 彼にとって、記憶が因果律に紐づけられることはない。 『凱里ブルース』における記憶の所在は、私たちが知る世界とは別の次元にあるように思える。 そうだとすれば、開巻劈頭に挿入される金剛般若経の一節は、本作の、そしてビー・ガンという映像作家の、高らかなマニフェストであるに違いない。 「過去の心はとらえようがなく/未来の心はとらえようがなく/現在の心はとらえようがない」という釈迦の教え。 『凱里ブルース』が私たちを誘うのは、この非時間性をめぐる仏教的な思索の旅である。 それは固有の時間性や歴史性を強調するのではなく、あるいは既存の時間軸を解体し、フィクショナルに再構成するのでもなく、ただひたすらに時間の不在を、その否定へと向けた運動を提示している。 本作と次作『ロングデイズ・ジャーニー』を特徴付けるワンカットは、そのための技術的な手段にほかならない。 本作のラストショットでは、再三にわたって反復されたモチーフが実を結ぶことになる。 汽車に描かれた時計の絵が、ゾートロープ(回転のぞき絵)のように動き出すのだ。 それは間違いなく、私たちに映画的な感動をもたらすだろう。 チェンの夢は覚醒へと至り、長い記憶の旅は終わる。 そしてまた、私たちの見知った時間が取り戻される。 実のところ、ビー・ガンが真に撮りたかった映像とは、40分のワンカットよりも、むしろこのラストショットであったような気がしてならない。 現代中国映画における新たなホープの誕生を、これ以上に象徴するショットはないとさえ思えるのだ。 さて、ビー・ガンが次に計画しているのは、いったいどのような旅路だろうか。 この夢幻をいつまでも共有していたい気もするが、一方でまったく別のジャンルへと跳躍するような予感と期待もある。 いずれにせよ、これからも彼は記憶の深奥へと向かって無窮の旅を続けていくに違いない。 そしてまた、私たちも幾度となく想起するはずだ。 本作で描かれた二つの故郷、凱里とダンマイの記憶を。 大学卒業後、会社員を経てフリーランスのWEBライターに。 関心領域は映画を中心に、カルチャーとフィットネス全般。 趣味はランニングで、冬場はフルマラソンにも。 世界を走り続けるために、今日もゴリゴリ書いています。 個人ブログも運営中。

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凱里ブルース : 作品情報

ビー ブルース

9年の刑期を終えて出所を果たした、とある詩人の男。 ところが、彼の妻はすでにこの世を去っており、家を奪われた弟の態度は冷たく素っ気ない。 孤独となった詩人は、亡き母の追憶に浸りながら、故郷に小さな診療所を開くことになる。 貴州省凱里市。 中国南西部に位置し、亜熱帯で霧に包まれた山間部の村が、『凱里ブルース』の出発地点だ。 先んじて日本公開された第二作『ロングデイズ・ジャーニー この世の涯てへ』 では、60分にわたるワンシーン・ワンカット(それも3Dに色付けして)を披露してみせたビー・ガン。 世界を魅了する彼のアイデアは、本作でも同様の輝きを放っており、処女作という限られた予算のなかで、実に40分ものワンカットを成功させている。 ビー・ガンの意欲的な手法を、映画史の傑物と照らし合わせることは難しくないだろう。 たとえば、それはアンドレイ・タルコフスキーであり、タル・ベーラであり、あるいはアピチャッポン・ウィーラセタクンであるかもしれない。 とかく映画狂を、文字通りに発狂させるだけの破壊力は十全に備えており、その力学とリズムは息を呑むほど美しい。 とはいえ、技術論は措いておこう。 こうして多岐にわたる参照項を持ちながらも、私たちが『凱里ブルース』の映像にいささかも既視感を覚えることがないのは、いったいなぜなのだろうか。 言い換えれば、ビー・ガンの静謐なワンカットを、唯一無二のものにしている主題とは、いったい何なのだろうか。 幸いというべきか、すでに『ロングデイズ・ジャーニー』を目撃した私たちであれば、そこに流れる通奏低音を聴き取ることは難しくない。 記憶と時間。 その森の深奥へと分け入るように、あるいは川の淵へと潜り込むように、物語の後半で挿入される幻想的なワンカット。 遊動するカメラワークは一切のくびきを逃れ、主人公の断片化された経験を拾い集めていく。 そこで発された「時計は永遠の象徴だ」という台詞は、私たちの心に鮮やかな痕跡を残していることだろう。 『凱里ブルース』においても、やはり時間のモチーフが象徴的に盛り込まれている。 たとえば、主人公チェンの甥にあたる少年、ウェイウェイが描く時計の絵。 壁掛け時計、腕時計と形を変え、全編にわたって反復されることになるそのモチーフは、本作が時間をめぐる内省的なロードムービーである事実を、ためらいもなく明かしてくれる。 実際、このウェイウェイが父の策略により連れ去られてしまったことで、孤独者チェンの物語は別の時空間へと開かれるのだ。 彼はウェイウェイの行方を探して、同じ貴州省、ミャオ族が暮らす鎮遠の地に向かうことになる。 ところが、その道中でダンマイと呼ばれる奇妙な街に迷い込み、自身の記憶と対峙するのである。 虚実が入り乱れる世界で、チェンは現実の時間軸を見失うことになる。 そこで出会うことになるのが、純朴なひとりの青年と、彼が想いを寄せる可憐な少女・ヤンヤンだ。 ちなみに、このヤンヤンを演じているのはルナ・クォックで、ロカルノ国際映画祭で最高賞に輝いた『幻土』(2018年/ヨー・シュウホァ監督)にも出演している。 中国映画の新時代を牽引する存在として、ビー・ガンともに心に留めておきたい。 話を戻そう。 この二人を水先案内人として、チェンはダンマイの街を観光することになる。 ロードムービーらしく、列車からバイク、そして軽トラックへと乗り換えていく彼の様子を、ビー・ガンのカメラは執拗にトラッキングし、そうかと思えば、今度は勝手気ままな一人歩きを始めるのだ。 あたかも、夢の世界では身体など必要ないと言わんばかりに、空間を自在に漂うのである。 挙句の果てに、チェンのもとを離れたカメラは、ヤンヤンと一緒に小舟へと乗り込んでしまう。 凱里の出身と話す彼女のガイドによって、私たちまでもが街へと招かれるのだ。 「凱里市の東は台江県と雷山県で……」と、ヤンヤンが話すのは故郷の地理と気候である。 40分のワンカットを介して、私たちはこのダンマイの街が、物語の出発地点であった凱里の、チェンの故郷のヴァリアントである事実に気付くだろう。 そこでは母の追憶が水のイメージによって喚起され、妻への愛がポップ・ソングの歌詞に重なり合う。 それだけでなく、この街の青年にはウェイウェイの未来までもが暗示されているのだ。 いわばマジックリアリズム的な手法によって、過去と現在、そして未来の記憶が同時に現前するのである。 もちろん、時を巧みに操る映像作家は、なにもビー・ガンだけではない。 たとえばウォン・カーウァイがそうだろう。 時計のモチーフが印象的な『欲望の翼』(1990年)に代表されるように、彼の作品にも現実とは異なる時間が流れている。 独創的な文法で叙述されるカーウァイの世界観は、少なからずビー・ガンにも影響を与えているはずだ。 とはいえ、それにしても『凱里ブルース』は異質である。 チェンの記憶は時制の概念を超越し、ダンマイという街に偏在しているからだ。 けだしカーウァイ作品のテーゼが「記憶は時間に宿る」であるとすれば、ビー・ガンのそれは「記憶は空間に宿る」ではないだろうか。 彼にとって、記憶が因果律に紐づけられることはない。 『凱里ブルース』における記憶の所在は、私たちが知る世界とは別の次元にあるように思える。 そうだとすれば、開巻劈頭に挿入される金剛般若経の一節は、本作の、そしてビー・ガンという映像作家の、高らかなマニフェストであるに違いない。 「過去の心はとらえようがなく/未来の心はとらえようがなく/現在の心はとらえようがない」という釈迦の教え。 『凱里ブルース』が私たちを誘うのは、この非時間性をめぐる仏教的な思索の旅である。 それは固有の時間性や歴史性を強調するのではなく、あるいは既存の時間軸を解体し、フィクショナルに再構成するのでもなく、ただひたすらに時間の不在を、その否定へと向けた運動を提示している。 本作と次作『ロングデイズ・ジャーニー』を特徴付けるワンカットは、そのための技術的な手段にほかならない。 本作のラストショットでは、再三にわたって反復されたモチーフが実を結ぶことになる。 汽車に描かれた時計の絵が、ゾートロープ(回転のぞき絵)のように動き出すのだ。 それは間違いなく、私たちに映画的な感動をもたらすだろう。 チェンの夢は覚醒へと至り、長い記憶の旅は終わる。 そしてまた、私たちの見知った時間が取り戻される。 実のところ、ビー・ガンが真に撮りたかった映像とは、40分のワンカットよりも、むしろこのラストショットであったような気がしてならない。 現代中国映画における新たなホープの誕生を、これ以上に象徴するショットはないとさえ思えるのだ。 さて、ビー・ガンが次に計画しているのは、いったいどのような旅路だろうか。 この夢幻をいつまでも共有していたい気もするが、一方でまったく別のジャンルへと跳躍するような予感と期待もある。 いずれにせよ、これからも彼は記憶の深奥へと向かって無窮の旅を続けていくに違いない。 そしてまた、私たちも幾度となく想起するはずだ。 本作で描かれた二つの故郷、凱里とダンマイの記憶を。 大学卒業後、会社員を経てフリーランスのWEBライターに。 関心領域は映画を中心に、カルチャーとフィットネス全般。 趣味はランニングで、冬場はフルマラソンにも。 世界を走り続けるために、今日もゴリゴリ書いています。 個人ブログも運営中。

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