に い の とし ゆき twitter。 福満しげゆきツイッターアカウントの魅力

055:1972年から愛用のダッフル・コート

に い の とし ゆき twitter

本郷通りに店を構える「ゆきラーメン 山手」が今年12月に閉店すると発表した。 この店は駒場にある「山手らーめん」の系列店で、本郷での思い出の味に数える東大関係者も多いだろう。 閉店を1カ月後に控えた店主の安東正憲(あんどう・まさのり)さんに今の思いを聞いた。 延長の理由について「恩返しがしたい一心で延長を決めました」としている。 「ゆきラーメン 山手」店主の安東さん(撮影・小田泰成) 「閉店の理由は売り上げの悪化です」と言い切る声に、迷いは混じっていないようだった。 今年の夏以降に売り上げが低迷する中、10月の消費増税とキャッシュレス化の波に対応できなかったためか、駒場での黒字で補い切れないほどまでに赤字が膨らんだ。 「早めに手を打つのが良いと考え、社長と相談して閉店を決めました」 安東さんは9年間で積み重なった思い出の一つ一つを言葉にしてくれた。 ミドリムシを使ったみどりラーメンが当時のインターネットで大きな話題を呼んだこと。 東大みかん愛好会と共同開発したラーメンが毎春の風物詩になっていたこと。 クリスマスに実施した、カットする前のチャーシュー丸ごと1個などが当たる企画が大受けしたこと。 これだけ思い出が多ければ、未練を断つのは難しそうに思える。 しかし安東さんは「人生の中で1度失敗してもどうってことない。 閉店をネガティブに捉えないでほしい」と前向きだ。 今はこれまでの感謝の気持ちを込めて閉店までラーメンを提供することだけを考えているという。 「もしかしたら、いつかまた私が同じ場所に店を開いているかもしれませんよ」とおどける姿に、記者も思わず元気付けられた。 東大生に対する印象を安東さんに尋ねると「よくその質問を受けますが、お客さんに東大生が多いことは今は意識していません」と意外な答えが返ってきた。 そして「昔は意識してたっけな……」と言葉をつなぐ。 特別に意識しなくなるほど店にとって東大生はなじみ深い存在になっていたということだろう。 「ラボの愚痴、キャリア官僚のこと、起業のこと……内容はよく分からなくても、何だか難しそうな話がカウンター越しに聞こえました」と、客席にいた東大生を安東さんは振り返る。 アルバイトの多くも東大生だった。 1、2年生のうちから駒場の「山手らーめん」で働き、本郷に進学すると同時に本郷へ派遣されてくる場合も多かったという。 アルバイトの学生が大学を卒業する時に、部活やサークルの後輩を新しいアルバイトとして紹介してもらうこともあった。 「安庵」としていた店名や看板を変更した過去もある。 「トンチみたいですけど『こだわらないこと』がこだわりでした」と笑う安東さんは「実家のような安心感」がある、気楽に訪れられる店を目指してきたという。 記者自身がふと店に行きたくなっていたのは、安東さんの言う「実家のような安心感」があったからなのかもしれない。 記者が初めてゆきラーメンを食べたのは浪人生時代、東大に現役合格していた高校同期に誘われて出掛けた五月祭の日。 大学に入ってからは駒場・本郷の両方でゆきラーメンを求めた。 背脂が効きつつも不思議と食べやすい優しい味は、授業や課外活動で疲れた心身に染みわたった。 「最後に食べたいという人や、何か話したいという人はお待ちしています。 まだ時間はあるので、焦らずゆっくり店に来てください」。 今後の営業についての情報はで発表予定。 閉店前にもう一度、本郷でゆきラーメンを食べに、そして安東さんがつくり出した「実家のような安心感」を求めに行くのも良いかもしれない。 定番のゆきラーメン。 無料で1. 5玉へ増量できる、学生にうれしいサービスもあった(撮影・石井達也) 2019年12月6日16:20【加筆修正】営業延長に関する情報を加筆しました。

次の

ひろゆき「いまだに1日8時間も働くことの疑問」

に い の とし ゆき twitter

くろすとしゆきは服飾評論家。 日本におけるアイビースタイルを定着させた人物。 1934年生まれ。 慶応大在学中にアイビーファッションと出会い、入学の翌年には長沢節モードセミナーにも入る。 そこで、日本のメンズファッションの第一人者である穂積和夫と出会い、アイビーファッションを好んでやまない仲間らとともに「アイビーリーガース」を結成。 「男の服飾・MEN'S CLUB」という雑誌にも取り上げられる。 雑誌の中でくろすとしゆきは、「一生アイビーでいきたい。 」「アイビーは最もハイ・クラスなファッション。 」「服に興味のない人には、アイビーの魅力は分からない。 」などと語っていた。 当時は、一過性の人気で終わると思われていたが、学生の間で火が付いたアイビーがじわりじわりと一般人へも浸透。 定番のスタイルとして長らく愛されるようになった。 1958年には、国際衣服デザイナー協会から公認スタイルとして見直されている。 また、この雑誌が縁で、VAN JACKETの石津氏と出会い、そのまま入社。 商品開発などを任される。 その後1966年には、「Kent」というブランドを設立。 メンズクラブ誌にもアイビーについてコメントを寄稿するようになり、人気コーナーとなった。 Read More.

次の

ひろゆき「いまだに1日8時間も働くことの疑問」

に い の とし ゆき twitter

「ダッフル・コート」の話をしよう。 今冬は寒い日が続いたので、外出にはダッフル・コートが大活躍した。 わたしのダッフルは古い。 1972年に買ったのだから43年目になる。 実はこれVAN、KENT製でなく、英国の某メーカーのもので、色はキャメル。 なぜ、よそのメーカーのものを選んだかというと、自社製とどこがどう違うものか人体実験のつもりだった。 72年冬、スコットランドへ取材に行くことになった。 真冬のスコットランドがどれくらい寒いのか見当もつかない。 ともかく緯度は札幌より14度も高い、寒いのは苦手だが覚悟を決めた。 防寒着が本気で必要になった。 そこで考えついた、英国製のダッフルなら母国の冬に通用するに違いあるまい。 いい機会だからダッフルの機能についてモニターをしてやろう。 スコットランドの北端インバーネス空港に降り立ったのは72年3月1日のことだった。 (つづく).

次の