ホロフェルネス の 首 を 斬る ユディト。 17世紀イタリアに衝撃を与えた型破りな女流画家、暴力的な画風の背景

ホロフェルネスの首を斬るユディト (ジェンティレスキ)

ホロフェルネス の 首 を 斬る ユディト

ホロフェルネスの首を持つユディット:クラナッハの官能美 壺齋散人の 美術批評 |||||| || ホロフェルネスの首を持つユディット クラナッハは、「ホロフェルネスの首を持つユディット」と云うテーマの絵を、とくに1530年以降、非常に多く描いた。 それらには、切断された男の首を得意げに持つ、若い女性の表情が描かれている。 ユディットという女性を巡る物語は、旧約聖書の「ユディト記」に出てくる。 アッシリア王ネブカドネッサルが、自分に敵対する国々に討伐軍を差し向けたが、ユダヤにはホロフェルネスが差し向けられた。 ユダヤ人たちは、降伏することを決意するが、その時に一人の女性が立ち上がって、敵軍の陣地に忍び込み、敵将ホロフェルネスの首をはねてしまったのである。 将軍を失った敵軍は退却、かくてユダヤは討伐を免れたという話である。 この物語のテーマを何故、クラナッハが繰り返し描いたのか。 色々な推測がなされているが、もっとも有力なのは、宮廷の貴婦人たちの肖像画だとする解釈である。 貴婦人たちから肖像画の注文を受けたクラナッハは、ただ単に婦人たちの表情を描くだけではなく、彼女らをユディットとだぶらせることによって、その気高さを表現しようとしたというわけである。 ユディットとホロフェルネスの関係を、サロメとヨハネの関係に置き換えたものもあるが、こちらは恐らく、貴婦人達には余り評価されなかっただろうと思われる。 ヤークトシュロース・グリューネワルト) || 作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved C 2011-2013 このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである.

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ホロフェルネス

ホロフェルネス の 首 を 斬る ユディト

ユディト(Judith)・・・とは? ユディト(Judith)は、旧約聖書外典の1つである『ユディト記』に登場するユダヤ人女性。 【ユディトの物語】 メラリの娘ユディトはマナセと結婚したが、 夫を日射病で失って寡婦となった。 彼女は美しく魅力的な女性で多くの財産を持っていたが、 唯一の神に対して強い信仰を持っていたため、人々から尊敬されていた。 アッシリアの王ネブカドネツァルは メディア王との戦いにおいて 自分に協力しなかった諸民族を攻撃するため、 司令官ホロフェルネスを派遣する。 ホロフェルネスは軍勢を率いて ユダヤへやってくるとベトリアという町を囲んだ。 水源を絶たれたため町の指導者オジアは降伏を決意するが、 ベトリアに住んでいたユディトはオジアと民を励まし、神への信頼を訴える。 ユディトはそこである作戦をたてる。 それはユディト自身が着飾って ホロフェルネスのもとに赴くというものだった。 ユディトは神に祈って、 ホロフェルネスのもとへ向かう。 エルサレム進軍の道案内を申し出た 美しいユディトをホロフェルネスは喜んで迎えた。 ユディトは、陣中で出される異邦人の食べ物を決して口にせず、四日待った。 四日目にホロフェルネスは 酒宴にユディトを呼び出した。 ホロフェルネスは泥酔し、 やがて天幕のうちにユディトは 眠るホロフェルネスと二人だけで残された。 ユディトは、眠っていたホロフェルネスの短剣をとって彼の首を切り落とした。 ユディトは、侍女と共に、 首を携えてベトリアの町へ戻り、 事の次第を報告した。 やがて、司令官殺害は包囲軍の知るところになり、 激しい動揺を引き起こす。 ユダヤ人はこの機会を逃さず、出撃し、敗走するアッシリア軍を打ち破った。 ユディトは105歳でなくなるまで、静かにベトリアの町で一人暮らした。 【考察】 『ユディト記』の内容には歴史的に正確でない箇所がみられる。 まず、ネブカドネツァルはバビロンの王であってアッシリア王ではない。 またベトリアという町もどこにあったのか特定することができていない。 ナルキッソスは、ギリシア神話の中でも著名だが、 その話についてはいくつかの説がある。 盲目の予言者テイレシアースは、占って 「己を知らないままでいれば、長生きできるであろう」と予言した。 若さと美しさを兼ね備えていた彼は、 ある時アプロディーテーの贈り物を侮辱する。 アプロディーテーは怒り、 ナルキッソスを愛される相手に所有させることを拒むようにする。 彼は女性からだけでなく男性からも愛されており、 彼に恋していた者の一人であるアメイニアスは、 彼を手に入れられないことに絶望し、自殺する。 森の妖精(ニュンペー)のひとりエーコーが彼に恋をしたが、 エーコーはゼウスがヘーラーの監視から逃れるのを歌とおしゃべり (別説ではおせじと噂)で助けたためにヘーラーの怒りをかい、 自分では口がきけず、 他人の言葉を繰り返すことのみを許されていた。 エーコーはナルキッソスの言葉を繰り返す以外、 何もできなかったので、 ナルキッソスは「退屈だ」としてエーコーを見捨てた。 エーコーは悲しみのあまり姿を失い、 ただ声だけが残って木霊になった。 これを見た神に対する侮辱を罰する神ネメシスは、 他人を愛せないナルキッソスが、 ただ自分だけを愛するようにする。 ネメシスは無情なナルキッソスをムーサの山にある泉によびき寄せる。 不吉な予言に近づいているとも知らないナルキッソスが水を飲もうと、 水面を見ると、中に美しい少年がいた。 もちろんそれはナルキッソス本人だった。 ナルキッソスはひと目で恋に落ちた。 そしてそのまま水の中の美少年から離れることができなくなり、 やせ細って死んだ。 また、水面に写った自分に口付けをしようとして そのまま落ちて水死したという話もある。 ナルキッソスが死んだあとそこには水仙の花が咲いていた。 この伝承から、スイセンのことを欧米では ナルシス(Narcissus)と呼ぶ。 また、ナルシスト(ナルシシズム)という言葉の語源でもある。 カラヴァッジョ『瞑想する聖フランチェスコ』 San Francesco in meditazione 1606年 聖フランチェスコ・・・とは? (アッシジのフランチェスコ) 伊=Francesco d'Assisi ラテン語=Franciscus Assisiensis 本名=ジョヴァンニ・ディ・ピエトロ・ディ・ベルナルドーネ Giovanni di Pietro di Bernardone 1182年 7月5日 - 1226年10月3日 フランシスコ会(フランチェスコ会)の創設者として知られるカトリック修道士 「裸のキリストに裸でしたがう」ことを求め、 悔悛と「神の国」を説いた。 中世イタリアにおける最も著名な聖人のひとりであり、 カトリック教会と聖公会で崇敬される。 また、「シエナのカタリナ」とともに イタリアの守護聖人となっている。 原音主義にしたがい、 ここでは、イタリア語の「フランチェスコ」という表記を採っているが、 日本のカトリック教会では、アシジの聖フランシスコと呼び慣らわし、 典礼暦には「聖フランシスコ(アシジ)修道者」と記載されている。 彼の名前を冠した、彼自身によって創設された フランシスコ会もそれに倣い「聖フランシスコ」の呼称を採用している。 美術館に ぽち.

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ルカス・クラーナハ(父)

ホロフェルネス の 首 を 斬る ユディト

この作品はルカス・クラナハ(父)による油彩画である。 画面には『旧約聖書』外典の「ユディト記」に登場する女性の英雄ユディトの上半身が描かれている。 彼女はユダヤのベトリアという町に住む美しく財産のある女性で、若くして寡婦となっていた。 ある時アッシリアのネブカドネザル王(史実ではアッシリアではなくバビロニアの王)に派遣された軍人ホロフェルネスがベトリアの町を包囲した。 町の人々が降伏しようと話し合っているとき、ユディトはそれに反対し、自分が着飾ってホロフェルネスの陣営に行くと言い出した。 彼女が行くと美しいユディトに魅了されたホロフェルネスは快く迎え入れた。 ホロフェルネスは酒宴を開き、夜になって彼女を自分の天幕に招き入れた。 ユディトは酔って眠ったホロフェルネスの首を剣で落とし、次女と共にベトリアの町に持ち帰った。 翌朝司令官が死んだことを知った包囲軍は動揺し、ベトリアの町の人々はユディトの勇気ある策謀のおかげで包囲軍を敗走させることができた。 この絵でユディトは右手に剣を持ち、左手は手前のホロフェルネスの首に置いている。 ホロフェルネスの首の断面は生々しく表現されている。 ユディトは1530年代の流行の衣装に身を包み、口元はわずかに微笑んでいる。 クラナハはユディトの絵を何枚も描いた。 そのうちのいくつかはクラナハによるデザインのもと工房の弟子が描いたものである。 当時このような妖艶で、かつ男性の身を滅ぼすような女性の姿を描いた作品はクラナハ工房の「目玉商品」の一つであったからだ。 他にも「サロメ」「エヴァ」などのテーマが好んで描かれた。 その中でもこのウィーンに所蔵される『ユディト』はクラナハの真筆と考えられている。

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