成り立ち。 漢字の歴史・成り立ち・種類

尾瀬の自然概要

成り立ち

漢字のプリント 漢字は根性でおぼえるものではありません。 たくさん書けば良いというものでもありません。 脳科学の考えにもとづいた、漢字プリントができました。 漢字クイズ カエル館にて) ワンと鳴くカエルの発見されたカエル館のページに 漢字のクイズページが出来ました。 漢字の成り立ちによる分類 一つの漢字がいくつもの分類に入ります。 たとえば、見は、目の仲間と足の仲間にはいります。 まず一つの漢字の成り立ちを考え、次に成り立ちの動画から、他の漢字へとたどって楽しんでください。 漢字の解説 参考文献は、主に字通(白川静 著)によります. また一部 藤堂明保(学研漢和大字典)によります。 漢字の覚え方「感動」の姉妹編 ひらがなの動画ページです。 ひらがなを楽しみながら 覚えましょう。

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漢字の成り立ち【象形・指事・会意・形声】まとめ

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カレンフェルト() カルスト地形(独: Karst)とは、などの水にしやすいで構成された大地が、、、などによって(主として)されてできた地形(などの地下地形を含む)である。 化学的には、空気中の二酸化炭素を消費する自然現象である。 広義には、クロアチアのや中国の、トルコの、アメリカのなどの、大量の石灰分を溶解した地下水や温・熱水からが大規模に再沈殿して作り出される地形も、カルスト地形に含まれる。 これらの場合、基盤地質が石灰岩であるとは限らず、化学的には空気中に二酸化炭素を放出する。 また、や(白亜)、、()などの以外にも、類(岩、など)には溶食性の地形が大規模に形成されることがあり、カルスト地形に含められる。 空気中の二酸化炭素量の増減には関係しない。 ロシア連邦 ()のシンギングロック。 風が流れ込むと音を発する。 岩石はごく微量であるが水にする。 その溶解性は岩石を構成する鉱物種の化学性によって大きく異なる。 石灰岩は大体において石灰質の殻をもつ生物の遺骸が海底に厚く堆積して生じたものであるが、鉱物学的には主として(CaCO 3)からなり、他の岩石に比べて酸性水に対する溶解性が非常に高い。 地表流によって削り取られるが作用することももちろんあるが、そのような侵食作用が働かない所でも、炭酸の作用による溶食で石灰岩が少しずつ水に溶け、地表にはが、地下にはが発達する特異な地形が生じていく。 こうして生じた地形をカルスト地形と呼んでいる。 炭酸を生じる二酸化炭素の主要な供給源は土壌である。 カルスト地形を形成する岩石には、石灰岩のほかに(白雲岩)や石膏岩などがあるが、後二者のカルスト地形は日本では見られない。 語源 [ ] カルストという語は、スロベニアの(岩石を意味する古代の地方名Carusadus、Carsusに由来)に語源がある。 この地方にはから初頭にかけて堆積した石灰岩が厚く分布し、溶食による地形が広く見られるが、地政的にスロベニア語でKras、ドイツ語でKarst、イタリア語ではCarsoと呼ばれてきた。 地表地形 [ ] の円錐カルスト 土壌による被覆が少なく、石灰岩の露岩が主の地帯を裸出カルスト、逆のものを被覆カルストという。 石灰岩の構成成分は大部分が風化(溶食)により流れ去ってしまうため、日本のような純度の高い石灰岩では土壌構成鉱物の微粒子が生成しにくく、石灰岩起源の風化残留性土壌()の蓄積が少ない。 ナンテンやビワ、アザミなどのがよく見られる反面、ツツジやシイなどは石灰岩質の土壌を嫌うせいか、ほとんど生育していない。 しかし地域によっては長い地質時代の間に、風成の()や降下火山灰が厚く堆積し、それらが温暖湿潤な気候のもとで土壌化した赤茶色の土壌が見られることもある。 そのようなところでは一般的な森林の発達も良い。 一般に土壌の発達が少なく、かつ岩盤中の浸透水も流れやすいという性質を併せ持つため、カルストの山地は一般に保水性が悪い。 このため植物群落の発達が限定されることがあり、森林が形成されず草原となっている例が多い。 地表地形の特徴により、多角形カルスト、コックピットカルスト、円錐カルスト、円頂カルスト、塔カルストなどの、気候や場所等の違いにより、乾燥カルスト、地中海カルスト、亜熱帯カルスト、熱帯カルスト、海岸カルスト、高山カルスト、温水カルストなどの総称語がある。 ドリーネ [ ] 雨水が石灰岩の割れ目に沿って集中的に地下に浸透する過程で周囲の石灰岩を溶かすため、地表には(doline: 擂鉢穴・落込穴; 語源はスロベニア語の谷、米語ではほかにsinkhole)と呼ぶすり鉢型の窪地が多数形成される。 直径は10mから1,000m、深さは2mから100mくらいである。 ドリーネは地下の空洞の天井部が陥没することによってもできるが、このような陥没型のものは側壁が急で、グラス形や湯呑み形が多い。 のは、陥没ドリーネに海水が浸入した例である。 ドリーネが徐々に拡大して隣り合った複数のドリーネがつながってより大きな窪地に成長したものが(uvala: 連合擂鉢穴; 語源はセルボクロアート語)である。 地下水位が浅くあるドリーネでは、豪雨時に一時的なドリーネ湖が生じることがあり、珍しい(代表例: 秋吉台のドリーネ)。 雨水がドリーネを通じて地下に流入するため、一般には地上に川が生じない。 そのため他種岩石の地帯のように、谷による地表地形の侵食が起こらない。 地下に浸透した雨水はやがて割れ目に沿って集まり、地下川をなし、大小の洞窟をつくりながら下流へと流れ、山麓に開口した洞窟や湧泉から再び地上へと現れる。 古く日本ではこのような地形を「石塔原」や「墓石地形」と呼んだ。 通常、は雨水による溶食でギザギザと尖っていることが多いが、熱変成をうけた結晶質の石灰岩()では石灰岩柱は丸みを帯びた形を成す。 福岡県のにはこのような円頂型石灰岩柱が無数に発達し、これらを羊群に例えて、それらが特徴的によく発達した地域を羊群原と呼んでいる。 石灰岩柱の表面や、石灰岩柱の間の土壌に埋もれた潜在部には、雨水や土壌水の溶食によって形成された小溝が多く生じ、カッレン(; 語源は独語の車の轍)と呼ばれている。 石灰岩柱が林立し、カッレンがたくさん生じた小起伏の地形は、(karrenfeld)と呼ばれている。 カルスト台地 [ ] のカルスト地形 上述したカルスト地形の形成は、気候の影響(二酸化炭素生産量や降水量)が大きいが、一般にはの小さい地帯で教科書的に進行し、カルスト台地をつくっていることが多い(西南日本内帯の、、、など)。 また南西諸島には、からなる地形を示すカルストが多くみられる。 いずれも溶食によって原面よりも低下してはいるが、その平坦な地形は原地形の平坦性、例えば西南日本内帯の例ではの面()、南西諸島の例では過去の礁原面に由来するといわれる。 地下川のもつ流域面積が分かれば、カルストから流れ出る地下川水に溶けている石灰分の量を測定し、溶食によって原地形が時代とともに低くなる速度を推定することができる。 世界各地で行われた研究から、降水の多寡によって異なるが、中緯度帯の多くの場合に1万年で0. 2〜1. 2m厚さの石灰岩が地表から溶食されると推定されている。 山口県秋吉台の場合、1万年で0. 5〜0. 6mという。 逆にの大きい地帯では、石灰岩の地塊はしばしば急斜面や急崖をもち、上部にカッレンフェルトやドリーネをもつこともある独立峰的な高い山をつくる(や、、、、、など)。 地域によっては、頂上部に平坦面を残すことがある。 これは地表流が生じないという特性に加えて、石灰岩が化学的溶食性を有する反面、他種の岩石に見られるようなを受けないために、化が進まず、岩盤としての抗侵食性が大きいためである。 起伏量の大小を決めるものは、最近の地質時代における隆起速度とその継続時間、ならびに河川侵食の進行度(降水量や隆起後の経過時間、海岸からの距離、下流域の地質による)である。 カルスト谷 [ ] カルストの山地には一般に地表流は見られないが、低地には非石灰岩地帯から流れ込んでくる外来の川や、カルストの地下水が洞窟や湧泉から流れ出る川などがあり、これらの河谷には(吸込穴・飲込穴・嚥穴)や湧泉、洞窟跡、、岩壁、の滝など、独特の景観が見られる。 谷壁が急峻で、峡谷状を呈することが多い。 他生谷: カルスト地帯の上流の非石灰岩地帯から流れ込んでくる外来の河川(代表例: の、の、の)。 (もうこく): とも。 上流からの河流がポノールに潜入し、谷地形がそれよりも下流へ続かず、行き止まりになった谷(代表例: の芳ヶ谷、の、の余多川)。 涸れ谷: カルスト化の進行や侵食基準面の低下によって、かつて流れていた河流が地下を流れるようになり、河道の涸れた谷(代表例: の禅仏寺谷の下流、の)。 ポケット谷(袋谷、袋小路谷): カルスト台地へ袋小路のように入った谷。 よく谷奥の穴から地下川が流れ出ている(代表例: の)。 ポリエ [ ] 溶食が進み、からさらに大きくなった盆地底にが現れ、広い沖積地が生じた地形を(polje; 語源はセルボクロアート語の平野)という。 大きいものでは数百平方kmの広がりを有することがある。 代表的なポリエでは、洞窟や湧泉から流れ出る地下川がポリエ内を流れた後、再び下流側のから地下へ流れ込んでいく。 日本には完全な例はないが、山口県の上流側にある美東町赤郷地区にはこれに近い型のものがあり、縁ポリエ(もしくは縁辺ポリエ)と分類される。 赤郷の平時の風景 2015. 12 ポリエ内は湿性で、季節的な氾濫が起こることが多い。 しばしば広い範囲に湛水し、一時的なポリエ湖を生じることがある。 単なる河川の氾濫ではなく、石灰岩体内の地下水位が広く沖積面よりも高く上昇し、生じるものである。 このような時には普段のが逆に吐出洞へと変わる。 赤郷地区小川(こがわ)の沼ポリエでは数年に一度くらい、豪雨時にポリエ湖が発生することがある。 数日から1週間くらいにわたって水田や畑地が広く冠水する(排水路短絡工事が行われ、近年は発生がなくなった)。 カルスト泉 [ ] カルストの山地は雨水が地下に浸透するため、一般に水に乏しく、例外的なものを除いては湧泉は見られない。 しかし山麓やなどには石灰岩体に貯留した地下水が流れ出たり、湧き上がったりするところが多く、これらを総称してカルスト泉と呼ぶ。 湧出地の様子からみると次のようなものがある。 から地下川が流れ出るもの: の、滋賀県など。 洞窟をともなわず石灰岩の岩間から流れ出るもの: 秋吉台の、広島県の養鱒場の湧泉など。 沖積地において湧き上がり、池や川をなすもの: 秋吉台の温水(ぬくみず)の池、福岡県糸田町の(たぎり)、同の大清水(おしょうず)、大分県佐伯市井上の など。 水文地質学的には上記3つの型の湧泉は、その場所が石灰岩と非石灰岩との岩層境界(不整合、断層、重なり関係など)に位置するか、全くの石灰岩体中に位置するかによって細分される。 海岸線において海水に堰き止められる形で湧くもの: の石灰岩からなる島々の潮間帯に湧くもの。 海底に沈んだから湧くもの: 地中海沿岸の海底泉など、の海面低下時に形成された洞窟に起源をもつ。 地下水の湧き型からみると次のように分類される。 周年性のもの: 1年を通じて常時湧いている。 の、岩手県のなど。 季節的のもの: 雨の多い季節に定常的に湧くもの。 秋吉台のやの地下川など。 一時的なもの: とくに激しい降雨の後だけに湧くもの。 間欠的のもの: 降雨とは関係なく、時間をおいて周期的に湧くもの。 岡山県のなど。 地下水の賦存型からみると次のように大別される。 下深層の地下水が湧き上がるもの: 短期的には降水の影響がみられず、水温や水質、流量等が安定している。 秋吉台の温水の池、福岡県糸田町のなど。 稀には温泉水や(沖縄県本部町の )が湧くものもある。 下浅層の地下水が湧くもの: カルスト泉の多くがこの型に属し、水温や水質、流量等の日変化、季節変化、経年変化等に地表の川と同じような特徴がみられる。 のや、の不動洞など。 より上のを定常的に流れる地下水流が湧くもの: 石灰岩地に接して非石灰岩のつくる山地が広がっている場合などにみられる。 流れ方の特徴は同上。 熊本県、福岡県のやの地下川など。 石灰岩中や被覆土壌中のが湧くもの: カルスト台地上に湧くごく小規模のもの。 秋吉台のやなど。 沈水カルスト [ ] 沈水カルスト地形の空中写真( を基に作成) 特異なカルスト地形として、地質時代に形成された沿岸域のカルストが気候変動等による海水準の上昇によって海面下に没したがある。 カリブ海沿岸のもの(ドリーネの沈水地形であるやなど)が有名で、その奇観がによる探検記録としてよくメディアによって紹介されている。 日本では沖縄海域沿岸部で海中鍾乳洞が幾つか発見されている。 の名蔵湾には日本最大級といわれる沈水カルストがあり、大学院比較社会文化研究院の菅浩伸教授らのグループが2014年に3次元海底地形図を完成させている。 の沈水カルスト地形は、天然記念物に指定されている。 石膏カルスト [ ] 石膏岩は石灰岩と違って二酸化炭素を必要とせずに水に溶解する(溶解度は0. そのため石灰岩地と同じように地下水系が発達し、洞窟やドリーネなど、カルスト地形が形成される。 後述する石灰岩の溶食過程と違い、石膏カルストの溶食は次のように表される。 過去に生じ、現在はそのカルスト化作用が停止しているカルスト地形をいう。 例えば、降水がほとんどない砂漠気候下にあるカルスト地形は過去の湿潤な気候の元で発達した化石カルストである。 また、過去に生じたカルスト地形がより新しい時代の地層に被覆され、保存されているものも化石カルストである。 後者の例としては、の()によって被覆され、後に同層が削剥されたという地史をもつ にあるやは化石カルストの性格を併せもつものともいえるが、詳細はよく分かっていない。 の多くは、地下川による活発な洞窟形成作用が働いているものを除けば、その多くは化石カルストといえる。 偽カルスト [ ] 類(、など)や類(岩、など)以外の非溶解性の岩石等にもカルスト地形に似た凹地や洞穴、溶食性の微地形が見られることがあって、地下水系が発達することがある。 これらを偽カルスト(擬似カルストとも)という。 次のような岩石や土壌等の地帯に見られ、寒冷カルスト、氷河カルスト、レスカルスト、蛇紋岩カルストなどの語がある。 地下地形(石灰洞;鍾乳洞) [ ] 鍾乳洞() カルストの地下地形が発達していく過程には、大きく3つの過程がある。 第一の過程は、石灰岩の割れ目に沿って流れる地下水の作用で溶食が進み、洞窟空間ができていくものである(の形成)。 第二の過程は、地下水中に溶けた石灰分が洞窟内において晶出し、石灰分からなる特異な沈殿物(広義の)が生じ、洞窟が装飾されていく過程である(の形成)。 第三の過程は、年齢を重ねた洞窟が終末期を迎え、崩壊していく過程である。 溶食過程 [ ] 水H 2Oに溶けた二酸化炭素CO 2から炭酸H 2CO 3が生じ、炭酸と石灰岩の主成分である炭酸カルシウムCaCO 3との化学反応によって溶食が進むものである。 土壌中を浸透した地下水には多量の二酸化炭素がからとけ込んでいる(大気から雨水に溶け込む量の数倍から百倍程度)。 最初は微小な割れ目に沿って石灰岩が溶食されていくが、やがて水みちは大きくなり、いずれかの流れやすい流路を選んで水が流れるようになる。 こうして流量が増えてくると、砂礫や砂などが流れ込むようになり、溶食以外に水流による侵食()も加わって洞窟と呼ばれるような大きな空間が形成される。 空間がある程度大きくなると天井や壁面の崩落・崩壊が起こることがあり、空洞が一時的に埋まるが、地下川がある場合には局所的に流速が早くなり、溶食作用が強く働くようになって洞窟の拡大がより進行する。 この溶食過程を化学反応式で示すと次のようになる。 このような地質的な要因は地表地形の溶食型にも大きく影響する。 雨水が直接に石灰岩体内に流れ込む場所として、がある。 ドリーネ底には大小さまざまの縦穴や斜めに落ち込んだ洞窟がある。 多くの場合は泥や岩礫などで埋まっていて直接見ることができない。 また、石灰岩以外の山地から流れてきた水流(他生谷)が石灰岩の地帯に入ったところにも、同じように洞窟が開口していることが多い(川の水が自然と石灰岩の河床の割れ目に浸透してとなり、洞窟が見られないことも多い)。 谷尻の洞窟へ流れ込んだ水は下方にまで流れ落ちていく(地下水面が浅くある所では、水は横穴を穿って流れ込んでいく)。 起伏量の大きいカルスト地帯で、地下水面が深く、流量が十分にあると、ポノールは深い縦穴をつくる(代表例:新潟県の)。 に達した水は横方向へ流れ、次第に合流して主流へと成長し(地下水面の等高線的形状からという)、最後には石灰岩体の下流部、山麓に開口した洞窟あるいは湧泉から再び地上へ流れ出る。 地下水面に沿って溶食が進み、横断形が扁平な洞窟ができる。 流量も多くなり、大型の横穴洞窟をつくることが多い。 流域上流部や、地下水谷と地下水谷の間の尾根をつくる地域の地下水面は、降雨(季節)によって大きく高度を変えるので、地下水面に沿う洞窟は発達しにくいが、地下水谷では洞窟の発達によって排水能力が増すため、地下水面は安定的なものとなり、長大な洞窟形成が加速される(代表例: 山口県のや)。 帯よりも深層の地下水はふつう流れがほとんどないため、洞窟形成作用は大きくない。 しかし水理的条件がととのうと、割れ目に沿って被圧性の地下水の流れが生じることがある。 またと呼ぶ炭酸による特殊な溶食作用も働く。 飽和水帯(とも)起源の洞窟は溶食作用が上下左右いずれの方向にも働いたことを示す円形や楕円形などの断面形を示し、時には地下水流が重力に逆らって上方へ向かって流れたことを示す流痕のある縦穴や斜洞が見られる。 飽和水帯型の洞窟は、地盤の隆起によって排水された場合にのみ、人が入ることが可能になる(代表例: 熊本県の)。 沈殿(装飾)過程 [ ] 石灰分の晶出は、外気と洞内気の温度差によって人が通過できないような割れ目や穴をも流れる気流()のために、洞内気の組成は外気とほとんど変わらないという理由で起こる。 つまり洞内気の二酸化炭素は外気(0. すると溶存していた石灰分は二酸化炭素が逃げた分だけ水に溶けていることができなくなり、沈殿を始める。 こうして(、、、)ができ、洞窟内が装飾されていく。 この沈殿過程を化学反応式で示すと、上述の式とは逆に次のように記される。 まれに同じ化学組成で、結晶構造が異なるからなるものも見られる。 これらが洞窟内に特異な風景をつくっている。 中には光を当てるときらきら光り美しいものがあるが、細かいの結晶面が暗い洞窟内で照射光を反射するためである。 主な種類には次のようなものがある。 : 天井から垂れ下がるもの(つらら石とも言う)。 広義にはの意。 : 床面から上に向かって生えるもの。 : 鍾乳石と石筍が繋がった柱状のもの(石灰柱 、石灰華柱 、石灰石柱 、石灰岩柱 とも)。 注)石灰石柱や石灰岩柱には洞窟母岩の石灰岩が残柱状に溶け残ったもの(柱石 )を、また石灰岩柱には地表に露出するピナクルを指す用法もあり、統一されていない。 : 畦石、輪縁(辺)石とも。 緩い傾斜面に生じた棚田のような形のもの(秋芳洞の百枚皿が有名)。 畦石群からできた全体の微地形を石灰華段(石灰華段丘とも)と呼ぶ。 : 流華石。 壁面を被って流れた形のもの(よくクラゲの滝登りとか、石の滝というような名称が付けられている)。 「流れ石」という直訳がしばしば用いられるが、イメージとしてそぐわず、適当でない。 : 石幕、石灰幕。 オーバーハングの壁面に旗状に垂れ下がったもの。 崩壊過程 [ ] 天然橋の唐門() 地表の侵食(溶食)が進んで洞窟の天井をなす岩層が薄くなったり、空洞が極度に大きく成長した場合などには、洞窟は崩壊を始める。 また、地下水面下で発達中の地下川洞窟系が、何らかの原因(地下水の汲み上げや鉱山開発による排水など)による地下水位の急激な低下によって浮力による支持を失い、大きく陥没することがある。 地下川系をなす空洞の天井の一部が崩落し、陥没が生じると、地上から底を流れる地下水が見えることがある。 これをカルストの窓(天然井戸、地下水流の窓とも)という(代表例: 鹿児島県のや田皆、ユカタン半島のなど)。 洞窟内の局地的な天井や壁の崩落は、地表侵食の進行度とは関係なくよく見られる現象である(代表例: 山口県の)。 洞窟系全体にわたって崩壊が進んだり、盲谷とポケット谷の連結に際して、一部が橋のように残ることがある。 これをと呼び、カルスト地帯に多い(代表例: 広島県の唐門や、岡山県のなど)が、は石灰岩地以外にも作用や作用によって多く生じている。 洞窟の分類 [ ]• Slovene Classical Karst - Kras -, pp. 11-14;ZRC SAZU, Ljubljana, 1997• 秋吉台の自然観察, p. 88;秋吉台科学博物館, 1984• 「石灰岩柱」は、洞窟内において溶食から溶け残った残柱状の壁(柱石)、あるいは鍾乳石と石筍が繋がった柱状のを指す用語としても用いられる。 秋吉台学術調査報告書;山口県教育委員会, 1957• Karst Geomorphology by J. Jennings, 1985. Blackwell. 洞窟学雑誌, 30巻, 2005. 日本洞窟学会• 大分地質学会誌特別号, no. 5, 1999• 日本の天然記念物, 1995. 講談社• 八重山毎日新聞、2014年8月28日• 日本の地形6 近畿・中国・四国, 2004. 東京大学出版会. 洞窟研究, no. 4, 1971. 山口ケイビングクラブ• 富士宮市立郷土資料館調査報告書, no. 2, 1991. 裾野市教育委員会• 裾野市文化財調査報告, no. 5, 1992. 裾野市教育委員会• 北九州市文化財調査報告書, no. 67, 1995, 北九州市教育委員会• 地学研究, vol. 13, no. 10, 1963. 日本地学研究会• 鎌田泰彦教授論文選集, pp. 299-307. 1991. 鎌田泰彦教授退官記念事業会• 鹿児島県立博物館研究報告, no. 1993• 314;古今書院, 1973• 新版地学事典, p. 686;平凡社, 1996• カルスト-その環境と人びとのかかわり-;大明堂, 1996• 秋吉台の鍾乳洞-石灰洞の科学-, 1980. 河野通弘教授退官記念事業会 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 カルスト地形に関連する および があります。 外部リンク [ ]•

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漢字の歴史・成り立ち・種類

成り立ち

3-1. 3-2. 3-3. 3-4. 3-5. 3-6. 漢字の歴史 漢字は今から3500年ほど昔、紀元前15世紀頃に中国大陸で作られたと推定されています。 その前から漢字の先祖らしいものはあったようですが、考古学資料に基づいた確かな漢字の原形として存在する最古のものは殷王朝の前期(B. 16世紀~B. 14世紀)の遺跡から出土しています。 その後殷王朝の後期の遺跡・ 殷墟 いんきょ(河南省安陽市)から大量の 甲骨文字 こうこつもじや 金文 きんぶん(祭礼用の道具に鋳込まれた漢字)が出土しました。 ヒエログリフ。 甲骨文字と金文 中国の漢字の祖先と言えばまず思い浮かぶのは「」です。 甲骨文字とは、占い用に使った亀の甲羅や獣の骨に占いの内容を刻んだものです。 甲骨は硬いので腐食することなく、作られてから3千数百年後の近代において発見されました。 これまでに発見された甲骨文字は7万片で、文字数は約100万、最古の漢字資料となっています。 甲骨文字の次に古い漢字資料に「」があります。 金文とは、祭礼用の青銅器に鋳込まれた銘文(めいぶん 器物に刻まれた文字。 内容は器物制作の由来や祈願など)のことです。 金文は殷王朝の時代から作られていましたが文章は短く、周王朝になると長い銘文が現れ、その内容から当時の社会を知ることができます。 以上6種類を「六書」と言います。 漢字を形作る方法としては最初の4タイプ・「四書」のみで、どの漢字であってもこの4タイプのどれかに属します。 「転注」と「仮借」は4タイプで作られた漢字をほかの用途に応用する意味であって、造語の方法ではありません。 漢字の書体の変化 漢字は絵のような古代文字の時代(甲骨文字・金文)からだんだんと書きやすく読みやすい符号へのその字体を変えていきました。 以下は時代ごとに変化していった字体名です。 字体名の歴史 時代 字体名 殷~周代 甲骨文字 殷~漢代 金文 秦代 篆書(てんしょ) 秦~漢代 隷書(れいしょ) 漢代~ 草書(そうしょ) 漢代~ 行書(ぎょうしょ) 三国六朝~ 楷書(かいしょ) 甲骨文字・金文については上で簡単に触れましたので、ここでは篆書以降について説明しましょう。 篆書(小篆) 西周のあとの東周時代になると周の王室は権威を失い群雄が割拠し、やがて戦国時代(B. 475~B. 221)となっていきます。 こうした時代では文字は各地方によってバラバラになり異体字も増えていきました。 やがて中国全土を統一した秦の始皇帝はさまざまな制度を打ち立て、その中には文字の統一もありました。 「篆」という文字には「弯曲した線状の描画」という意味があり、甲骨文字・金文・戦国文字は「大篆」と呼ばれます。 始皇帝が定めた統一文字は形が大篆より簡単なので「小篆」と呼ばれました。 この小篆の字体は整った長方形に左右対称、筆画は丸みを帯びています。 秦朝政府の公文書はみなこの小篆で書かれました。 皇帝の詔(みことのり)に使われたので「皇帝の文字」とも言われます。 隷書 小篆をさらに簡略化した文字です。 役所で小篆が書かれていた頃、民間では速く書けて便利なのでこの「隷書」が流行りました。 隷書の時代になって漢字は完全に象形文字から離れ抽象的な符号になりました。 「隷書」という字体名のいわれとしては、下層官僚の奴隷が公文書を書き写す役目を受け持ったのでと呼ばれたとか、隷書は最初正式の字体ではなく民間で用いられる字体だったのでこれを卑しんで徒隷(罪人)の書と呼び、そこからこう名付けられたなどの説があります。 小篆の丸みを帯びた線は隷書ではまっすぐになり、点や横・縦・はらいのような書き方も生まれました。 草書 草書は隷書を続け書きしたものです。 草書は識別が難しいので実用性には欠けますが美しく芸術性が高い字体です。 楷書 楷書は「真書」とも「正書」とも言います。 字のお手本だったので楷書という名がつきました。 楷書は隷書より書きやすく、草書より識別性が高いので今日に至るまで広く使われ、標準字体となりました。 行書 楷書を速書きすることで生まれました。 行書は楷書と草書の中間くらいに位置する字体です。 「書聖」として有名な東晋(317~420)の 王 おう 義之 ぎし(303~361 は楷書・行書・草書すべてをすばらしく書いたと言われます。 この王義之が書いた『蘭亭序』は「天下一の行書」と言われています。 今から思えばずいぶん不便な道具ですが、この道具以前は青銅器などに刻んでいたのですからそれに比べたら圧倒的に便利で、当時の人は文化の進歩に驚嘆したことでしょう。 こうして文字(漢字)は社会の一握りの上層階級からより広い階層へと広がり、孔子や老子などの思想の伝播も竹簡など書写道具の進歩や普及と切り離すことはできません。 「紙」は105年に後漢の 蔡 さい 倫 りんが樹皮や麻などから作って皇帝に献上したという記録が『後漢書』にあります。 この時代以前から、蚕から絹糸を作り出す際に残った糸くずを洗ってできた薄い膜を紙のようにして利用していたという説もあり、それを蔡倫が「紙」として改良したのではないかと言われています。 紙の発明も当時の大事件だったことでしょう。 それから2千年の月日が流れ、今「紙」はその役目をコンピューターに譲りつつあるのかもしれません。 漢字の読み方と「反折」 「 反折 はんせつ」とは後漢の終わり頃に生まれた漢字の表音法…漢字の読み方を表す方法です。 漢字は1文字1 音節 おんせつ(音声上の単位)ですが、この音節は 声母 せいぼ(子音)と 韻母 いんぼ(母音)に分けられます。 「反折」は中国語のこの特徴を生かして漢字の音を説明します。 たとえばAという漢字の音を説明する時に、Bという漢字からその声母を借り、Cという漢字からその韻母を借りて説明します。 漢字音の辞書…音韻の辞書には「A BC反」 とか「A BC切」とか書かれています。 反も切も同じ意味で使われますが、「反」は意味的に嫌われ「切」が使われることが多いようです。 この時BやCの漢字は誰でも知っているようなものを用います。 Aの読みがわからないから調べているのに、BもCもわからなければ調べる意味がないからです。 たとえば「A(娘)」という漢字の読みに「B(女)C(良)切」とあれば、B(女)が声母を表し、C(良)が韻母を表します。 「女」の声母はn、「良」の韻母はiangですので、合わせてniangとなり、これが「娘」の音・読みになります。 ただし漢字の読み方は時代とともに変化していくので、古い音韻辞書の中の漢字と現代音の多くは異なります。 漢字字典の古典『説文解字』 言葉や文字を学ぶ時辞書は不可欠です。 ここでは今から2千年前近くに作られた字典『説文解字』を紹介しましょう。 『説文解字』は当時としてはきわめて実証的な態度で編まれ、後世に大きな影響を与え続けた字典です。 『 説文 せつもん 解字 かいじ』……後漢の許慎の編。 西暦100年成立。 中国最古の部首別漢字字典です。 9353個の漢字の仕組みを分析し、その分析に基づいて分類配列し、義(言葉の意味)を探ったものです。 部首の総数は540、今も使う漢和辞典などの部首法はここに始まりました。 また「六書」は許慎が考え出したものではありませんが、許慎は『説文解字』にある漢字すべてに、それらが六書(正しくは四書)のどれであるかを示しました。 女文字・則天文字 漢字は日本を含めたアジア圏においてそこから派生した文字(日本ならひらがな・カタカナ)を生んでいますが、中国国内においても同様の例が見られます。 たとえば中国南部には女性だけが用いた「女文字」というものがありました。 また唐の則天武后(624~705)の時代には彼女自身が制定した「則天文字」があり天下に使用を命令しました。 ほとんどは元の字を複雑化したものですが、「星」だけは「〇」となっていてきわめて単純化されています。 武后の死後これらの文字は廃されましたが、「圀」(くに 水戸黄門・徳川光圀の圀)だけはなぜか日本で生き残りました。 簡体字と繁体字 3千年以上の歴史を誇る漢字ですが、清末民初(清朝の末期から中華民国時代の初め)の頃西欧文明の襲来とともに危機にさらされるようになります。 中国近代文学の祖「魯迅」(1881~1936)は「漢字が滅びなければ中国は必ず滅びる」とまで書いています。 このような危機感を持つ知識人は当時たくさんいました。 その原因は漢字の数の多さと習得の難しさにあります。 この時代非識字者(まったく文字が読めない人)は人口の8割を占めていたと言われています。 中華民国成立後の1918年、「注音字母」が公布されましたがこれは発音記号であると同時に一種の表音文字をめざすものでした。 現在では台湾で発音記号として用いられている以外は使われていません。 1949年新中国が成立すると「中国文字改革協会」が発足します。 1951年毛沢東は「文字はかならず改革し、表音化の方向に向かわなければならない」と指示しました。 1958年に「漢字ピンイン方案」が公布されましたが、この「ピンイン」とは中国語の音を表すローマ字のことで、今も中国語の発音記号やフリガナとして使われています。 また1956年から1959年にかけては「漢字簡化法案」が公布され、517の簡体字が正式に使われるようになりました。 こうして中国では現在省略化された漢字である「簡体字」が用いられ、表音文字化をめざしたピンインは発音記号として用いられ漢字に代わるものにはなっていません。 かつてあれほど問題視された漢字ですが、現在ではむしろ漢字の優秀さが見直され、昔のままの漢字である「繁体字」復活のきざしさえ伺えるようになっています。 日本に伝わった漢字とその音 漢字が日本に伝わったのは西暦1世紀前後です。 この時の漢字の読み方を、和語(当時の日本語の音)・「字訓」に対して「字音」と言います。 「訓読み」に対する「音読み」です。 元の中国語音が1漢字1音節であるのに対し、この「字音」・「音読み」は1拍か2拍の音として受け入れられました。 たとえば現代音で言うなら「愛」は中国語では「ai」となめらかな1音節ですが、日本語の音読みでは「ア+イ」と2拍になります。 (話がそれますが、現代中国語の発音を学ぶ際この違いをきちんと理解していないと、中国語がきわめて日本語的な響きになってしまいます) 日本に伝わった中国語の音は時代によって異なり、たとえば「行」(ギョウ)は南北朝の呉から伝わった「呉音」です。 元の中国語は語尾がngで、当時の日本人もngで発音していましたがこれはやがて母音(ウ)に変わっていきました。 (また話がそれますが、中国語の発音を勉強したことのある人・している人はよくおわかりの通り、日本人がこのngの音を身につけるのは英語のr並みに困難です。 古代の日本人が大和言葉を話しながら、一方でこの中国音を字音として母語・日本語に取り入れ自在に操っていたとするなら驚異的ですが、おそらくは面倒、あるいはうまく言えなくて消えていったのでしょう。 このngの音を巡って悪戦苦闘をしたであろうご先祖様に非常に親近感を覚えます…) 「行」(コウ)は唐代の発音が伝わった「漢音」です。 日本に伝わった漢字音として最も多いのがこの「漢音」です。 「行」(アン)は宋~清代の発音が伝わった「唐音」で南方の音です。 この音は「行火(あんか)」「行燈(あんどん)」などに残っています。 国字 国字とは日本人が漢字の構成法を使って作り出した和製漢字のことです。 日本人は「会意文字」の方法、つまり意味的側面から漢字を組み合わせて新しい漢字を作りました。 たとえば 峠:とうげ 山の上り下りの境目 辻:つじ 十字路 畑:はたけ 穀物や野菜などを作る農地。 昔は焼き畑を意味した。 「畠」も国字でこちらは焼き畑ではない畑作農地 躾:しつけ 礼儀作法を教え込むこと 鱈:たら 冬捕れる魚。 または身の白い魚 鰯:いわし 弱くて傷みやすい魚 国字に特に多いのが魚ヘンの文字です。 国字は中国語にないので、こうした文字が名前にある場合、漢字の一部を中国語で読みます。 魚ヘンの魚は中国にないものが多いのでこれも漢字の一部をそのまま中国語読みします。 英語のサーディンから来ている)と言います。 「今年の漢字」 日本では1995年から「漢字能力検定協会」がその年を代表する漢字を募集し、2017年は「北」が選ばれました。 北朝鮮のミサイルが話題になったり、葛飾北斎の展覧会が盛況だったりなどが理由です。 近年は中国・台湾・香港・マレーシア・シンガポールなどの漢字圏でも同じイベントが行われています。 中国の2017年を代表する漢字は「享」でした。 この言葉は「共享」(シェア)から来ています。 シェア自転車が話題になった年でした。 台湾では同じく「茫」が選ばれています。 茫然の「茫」です。 台湾の今後がはっきり見えないということから来ているようです。

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