勝つ の が 好き なん だ よ。 テニミュ3rdの幸村精市は「テニスを諦めない」

悪役名簿 フレイザード

勝つ の が 好き なん だ よ

恋のライバルに差をつける! 余裕を持つための4つの方法 恋のライバルとなる他の女性に差をつけて、意中の彼を手に入れる方法をご紹介します。 一見、遠回りに見える方法でも、男ゴコロを考えると実は一番の近道!というポイントです。 好きな男性の近くにいる恋のライバルが「勝てないかも」と弱気になるくらい素敵な女性の場合、焦ったり心配になったりするのは当然のことですね。 「自分も魅力的で素敵な女性だ」という自信を持つことも、恋のライバルに勝つための重要なポイントのひとつ。 恋の邪魔をするのは「ライバル」ではなく、自分の中にある「焦り」!そのことを頭に置いておけば、自然なアプローチで大好きな彼を振り向かせられるハズ ライバル女子との差をつけて、 余裕を持ってカレとの距離を縮める4つのポイントをご紹介します! カレを知ることで? アプローチ方法が見えてくる! 男性が女性の外見に惹かれやすいのは事実。 でも、長く付き合おうと思う女性を選ぶときには、 優しさや同じ価値観を求めるもの。 また、 自分の夢や存在を肯定してくれることを重視します。 また、カレの男友達と仲良くなって、情報源を増やしていくのも手。 過去の恋愛事情を聞き出して、どんな女子がタイプなのかを聞き出したり、どんな価値観を持っているのかなど、ライバルとの差もグッと広がりますよ まずは 彼が何を必要としているかを理解し、応援してあげることからスタート!それに応えてあげることができれば、彼は絶対あなたに振り向いてくれます。 恋以外にも夢中になれることを見つける! 男女問わずやはり魅力的に見えるのは、 仕事や趣味に熱中している異性の姿! もちろん、あまりにもそれら一筋というのも困りものですが、 何かに夢中になっている女子の様子は、男子が恋に落ちるには十分なキッカケとなるのです。 控えめな態度でも? 「好き」はしっかり伝わる! 彼が仕事や趣味、勉強などに夢中になっているときは、それを邪魔しない控え目な接し方も「好き」という気持ちを表す方法のひとつ。 彼が落ち着いたときには、あなたの優しさや気遣いこそが「ホンモノの愛情」だと感じるようになっているハズ! 男性へのアプローチにおいては、積極性も程度問題ってことですね。 周囲がこぞって好きな男性へアプローチする中、 カレを見守る愛情表現を身につけることが恋愛成就につながります 4. ライバルから学ぶことを忘れない! 気になる人にオンナの影を見つけると、つい慌ててしまったり、ライバル心ばかりをメラメラと燃やしてしまいがちですよね。 でも、ここで忘れてはならないのが、 ライバル女子の存在を、自分のモチベーションアップに活用するということ! ライバルが多いなら? そこからアプローチを盗むのもアリ! モテるオトコを好きになってしまった場合、「こんなに相手がいるなんて…。 」と落ち込む方も少なくないハズ。 でも、 ライバルは多ければ多いほど、それだけアプローチでのヒントやお手本があるということを忘れてはいけません。 「なんだかカレ、彼女といるときはすっごくデレデレしてる…。 」なんて場合は、まず相手に対し 嫉妬心をむき出しにするよりも、自分と彼女のアプローチの違いを見極めることが肝心なのです! 数多いライバル女子の中で、彼が一番仲良くしているのは誰なのか、冷静になって観察するチカラをつけましょう! ライバルを最大のカベだと思わない! 恋愛する上で、「恋のライバル」という存在に対する思いは、どうしてもネガティブなものになってしまいがちです。 「ライバル多すぎ!競争率高い!」 「私以外にもカレを好きなオンナが…。 しかもすっごく美人。 」 「女友達と同じ人を好きになっちゃった…。 」 事情にもよりますが、やっぱり気が滅入ってしまうものですよね…。 しかし、ここで諦めてしまっては、彼からのアプローチがない限り、二人が恋人関係に発展する可能性は限りなくゼロに近づいてしまいます。 恋する女子にとって、一番の脅威は 「諦め」と「焦り」! 彼を好きな女子の存在を、今の恋に対するエネルギーに変えることが、恋のライバルに勝つ方法の何よりの秘訣ですよ.

次の

【ジョジョ】甲冑を脱いだシルバー・チャリオッツvsタワー・オブ・グレー←どっちが勝つ?もしくはどっちが速いと思う?

勝つ の が 好き なん だ よ

会議の場でも、チーム内や個人間のやりとりにしても、やたらと議論をしたがる「議論好き」な人は迷惑な存在です。 議題がややこしいわけでもないのに、議論好きな人がかき乱すのでなかなか決まらない。 人の意見に必ず反対して議論をふっかける人のせいで活発な意見交換ができない。 そういった困りごとに直面している人もいらっしゃるでしょう。 今回は、迷惑な議論好きを上手くあしらう華僑流の処世術をお伝えしたいと思います。 もちろん、議論することによって多様な意見が引き出されたり、盲点が明らかになったりするなど議論のメリットはたくさんあります。 周囲にとって迷惑となるのは、議論することを目的に議論を挑む「議論好き」です。 分かりやすいのは好戦的な人です。 人の提案や意見の粗探しをして議論に持ち込む、このような人は「議論好きです」「面倒かけます」と顔に書いてあるようなものですので、周囲もそういう人だという前提で距離を置いて付き合っていることが多いでしょう。 また、「君はどう思う?」と意見を求めておきながら、相手の意見が自分と違えば「それは違うんじゃない?」と論破しにかかる人もいます。 相手の意見を尊重するように見せかけて自分の考えを押し付けようとする、このようなタイプは一見分かりにくいので、距離の取り方に注意が必要です。 いずれにしても、議論に勝つことで自尊心を満たそうとする傾向があるという点は同じです。 根底にはコンプレックスがあったり、早く結果を出そうとするがゆえの焦りがあったりするので個々を見極めて対策するのがベターですが、共通して言えるのは「議論好きを議論で言い負かしてはいけない」ということです。 言い負かせばしつこく仕返しをされ、邪魔をされるのは目に見えています。 議論好きのターゲットになって得なことなど一つもありません。 「不敗」のポジションで戦わずして勝つ 議論好きとは関わらないのが一番ですが、そうもいかない場合、直接戦わずにこっそり勝つ方法を知っておけば安心です。 「戦わずして勝つ」といえば、『孫子の兵法』。 日本でもメジャーな中国古典の一つですから、ご存知の方は多いでしょう。 孫子は、勝つといっても、自軍にも敵軍にもダメージが少ない勝ち方が良い勝ち方だと伝えています。 それには敵の戦意を喪失させるのがベストですが、圧倒的な力の差がない限りなかなか難しい。 そこで重要なのが、勝ってはいないが負けてもいない「不敗」の状態を保つことだと孫子は説いています。 自らは不敗の立場にあって、敵の敗形に乗ぜよと。 つまりこちらは守りを固めて隙を見せず、相手に隙ができたところで仕掛ければいいというわけです。 華僑はこの考え方をベースにしつつ、さらに慎重です。 味方の少ないアウェーでお金儲けをしようとする華僑にとって、分かりやすい勝敗はリスクです。 はっきりと相手を負かしてしまえば敵を増やしますし、負ければ利益を奪われてしまいます。 ですから相手に隙があっても自分が直接攻めることはしません。 相手が自滅したような形にもっていくことを考えます。 そういった自由闊達な議論を歓迎せず、ことなかれ主義の組織にいる人間がこの記事を書いた者のような反応をするのではないか。 その人達にとって「迷惑」だからと言って、物事の筋や会社の利益に照らして悪い訳ではない。 実際、私が見てきた中でも、議論を経験した人間から見て(多少の意見が整理しきれていない点があったとしても)大事なポイントなのに理解しようとせず勝手なイメージで煙たがっている例が少なくない。 「言いたいのはこういうことか?」という確認を1つ入れてあげれば、その場にいる人間にとっても質問者の意図が伝わり、議論が整理され活発になっていくような場面はかなり多い。 (あえて「議論好き」の人間側に言えることがあるとすれば、質問の意図を明確にすることだろう。 それだけで「煙たがられる」ことはその組織に問題が無ければかなり減るはずだ。 ) こうしたレッテル貼りが起きるのは、元々の国民性に加えて日本人が議論自体を学んで来なかったことが原因だろう。 10年前であればむしろ議論を積極的に行える組織風土に変えて行こうという流れがあったが、今では逆のベクトルになり若い世代にもそうした「上の人間」達の意向を「忖度」する傾向さえあると感じる。 議論を歓迎しない組織が中長期的には低迷していくことは既に立証されている。 歴史に学ばず自分たちのムラ社会性までも正当化するようになったこの国のビジネスの未来は暗い。 こうした記事を読まれている人には近年増えてきている「そうだそうだ!」と溜飲を下げるようなタイプの人が多いのかもしれないが、そうした重力に屈することなくレッテル貼りをしないで一旦意見に耳を傾ける癖を付けてみてほしい。 その議論をする人間が主張したいポイントと意図を確認するだけでも、そうした偏見は晴れることが多い。 もしその人間のポイントが本筋とズレていたなら主張をした人間も十分に理解できるだろう。 そうした理解の積み重ねが自由な議論をする組織風土に繋がっていくはずだ。 みんな議論好きに遠慮してんだよね。 異動のないせいなのかもだけど。 この人の言ってることはみんなしてるんじゃないか。 今の若者は何も言わないよ。 上に忖度。 オープンなところで言わないで、あとでグダグダ・・・・・ 孫子とか言ってるけど、孫子はトップの心構えを言ってるんじゃないか。 兵隊の心構えなんか説いてないと思う。 うまく回すためにはバカを排除しなけりゃ始まらんよ。 所詮上長の能力だよね。 バカを黙らせることができるかどうかは。 このコラムの状況は行司役がいる前提なんですよ。 実際の現場は行司が議論好きなんですよ。 で、行司が恨みを晴らすんだよ。 査定で。 みんなこの人のいう孫子ですよ。 誰かになんとかしてほしい。 会社がうまく回ればいいはその通りだけど、それは末端の一人の力で変えられるものではない。 末端が全員でアホを排除するかしないとね。 東芝も排除しなかったからああなったんだと思います。

次の

坂東英二とか言う単なるゆで卵好きからいつの間にかやべー奴になってたおっさん: みじかめっ!なんJ

勝つ の が 好き なん だ よ

凱旋にして漸く3rd全国公演後編を観ることが叶った私は、3rd幸村が踊る『幸村のテニス』を観て涙を流した。 私はテニモンの中でも「(元)原作厨」に属する人間だが、幸村に関しては1stのますだの幸村を観てから好きになったという若干イレギュラーな経緯がある。 漫画ではノーマルなテニスをするだけで、しかしそれ故に相手が「」に陥るという分かり難い強さを持つ彼の圧倒的で無慈悲なまでの強さを、そして三連覇のために艱難辛苦を乗り越えた先に、「テニスを楽しむ」という自分には到達できないだろう境地にある「天衣無縫の極み」を見せつけられ、それでも尚「勝つこと、勝つこと、勝つこと、天衣無縫の極みがなんだ!」と死に物狂いでテニスにしがみつくの姿を私に教えてくれたのは、ますだの幸村だった。 あの時から私は「萌え」ではなく「燃え」、スポーツ漫画の文脈の中のみでが好きだ。 そして彼が歌う『幸村のテニス』も大好きだった。 『幸村のテニス』という曲、そして幸村のテニスそのものに関して、私には新テニ連載開始以前からの持論がある。 幸村のテニスは、「どんな打球も難なく返球し、相手に「どんな技を繰り出しても返される(意味が無い)」という恐怖心のようなイメージを植え付けることによりに陥らせ(五感を封じさせ)る」ものである。 また『幸村のテニス』の歌詞を何度も聞き返しているうちに、これは幸村が難病に罹りテニスを奪われかけた自分の状況を、そっくりそのまま目の前の対戦相手に突き返しているだけではないかと思い至った。 お前はただのでくの棒 右も左も上も下も お前にはもう関係ない 状態に漂う 哀れな負け犬 3rdでは制服の幸村(アンダー)が病気を発症した瞬間の演出がある。 ゆっくりとした状態のようなスロー演出の中で「身体の感覚が無くなっていく」と思いながら、幸村は地に伏す。 幸村の病状は、現在では修正されているが「に酷似した」難病だった。 はこんな病気 脳や脊髄から体の各所に電線のようにめぐっている神経 末梢神経 が原因で、急に発症し、数日で次第に手足が動かなくなる病気です。 試合の中で次第に五感を奪われていくに追い打ちをかけるように、レギュラー陣が歌詞を続ける。 あれが幸村のテニス 奴はもう動けない あれがあいつの強さ で金縛りさ 時の流れも止めてしまう 奴は未来に進めない 茫然と立ち尽くすしかない 悲惨な人形 しかしこの歌詞、幸村のテニスを受けるのことを歌っているのは事実だが、翻せば病に伏せていた時の幸村の状況とほぼ一致している。 金縛りのように鈍磨していく感覚の中、医師の「テニスなんてもう無理だろう」の声を聞いてしまった幸村の心境は、まさに「俺は未来に進めない」だったことだろう。 一方、志を共にする仲間は無論本人たちにその気は無くとも、幸村を置き去りにしての勝利のためにテニスの腕を磨き続けている。 幸村だけが、ベッドの上という停止した時の中に取り残されている。 「暗闇」の中にいる幸村が「テニスの話をしないでくれと言っているんだ!」と、勝利という「光」に向かって進んでいる彼らを突き放し慟哭するのも無理はない。 (余談だが、彼の後輩であるのアニメのキャには『HIKARI』というタイトルの曲がある) ますだ、というよりも1stの幸村は純粋にの勝利だけを追い求めて試合をしていた。 その姿を観てを知り、彼を好きになった私は、関東大会後の3rd新曲『永遠のエンブレム』で幸村が「元気でいるか? 頑張っているか? みんなの友情に感謝する」「早くみんなの結束の輪に加わりたい 必死のリハビリはお前たちのそばにいたいから はやる気持ちがきっと回復を早めてくれるだろう」と歌っているのを観てマジギレした。 幸村くんはそんな甘っちょろい気持ちでテニスしてるんじゃねーんだ、三連覇のため、もうテニスはできないだろうと言われながらも自分を律し奮い立たせて血を吐くような思いで必死のリハビリをして、辿り着いた先があのテニスなんだと。 1stの頃は原作(無印・旧テニ)の連載が終了したばかりで、に関する描写も乏しかった。 だから私は尚更、「幸村のテニス」は幸村くんが塗炭の苦しみの先に掴み取ったもの、あるいはその苦しみを自分のプレイスタイルとして取り込むことにより「膿」を吐き出すような儀式に近いものなのかもしれないと思っていた。 全立後編で漸く試合をするテニスプレイヤーとしての3rd幸村を観た時に、私は彼が自分に相対する、つまり自分に挑んだところでどうせ負けるしかない遠山や越前への憐憫や、同情に近い憂いすら抱いているように感じた。 たていしがそう意識して表情を作っていたのかは分からないが、というかたていしは恐らくとして凛々しく佇んでいただけではないかと思っているのだが、ますだともかみながとも違うあの宛転蛾眉の顔立ちは、私の瞳に3rd幸村をそういう風に映した。 記憶を取り戻し自分と対峙するに、幸村は1stと同じく『これでもう終わりかい?』を歌う。 「俺を見ろ 俺を感じろ 俺を敵対視しろ 俺に打て 俺に向き合え 俺を叩きのめせよ」 1stのますだはその後に続く歌詞「目の前の現実に早く気付くんだな 俺はお前より強いと言う現実に」とあるように、徹底的にを伸すように歌い上げていた。 しかしたていしは言葉の羅列の最後「俺を叩きのめせよ」で両手を広げ、やや天を仰ぎながらしばし瞳を閉じる。 その目蓋の裏には、口にしている言葉とは真逆の「勝利」の二文字しか浮かんでいなかったことだろう。 この腕で、この身体で掴む勝利。 幸村は自分の身体が動く喜びを、「テニスがをできる喜び」を享受している。 だから私は、次に彼が歌った『幸村のテニス』で涙した。 幸村の試合中のメイン曲は、1st(幸村のテニス)と2nd(幸村の暗闇)とで異なっている。 3rdの幸村には新曲が用意されなかった。 その事実は実際にこの目で公演を観る前からのタイムラインに流れてくるので知っていたし、憤慨もしていた。 同様に全立前編で3rd真田が新曲ではない『風林火陰山雷』を歌った時に、3rdはたづるの真田に専用曲を用意してやらずに終わるのかと憤っていた。 好きな人には申し訳ないが、『風林火陰山雷』は残留させるようなクオリティの曲ではない。 すべての学校の校歌を刷新したように、風林火陰山雷の曲も3rdなりのアップデートがされることを期待していたので尚更残念だった。 『幸村のテニス』も大好きな曲ではあった。 友達が「うっかり幸村のテニスのやつネットで見ちゃってハマっちゃったからの円盤見せて」と言ってきたので、別にそれを見たくもない独り暮らしの友人の家にあのクソデカ6枚組円盤セットを持って押しかけ家主が鍋を作っている間に二人でを飲みながらペンライトを振り回し一頻り大暴れして鍋食って帰ったというエピソードがあるぐらいには大好きだ。 しかしたていしもまた新曲を与えられずに終わるのかとがっかりしていた。 ところが私は彼が踊るその曲で泣いていた。 本家とも取れる1stのますだは、有名なシーンだが地面に手をつくのそれを踏み付けるような振り付けが最も印象的で、それ以外にもダンスと呼べるレベルの振りは与えられていなかった。 しかし3rdのたていしの幸村はこの曲で踊りまくっている。 これも賛否両論あるのかもしれないが、そもそも私のTLには3rd幸村に関する直接的な評価がほぼ流れてこなかったので、私はそのことを知らないままTDCに来た。 これが俺のテニス お前の五感を奪う これが俺のやり方 かわいそうだけど仕方ない 俺と戦ったことが不運だったと 諦めるんだな 自分のプレイスタイルを、そして自分のテニスの前に敗北するしかない相手への憐れみを、彼は舞台の上を縦横無尽に舞いながら歌い上げる。 は、自分の肉体が自分の思うように動き、三連覇のために他の誰でもない自分自身がテニスをできる喜びを噛み締めている。 感覚が失くなり、ラケットも思うように掴めなかっただろうあの日の苦しみから這い上がってきた幸村の根底にあったのはテニスを諦めない気持ち、そう、新テニの「俺はテニスを楽しめない!! 」、そしてその根底にある原体験は、幼い頃のゲン(真田)の「最後まで諦めるなよぉぉぉ!! 」という涙ながらの喝なのだ。 2ndシーズンの決で、最後に涙を流したのは幸村本人だった。 その時に私はかみながの幸村から、彼もまた一人の中学生テニスプレイヤーなのだと、「ラスボス」という立ち位置に埋もれがちな、主人公の勝利という圧倒的な光の影にある敗北への純粋な感情を、真っ直ぐな悔しさを幸村も抱いているのだろうということを教わった。 だからこそ3rdの幸村が、新テニという「その先の可能性」を知っている彼が敗北しても涙を見せないことに意味があるのだ。 かみながの幸村の涙があってこそ、たていしの幸村が最後まで視線を揺るがすことなく全国大会を終えることの意味が際立つ。 たていしの幸村は、「テニスを楽しむ」者が到達できる天衣無縫の極みを目の当たりしても、自分の背後に「敗北」の二文字が迫り来るのを確かに感じ取っても狼狽えることはなかった。 動揺こそすれ、たていしの幸村は最後まで神々しいまでの凛々しさを失わない。 チームメイトが待つベンチに戻り、空を仰ぎ見る幸村の表情は毅然としていた。 3rd幸村は「テニスを諦めない」ことを知っている。 幸村くん。 幸村くんは、五感を失ってなおテニスを続けようとするの姿を見て、「誰もがもうテニスをするのも嫌になるこの状態で このボウヤは…」「やはりキミは危険すぎる」と思っていたよね。 でもそれは、少し前の幸村くんだって同じだったんじゃないのかな。 幸村くんは病気になって、お医者さんの「テニスなんてもう無理だろう」の言葉を聞いてしまった時、「誰もがもうテニスをするのも嫌になるこの状態」を、その身で思い知ったことがあったよね。 それでも諦められなかったんだよね。 三連覇のために、自分のことを待っていてくれるチームメイトのために、そして誰より自分のために、幸村くんはもう一度ラケットを握ることを決意した。 テニスを諦めなかった。 だから今そこに立っているんだよね。 幸村くんはに「諦めるんだな」って歌ってたけど、それは「その先の未来(新テニ)」の可能性が提示される前の心境だったかもしれないけど、幸村くんはどんなに辛くてもテニスを諦めなかったよね。 その先にあったのはテニスをできる喜びで、君がそこに到達できたのは、くんが最大のライバルである父親に「テニス楽しいか?」と問いかけられた原体験があったように、大切な仲間であるゲンくんからの「最後まで諦めるなよ!! 」という心強い励ましが遠い日にあったからだよね。 ……幸村くん。 試合をしている時はくんのことを完全なる敵だと思っていただろうし、しかも自分には絶対に理解できない「テニスを楽しむ」という境地に至った彼のことを、自分とはまったく別の存在だと思っているかもしれない。 でもね、幸村くんもくんも、そしてきっと他のみんなも何も違わないんだよ。 くんの答えは「テニスを楽しむ気持ち」だったけど、幸村くんは今、テニスができて嬉しいんだよね? 私は君がたていしくんの身体を通して、ラケットを握りコートの上を華麗に舞う姿を見て、君がテニスを諦めないでくれて本当によかったと思ったんだよ。 幸村くん、もう一度テニスができて嬉しいよね。 私も一度はテニスを手放そうと思ったけど、君にゲンくんがいたように、私にも大事な人がいて、結局ここまで来ちゃったよ。 幸村くん、本当によく頑張ったね。 テニスを失うかもしれない恐怖を味わった君は、きっと誰よりも苦しんだよね。 でもその分、君が知っている「テニスをできる喜び」は、きっと誰よりも強いものだよ。 本当にお疲れ様。 昨日は負けちゃったけど、私は君の視線の先にはまだまだテニが広がってるって信じてるよ。 テニスを諦めないでくれて、ありがとう。 関連記事 「大切な人へ」 : 個人的には心理学の「学習性無力感」に近いものだと考えている : 2ndの幸村の曲のタイトルは『幸村の暗闇』であり、この歌詞もまた幸村がテニスを失いかけた苦しみを対戦相手に呪縛のごとく押し付けていると取れる : このエピソードを本当に好きな理由がありまして、私のもご覧になっている方にとっては耳タコ話ですが、当時この友人には「自ジャンル」と呼べるものが無かったんですね。 だからずっとテニスがある私や、長いこと別ジャンルにいるもう一人の友人のことを常々「羨ましい」と口にしていて、彼はそれまで「友人あるいは同ジャンルの人間とオタク的要素を共有し楽しむこと」をほぼ知らなかったんです。 なので私と幸村のテニスの映像を見ながらペンライト振り回して幸村くんの振りを真似して大騒ぎした後に彼がその場に突っ伏して「楽しい……ほんと楽しい……俺こういうことしたこと殆どないから……すげー楽しい……」と感極まる姿を見て、デカいリュック背負って円盤6枚持ってきて本当によかったな……と思ったし、テニスを楽しめない幸村くんが私の友人というひとりのオタクに「楽しむ」ことを教えてくれたのがエモすぎてこの話死ぬまでにあと13回ぐらいはすると思いますね sdppp.

次の