艦これ 松型 実装。 20梅雨・夏イベ予想と史実艦・改(6/11時点)

【艦これ】ついに松型実装!絵師はあの方か?プリコネ今日の無料10連、そろそろ星3きてくれ・・・

艦これ 松型 実装

概要 松型はのの艦級の一つ。 一番艦の艦名が「」(2代目)だったことからその名がある。 「」「」とタグ付けされていることもある。 特に本タグを用いず「松型」タグのみで登録されているイラストも一定数存在するので、検索の際はを行う事が望ましい。 うち、丁型の丁は甲乙丙丁の丁で、甲型駆逐艦(・)・乙型()・丙型()に続く4番目のタイプであることを示す。 解説 駆逐艦は、もとより艦隊行動をとれる艦種のなかで最小・最多で、攻撃にも護衛にも偵察にも何にでも便利に使われるものであったが、それだけ出し惜しみされず矢面に立たされるということで損耗が多かった。 特にから始まる南東方面(ソロモン方面)の戦いで、昼は航空攻撃・夜はレーダーを備えたアメリカ艦隊をかいくぐり、襲撃・護衛・ついには自ら輸送艦として(鼠輸送)した結果、損害はうなぎのぼりとなった。 それに耐えかねた海軍が戦時として設計したのが松型である。 二等駆逐艦(基準排水量1,000t以下)に付ける樹木の名前が与えられ、「雑木林」と呼ばれた。 とにかく数優先で、性能は駆逐艦として艦隊行動ができる最低限まで抑えられた。 8ノットしかでない低速(アメリカの新鋭戦艦などは27ノット、1ノット弱の差ではまともに魚雷攻撃位置につくことは難しい)、短い航続距離、主砲も魚雷も甲型の半分しかないことなどである。 性能・武装をいろいろ削っただけあって排水量も甲型の7割程度に抑えられた。 その船体も安い鋼材で直線的に作られ手間が省かれた。 しかし、主砲を対空砲(89式12. 7センチ高角砲)にして航空機の強いこの時代に合わせたり、エンジンを2組前後に配置して、一度に動力が失われないようにしたり(シフト配置)と、必要なところには手を配っている。 1944年4月28日に一番艦「松」が竣工。 護送任務だけでなくなどの艦隊決戦にも使用され、敗戦まで残り1年余りの一番厳しい時期を戦った駆逐艦となった。 のちに、さらに工事簡易化を進め、四式を搭載して対潜能力を強化したに切り替えられた。 尚、日本海軍水上艦による最後の水雷戦にはこの松型に属する駆逐艦が参加している(潜水艦も含めると「」による米「」撃沈が最後)が、肝心の最後の水雷戦がどれかについては以下の4つの説が存在している。 「竹」(第七次従事中に発生したオルモック夜戦。 対戦闘艦戦にて魚雷を発射し、かつ敵艦撃沈の戦果を挙げた最後の例)• 「桐」(第九次多号作戦従事中、同じくレイテ島上陸船団の護衛をしていた米駆逐艦群と「」とともに交戦。 対戦闘艦戦にて魚雷を発射した明確な記録が存在している最後の例)• 「樫」・「榧」(にて「」とともに魚雷を持ちて戦闘を行い、輸送船撃沈の戦果を挙げている。 日本海軍の水上艦が魚雷を発射した明確な記録が存在している最後の例)• 「檜」(ルソン島リンガエン湾上陸船団の護衛をしていた米駆逐艦群との戦闘において、米軍側から魚雷発射管付近からの発光が目撃されている。 日本海軍の水上艦による魚雷発射らしき記録が残っている最後の例であるが、この戦闘で檜は沈没しており、真相は定かではない) 同型艦 松型駆逐艦『松』以下、艦艇類別等級表で『松型駆逐艦』とされる『橘型』も含め、32隻が建造された。 【松型】 まつ たけ うめ もも くわ きり すぎ まき もみ かし かや なら さくら やなぎ つばき ひのき かえで けやき 【橘型】 かき かば たちばな つた はぎ すみれ くすのき はつざくら にれ なし しい えのき をだけ はつうめ 戦後の松型 終戦時には松型・橘型は18隻が航行可能状態で残存していた。 それらは戦後復員輸送に使われ、その後連合国に戦時賠償艦として引き渡された。 中華民国やソ連は引き渡された艦を自国の海軍に編入して使用した。 また、未成艦の一部は防波堤として使われた。 初の小型護衛艦であるは、松型・橘型と甲型をタイプシップとして建造され、をタイプシップとして建造された、そして「」と改称された橘型の一隻「梨」とともに、初期の護衛艦隊を担った。 また、梨以外の艦の艦名も、一部は(旧アメリカ海軍タコマ級フリゲート)や(旧アメリカ海軍上陸支援艇)に継承された。 外部リンク 関連記事 親記事.

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【艦これ】松型駆逐艦の実装予定(2020年)

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概要 から未明にかけて行われたに伴い実装。 艦娘 実装済み• (メイン画像) 長女。 未実装 19番艦以降は船体構造がより簡略化されており、また速力や装備についてもそれ以前の者に比べて差異がある事から、非公式ながらこれらの艦のうち最初に就役した21番艦「橘」の名前を取って「」と呼ばれる事も多い。 艦これでもがと別グループに分類されている前例があるため、仮に実装されたとしてもこれら橘型に属する艦が松型として扱われるかは不透明。 29番艦: 30番艦: 31番艦: 32番艦: なお、未成艦として欅と柿の間に「八重桜」「矢竹」「葛」の3隻が、樺と橘の間に「桂」「若桜」の2隻が、榎と雄竹の間に「梓」が、初梅以降は「栃」「菱」「榊」の3隻がそれぞれ存在していた。 この他にも更に33隻が建造される予定だったが、これらは建造取りやめとなっている。 海上自衛隊に継承された「松型」 他の駆逐艦グループ同様、松型(橘型含む)の艦名は戦後のの艦艇に継承されているものがいくつかある。 なお、その全てが米軍からの貸与艦であり、 先代の松型よりも次代の自衛艦艇の方が先に進水していたなんて例もざらだったりする。 護衛艦(旧米海軍タコマ級フリゲート):なら(楢)、かし(樫)、もみ(樅)、すぎ(杉)、まつ(松)、にれ(楡)、かや(榧)、うめ(梅)、さくら(桜)、きり(桐)、かえで(楓)、けやき(欅)、まき(槇)• ゆり型警備艇(旧米海軍上陸支援艇):はぎ(萩)、すみれ(菫)、つた(蔦) なお、現在の自衛艦の命名規則としてはミサイル艇や哨戒艇といった哨戒艦艇の命名基準のひとつとして「草の名」というものがある。 過去にこれらの基準に基づいて草の名を冠した哨戒艦艇が建造された例はないが、2019年の31中期防での主要装備調達計画では2023年度までに4隻の「哨戒艦」建造が計画されており、そちらに命名されるという可能性はなくもない。 ただし、この記事を読んでいる提督達にとっては周知の通り、松型・橘型の場合はこれ以外にも海上自衛隊に継承されたものがもうひとつある。 そう、 艦そのものである。 28番艦(橘型10番艦)の「」は、大戦末期に米機動部隊所属の艦上戦闘機によるロケット弾攻撃で撃沈されたものの、戦後の1954年9月21日にサルベージされ、その後諸々あって1956年5月31日より1971年3月31日までの間、警備艦(護衛艦)「DE-261 わかば」として再就役を果たしている。 2020-07-19 18:00:00• 2020-07-19 17:00:00• 2020-07-19 12:00:00• 2020-07-18 18:00:00• 2020-07-18 17:00:00 人気の記事• 更新された記事• 2020-07-19 19:24:04• 2020-07-19 19:22:08• 2020-07-19 19:21:57• 2020-07-19 19:19:45• 2020-07-19 19:19:29 新しく作成された記事• 2020-07-19 19:07:11• 2020-07-19 18:35:10• 2020-07-19 18:32:31• 2020-07-19 19:16:09• 2020-07-19 19:14:21•

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松型駆逐艦 (まつがたくちくかん)とは【ピクシブ百科事典】

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「の長共々、どうぞよろしくお願いします」 じんげい とは、『~』に登場する、所属、潜艦1番艦をにした()である。 : : はい提督、私、いけます。 潜水母艦迅鯨、出港です。 潜艦としてはに続く2人である((埼)と()も史実では潜艦だった時代があるが、では軽なので除外している)。 そんなの姿だが、装はと同様に補給物資を満載。 通常時は甲柄の外套をっているので良く判らないが、中破時にはに負けず劣らずの豊かなを伺うことができる。 なお通常時でも、短めのととの間のがで(以下による)さすが潜艦ということか。 初登場(時)から「、方にえて良かった」というところから、新たなるの入りかと噂されている。 落ち着いた物から受ける歳上感ととのギャップもまた。 放置時のからの気があるかもとか言われているが、そんなことはない……はず。 中破すると14連装+機を模した(ただし破損している)をに持つが、これは史実のが実際に14連装2基を装備していたことから。 初期装備としても14連装を持ってくる(にすると、さらにもう一つ持ってくる)が、当初は中口径が装備できないという不具合があって、初期装備なのに外すと二度と付けられないという状況が起こっていた(当日のにて解消済み)。 なお、の潜艦であるには中口径は装備出来ないが、これも史実からきている(に装備されたのは12. 7連装高だった)。 さらに、後はも搭載可になる(搭載機数は2)。 前述の通り中口径も装備できるところから、ではに勝っている。 潜艦としてはをしのぐ持ちと言える(まぁ向こうはするとになるわけだが)。 潜水艦達のお世話はお任せください。 私、潜水隊の母艦ですから。 史実 時は時代。 軍ではイケイケな八・八艦隊計画(とを8隻ずつ持てばこれじゃね(なお、のことはあまり考えてない))をぶち上げた頃。 が高性化し航続が長くなるにつれ、一々港に戻るのが駄な状況も増え、現場で補給・軽を行い、その間過酷な任務と窮屈な内から乗員を解放し休ませるためのの必要性が判明してきた。 潜艦の誕生である。 当初は他の艦種をして間に合わせていたが、やはり専用の艦があった方が……ということで、八・八艦隊計画に どさくさ紛れに新の潜艦2隻の建造を紛れ込ませた。 その後、条約により八・八艦隊計画は中止となったが、潜艦は(条約に含まれなかったこともあり)そのまま建造されることになった。 こうして誕生したのが、潜艦である。 全長はmとと同じくらいで、後に登場するの半分くらいしかないが、当時ののとしてはこれくらいで充分であった。 なお、初期の同様にまだ全に分業することは考えていなかった(限の自衛を考慮していた)ためか、14連装を2基備えている。 潜艦の1番艦〈〉は、 12年(11年)に造船所にて起工(ちなみに同時起工された艦に5,t級〈〉、〈〉がある)。 13年(12年)に進、同年に工し、所属となった。 その直後であるに発生したの救援任務が〈〉の初であった。 14年(13年)の通達にて新艦種「潜艦」が誕生、〈〉は正式に潜艦に分類され(ちなみにこれ以前は「」とされていた)、旗艦〈〉率いる第一潜に所属することになった。 その後はに方面で活動を続けた。 しかし、がに変わり、さらに大・高性化するは潜艦のに余るものになっていき(大の浮上航行が20ノットをえるようになり、最高で16ノットしか出せない〈〉では追いつけなくなった。 そもそも潜艦は呂号用で号に対しては不足であった)、艦齢15年を越えることもあって、新の潜艦〈〉、さらに装の潜艦〈埼〉〈〉の登場に伴って〈〉は一線を退き、艦として余生を過ごすことになった。 ……はずだった。 しかし、が迫るに従い、そんな余もくなり(前述の〈埼〉と〈〉が軽〈〉〈〉にされたこともあって)、〈〉はめて旗艦〈〉の率いる第四艦隊配下の第七潜の旗艦としてに赴くことになる。 とはいえ、呂号の整備しかない〈〉に出来ることは限られており、年(18年)になると、に内地で故障艦や未成艦の航を行うという作業に従事することになる(号などのとしては、商船をした特設潜艦がその役を担うことになった)。 著名なところでは、の撃を受けた〈〉をに、未成艦でに装することになった〈〉をから佐世保に回航している。 なお、〈〉も〈〉に装されたため、結局最初(設計時)から最後まで潜艦であったのは、の2隻だけとなった。 いよいよの()。 〈〉はと本土の間の輸送任務に従事する。 学童にも活躍し、数回に渡って人を本土に送り届けていたが、、佐世保を出航してに向かう途中で〈スキャド〉の撃を受けて航行になり、同艦で同行していた潜艦〈長〉に航されての瀬底までたどり着く。 とはと鼻の先にあるこのは、外が荒れたときの避難場所だった。 軍では〈〉を佐世保まで航してするつもりはあったが、旧式の潜艦に手を掛けていられるほど余裕がない状況に追い込まれていたのもまたであった。 そして、によるが起こり、瀬底に身動きも取れないまま停泊していた〈〉も攻撃を受け、大破着底。 乗員名が戦死した。 ()、除籍。 、()から浮揚作業を開始、に浮揚した後、にに回航され、解体処分となった。 ちなみに、「」の名を持つ艦としては二代。 初代は時代の艦。 関連動画は大切です。 私が、お持ちしますね。 あの子達も、喜びます。 関連静画 新商品ですね。 ようこそ、艦隊に。 嬉しい……貴方に会えて、良かった。 関連項目• 迅鯨 艦これ• 第四艦隊(開戦時、艦のみ記述)• 第十八• :、、、• 第七潜• 迅鯨 艦これ• 第二十四• … 開戦時に同じ潜旗艦を務めていたためで登場。 &【 】 前 段 潜艦 号 第四号 後 段 御蔵 ・ H ・ ta ・ et.

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