あいりん。 あいりん地区

あいりん総合センター閉鎖 労働者ら抗議「行く所ない」:朝日新聞デジタル

あいりん

あいりん地区とは、萩ノ屋および太子周辺にあるドヤの通称である。 概要 最大のドヤ・寄り場。 ドヤとは安宿のこと。 寄り場もしくは寄せ場とは、日雇い労働者の集まるところのこと。 一般的に、内でも屈のの悪さで有名。 ので一の起こる場所でもあった。 (直近ではに16年ぶりに勃発した。 ) 住民の患率が高い、のやが点在し、ぞっとしないには事欠かず、・客に関わらず、一般的に立ち寄ることは避けられるだった。 ちなみに、際的に「が悪い」と認められるのスが、内で確認されたのは、直後の周辺数カ所以来である。 しかし、に、が「構想」を推し進めた結果、全体の認知件数が3割減少し、拠点として発展。 路上密売拠点がほとんど壊滅し、の不法投棄が減少した。 「密売人がはびこっていた以前」とべると「時代が変わった」と感じさせるほどの変化が起きている。 km 2の範囲をす。 これは区ののうち約8. 3である。 、から近く、徒歩で行ける圏内にある。 しばしば、時にはまとめ系のなどで面半分に、あいりん地区をし「」と称するなどされるが、実際は萩之屋周辺、住所では萩之屋一丁、二丁、太子一丁、二丁だけである。 が示す通り、 「 区 」「あいりん地区 ドヤ 」ではないので、「」で括らないよう注意。 ドヤはあくまで区の一部分にすぎず、区内はこれとは関係な下町やがもっとも多くを占めている。 民をもっとも悩ませているのは、あいりん地区の存在よりも、上記誤解によるかもしれない。 名称 とは『隣』であり、やが年代に決めた共称。 本来の名称はであり、地元民、あるいは日雇い労働者達は今でもこちらの呼び方を使う。 安宿 ドヤとは、宿=ヤドをひっくり返して、その質の悪さをにした言い方。 本来は、工場などで働く日雇い労働者のためのものという性格が強く、館・のような業からはかけ離れたもの。 日で入れると言ったほいだろう。 具体的には、なしの3~4畳一間付に、素泊まり1泊数といった価格帯である。 食事を出すところもあるにはあるが、基本的にはそのようなは一切いと思ってよい。 内の重工業が活性化した高度成長期に形成され、から出稼ぎに来た就業者などの宿として活躍した。 が、工場の・移転や、の導入による効率化などによる、日雇い労働そのものの減少に伴い、いずれも消滅、あるいは規模を縮小した。 今や、内には3ヶ所程度しか残っていない。 あいりん地区はその中の1つであり、でも最大のドヤではあるが、本来はもっと多くの人々が行き交っていた。 、ひいては工業地帯の発展を、この地区が支えたといっても過言ではないだろう。 もっとも、内の工業の現状や、地区内に居住する日雇い労働者のを鑑みるに、今後も縮小を続けて行くことが予想される。 にされてからにされるまで逃走を続けた犯「」も、一時期はここに滞在していた。 また、安宿の一部は、のような綺麗で整った設備を備えたものに変貌している。 これらは、客室が狭くは共同であるものの、極倹約したい者や、からのパッなどにとって、に代わる手頃な宿として活躍している。 これらは大手からも簡単に予約もできる。 沿線にあり、からもが楽なことや、再開発が進んでいる、急速に地化されが高まっているが徒歩圏内であることから、最近注されている。 とはいえ、これはにあいりん地区の中心からを置いた、もしくは地区外のものであり、地区内には、的も設備も変わらず、とても客が利用するものではない安宿は多く残されている。 住民 ここでは、 日雇い労働者・などについて扱う。 ただし、あいりん地区とされる部分にも一般住民はいるし、ましてや民 11万人強 のうちの大半は関係がなく、これに全く該当しないため注意。 あいりん地区を形成するのは、ドヤに集まる日雇い労働者である。 また、あいりん地区に住む日雇い労働者がみな安宿に泊まっているわけではなく、路上生活を余儀なくされているものも多い。 あいりん地区にはおよそ3万人が住んでおり、うち日雇い労働者は約2万人と推定されている。 さらにそのうち8割は、外から労働をめやってきた者とされている。 生活に困窮している者が多いことが、この地区のが悪い要因とされていた。 ある程度の年齢のには、暴動(暴動)も記憶に残っているだろう。 今ではのでしか見られないような暴動が、内でも確かに起こっていた。 また、には医療をに受けられない者が多い、路上生活がの低下を招いているなどから、患率は全均の約14倍という。 日雇い労働は減しており、あいりん地区の住民が手に入れられるも減り続けている。 これにより、困窮する住民が増していた。 露店 怪しいものを売る露店が多かった。 売りなどはもはや内ではここでしかおにかかれないだろう。 露店が多くかった。 その中には売る気があるのかすら怪しい代物を扱っているものから、 を売っているものまで様々。 しかし、に、が向上を課題として提起して以降、は密売人の取り締強化。 浄化への本を入れた。 密売人が場所を移しても、摘発を続け、にはの路上密売が止んだ。 ただ、区の統計における件数(ひったくりなど含む)は、やたら先行する先入観的なとは異なり、全体の数字を大きく押し上げるには至らない。 近年でも暴動が起きたとは言え、直近は16~年間隔の頻度であるうえ、仮に起きたとしても、何も知らずに偶然巻き込まれるようなことはないだろう。 なので、一般住民やを利用する近隣のなども通るし、さすがにがただ通りがかるだけで沙汰のようなに遭うこともはない。 とはいえ、ごく小さなも避けたいなら、中にが一人で歩いたり、本位であちこち・撮影したりはやめておいた方が良いだろう。 頻繁にされるがある、のが多い、生活系のの建物が点在していた。 、常時に酔っている人がいる、近隣の商店が日雇い労働者が集まるだらけなど、地区内の自体全然良くないので、間接的に気が滅入ってしまうこともあった。 近隣にあるも、あいりん地区からの日雇い労働者が多く流れ込んで一時(代~前半頃)は「労働者の盛り場」となってしまい、敬遠され衰退しれてしまうほどの影があった。 ちなみにこちらは停滞していた町並みがの面影を感じさせると近年急に再評価され、今は名物のとともに息を吹き返し、は内外からの客でごった返している。 一方で、地区中心部に位置する署は、格子と柵で周囲を防護しているばかりか、は強化・正面は製で、2間体制で周囲を警官がパしている、といういわば要塞である。 この全防護は、もちろん官を守るための武装である。 また、地区内のあるのに、『器を流さないでください』という注意書きがあるばかりか、内であるにも関わらず監視が設置されていることが徴づけられることもある。 ただし器については、ないではなく、「患者の用」の器がに捨てられ、同様の注意書きが貼られていたが他の地域でしている。 前述についても同様である可性が高い 関連動画 関連項目• 内のな地名 |中之||||| ||| あいりん地区|.

次の

西成の1泊900円ドヤ「新光」に泊まってみた感想【あいりん地区】

あいりん

建て替えに向け、医療センター以外はすでに閉鎖されたあいりん総合センター 日本最大の日雇い労働市場がある大阪市西成区のあいりん地区(通称釜ケ崎)。 労働施設や病院、市営住宅が集まり地区のシンボルだった「あいりん総合センター」が半世紀ぶりに建て替えられる。 仕事を求める労働者のよりどころだったセンターには、悪徳手配師と労働者支援団体の闘争や暴動、バブル景気の活況と崩壊後の労働者の苦境、そして高齢化など、地区の歴史が染みついている。 センターは1、3階が求人側の手配師と労働者が相対で交渉する「寄り場」(寄せ場)。 3、4階に日雇い労働市場の管理や監督をする西成労働福祉センター、職業安定所、5~13階は労働者を無料・低額で診療する病院と市営住宅が入居していたが、耐震性が弱く建て替えが決まった。 1970年6月、万国博覧会や千里ニュータウンの開発で求人が殺到するあいりん地区にやってきた水野阿修羅(あしゅら)さん(71)。 4カ月後にオープンしたあいりん総合センターには「屋台から転じた食堂が入り、トイレも水飲み場もあって労働者のよりどころになった」と振り返る。 当時は暴力手配師が横行。 水野さんら地区に拠点を置く労働組合は求人を牛耳る暴力団と対抗して追放するなど、労働者の権利拡大へ闘った。 「仕事は新日鉄やの工場、千里や泉北ニュータウンの道路工事、その後は鉄筋工。 センターでは『仕事行こう、仕事行こう』と手配師の声が響いていた」と語る。 第一次石油危機の影響で戦後初めてマイナス成長に陥った74年末、大学4回生だったありむら潜さん(68)は就職活動で西成労働福祉センターを訪れ、足の踏み場もないほど労働者が寝転んでいるのに度肝を抜かれた。 センターの職員は「よく来てくれた」と両手でありむらさんの手を握ったという。 「釜ケ崎は社会の矛盾が最も集まる場所。 職員として働きながら、様々な人生を歩んできた労働者を漫画『カマやん』で描き始めた」。 退職後も「釜ケ崎のまち再生フォーラム」事務局長や漫画家として関わり続けている。 ありむら潜さんが描いた1980年代のセンター周辺。 バブル期で、手配側の車があふれていた 西成労働福祉センターの松井環総務課長が就職した80年代末はバブル経済の絶頂期。 仕事は引く手あまたで、あちこちで酒盛りが開かれていたが、バブル崩壊で数年後には野宿する人が続出した。 50年代まではドヤ(簡易宿泊所)とバラック住宅が立ち並び子供がいる家族も多かったが、万博景気などで農村や炭鉱から労働者が流入し「単身・男性・建設日雇い」の街に変貌した。 バブル崩壊後は仕事が激減し、21世紀に入ると手配師は若い労働者に携帯電話を持たせて仕事を直接依頼するようになった。 取り残されたのは高齢労働者だ。 99年ごろから行政、NPO、ボランティア団体などが彼らの支援に動き、町内会も含めて連携する動きが出てきた。 高齢労働者を街の清掃などに雇用する「特別清掃事業」など、様々な支援策も実現していった。 あいりんには近年、年金生活の単身者らが流入している。 家賃や物価の安さに加え、様々な社会支援団体が存在し支援策もある「サービスハブ」として、生活弱者が住みやすいようだ。 「多様な人が余白をみつけて居場所にしてきたのがこの街」。 留学先の英国でホームレス問題に着目した関西大学4回生の中野愛莉さんは労働者らに話を聞き、あいりん総合センターの新しい姿を自主的に考案して2月にゼミで発表し関係者にも示す考え。 「何にも縛られない釜ケ崎の寛容性を取り込みたい」と話す。 医療センターが移転すれば今秋以降に建物の解体が始まり、25年には完成の予定だ。 旧センターは国、大阪府・市で計画を決めたが、新しいセンターは町会や労働者支援団体なども加わって計画を固める。 労働施設を中心に、にぎわいの機能が加わる見通し。 サービスハブ機能の充実も求められる。 あいりんの労働者は万博会場やニュータウンなどの建設に低賃金で従事し日本の高度成長を縁の下で支えてきた。 ありむらさんは「総合センターは血と汗と涙の労働遺産。 デジタルアーカイブも含めて後世に伝えていくべきだ」と訴える。 (編集委員 宮内禎一).

次の

あいりん地区とは (アイリンチクとは) [単語記事]

あいりん

概要 [ ] 大まかには北をJR西日本・、西を・、東を旧跡に囲まれた三角形の地域で、西成区・などに該当する。 あいりん地区という名称は、5月に国や自治体などの行政機関と報道機関が使用の取り決めを行った名称である。 あいりん地区にはが多く居住している(大阪市内の路上生活者は、2019年1月時点で確認されただけでも1,002人 )。 この地域はのが多いため、統計はでも明確に把握できていない可能性がある。 団体やなどがなどを頻繁に行っており、実施の際は公園に人が列を作って並ぶことがある。 また、この地域の物価(料金体系)は隣接している他地区と比べ、総じて低いのが特徴となっている。 一帯は事務所が多数ある。 情勢 [ ] 日雇い労働者のが進んでおり、日雇いの仕事も2,000件程度との時期に比べて3分の1にまで減少している。 これら無保険の日雇い労働者は生活保護予備軍であるとの指摘があり、改善の必要性を指摘されている。 学校 [ ] 保育園 [ ]• わかくさ保育園 - 萩之茶屋二丁目 小学校 [ ]• - 花園北一丁目 中学校 [ ]• - 花園北一丁目 大学 [ ]• 米国ユニオン神学大学日本連絡所 - 萩之茶屋三丁目 主な施設 [ ] あいりん労働公共職業安定所、大阪社会医療センター付属病院• - 萩之茶屋二丁目• 海道出張所 - 萩之茶屋三丁目• - 萩之茶屋一丁目• あいりん労働公共職業安定所 - 萩之茶屋一丁目• 大阪社会医療センター付属病院 - 萩之茶屋一丁目• 西成市民館 - 萩之茶屋二丁目• 太子会館・老人憩の家 - 太子一丁目• 愛隣会館 - 太子一丁目 主な団体 [ ]• NPO 釜ヶ崎支援機構 - 萩之茶屋一丁目• 釜ヶ崎キリスト教協友会 - 萩之茶屋二丁目• こどもの里 - 萩之茶屋二丁目• 社会福祉法人釜ヶ崎ストロームの家のぞみ作業所 - 萩之茶屋二丁目• 釜ヶ崎地域合同労組 - 萩之茶屋二丁目• 21世紀イエスキリスト釜ヶ崎福音教会 - 萩之茶屋三丁目• 西成小隊 - 天下茶屋一丁目• 釜ヶ崎炊き出しの会 - 萩之茶屋二丁目• 釜ヶ崎勝ちとる会 - 天下茶屋北二丁目• NPO 釜ヶ崎のまち再生フォーラム - 太子二丁目• 釜ヶ崎講座• - 太子一丁目 地域をめぐる問題 [ ] 住民登録問題 [ ] あいりん地区にあるなどにをしていた労働者の相当数が実際には登録場所に居住の実態が無い状態が発覚したため、2007年以降に大阪市が実態調査をすすめており居住実態のない住民登録を順次抹消している。 これに対し労働者や支持者は、などが剥奪されるため反対運動を続けている。 これまでに市は市内全域で調査を進めており、同年3月下旬からこれまでに約3,290人の住民登録が抹消された。 あいりん地区がある西成区の場合、西成区役所がからまでに調査を実施。 同一住所・同一建物で10人以上が住民登録している簡易宿泊所など151施設を抽出し1部屋に数人が登録されているなど不自然な点があった117施設には実際に職員が出向いて実態調査を行い、4,591人分の居住実態を聞き取った。 住民登録されていた人のうち817人は実際に居住、66人は死亡、413人は調査日までに住所変更を届け出ていた。 西成区役所では今後とも毎年調査を行うほか、住民登録が抹消された人も居住実態が確認できれば改めて登録を行うとしている。 経緯 [ ]• 失跡中の福岡県警の元警察官がインターネットを通じて入手した西成区の無職男性名義のなどを示し、男性になりすまして転居届を京都市に提出していたことが発覚。 逮捕された男の前住所を調べる中で釜ヶ崎解放会館の住所に約3,300人もの住民登録がなされていることが判明した。 2006年 釜ヶ崎支援機構に129人、ふるさとの家に27人が架空登録していたことが新たに判明。 27日、両者は市に対し、慎重な対処を求める要望書を提出した。 市は居住実態のない住民登録を職権で削除することを正式に決め、釜ヶ崎解放会館に立ち入り調査しようとしたが労働者らの抗議で阻止された。 2007年 労働者と支援者ら約40人が4月の統一地方選挙での選挙権がなくなるなどとして住民登録の削除に反対する約600人分の署名を提出しようと市役所を訪れたが、1階市民ロビーで市長室へ行くのを阻もうとする市側の警備職員との間でもみあいになり一時騒然となった。 同日、釜ヶ崎合同労働組合などが(住民基本台帳の担当官庁)と((白手帳)やの担当官庁)に出向き、本件について質問。 総務省は「住民登録を削除するかどうかは市町村が決めること。 大阪市の住民登録抹消の件は、報道を通じて初めて知った。 大阪市からは何の相談も受けてない」と回答。 一方、厚生労働省は「住民登録抹消について大阪労働局(国の機関)と大阪市が何回か会合を持った」と回答した。 2007年 市は住民登録が継続している2,648人に対し、住民登録を抹消することを通知する「住民票消除予告書」を発送。 これに対し、労働者や支援者らは抗議の行進を行い、前での抗議の座り込みを夕方まで続けた。 2007年 市と労働者側との協議が行われた。 この中で、当月中の登録抹消方針を繰り返す市側に対し労働者側は「従来認めていた登録や選挙権を無くすな」などと反発、話し合いは平行線に終わった。 、市長は定例記者会見で住民登録削除については以降に対応を決めることを明らかにした。 2007年 市が設定した3週間の登録抹消延期期間が終了。 この間に正規の住所地に住民票を異動させたのは約200人だけで、なお約2,200人が施設に住民登録していることが判明した。 2007年 市選挙管理委員会は、市長關あてに早急に住民登録の適正化を図るよう求める依頼書を提出した。 同日、市が住民登録を抹消するのは違法だとして労働者の男性が抹消の差し止めを大阪地裁に提訴(判決が確定するまで抹消を差し止める仮処分も併せて提訴)。 2007年 市は、に基づき登録の抹消手続きを行った。 この結果、2,088人が選挙権などのを剥奪された。 一方、の大阪市議・大阪府議選挙で投票所を訪れた44人のうち9人の投票が認められた(投票所の特設ブースで選挙区内での居住実態が確認され住民登録を回復したため。 残る35人については「路上や公園に住んでおり確認できない」などとして投票できなかった)。 2007年 市は区役所で窓口業務を担当した職員が居住実態がないことを知りながら登録を認めたケースが多かったとして、現職を含む歴代の区長4人を(戒告)処分とした。 2007年 居住実態がないとして住民登録を抹消され、4月の大阪市議選で投票できなかった日雇い労働者の男性が経済的事情で一定の住居に住めないことを理由に選挙権を侵害したのは憲法違反として市と大阪府、国の三者に慰謝料5,000円の支払いを求める国家賠償請求訴訟を大阪地裁に提訴。 2007年 市選挙管理委員会は、の参議院選挙での投票は可能とする見解を示した。 2007年 居住実態がないと判断された日雇い労働者ら計2,016人の住民登録が抹消された釜ヶ崎解放会館に、参議院選挙の選挙はがき120通が届いていたことが分かった。 西成区が3月に削除した際、住所欄に釜ヶ崎解放会館の名前を書かず、地番のみしかなかった住民票を除外したのが原因とみられる。 市は調査の結果、120人分の登録を居住実態がないとして抹消したと発表。 住所に建物名が入っていなかったため、「全員の居住実態を確認する時間がない」として放置していたという。 2007年 市は同地区内で新たに777人の登録を抹消したと発表。 2007年11月18日 市長選挙の西成区投票所に、住民登録を抹消された日雇い労働者や支援者ら十数人が詰め掛け「投票させろ」「住民票はなくても投票権はあるはずだ」と抗議した。 暴動 [ ] 詳細は「」を参照 あいりん地区では、たびたびが発生している。 第1次暴動 に釜ヶ崎の日雇労働者の老人が交通事故に遭った際、通報で現場に駆けつけた西成署員が即死と断定 、派出所前の歩道に遺体を放置したまま20分も現場検証を続けたのちに近くの病院へ収容したことに対し、周りの労働者が抗議し暴動に発展、負傷者を多く出した事件。 労働者は西成警察署を包囲し、パトカーや付近に駐車していた車を横倒しにしたりアパートに放火したりするなどと現場は騒然となった。 これに対しは警官隊を6,000人に増員し応戦。 暴徒をと警備車によって鎮圧した際、負傷者を出す事態となった。 2,000人に上る労働者らの暴動は2日間続き、28人を逮捕したほか、労働者数十人、警察官約100人が負傷した。 この事件は当時のや大阪府議会、大阪市議会でも取り上げられ、それに基づき医療費を自治体が負担するなど対策が実施されたが、その後も暴動は幾度となく続いた。 そのため、地域のイメージ向上のため1966年5月、大阪市・大阪府・大阪府警による「三者連絡協議会」において釜ヶ崎地区の名称を「あいりん地区」とすることが決められ、以後、国や自治体などの行政機関と報道機関では同名称が用いられている。 ただし近年、市や府の行政用語としては「地区」という語句を用いず、「あいりん」または「あいりん地域」として表記されていることが多い。 またこのとき、を出発した行き電車は、暴徒化した群衆の投げる石つぶてによりガラスを割られるなどの被害(ただし、乗客乗員は無事)を受けたため、のちに今池停留場から恵美須町停留場までの軌道敷にアスファルトをかぶせるようになった。 南霞町停留場(2014年12月1日に新今宮駅前停留場に改称)• 第22次暴動 の第21次暴動より約17年間の空白期があったが、からおよそ5日間、大規模な暴動が発生した。 暴動の発端は西成警察署刑事課のがからを受けていたことが発覚しされたというによる。 事件そのものは労働者と直接の関連はないが、労働者が西成署員に対して普段から快く思っていなかった事や自分達の日当をにされ、その暴力団から賄賂を受け取っていたことから、日頃の不満や怒りが爆発したもの。 事件報道を受けて西成警察署前に集まり始め謝罪と説明を要求ののち、警察とにらみ合いの末に暴動に発展した。 これを契機として、あいりん地区の各地に暴動が飛び火する事態となる。 さらには報道で暴動騒ぎを知った区内外の若者達(主として)も便乗して参加、の使用や投石、店舗からの略奪などを行って暴動をエスカレートさせたが、これはそれまでの西成暴動には見られない出来事であった。 西成署はを配備(のち、各署にも応援を要請)し、放水車を使って暴動に対処。 逮捕者は数十名に上った。 暴動自体は発生から6日後に自然に鎮静化したものの、が放火されて全焼(後に仮設停留場で営業を再開するが、元の位置には戻ることはなかった)した他、近隣店舗が破壊されるなど傷跡は深く残った。 暴動空白期 10月の第23次暴動以降、16年間は大規模な暴動が発生しなかった。 この期間は後の景気低迷期とほぼ一致する。 ただし暴動ではないが、夕方、あいりん地区にある「釜ヶ崎地域合同労働組合」が西成警察署前で「警官が労働者に暴行を加えた」として抗議した際に同署前に約250人の労働者が詰め掛け、100人以上の警察官らが付近の警戒に当たるなど騒然となったことがある。 機動隊と対峙する日雇労働者• 第24次暴動 に約200人、とには約300人の小規模暴動が西成警察署前にて発生し、続く16日、17日まで5夜連続で起きている。 大阪府警は、18人を逮捕、18人の警察官が負傷したと公表している。 暴動の原因は、飲食店にて店員とトラブルになった労働者が大阪府警西成署に連行され、事情聴取された事件である。 労働者(失業中)の主張によれば、飲食店にお好み焼きの取り置きを頼んで700円を先払いしたが、店員は「わかった、わかった」とつっけんどんな態度を取った。 そこでお好み焼きを取りに行った時に苦情を言ったが、「営業妨害だ」と通報され、そのまま連行されてしまった(なお700円は返されたという)。 事情聴取の際に署員に殴る蹴るの暴行を受け、首を絞められ、顔にスプレー噴射され、二度と飲食店に立ち入らないと約束しなければ生活保護を取り消すと脅されたと主張。 釜ヶ崎地域合同労働組合が「労働者が警官に暴行を受けた」とするビラを配布、謝罪を求める抗議行動の呼びかけに呼応して労働者が集まったとされている。 大阪府警は、事情聴取の際に暴力などはなかったとして「事実無根」と反論している。 投石などに対し警察は機動隊の放水などで対処した。 は、事件の報道の少なさを主張している。 年中行事 [ ] 越冬祭り 以降、釜ヶ崎のホームレスやその支援者達が越冬闘争と呼ばれる取り組みを行うようになり、1971年に行政への要求活動として萩之茶屋南公園(三角公園)において決起集会が開かれたが、越年対策実行委員会が決起集会の余興で始めた相撲大会が決起集会そのものよりも盛り上がり、その後の決起集会でも余興は恒例となりさらなる盛り上がりを見せた。 さらに夏祭りも行うようになり、地場の暴力団組織の介入(は暴力団の資金源である)も共闘して廃し、その後越年対策実行委員会がさまざまな変遷を経ても、ホームレスや日雇い労働者、日雇い労働者の支援組織、労働運動団体による地域恒例のイベントとして続いている。 釜ヶ崎前夜祭 ()• 釜ヶ崎メーデー ()• 釜ヶ崎夏祭り前夜祭 ()• 釜ヶ崎夏祭り (〜、萩之茶屋南公園) に第1回目が開催され、プロの歌手のライブステージ、スイカ割り大会、盆踊りなどが催される。 また、亡くなった日雇労働者らを慰霊する祭壇も用意され、追悼も行われている。 たそがれコンサート• げんきまつり• 演芸会の夕べ• スイカ割り、つなひき、相撲大会、盆踊り• 釜ヶ崎SONIC 10月第一週前後の土日の2日間。 2012年10月に第一回を開催した『』の有志が運営している音楽イベント。 釜ヶ崎越冬闘争(〜萩之茶屋南公園) 1970年の年末より毎年行われている [ ]。 各種団体のアピール、プロの歌手やバンドのステージ、餅つき大会などが催される。 のど自慢、卓球大会、餅つき、ソフトボール大会 その他 [ ] 簡易宿所 [ ] 地区および周辺には、(ドヤ)と呼ばれる労働者向けの宿泊施設が多く立地している。 最近はの普及によって知られたこともあり、周辺の簡易宿所やがその割安感(1泊800円位)からなどの若い旅行者()に人気がある。 これは、徒歩圏内にある(・)と(・)などから大阪や関西の各地(、、、、、、、、、など)への鉄道アクセスが充実していることや、同じく徒歩圏内にある日本橋電気街()の存在が背景にある。 また、日雇い労働者の減少に悩む宿泊施設側も、居住性向上など設備の改修を行うほか、英語のポスター、ホームページなどで広告し、外国人旅行者の誘致を図っている。 ただし、一般向けではなく従来の顧客(日雇い労働者)を対象とした純然たる"ドヤ"として機能している施設も、やの周辺など南側の地区を中心にまだまだ多い。 この中には、路上生活者が生活保護の受給に必要 な住所を得るため、(福祉アパート)に衣替えするケースが増えている。 釜ヶ崎用語 [ ]• あいりん - 「釜ヶ崎」とおおむね同一地域を指す。 なお、労働者はこの語を使わない。 あおかん - (青空簡易宿泊所)- 野宿。 あぶれ - その日の仕事が得られないこと。 あんこ - のこと。 語源は普段は眠っているが目の前に美味しいエサが現れるとパクッと食らいつく魚のに由来すると言われている(労働者は普段ゴロゴロしているが仕事があるとパクッと行くことから)。 いんし - 手帳に貼る雇用保険相当の。 印紙代は、1級176円・2級146円・3級96円。 かま - 釜ヶ崎の略で、「釜」と表記することもある。 「われわれ釜の労働者は - 」などと言う。 かまきょう - 暴力手配師追放釜ヶ崎共闘会議。 解散した。 けいやく - 10日とか20日というように一定の期間を区切って飯場に入り働くこと。 かまやん - (漫画家)の描く釜ヶ崎日雇い労働者のイメージキャラクター「カマやん」のこと。 けたおち - ひどい。 (日当が)安い。 げんきん - 現金日払いの仕事。 しけはり - のの見張り役。 手入れ(捜査)の警察官など「ヤバい人間」が歩いてくると「しけーしけー」と仲間に注意をうながす。 なお、安全ならば「てんてん」である。 しのぎ - 他人の収入の強奪。 しのぎや - 路上。 しょしき - 発生した賃金の範囲で、意思表示をしてやなど作業道具およびなど類をで買うこと。 せんたー - のこと。 を指すこともある• そーめんだい - 夏季一時金のこと。 あいりん労働公共職業安定所では、日雇労働被保険者手帳を持つ人のうち一定資格の人に支給していたが、2004年度をもって廃止された。 てちょう - 日雇労働被保険者手帳(日雇雇用保険の手帳)のこと。 てはいし - 手配師。 事業所に労働者の世話をして紹介料(手配料)をとる者。 どや - 宿(やど)の逆読み。 、簡易旅館とも。 とんこ - 工事現場やなどから逃げること。 無断退職。 にしなり - 「あいりん地区」や「釜ヶ崎」を指す。 現地の労働者が使う。 にっとう - 日当。 にんてい - 日雇労働雇用保険で給付される給付金。 もちだい - 冬季一時金のこと。 あいりん公共職業安定所では、日雇労働被保険者手帳を持つ人のうち一定資格の人に支給していたが、2004年度をもって廃止された。 450(汚れ) - 西成警察署による日雇い労働者を指す。 TVタウン 指名手配犯の潜伏 [ ] 2009年11月、の適用で1千万円の報奨金が掛けられたの・市橋達也がされた際、市橋受刑者が潜伏先としてあいりん地区を選び、更には仕事先もあいりん地区で探していたことが逮捕後ので明らかとなり、大きく報じられた。 街頭テレビ [ ] 1969年より萩之茶屋南公園(三角公園)にはが設置された。 野球や相撲観戦などで地元住民から重宝されることとなり、以後、5回機種更新されながらも使用されてきたが、2018年3月に器物損壊が原因と思われる故障が発生して以来、使用がされていない状態にある。 関連作品 [ ]• () - 公開。 (映画)• () - 作・演出。 『創作劇場』枠にて1961年9月9日放送。 釜ヶ崎住民の男が国会議事堂に入って爆死する話。 1960年に放送中止され、改めて制作・放送された。 (テレビドラマ) - 作。 (ABC)の制作により、『』枠にて1961年11月5日放送。 第16回(現在の大賞)受賞作品。 第1次暴動をモチーフに、日雇い労働者の姿を描く。 背徳のメス() - 著。 1961年の直木賞受賞作品。 - 監督。 主演による作品の一つ。 釜ヶ崎の地で逞しく生きるの姿を描く。 『カマやん』シリーズ(漫画) - 著。 青年誌や新聞にて当地区を舞台に日雇い労働者の姿を描いた作品を連載。 (写文集) - 著、発行。 釜ヶ崎を主題としている。 未来世紀ニシナリ(映画) - 監督。 釜ヶ崎を中心とした野宿者の自立支援など、西成の都市問題や街づくりを追う長編ドキュメンタリー映画(山本ケイ 著)• この女(小説) - 著。 釜ヶ崎人情(歌謡曲) - 作詞:、作曲:、歌:。 1967年発表。 60万枚を売り上げるヒットとなった。 () - 公開。 ()- Vシネ版 47は(飛田新地)が舞台。 脚注 [ ] []• 地域福祉課 生活困窮者自立支援室 2019-04-26 , , 2020年1月17日閲覧。 産経新聞2008年7月6日• ペーパーブックス 吉富有治「大阪破産 第2章 貧困都市への転落」p56 - 58• 「」2010年2月3日放送• 読売新聞• 「大阪市の保護費増」毎日jp 毎日新聞 2010年5月5日東京朝刊• 「」2010年5月7日放送(5月10日再放送)。 番組では、から転入した生活保護の新規申請者の模様、やの担当課長、大阪市長のインタビュー、「やから片道切符を渡された」と言う人物が集まるの模様が放送された。 毎日放送「VOICE」• 生田武志 「ルポ最底辺-不安定就労と野宿」には、から「『大阪へ行け』との声が聞こえた」という女性の一例を掲載している• 『』2010年10月号 p. 255-256。 「2009年12月の大阪市の調査では、半年以内に31都府県からの転入者が確認された」とも記述されている。 毎日新聞2007年11月5日大阪夕刊• 「大阪行き片道切符〜生活保護急増の裏側で何が〜」NHK大阪放送局「かんさい熱視線」• 本来は、首がもげているなど明らかに死んでいる場合以外は、医師しか死亡を確認出来ない。 「阪堺百年」阪堺電気軌道株式会社 刊(2001年5月再版)p. (イタリア語)• 原口 剛 他 編著『釜ケ崎のススメ』洛北出版、2011年、pp. 239. 249-251、• 法律上住所があることは生活保護を受けるための必要条件ではないが、が住所のないことを理由として生活保護の申請を拒否することがある 違法行為 ことが報道されている。 、、2010年3月1日14時28分。 参考文献 [ ]• 加藤政洋、2002『大阪のスラムと盛り場—近代都市と場所の系譜学』創元社• soul in釜ヶ崎、2008『貧魂社会ニッポンへ—釜ヶ崎からの発信』アットワークス• 西本裕隆、2010『現代ホームレス事情—大阪西成・あいりん地区に暮らす人々を見つめて』鹿砦社 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 - 歴史的な記述はこちらを参照。

次の