川合 ら な。 川合京都仏教美術財団

川合俊一

川合 ら な

「どの業界のこと?(笑)。 芸能界とビーチバレーのことなら簡単ですよ。 現役時代に広がった交友関係は業界の方が多かったので、当時から出演依頼はいただいていました。 ただ、芸能界に興味はなかったのですべて断り続けていたんです。 それが現役を引退して、断りづらくなったというわけ。 とはいえ、90年の3月末日で富士フイルムを退社して4月1日からテレビに出演するとなると、なんかタレントに転身するために引退したって思われそうでしょ? だから、ほとぼりが冷めるまでしばらく海外に脱出することにしたんです。 ところが、そこで運命のビーチバレーと出会ってしまった。 『こんなにも楽しいスポーツ、日本でも広めたいなぁ』という気持ちが湧いてきてしまいました。 それで『ビーチバレーの宣伝をさせてもらえるなら番組にも出ます』というスタンスでテレビのお仕事もお受けするようになったんです。 実は当時話題にしていただいていた、自分のファッションにしても、お付き合いのある方のなかにコシノジュンコさんとか、デザイナーの方がいらしたので、ショーで使用したものをいただいていたんです。 僕くらいの身長になると、まず既成品ではサイズが合わない(笑)。 でも、パリコレで発表したものって、いわゆる普通のデザインやカラーのものはないでしょ? もうね肩パッドはすごいし、色も紫とか黄色といったイケイケ系のものばかり。 そりゃ目立ちますよね。 でも、それが話題となって、バレーボール以外でも注目されるようになった理由のひとつですから、今の僕は当時の交友関係がつながった結果とも言えます。 」 「ビーチバレーは、まだまだ国内での認知度は低いもの。 でも海外での人気は絶大なんです。 現に世界大会の会場はどこも有名な観光スポットに設営されます。 例えばフランスはパリならエッフェル塔の前に砂を運んできて会場にしたり、五輪でもロンドンの時はバッキンガム宮殿の前だし、前回のリオは当然コパカバーナでした。 過去の五輪では、集客率もトップクラスだといいます。 ビーチでアルコールを飲みながら観戦できるというのも人気の要因なのでしょうね。 だから、世界のビーチバレーファンは、東京で五輪を迎えるにあたり、会場は皇居の前だとか東京タワーの前なんて場所を想像していたんです。 ところがお台場の"潮風公園"と伝えられて『どこそれ?』となっちゃった…。 「僕が現役でプレイしているころって、いわゆるバブルの時代。 そのせいか、六本木はいろんな人種・業種の方が集う、とても華やかな場所だったんです。 もちろん今でもそういう雰囲気は色濃く残っていますけど、とにかく遊びに苦労しない街というイメージが強いですね。 当時は携帯電話も普及していないので、待ち合わせなんて簡単には出来ない時代です。 では、どうやって友人たちと落ち合うかというと、居そうなお店を覗いていくんです(笑)。 そうすると、誰かしらが既に居るんですよね。 芸能界では真田広之さんとか、陣内孝則さんや諸星和己くんなんかは良く遊びましたよ。 みんながそうやって行きつけのお店をもっている時代だったんです。 それに、この街はお店の密集度が半端ない。 例えば3丁目で誰かと落ち合ったら、2軒目も3丁目内で済んでしまうの。 すぐ隣や向かいにも、いいお店があるので、わざわざ交差点を渡って反対側のブロックに行くようなこともない(笑)。 もちろん、目当てのお店があれば別ですけど、大抵はそのブロック内で完結してしまいます。 だから、今日は3丁目だったけど、明日は6丁目で遊ぼう!という風に、飽きがこないのも僕が長く通い続ける理由のひとつです。 唯一の欠点は、近くに住んでいたので、妻にバレやすいということぐらいかな(笑)。 世間的には怖い人がたくさんいる街というイメージもあるようですけど、かつては防衛庁もありましたし、今も各国の大使館が近くにあるので、実は治安がいい街なんです! この街の魅力は、遊んでみてはじめて感じることができるはず!」.

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川合 ら な

【猪木慶治】 1933年岡山県出身。 1956年東京大学理学部物理学科卒。 同大学院を終了後、東京教育大学理学部助手、東京都大学理学部講師、同助教授、同教授を経て1994年より東京大学名誉教授、神奈川県大学理学部教授、その間、米カリフォルニア大学バークレー校研究員、プリンストン高級研究所研究員、ヨーロッパ連合原子核研究機関(CERN)客員科学者として研究。 専攻は素粒子論。 理学博士。 【川合 光】 1955年大阪府出身。 1978年東京大学理学部物理学科卒。 同大学院を終了後、米コーネル大学研究員、同助教授を経て、1988年、東京大学理学部助教授、1993年より高エネルギー物理学研究所理論部教授。 専攻は素粒子論。 理学博士。 この本では前提となる基礎知識が幅広く求められます。 基礎知識なんて、持ってる人からすれば「そんな事も知らないのか」と言いたくなるかもしれませんが、この本を読むと、やはり知識があるって素晴らしい事だなと実感します。 例えば、最初の章のとある問題では、ボルツマン分布を知っていないと先に進めません。 ボルツマン分布といえば、熱・統計力学でお世話になる項目ですが、それを知っている必要があります。 数学でいうと、式展開で何の前触れもなくガウスの発散定理を使います。 ベクトル解析を学んでいない人から見ると、意味が分かりません。 ナブラ記号のオンパレードで、内積と外積、そしてナブラ演算子とは何かを理解していなければ、計算についていけないでしょう。 前書きで、著者は必要な前提となる基礎知識を述べています。 解析学(微分積分、ベクトル解析、微分方程式) 線形代数 力学と電磁気学 の知識が必要になるようです。 しっかりと基盤の知識を学んでから、この本に取り組みましょう。 もし理解することができれば、学部レベルの量子力学は肌で触れたことになります。 この1,2の両巻を読み終えれば、相対論的量子力学や場の量子論に進めます。 一般相対性理論を学んでいるのなら、量子重力理論や超弦理論・M理論に進むのもありかもしれません。 学問に王道なし。 この量子力学の本が幅広い基礎知識を求められているのと同じように、超弦理論に進めば、この量子力学の内容が基礎知識になります。 諦めずに、前に向かって歩んでいきましょう。 この本が、その一助になってくれることは間違いないでしょう。 学部の時の量子力学演習の講義で指定された教科書で、国内多くの物理系の学部学科で使われている本だと聞くが、それほど素晴らしい本であるとは思わなかった。 悪くもないが....。 主に豊富な例題と問題によって理解を深める構成となっているが、少なくても「基礎」を身に付ける為の物理的概念を掴むのが難しかった。 つまり量子力学で使われている数学の演習書をやっているような感じで、たしかに数学力は身に付くと思うが、果たして量子論をこれで理解できるのだろうか??? 著者は素粒子論が専門なので、素論系の学生は本書を気に入る傾向があるみたいだが、実験や物性系の学生にとっては、ただの「数学」ドリルに成り果ててしまう可能性があり、院試が終わったらホコリを被って忘れ去られている感じの扱われようだった。 個人的には小出の量子力学や、JJサクライで十分に「量子力学」を学んだ後に、数学的な補助トレーニングを積む目的で本書を読む事が良いと思う。 あるいはその他量子力学の名著の、数学的補助教材として長らく重宝してあげると、価値が高まると思う。 院試の対策に良いという意見をよく聞くのですが、確かにそうかもしれません。 ただ院試対策だけなら、他の演習書の方が優れているように感じます。 例えば、 J. サクライの演習問題や大学演習量子力学などを勉強すれば量子理学の基本問 題をマスターするのはそう難しくありません。 なんせ量子力学は解析的に解け る問題がそんなにないのですから、試験対策の意味では非常に範囲が狭い。 しかしながら、大学院での研究でも様々な知識が要求されますが、本書はそのた めの教養を身につけるのに非常に良い演習書であると思います。 例えば第二量子 化の話題や角運動量から群論の知識につながる箇所の説明など。 そう言った意 味では、扱っている内容がアドバンストすぎるかもしれません。 量子力学の 単位を取るためだけなら本書は必要ありません。 その上を目指す人にこそ 本書を勧めます。 気づけば、試験や院試は問題にしない力がついているはずです。 前期量子論の記述が(おそらく意図して)淡泊なため、量子化や量子現象に対するもやっとした違和感は残るでしょうが、それは一旦脇に置いて、読み(解き?)進めていってみましょう。 計算の飛躍は最小限に抑えられていますので、問題は解けるはずです。 物理的なイメージは問題を解いている内にある程度養われますので、それで納得しておきましょう。 まず前提に解析力学をしっかり理解していないといけません。 また、原理の発見につながった諸現象(前期量子論)をどう解釈すべきかも、学習者が持っている知識(古典論)と現象があまりにもかけ離れているため、本の記述をただ読むだけではだめで自分なりに悩みながら解釈していく必要があります。 その上でやっとこさ量子化の話が飲み下せる。 量子化が飲み下せて、シュレディンガー方程式を解いてみようと思っても、見慣れない数学と膨大な式変形に圧殺される。 それを乗り越えて初めて理解できる学問です。 大学2,3年次の内で完全理解するはなかなか厳しいと思います。 前期量子論の解釈で詰まって気づけば院試前なんてことになりかねません。 本書は先ほど書いた苦労の内、最後のものだけで量子力学を使えるようにしてくれる魔法の書です。 演習をたくさんやるのは辛いですが買って解く価値は十分以上にある本だと思います。 自分は理論物理学者ですが、量子力学の復習のために読みました。 和書の中では量子力学の本としてかなりいいと思います。 ただし、数学の予備知識がないと読み進めることが非常に難しいです。 解析はもちろんのこと、偏微分方程式やフーリエ変換の知識は前提になります。 後は群論やリー代数のことが少し登場するのですが、 あまり詳しく書いていないので、代数学の教科書を読む必要があります。 したがって、初心者向けではないです。 初めて量子力学を勉強する人は小出さんの教科書がいいと思います。 後は、多少気になったことは本の中の説明でのエルミート性や完備性やユニタリ、 ブラとケットなどの数学的な説明に厳密性を少し欠いていることでした。 ちなみに、初めのほうの泥臭い計算は学部生向けだと思いました。 やはり、抽象的な記述より泥臭い計算のほうが学生のためになると思っています。 その点で言えば、この本は例題や問題が大量に書いてあって、答まで丁寧に書いてあるのでいいと思います。 研究者が量子力学を復讐するのにはいい本だと思いました。 他の方がレビューを書いていますが、自分もあまりいい本とは思えなかったです。 ただ、学生に人気なのは、大学院試験の対策になるからだと思います。 追記:下巻まで読んだので、その後の感想を書きます。 下巻の原子、分子、原子核のところまで読み進めれば面白い本です。 原子核や素粒子実験をやりたいという人向けの本です。 量子力学そのものを追求したい人には向いていないです。 はじめて量子力学を勉強するときにこの本を買いましたけど、正直なところあんまり理解できなかった記憶があります。 というのも、学部2,3年ぐらいではじめて量子力学を勉強する頃では、複素関数論やフーリエ解析について理解が不足していることが多いからです。 結果、数式を追っていくのが一杯一杯になってしまい、何をしたかったのか意味不明のまま挫折してしまいました。 ・・・しかしながら、基礎がしっかりしてあれば、読みこなせると思います。 事実、復習のためにこの本を読み返したところ、なんだ、こういうことだったのかという発見が数多くあり、理解が深まりました。 そういった意味で、長く使えるが量子力学の本だと思います。 なお、重要な項目である摂動論や同種粒子の扱いなどは2巻の方に纏まっているので、そちらも購入する必要があります。 上下巻セットとなると1万円を突破してしまうのが、大学生にとっては辛いですね。 でもまぁ、物理学において量子力学はどの分野においても必須の知識ですから投資の価値は十分にあると思います。

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川合 ら な

[生]1873. 愛知,外割田 [没]1957. 東京,青梅 日本画家。 本名は芳三郎。 1887年京都へ出て望月玉泉,にを学ぶ。 初め玉舟と号し,のち玉堂に。 1896年上京してのとなりを習い,1898年雅邦に従っての創立に参加。 院展や文部省美術展覧会 文展 に出品し,四条派,狩野派両派を選択して独自の画風を築き,田園生活の穏和な潤いのある風景画を得意とした。 文展審査員,東京美術学校教授 1915~38 ,帝室技芸員,帝国美術院会員,帝国芸術院 会員となり,1940年文化勲章を受章,1951年文化功労者。 1944年から移り住んだ東京西多摩のは,に玉堂美術館となり作品を展示。 主要作品『』 1903,五島美術館 ,『行く春』 1916,東京国立近代美術館 ,『』 1931,東京芸術大学 ,『峰の夕』 1935 ,『彩雨』 1940,永青文庫 ,『屋根草を刈る』 1954,東京都。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について の解説 日本画家。 明治6年11月24日愛知県に生まれる。 本名芳三郎。 1887年(明治20)京都に出て望月玉泉 もちづきぎょくせん に、ついで90年に幸野楳嶺 こうのばいれい に師事して四条派を学んだ。 この年、第3回内国勧業博覧会に出品して褒状を受け、日本青年絵画協会、日本美術協会などでも受賞した。 95年、第4回内国勧業博覧会で橋本雅邦 がほう の『竜虎図』に感動し、翌年上京してその門に入った。 1907年(明治40)の東京勧業博覧会に『二日月』を出品して注目を集め、四条派と狩野 かのう 派を巧みに融和させたその表現は多くの追従者を生んだ。 またこの年開設された文展の審査員にあげられ、以後官展で活躍することになり、とくに16年(大正5)の第10回文展に出品した『行く春』は、穏和な筆致で自然のたたずまいを情趣豊かにとらえ、その地歩を不動のものにした。 15年から36年(昭和11)まで東京美術学校教授。 また長流塾を開いて門下を育てた。 17年に帝室技芸員、19年に帝国美術院会員、37年には帝国芸術院会員となり、40年文化勲章を受章した。 歌もよくし、歌集『多摩の草屋』がある。 昭和32年6月30日没。 晩年を過ごした東京青梅 おうめ 市御岳 みたけ の旧居は、玉堂美術館(1961創設)として公開されている。

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