まり よしこ。 新倉美子(しんくら・よしこ)「青春ジャズ娘」(1953) : 夜ごとの美女

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まり よしこ

著作には、『不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か』、『魔女の1ダース』、『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』、『オリガ・モリソヴナの反語法』などがある。 人物 [ ] 東京都出身。 を経て、外国語学部ロシア語学科卒業。 大学院露語露文学修士課程修了。 生い立ち [ ] 常任幹部会委員だった・の娘としてので生まれる。 父方の親類に参議院議員のがいる。 3年生だった(34年)、父が日本共産党代表として各国共産党の理論情報誌 『平和と社会主義の諸問題』編集委員に選任され、編集局のあるのに赴任することとなり、一家揃って渡欧した。 9歳から14歳まで少女時代の5年間、現地にある外務省が直接運営する外国共産党幹部子弟専用の8年制ソビエト大使館付属学校に通い、ロシア語で授業を受けた。 による教育ではなくソビエト学校を選択したのは、ロシア語ならば帰国後も続けられるという理由だった。 ソビエト学校は、ほぼ50カ国の子供達が通い、教師はソ連本国から派遣され、教科書も本国から送られたものを用いる本格的なを組んでいたという。 クラスの人数は20人を越えると二つに分けるなど、きめ細かい教育だったが、最初の約半年間は、教師や生徒が笑っていても言葉がわからず、「先生の話すことが100パーセント分からない授業に出席し続けるのは地獄」だったと述懐している。 (39年)11月、ソビエト大使館付属学校を第7学年で中退し日本に帰国。 1965年1月、第2学年編入。 ソビエト学校はすべて論述試験だったからである。 ()が起こったのは日本へ戻った後の、18歳のときだった。 ロシア語を学ぶ [ ] 1966年4月、入学、1969年3月に卒業。 同年4月、榊原舞踊学園民族舞踊科入学。 1971年3月に同校を中退し、同年4月、ロシア語学科に入学、この頃に日本共産党入党。 1975年3月に同大を卒業し、同年4月、に入社。 1976年3月、同社を退社し、同年4月、大学院人文科学研究科露語露文学専攻修士課程に進学。 1978年3月、同修士課程修了。 大学院在学中の(60年)、「東大大学院支部事件」に連座して党から除籍処分を受けた [ — ]が、死亡時『』訃報欄には、党歴無記載ではあるが掲載された。 後年()、逮捕直前のに米原は「私は共産党にされたことがある。 あのときは殺されるんじゃないかとほんとうに怖かったわ。 共産党も外務省も組織は一緒よ」 と語っている。 また、日本共産党から離れた後「今の社会の仕組みや矛盾を説明するのに、ほどぴったりな人はいないわよ。 絶対的とは言わないけれど、今読むことのできる思想家の中では、あれほど普遍的に世の中の仕組みや矛盾をきちんと説明できる思想家は他にいない」とたびたび語っていた。 日ソ学院(現在の)ロシア語講師、また1990年まで大学部教員としてロシア語を教える。 かたわら1978年頃より・に従事、ロシア語通訳協会の設立に参画し、初代事務局長となる。 TBSのテレビ番組『シベリア大紀行』という番組で、厳寒期の平均気温がマイナス60度になるを取材し、厳冬期のシベリアを一万キロにわたり横断。 通訳として [ ] (58年)頃から第一級の通訳として、ロシア語圏要人の同時通訳などで活躍。 特に以降は、ニュースを中心に旧ソ連・ロシア関係の報道や会議の同時通訳に従事する。 1989年から1990年まで、TBS「宇宙プロジェクト」で通訳グループの中心となり、ソ連側との交渉にあたる。 TBSの特別番組「」ではロシア語の同時通訳を担当。 こうした活躍が同時通訳、ひいては米原の存在を一般に広く知らしめることになった。 1月、・ソ連最高会議議員(当時)来日にあたって、随行通訳を務める。 エリツィンからは「マリ」と呼ばれ、大変可愛がられていた。 (4年)には同時通訳による報道の速報性への貢献を評価され、(SJ賞)受賞。 1995年から1997年まで、さらに2003年から2006年の死去まで、ロシア語通訳協会会長を務める。 また同時通訳の待遇改善にも尽力した。 (9年)4月から翌年3月まで、教育テレビ『』で講師を務める。 作家として [ ] (7年)に『不実な美女か貞淑な醜女か』(1994年)でを、(9年)に『魔女の1ダース』(1996年)でをそれぞれ受賞。 1980年代後半以降、の政権の没落やさらにはソ連の崩壊を、通訳業の現場にいて肌で感じ、プラハのソビエト学校時代の友人たちの消息が気になっていた。 親しかった人のリッツァ、人のアーニャ、ののヤースナの級友3人を探し歩き、消息を確かめた記録『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(2001年)でを受賞。 選考委員のは、「恐ろしい作品。 書き飛ばしているのに、それが弊害になっていない。 人間デッサンを一瞬に通り過ぎながら、人物が行間からくっきり立ち上がってくる。 嫉妬に駆られるような見事な描写力だ」、と評価している。 (15年)には、長編小説『オリガ・モリソヴナの反語法』(2002年)で、を受賞。 選考委員を務めたは、若い夢とイノセンスの喪失を語りながら、暗い社会の中、老女オリガ・モリソヴナの躍動感で「子供たちはその光を受けて輝」いていると述べ、「ある天才的な踊り子の数奇な運命を辿ると同時に、ソ連という実に奇妙な国の実態を描く小説であって、この二重性が実におもしろい」、と評価した。 晩年 [ ] 晩年は、肉体的にも精神的にも負担の多い同時通訳からは身を引いて作家業に専念した。 またのテレビ番組『』にとして出演していた。 10月、の診断を受け内視鏡で摘出手術すると、嚢腫と思われたものがであり、転移の疑いがあると診断される。 の影響を受けていた米原は開腹手術による摘出、抗癌剤投与、放射線治療を拒否し、いわゆる民間療法にて免疫賦活などを行う。 1年4ヶ月後には左鼠径部リンパ節への転移が判明し、手術を提案されるが拒否。 温熱療法などを試みる。 闘病の経緯は米原の著書『打ちのめされるようなすごい本 』に掲載されている。 (18年)に神奈川県の自宅で死去したことが同29日に報道された。 享年56、戒名「浄慈院露香妙薫大姉」。 死亡時には週刊誌、『』で『発明マニア』を、『』で『私の読書日記』を、それぞれ連載中であった。 また、生前最後の著作は『必笑小咄のテクニック』(2005年)となった。 死亡後の7月7日には、にて「米原万里さんを送る会(送る集い)」が行われた。 エピソード [ ]• をこよなく愛することで有名。 に出演した際、が米原の著書『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』に出てくる瞳孔に関する有名な下ネタを紹介したため、視聴者に衝撃を与えた。 その他の趣味は、そしてやと暮らすこと。 親しい友人の同時通訳者のも駄洒落と下ネタが得意で、米原は田丸に自分の渾名「シモネッタ・ドッジ」なる称号を献上、田丸は米原を「え勝手リーナ」()と呼んでいた。 佐藤優は「」2008年9月特別号において、米原にから関係を迫られたと聞いたとする記事を掲載した。 米原は橋本が総理在任中のモスクワ外遊時に通訳を務めていた。 この記事はのちに『インテリジェンス人間論』にも掲載された。 掲載時に両者とも故人だったためコメントは得られていない。 家族 [ ] 父親はの、祖父は鳥取県議会議長、議員、鳥取商工会議所会頭などを務めた。 実妹のユリは作家・戯曲家のの妻である。 万里は死亡時まで、井上が会長を務めるの常務理事であった。 受賞歴 [ ]• 1991年度(SJ賞)• 『不実な美女か貞淑な醜女か』で1994年度第46回随筆・紀行賞• 『魔女の1ダース』で1997年度第13回• 『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』で2002年度第33回• 『オリガ・モリソヴナの反語法』で2003年度第13回(選考委員) 著書・関連書籍 [ ] 単独での著書 [ ]• 不実な美女か貞淑な醜女か(-ブスか)• - 1994年9月• () - 1998年1月• 魔女の1ダース - 正義と常識に冷や水を浴びせる13章• - 1996年8月• 新潮文庫(新潮社) - 2000年1月• ロシアは今日も荒れ模様• 出版局 - 1998年2月• () - 2001年2月• - 2000年12月• (文藝春秋) - 2003年6月• 嘘つきアーニャの真っ赤な真実• - 2001年6月• (角川書店) - 2004年6月• 真夜中の太陽• - 2001年8月• (中央公論新社) - 2004年8月• ヒトのオスは飼わないの? 講談社 - 2001年11月• 文春文庫(文藝春秋) - 2005年6月• 旅行者の朝食• 文藝春秋 - 2002年4月• 文春文庫(文藝春秋) - 2004年10月• オリガ・モリソヴナの反語法• - 2002年10月• - 2005年10月• 真昼の星空• 中央公論新社 - 2003年10月• 中公文庫(中央公論新社) - 2005年1月• パンツの面目ふんどしの沽券(-こけん)• - 2005年7月• - 2008年4月• 必笑小咄のテクニック(ひっしょうこばなし-)• - 2005年12月• 他諺の空似 - ことわざ人類学(たげんのそらに-)• - 2006年8月• - 2009年5月• (中央公論新社) - 2016年5月• 打ちのめされるようなすごい本• 文藝春秋 - 2006年10月• 文春文庫(文藝春秋) - 2009年5月• 書評集• 発明マニア• - 2007年3月• 文春文庫(文藝春秋) - 2010年8月• 連載「発明マニア」を書籍化• 終生ヒトのオスは飼わず(しゅうせい-)• 文藝春秋 - 2007年5月• 文春文庫(文藝春秋) - 2010年3月• 米原万里の「愛の法則」• 集英社新書 - 2007年8月• 講演の記録をまとめたもの• 心臓に毛が生えている理由(-わけ)• - 2008年5月• 角川文庫(角川書店) - 2011年4月• 米原万里ベストエッセイ 1・2• 角川文庫(角川書店) - 2016年4月・6月• 初のベスト集• 偉くない「私」が一番自由• 文春文庫(文藝春秋) - 2016年4月• 佐藤優による編・解説• 人と物6『米原万里』• MUJI BOOKS文庫(無印良品) - 2017年12月• エッセイ8編の他、初公開の「くらしの形見」を収録 共同での著書・対談など [ ]• 言葉を育てる 米原万里対談集• ちくま文庫 - 2008年9月• 米原万里・文、関口たか広・え、・編• 知る知るシリーズ - 1986年7月• 米原万里・著、山本皓一・写真• 清流出版 - 2007年1月 125p (上掲同題書を改稿、写真追加)• 角川文庫(角川学芸出版)- 2012年1月(清流出版刊書を再構成のうえ、文庫化)• 日本の名随筆 別巻66 方言• - 1996年8月• 「方言まで訳すか、訛りまで訳すか」を収録• 司馬サンの大阪弁 - '97年版ベスト・エッセイ集• 日本エッセイストクラブ・編• 文藝春秋 - 1997年7月• 文春文庫(文藝春秋) - 2000年9月• 「音楽の音を言葉で表す達人」を収録• 木炭日和 - '99年版ベスト・エッセイ集• 日本エッセイストクラブ・編• 文藝春秋 - 1999年7月• 文春文庫(文藝春秋) - 2002年7月• 「漢字かな混じり文は日本の宝」を収録• 私たちが生きた20世紀 - 下• 文藝春秋・編• 文春文庫(文藝春秋) - 2000年10月• 「夢を描いて駆け抜けた祖父と父」を収録• 二十一世紀に希望を持つための読書案内• 筑摩書房編集部・編• ちくまプリマーブックス 141 筑摩書房 - 2000年12月• 17歳のための読書案内• 筑摩書房編集部・編• ちくま文庫 ち10-1 筑摩書房 - 2007年5月• 「本気で惚れた相手を口説くのは難しい」を収録• 酒は老人のミルクである - 玉村サロン絶好調! 酒文ライブラリー 酒生活文化研究所・発行、・発売 - 2001年4月• 対談「愛すべきロシア蒸留社会の真実」を収録• 母のキャラメル - 2001年版ベスト・エッセイ集• 日本エッセイストクラブ・編• 文藝春秋 - 2001年7月• 文春文庫(文藝春秋) - 2004年7月• 「愛の代用品」を収録• 読書のたのしみ• 編集部・編• 岩波文庫 別冊15 - 2002年8月• 「最も苦痛の少ない外国語学習法」を収録• 話せばわかる! - 養老孟司対談集 身体がものをいう• - 2003年9月• 対談「論理の耳に羅列の目」を収録• ああ、恥ずかし• 阿川佐和子・ほか・著• 新潮文庫(新潮社) - 2003年10月• 「自分の舌が恐くなる」を収録• 君今この寂しい夜に目覚めている灯よ - 佐高信対談集• ・編著• - 2003年12月• 対談「国から離れて生きるのが賢い」を収録• 座談会昭和文学史 第4巻• 井上ひさし・・編著• 集英社 - 2003年12月• 「 - その伝説と魔力(米原万里・・井上ひさし・小森陽一)」を収録• それでも私は戦争に反対します。 - 2004年3月• 「バグダッドの靴磨き」を収録• わたし、猫語がわかるのよ• 日本ペンクラブ・編• - 2004年5月• 「白ネクタイのノワ」を収録• 小説50 - あなたへの「著者からのメッセージ」• ・・著• ・発行 - 2005年5月• 『オリガ・モリソヴナの反語法』についてのインタビューを収録• 父と娘の肖像• () - 2006年3月• 「大好きな父のあの言葉」を収録• 懐かしい日々の対話 -- 多田富雄対談集• - 2006年11月• 対談「脳はウソをつくようにできている」を収録• あの日、あの味 - 「食の記憶」でたどる昭和史• 月刊『』編集部・編• ・発行、・発売 - 2007年3月• 「冷凍白身魚の鉋屑」を収録• テレビニュースは終わらない• 集英社新書 0400B(集英社) - 2007年7月• 対談「イラク邦人人質事件で露呈したもの」を収録 訳書 [ ]• わたしの外国語学習法 - 独学で外国語を身につけようとしている人々のために• 創樹社(港区) - 1981年9月• ちくま学芸文庫 ロ3-1(筑摩書房) - 2002年2月 その他 [ ]• 希人よ もっと激しく、もっと自由に(まれびとよ-)• 社会部・著• 四谷ラウンド - 2000年8月• 「ロシア語通訳・米原万里」を収録• 叔母の陰謀• 2004年9月14日付 (大阪本社)に掲載• 短編小説• センセイの書斎 - イラストルポ「本」のある仕事場• 内澤旬子・著• - 2006年5月• 31ヶ所の仕事場紹介のうち、米原万里(作家・同時通訳者)「ファイルと箱の情報整理術」• 一字一会 - いま、何か一つだけ、字を書くとしたら? 株式会社金曜日 - 2006年7月• 『』連載の単行本化。 100人の執筆者中、書き下ろしで、米原万里(作家・エッセイスト) 回想・作家論集 [ ]• -特集 米原万里、2009年1月号。 ネクラーソフ・最後の詩集 『終焉の歌』 をとする抒情詩群(1)• 罵り言葉考• マーリ・イターロヴナ・ヨネハラの写真帖• 米原万里略年譜• 米原万里、そしてロシア• 編、、2009年4月• 対談 米原万里とロシア(・小林和男)• 回想の米原万里(建築家になる夢(井上ユリ)ほか• 執筆者は、ら全16名• 米原万里を語る• 井上ユリ・編、かもがわ出版、2009年5月• 執筆者は他に、、の全5名• 姉・米原万里 思い出は食欲と共に• 井上ユリ著、文藝春秋 - 2016年5月• 姉・米原万里• 井上ユリ著、文春文庫(文藝春秋) - 2019年1月• 回想録、秘蔵写真を多数収録• 米原万里 真夜中の太陽は輝き続ける• 河出書房新社〈文藝別冊 夢ムック〉、2017年8月• 、、、井上ユリほか 著書の他言語版 [ ]• 프라하의 소녀시대 (『プラハの少女時代』、原本著書題名は『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』)• 요네하라 마리(米原万里)・著 이현진・訳• 마음산책・刊 - 2006年11月• 마녀의 한 다스 (『魔女の1ダース』)• 요네하라 마리(米原万里)・著 이현진・訳• 마음산책・刊 - 2007年3月• 속담인류학 -- 속담으로 풀어 본 지구촌 365일 (『ことわざ人類学 - ことわざで読み解く地球の365日』、原本著書題名は『他諺の空似 - ことわざ人類学』)• 요네하라 마리(米原万里)・著 이현진・訳• 중앙일보시사미디어・이코노미스트(時事メディア社・週刊『エコノミスト』誌編集部)・刊 - 2007年7月• 팬티 인문학 (『パンツ人文学』、原本著書題名は『パンツの面目ふんどしの沽券』)• 요네하라 마리(米原万里)・著 노재명・訳• 마음산책・刊 - 2010年10月• 米原萬里的口譯現場(『米原万里の通訳現場』、原本著書題名は『不実な美女か貞淑な醜女 ブス か』)• 米原萬里(米原万里)・著 張明敏・訳• 大家出版・刊 - 2016年4月• 旅行者的早餐(『旅行者の朝食』)• 米原万里・著 王遵艷・訳• 南海出版公司・刊 - 2017年3月 テレビ番組 [ ]• 世界・わが心の旅 - プラハ 4つの国の同級生 (NHK衛星第2、1996年2月3日放送、2006年6月13日再放送) 旅人・ロシア語同時通訳者 米原万里、語り・ テーマ音楽・立原摂子、撮影・三石陽一、音声・黒木禎二、編集・中村幸弘、音響効果・片野正美、取材 - オリビア・ベルキアヌ、マルティン・バティカーシュ、ドラガン・ミレンコビッチ、山本充広、構成・長澤智美、プロデューサー・大森裕子、制作統括 - 宮下弘、平賀徹男、共同制作 - 、、制作・著作 -• 第18回 (NHK総合、2006年9月20日放送) 忘れられない女性たち「さようならの風景」〜 作家・ロシア語通訳 米原万里 番組内のひとつのコーナーとして、が鎌倉の自宅などを紹介。 脚注 [ ]• 『ユリイカ』2009年1月号、p. 166• 井上ユリ・小森陽一編著『米原万里を語る』p. 112(かもがわ出版、2009年)• 井上ユリ・小森陽一編著『米原万里を語る』p. 114(かもがわ出版、2009年)• 2006年6月2日付)• - Bunkamura• 株式会社文藝春秋、2006年10月刊(2009年、文春文庫収録)• が読んだ弔辞は(文藝春秋編『弔辞 劇的な人生を送る言葉』 2011年所収)。 ロシア語通訳の米原万里は大きな瞳で筆者を見つめ「私橋龍に襲われそうになったことがあるの」と言った。 橋本龍太郎・元首相はエリツィンとの会談で通訳してもらう内容について相談したいと米原万里を3部屋続きのプレジデント・スイートに呼び出し暫く打ち合わせたが途中から様子が変わり米原万里に迫ってきたということだ。 「ほんと怖かった。 やっとの思いで部屋から逃げ出したわ。 仕事にかこつけて呼び出しておいて迫るのは男として最低だわ」と米原万里は続けた• SJWRT. 2016年6月21日閲覧。 外部リンク [ ] 公式サイト [ ]• 講演・読みもの [ ]• - 21世紀活字文化プロジェクト 活字文化公開講座(2003年5月28日)• - 『本の話』2005年9月号• -ほぼ日刊イトイ新聞 訃報に接して [ ]• - 吹浦忠正( 研究推進担当 常務理事)の新・徒然草• [ ] - 公式サイト ガッキィファイター• : [ ] - 執筆・熊木秀夫(2006年6月23日) その他 [ ]• - ウィキニュースに関連記事があります。 第11回 () 「ブタの丸かじり」 ・ 「本が好き、悪口言うのはもっと好き」• 第12回 () 「子供より古書が大事と思いたい」 ・ 「花の脇役」• 第13回 () 「魔女の一ダース」• 第14回 () 「ロンドン骨董街の人びと」• 第15回 () ・ 「ああ言えばこう食う」 ・ 「ボタニカル・ライフ 植物生活」• 第16回 () 「モロッコ流謫」• 第17回 () 「屋上への誘惑」 ・ 「慶応三年生まれ七人の旋毛曲り」• 第18回 () 該当作なし• 第19回 () 「不眠の都市」 ・ 「昭和が明るかった頃」• 第20回 () 「忘れられる過去」 ・ 「」 第21回 - 第30回.

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米原万里

まり よしこ

略歴 [ ] 出身。 人物 [ ] 趣味・特技には、、をそれぞれ挙げている。 出演 [ ] テレビアニメ [ ] 1994年• (ニュースキャスター) 1995年• (友田)• (金剛リン) 1996年• (1996年 - 2019年、瀬川美智子、石田康江、白河美鈴、福来清美、北園絹子、門脇安子 他) 1997年• (オキナ)• (影女) 1998年• (1998年 - 1999年、品川良子校長、男子生徒、京介、看護婦)• (ニタ子の母、ショウゴの母)• (シャスタデイジー) 1999年• (母にわとり)• (シュウの母)• (母親)• (桜井良子 )• (農家の妻)• (祖母)• (おばあさんボン) 2000年• (農家の主婦A) 2001年• (マリアデギ・モチ)• (女将)• (お婆さん)• (緑のおばさん)• (村の女2) 2002年• (上倉多恵子)• (老侍女)• (クジラ) 2003年• (おばちゃん)• (画材屋主人 澪、老婆) 2004年• (小豆とぎ)• (ジーン先生) 2005年• (ナオの母)• (鈴田の母) 2006年• (福留母)• (老女)• (老婆)• (れんタンのおばあちゃん)• (小豆とぎ) 2007年• (売店のおばちゃん) 2008年• (院長、日比谷母)• (緋沼水絵) 2011年• (グラニッツの村人、老巫女D)• (おばさん) 2014年• (兎角の祖母) 2016年• (八百屋) 劇場アニメ [ ]• (1998年、母親2)• えっちゃんのせんそう(2002年、上原ウメ )• (2006年、小豆とぎ) OVA [ ]• (1993年、京子の母) ゲーム [ ] 1994年• (イノア、ゴウセンの母) 1997年• (リース) 1998年• (クミンの母) 2007年• (ミラ) 2009年• ( ミラ) ドラマCD [ ]• (ハッサンの母) 吹き替え [ ] 映画 [ ]• (ロレーヌ・ランバート〈〉)• (ロレーヌ・ランバート〈バーバラ・ハーシー〉)• (ナオミ〈リンダ・パウエル〉)• (ジャゴ夫人〈マギー・マッカーシー〉)• テレビドラマ [ ]• (アデル)• (エディス・ロス) アニメ [ ]• (フジテレビ版)(マウス)• ()(ジュヴァラ夫人) 舞台 [ ]• 劇団大富豪第8回公演「wakasagi ワカサギ 」 2012年3月1日 - 2012年3月4日、東京 笹塚ファクトリー 出典 [ ].

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💗アテニアに出会えて感謝💗【スキンケアーの魅力part3】:掲示板:おしゃべりルーム|Beach

まり よしこ

もしもしロボ調査[Wiki ウィキ 情報] 眞理ヨシコ 来歴 岐阜県出身。 その後東京都へ転居。 東京都立駒場高校時代より、東京芸術大学の講師だった酒井弘に師事。 その後、深緑夏代にシャンソンの指導を受ける。 東京芸術大学音楽学部声楽科卒業。 1961年、東京芸大2年の時NHKのオーディションに合格し、NHK『歌の広場』のニュー・ボイスとなる。 その後、『おかあさんといっしょ』(当時はうたのえほん)初代うたのおねえさんに抜擢。 当時は「真理ヨシコ」の名前で出演していた。 1961年4月 - 1962年9月までの1年半うたのおねえさんを務め、うたのおねえさん卒業後もおかあさんといっしょのコーナー、「おはなしのもり」「うたいっぱい」「らっぽんぽん」「ほあほあどん」「ヤンヤンムウくん」などで活躍。 合計13年9か月に及ぶ出演だった。 1963年、NHK『うたのえほん』で使われた童謡「おもちゃのチャチャチャ」が1ヶ月で4万枚のレコードを売り上げるなどヒットし、第5回日本レコード大賞童謡賞を受賞。 1970年代から1980年代にかけてはNHK総合テレビ18時台に放送されていた児童向け人形劇番組の幾つかで声優として重要な役を演じ、同時に劇中歌を歌っている。 『新諸国物語』系の『笛吹童子』、『紅孔雀』ではメインストーリーに寄り添うサブストーリーにおける悲劇のヒロインの美少女役であったが、これらに続いて1979年から1982年まで放送された人形劇『プリンプリン物語』では、転じて主人公たちの旅を阻む云わば悪役側でコメディリリーフを演じる怪女ヘドロの役を担当した。 東洋英和女学院大学人間科学部教授を務め、2009年定年、名誉教授。 無かった場合はページ更新のみされます。 mari yoshiko 眞理ヨシコさんはカラカラを探しているのかも知れない!.

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