ドラえもん youtube アニメ。 ドラえもん (1973年のテレビアニメ)

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ドラえもん youtube アニメ

(終了した番組・中継を含みます)は、での販売や公式な、またはが紹介するまで、 出典として用いないで下さい。 に基づき除去される場合があります。 『ドラえもん』のアニメには以下の3作品が存在する。 1973年に日本テレビ系列で放送されたシリーズ• これらを区別する呼称は公式には発表されていないが 、アニメ誌では2005年4月より放送中のシリーズを『ドラえもん(新・第2期)』としている。 本項ではそれに倣い、1973年にで放送されたシリーズを 第1作、1979年よりで放送されているシリーズをまとめて 第2作とする。 また第2作において、1979年から2005年3月まで放送されたシリーズを 第1期、2005年4月から放送中のシリーズを 第2期とする。 本記事では 第1作について記述する。 概要 [ ] ファンからはで放送されている第2作 と区別するために「 旧ドラ」「 日ドラ」「 日テレ(NTV)版ドラえもん」「 日本テレビ版ドラえもん」などと呼ばれることがある。 企画から放映まで [ ] 本作の企画は社長の(別名・渡辺清)によって立ち上げられたと推測されている。 なお、新倉は当初、硬派任侠物の『』のアニメ化を切望したが、企画が頓挫。 として本作が放映されることになった経緯がある。 一方、当時『』編集長だったの井川浩は、新潟のアニメ制作会社が制作するテレビアニメの原作を推薦するよう日本テレビのプロデューサーから頼まれて人気の高かった『』と『』(作)を推薦したことを証言しているほか、日本テレビプロデューサーだった川口晴年は、チーフプロデューサーのが企画を提出した後に、から派遣された専務が会議でで制作することを有無を言わさない形で決めたと証言している。 これに関して制作担当のは、が本作の放送枠を取る時に「周りの反感を買うようなやり方をした」ことや前身の時代に社長のが日本テレビプロデューサーのとを起こしていたことなどから「日本テレビの心ある人は信用してなかったみたい。 だから会社がの反応は早かったですね」とのインタビューで語っている。 また日本テレビ動画の元関係者は、日曜枠に本作を入れるのに「本来は別の番組で決まっていたのを、無理やりねじ込んだ」という噂を聞いたことがあると証言している。 本作の制作進行やスケジュール管理など実務全般を取り仕切った制作主任の(本作では本名の「下崎闊」名義で参加)は、にを退社後、のを担当していたで『』を手伝った縁から日本テレビ動画の佐々木一雄プロデューサーと知り合った。 真佐美によると日本テレビ動画では『モンシェリCoCo』の後作品として企画のひとつに『ドラえもん』があり、1972年7月以前には『ドラえもん』の企画が既に存在していたという。 『ドラえもん』に企画が絞られた頃、真佐美は近くの高級店で、佐々木から本作の制作担当を依頼された。 この時、初めて原作漫画を読んだ真佐美は、本作が子供たちに夢を与える内容であると感じ、アニメの世界に入ってから常に「子供に夢のある作品を」と思い続けていた真佐美は「今後このスタジオから、将来のアニメ界を背負っていくような人材を育てていこう」と将来の夢を佐々木と語り合い、快く協力することを約束。 1972年11月に日本テレビ動画へ入社した。 真佐美が演出を担当したのメインとなるで空を飛べるという、夢のシーンの紹介では、作画スタッフらも童心に返って一生懸命昼夜を問わず作り上げたシーンだったと回想する。 なお、局側の都合で放送3ヶ月前に企画が急遽決定したため、真佐美は予定より早くパイロットフィルムを作り上げ、完成後にはスタジオ近くので試写を行うなどして子供達の反応も事前に確かめていたという。 なお、真佐美は「当時『ドラえもん』をテレビアニメ化するのは相当な冒険であって、今でこそ国民的な漫画となっているが、当時はまだ原作漫画の単行本も出ておらず、子供でも『ドラえもん』を読んでいたのはを買ってもらってる一部の子供だけであり、他の(大手週刊少年)漫画雑誌連載のテレビアニメ化とはわけが違った」と述べている。 また編集部の武藤晃も「この頃の『ドラえもん』の立場を表すなら『』が刊行される前の『』みたいなもので、先輩の『』『』『』などと比べても明らかにマイナーな存在であることは否めなかった」「常識で考えればそのような作品をアニメ化するのは異例とも言えるが、その少し前に放映されていた『』のヒットの影響も大きかったのかもしれない。 勿論『新オバQ』がヒットしたからといって、同じ作者の別の作品が簡単にアニメ化される程この業界は甘くはないだろうから、社長のさん達の先見の明とその後の努力が実を結んだのであろう」と推察している。 メインスタッフには出身のメンバーが集い、アニメ制作はの東京および新潟スタジオ と、幾つかのスタジオがローテーションを組んでスタートした。 グロス請け先は、、、、などのローテーションが当初予定されていたが、放送開始前後にスタッフの変更もあったようで、確定とは行かなかった模様である。 なお、真佐美が個人的にラッシュフィルムを保管している第21回Bパート「お天気ボックスの巻」は、後に第2作以降の制作を請け負うことになるの前身であるAプロダクションに外注されていたことが近年判明している。 は後にを創設するであった。 上梨を選んだ真佐美ジュンは、その理由として「人柄も他人の面倒見も良く、穏やかだが一つ作品に入り込むと妥協を許さない」と述べており、日本テレビ動画で若手を育てようと将来の夢を語ってチーフディレクターに迎え入れたという。 また真佐美は「一人の演出家が全体の流れを統一したほうが原作者の意向を反映出来るため。 そして全体を任せられて、若手で力のある演出家を選びたかったから」とも語っている。 しかし実際には原作者からの注文や要望はほとんどなかったとされ、上梨も最後まで原作者と会うことはなかった。 当初、ドラえもんの声はが担当した。 現在放送中のアニメ第2作とはイメージが異なるが、当時のスタッフは、ドラえもんというキャラクターに「世話好きなおじさん」というイメージを抱いていたことから、動物役なども多く演じていた富田に初めから配役するよう決めていたという。 アニメ第2作以降と比較して、色指定のコントラストは穏やかであった。 これは、1973年当時のアニメの多くが一度35mmネガフィルムで撮影し、その後、16mmポジフィルムに転写してテレシネスコープで放映するという物だったのに対し、本作は直接16mmフィルムで撮影していたことにも起因する。 キャラクターの声を担当したやは本作をモノクロ作品だと記憶しているが、実際にはカラー作品である。 1973年4月1日、事前に制作されていたを流用し再構成した「 出た! ドラえもんの巻」を第1話として放映が開始された。 放映開始後 [ ] 本作は日曜の夜7時からの30分番組というでの放送であったが、小学生向けの漫画を原作として製作された本作は、対象とする年齢が低かったこともあり、強力なに押され、当初は視聴率で苦戦したとされる。 また半年間という当時としては比較的短期間の放送であったため、「不人気で打ち切り」という噂が一般化していたが、実際には元々2クールの放送契約で、ある程度の視聴率が確保出来たらその後も継続するという契約であった。 また『』『』での連載が4月号から開始されたこともあり、番組の対象年齢の引き上げと「世話好きなおじさん」然としたドラえもんの年齢イメージを下げることを目的に、の声を担当していたを降板させ、2代目となるに交代するなどのを図った。 放送2クール目に入ると、原作では数回しか登場しなかったアヒル型ロボット「」をレギュラー入りさせるなど要素も強調したという。 なお、やに掲載された原作漫画は短いページ数でまとめられていてストーリー性が薄く、アニメ化すると尺が余ってしまうため、原作を元にしつつアニメオリジナルの要素を随所に入れていき、放送後半にはテレビアニメのオリジナル要素がかなり増えたという。 また当時は原作漫画の連載が開始されてからまだ3年程度で、原作のストックも少なくすぐに使い切ってしまい、放送が継続されていたとしたらオリジナルストーリー主体になっていただろうとは述べている。 ちなみに原作不足のためテレビ用に書き起こしたオリジナル設定は原作者の承諾済みであり、真佐美としては「原作を外れた内容を作ったという意識はない」としている。 また当時の制作スタッフは音声まで入った完成フィルムを惜しげもなく全面リテイクするなど、クオリティの向上には常に真摯に取り組んでいたという。 これらのテコ入れの甲斐もあり、徐々に視聴率も上がっていたと真佐美は述べている。 また収益自体も黒字で、スタッフらは8月初旬ににある日本テレビのに招かれて豪華な接待を受け 、実際に3クール目に延長する予定もあったという。 主演声優が交代した前半と後半を比較すると、前半の平均7. 突然の中断 [ ] 2クール終了間際の1973年8月中旬、の実質的経営者(社長と自称)だったが突然失踪した。 によると、新倉が失踪する前後の8月初旬と9月初旬に日本テレビのプロデューサーから「日本テレビ動画が解散するという話が下請けから出ている。 それが本当なら下請け側は死活問題なので、入金の保証があるまで納品しないという状況になっている。 その話は本当か? 」と聞かれ、真佐美は否定したが「絶対に放送に穴はあけないでくれ」と釘を刺されたという。 また真佐美は入金を心配する下請け側に対しても「もし何かあったら責任を取って私はこの業界から足を洗う。 私の顔を立ててくれないか? 」と説得しに回ったという。 その後、経営を引き継いだ同社の会長(登記上の代表取締役だった、役員の稲庭左武郎を指すとみられる )はアニメ会社の経営に無関心な人物で、「もう止めよう」の一言で会社は解散したという。 解散について真佐美は、失踪した社長のが前身の時代に社運をかけて製作した『』で出した大赤字を本作で得た収益で補填できたことに加え、「その前にいろんなことをやられて懲りた」という稲庭が、新倉の失踪を機に「少しでも赤字が埋まったところで解散した」と述べている。 一方、美術監督のは新倉の失踪の理由を「次回作が決まらずに資金ショートしたからではないか」との取材に答えている。 会社の解散という混乱の中、同年9月30日放送の「 」をわずか2週間で作り上げ最終話とし、半年で終了となった。 最終回は自転車が漕げなかったのび太が泣きながら自転車を漕ぐ練習をする姿を、未来の世界に帰ったドラえもんがタイムテレビで見守るところで物語が終わる。 最終回ラストのは「次回もお楽しみに」として終了させており、これは制作主任の真佐美による演出であった。 これを疑問に思った(担当制作)の木沢富士夫 に、真佐美は「こんな形で日本テレビ動画のドラえもんは終わってしまったがスタッフのみんなは、まだ続けたかった。 また番組最後の「おわり」のでドラえもんの丸い手から黄色い小鳥が飛び立っていくシーンがあり、これにも続編製作の希望として「再会」の意味が込められているという。 最終回が放送された9月30日、ブラウン管に映る『ドラえもん』が描かれたスタジオには既に人影はいなかった。 その後、残された旧作スタッフは債権処理などに追われ、ついにが再建されることはなかった。 しかし、6年後に他局他社ではあるものの現在のテレビ朝日版によって「」は実現し、テレビ朝日版の第1話は「未来の国からはるばると」という原作第1話のエピソードではなく、通常のエピソードの1本である「」とした。 これが普通に本編から始まっている所からも、まるで第1作の続編を意識したかのような形がとられ、両者の間で受け渡しがあったかのような構図になっている。 放映終了後 [ ] 残されたのスタッフらは、先の支払い金を充てるために会社の備品など売れるものは全て売り払い、社屋引き払いのため本作に関する資料のほとんどを止むを得ず廃棄処分したという。 しかし、実際には、のように全く支払われなかった外注スタッフもおり、川本は日本テレビのプロデューサーから「制作費は既に日本テレビ動画に支払っているから、これ以上は払えない」と言われたという。 また、川本によると少なくとも日本テレビ動画が外注した(川本が主催)とには最終2話分のギャラが未だに支払われていない。 この件に関して「私の後任のプロデューサーは局と外注スタッフとの板ばさみになって非常に苦労された」という企画当初のプロデューサーである川口晴年の証言も存在する。 は最終回が放映された9月30日の夜、の解散に伴う社屋引き払いのためセル画や絵コンテなどの制作資料を、(現・)内ので止むを得ず焼却処分したと証言している。 このような理由から、結果的に本作の資料は当時のスタッフが個人的に所有している一部のものを除いて、ほぼ現存しないとみられている。 様々な想いを馳せたライトバン一杯に詰まったセル画、せりふ台本、絵コンテ、カット表、シナリオ原本、色見本、色指定キャラクター集、現金出納帳が目の前で燃えていったことを、真佐美は「わが子をに付す気持ちでした」と、当時置かれた心境を回想している。 放送終了後も藤子・F・不二雄は後述する作品内容への評価とは別に、個々のスタッフの姿勢に対しては好意的であり、真佐美が放送終了後に藤子本人に会いに行った際には「是非またやろうよ」と言って握手してもらったと述べている。 解散後、元スタッフらはのアパートに日本テレビ動画の労働組合を作り、を受け取りながらとの交渉の拠点としていた。 その後、元スタッフらは就職先が決まったり、仕事を廃業して田舎に帰ったりしていたので、日本テレビ動画の労働組合はに活動を終結した。 本作のフィルムは放送終了後も日本テレビで7年間管理され、その間は地方局へ貸し出されることもあった。 は系での放送が開始されるまでの5年余りの間に、日本テレビ平日朝の再放送枠『』()をはじめ、地方局などで比較的多く行われていた。 フィルムは日本テレビでの管理期間終了後、散逸して行方不明になっていたと思われていたが、の調査により、本作の現像を担当した東洋現像所(現:)がに横浜工場を閉鎖する際の在庫整理でを含む後半16話分のネガフィルムを発見し、同社が委託している東京湾岸の倉庫に保管されていることが判明した。 ただし、日本テレビ動画の著作権の引継ぎ手が不明なため、宙に浮いた状態となっている (現存状況については)。 編成上、日曜夜7時枠は日本テレビ制作枠から読売テレビ制作枠に切り替えられ、元々月曜夜7時半に放送されていた「」が移動、空いた月曜夜7時半枠は一旦日本テレビ制作枠に変更し、木曜夜7時半に放送していた『』が移動した。 木曜夜7時半枠は夜8時に放送していた「」を枠拡大するように変更された。 なお日曜夜7時枠でアニメが放送されたのは、からまで放送された『』以来だが、『ディズニーランド』は「海外作品」「1時間番組」「実写と併用」であったため、「国産」「30分作品」「オールアニメ」は『ドラえもん』が開局以来初めてであった。 その後、同枠ではに『』、に『』がそれぞれ放送されるが、いずれも制作作品であるため、日本テレビ制作作品は『ドラえもん』が唯一となった。 本作の放送終了後、日本テレビ制作の『』が1989年に放送されるまでの間、で新作のが放送されることはなかった。 旧から新へ [ ] 本作の声優を担当した声優の一部は、シンエイ版にも主要人物を演じており、はのび太から、はからのび太、はからを演じている。 また(のび太のクラス担任)、スネ夫の父を担当したは同じく先生は一時期、スネ夫の父は2005年に声優陣が一新されるまで担当していた(途中、代役あり)。 劇場版では、は『』においてポセイドンを演じているほか、は『』でログを、『』でクルリンパを、『』で少年を演じた。 また1983年の(シンエイ版)実写アニメ合成の特別番組『』では、しゃべるひみつ道具キャラクター「なんでもナレーター」の声として登場している。 他にも野村道子、神谷明、田中亮一など、シンエイ版でもドラえもんのキャラクターを演じた人物が出演している。 「封印」の状況とメディアでの扱い [ ] の段階で、再放送およびDVD化はなく、テレビ番組などでまれに紹介される機会があっても、本作に関する説明がなされたこともほとんどない(雑誌やなどのドラえもんやの年表にも本作のことが掲載されていないケースが多い)。 その理由と経緯については、の著書『封印作品の憂鬱』(、)において、関係者などの証言が詳しく述べられている。 原作者のは本作の内容に否定的であったとされる。 このアニメ化は、前記のようにのプロデューサーからの小学館への申し入れによって決まったとされ、当初藤子・F・不二雄は日本テレビから寄せられた依頼に応じて舞台となる街や野比家の設定に使う絵を制作会社に送ったりしたが、それに対する反応がまったくなかったと前記の井川浩は述べている。 その一方で、制作主任であったによると、藤子・F・不二雄との打ち合わせに関しては、当初は真佐美が喫茶店で当たっていたと証言しており、「原作者からの注文や要望は最後までなかった」と述べている。 その後、藤子・F・不二雄は次第に仕事の都合から出向いてまで打ち合わせを行える暇がなくなり、その際には当時藤子・F・不二雄と共に「」として活動していた名義上は本作の原作者の一人である安孫子素雄() と校正などの打ち合わせをしたという。 藤子・F・不二雄とのパイプ役には文芸担当の徳丸正夫が「演出的センスを持っていて人当たりがよく辛抱強い」という理由から「原作者との校閲係」に選ばれ、藤子・F・不二雄との「脚本」「絵コンテ」「キャラクター設定」「色指定の校閲」のパイプ役として打ち合わせにあたっていたという。 徳丸正夫は打ち合わせをするため、(かつてはのビル内にあった)に24時間待機して、空いた時間を使って藤子・F・不二雄と常に校閲を行っていたという。 これらの点は、井川浩ら「原作者や小学館とは没交渉のままアニメ制作が進められた」という小学館関係者の証言とは大きく食い違っている。 ちなみにフィルムの編集作業は、奇しくも当時の藤子スタジオと同じビルのスタジオ・ゼロで行われていた。 放映中に制作会社が突然解散したことで残されたスタッフは債権処理などに追われた。 そのためか「番組が打ち切られた報せが小学館に来なかった」と、井川浩は述べている。 当時の漫画界では「アニメが終わったら原作も終わる」というのが常識であり、そのため『ドラえもん』も一時は連載を終わらせ、新キャラクターと入れ替えようという話が小学館から出ていたという。 しかし自作『ドラえもん』に愛着のあった藤子・F・不二雄は、それを押し切る形で新連載である『』との2本立ての形で連載を続行したが、1974年より刊行が始まった『ドラえもん』の単行本が予想外の大ヒットとなったため、『みきおとミキオ』の連載は1年で打ち切られた。 富山県での再放送打ち切り [ ] 、の放送が開始された頃、7月から8月にかけて藤子・F・不二雄の故郷でもあるの(系列)で本作が再放送された が、9回目(第5話Aパート)の放送で打ち切られた。 これを最後に再放送は行われていない。 この出来事は「 富山事件」とも呼ばれている。 元小学館専務の赤座登はこの件について、富山県での再放送の情報が小学館やに入った時、藤子・F・不二雄は憤慨し、「私が作った原作のイメージと違うし、放送してほしくない。 できたら何とかしてほしい」と述べ 、これを受けて小学館と藤子スタジオは日本テレビ版の契約書がない(作成していなかった)ことを確認し、「口頭契約は最初の放映の許諾にとどまる」という弁護士の見解を得てから、原作者の意向に沿って、小学館と藤子スタジオの連名で、放送中止を求める警告状をで富山テレビに送ったと証言している。 一方、元編成担当のは自著『視聴率15%を保証します! 』(、)の中で「せっかく放送開始したのに日本テレビの旧作が再放送されると、子どもたちが混乱してしまう恐れがあるので、小学館に旧作を封印してもらいました」と証言しており 、本作の封印はテレビ朝日関係者が主導したことを明かしている。 これは赤座の「原作者からの苦情で再放送の中止を依頼した」という証言とは全く異なるなど、当事者同士の間で話が完全に食い違っており、依然として情報が錯綜している。 関係者は安藤の取材に「 仮に『日テレ版』の露出があったところで(中略)現行の『ドラえもん』のイメージを損ねるマイナス露出でしかないんですよ。 原作者や権利者サイドに特にメリットがないため、露出に向けて積極的に動くことはないでしょうね。 基本的には触れてはいけないものという感じです」と述べ、安藤は「今のテレビ朝日版のイメージが唯一のもので、それ以外のものを出す必要はない」という「ビジネスの論理」の存在を指摘している。 また、それ以外の「封印」理由に「制作会社の解散から著作権の扱いが曖昧」のうえ「当時の資料が乏しいため公式でも内容を取り扱いにくい」という問題がある。 現状の扱い [ ] および小学館が監修発刊したムック『ドラえ本3』(小学館、)には写真入りで本作がわずかに解説されており、「原作のイメージと違っていて半年で終了した幻の番組」と紹介されている。 こうした公式サイドによる否定的見解の慣例化や、雑な偽物の が出回るうえ、事実無根のデマや誤った情報の流布、資料の焼却、フィルムの散逸などから情報、露出の非常に乏しい作品となっていた。 少なくとも初頭までは、誤った情報が公式に伝わっており、頃に元スタッフのが自身の上で正確な情報を公開するまでは、がでなくとされていた。 なおスタッフの情報が間違って伝わっていた理由として日本テレビ動画が解散して当時のスタッフや状況の調査が困難になった末、に杉山卓(元・)が執筆した『テレビアニメ全集2』(秋元文庫)において日本テレビ動画の前作品『』のスタッフ情報を引用し、以降の資料は全てこの本を元に作成されたため、このような誤解が生まれたのであろうとは述べている。 末、日本テレビで放送されていた『』においての所蔵している映像を放送する企画があったが、明確な理由が示されずにオンエアには至らなかった。 には、会報誌43号(2006年12月発行、8月改訂版発行)にて本作の特集が行われ、チーフディレクターの、制作主任の、作曲家の、初代声優ののインタビュー、真佐美が提供したオープニング絵コンテ、第1回スケジュール表、サブタイトルリスト、スタッフ・キャストデータ、作画設定資料、フィルムストーリー、、放送の第1話「出た! ドラえもんの巻」の原作「」の再録など多数の資料が掲載された。 なお本特集では「今まで歴史の隅に隠されてきたアニメ『ドラえもん』の原点にスポットを当てる必要があるし、またそうすることによって、これまで思い込みで『失敗作』と決めつけられたのスタッフ達の業績に対して、正しい評価が下されることであろう」「日テレ版『ドラ』は、これまで残された情報があまりにも少なく『失敗作』というレッテルを貼られてきたが、そのレッテルを一旦剥がして、もう一度新たなる評価を下す必要があるのではないだろうか」と結ばれている。 、CS「」が旧作を再放送するために権利者とフィルムの行方を捜索したが、またしてもオンエアには至らなかった。 は自身の所持するフィルムを元に無償での上映会を行っていたが、にから上映会を中止するよう要求された。 真佐美側は「非営利」「無償」「無報酬」の上映会であれば、著作権者の許可を得ずに開催可能()であること、現在の作品自体の権利状況において上映に問題が無いことを訴えたが、結果的に両者の交渉は決裂してしまった。 そんな自分たちが携わってきた愛すべき作品に興味を持って頂けるなら、多くの方に知っていただきたい、と思うのが人として当たり前だと理解していただきたい。 しかし、という剣を振りかざして、それらの作品を封じ込めようとする営利目的企業などが存在することも事実である。 (中略)私は営利を目的とせず、ただ、こういう作品を作ったという証を多くの方に知っていただきたく思うので、年金暮らしの苦しい中でも相変わらず、夢を追いかけることを喜びにした。 これからの短い人生を楽しみたいのである。 、日本テレビ『』のインタビューでが「ぼくドラえもん。 」とドラえもんの声を演じている。 また、野沢は『』(2015年7月9日放送)でも、「モノクロだったんです 」「出すの早すぎたんでしょうね、そんなに長く続かなかった」などと僅かではあるがこの作品について証言している。 そして番組の最後には「今日もごきげんよう」とドラえもんの声を演じている。 設定 [ ]• 制作主任のは、製作にあたっての色を決めるのに『』編集長の井川浩や『』の坂本副編集長、『』の上野編集者らと会い、原作者に修正など無いか見てもらうためのを渡され、原作の3色刷のカラーページを参考にして色指定を行ったという。 この時、参考にしたカラーページのドラえもんは青色で印刷されていたため、青いドラえもんを何色か作り、藤子Fの校閲を受け青色に決定した。 しかし、実際に青色にすると空の色と一緒になってしまうため、作画スタッフは背景に雲を入れるなどして対処したという。 第1話「」(1973年4月1日放送)には、相手の頭も体も弱くさせるという秘密兵器が登場している。 後に真佐美は、今ではだが、当時はまったく問題なかったと述べている。 なお、この話は『小学一年生』1970年11月号掲載の「」(未収録)に改定を加えたものであり、原作の「クルパーでんぱ」と同様の効果を及ぼす。 またアニメ版ではガチャ子でなくドラえもんが使用した。 のによれば放送局から内容への注文は特になく、プロデューサーのから打ち合わせ前に「この番組のへそ(キーポイント)はなんですか」と聞かれた程度のものだったという。 ただしとの兼ね合いで第16回Aパート「おれ署長のだいりの巻」では「」を「」に言い換えるなど、制作当時のに合わせた微細な調整は行われていた。 一方では、を提出した頃、日本テレビからの要請で「年上の召使い」然としたを「のび太の友達」というイメージに近づけるため、声優をからに変更したと証言している。 この際、制作側から「今のままの声で良い」と言う意見が出なかったため「そういうことなら仕方ない」と声優交代に応じたが、演出部は富田の降板に反対していたという。 なお、真佐美は声優交代に対する視聴者の反響について「葉書が回ってくる頃にはもなくなってしまったから、どのような反響があったかはわからない」 と回答しているが、放送当時の(1973年7月15日付)には「ドラえもんはユニークな声の魅力に負うところが大だった。 どういう事情で変わったのか知らないが、声変わりしたドラえもんは魅力がなくなった」という批判的な投書が掲載されていた。 のちに真佐美は「声優さんに途中で変わってもらうと言うことは、大変失礼なことで、声優さんにはなんの落ち度もなく、一方的に交代して貰ったわけで、大変心苦しく思ったことを覚えています。 ただ何のトラブルもなく、気持ちよく交代して頂けたと報告を受け安堵いたしました」「新しく『』が始まって声優もでイメージがぴったりで、これがドラえもんの声だと思いました。 作品的にも良く出来上がっていて、文句の付けようもなく、安心してドラえもんをお任せできると、そのとき思ったことを思い出しました」と回想している。 原作及び第2作との相違点 [ ] 初期原作の設定やアニメオリジナル設定を用いているので、第2作以降とは異なる設定が複数存在する。 これは連載当初のドラえもん像に顕著である。 序盤は中年男性だったがドラえもん声優を担当したこともあって、非常におっとりとした哀愁漂う親父臭い性格に設定されていた。 しかし担当声優がに代わって以降、原作の連載初期のような短気で自己主張が強く活発で好戦的な性格に変更され、近所の相撲大会や小学校のラジオ体操などの行事に参加したり、のび太と一緒にのび太の父親に海水浴に連れていくことを強請る描写があり、原作以上に子供らしい性格に描かれている。 このように声優の性別が入れ替わるドラえもんの声変わりは、当時の視聴者に大きな衝撃を与えた。 シリーズ前半はのを舞台にしたハートフルな人情路線であったのに対し、シリーズ後半では「の声優交代」や「のレギュラー化」など大胆なテコ入れを図ってドタバタ喜劇を中心とした「」へと路線変更した。 なお放送開始まもない1973年5月末頃までに提出された(提出先・配布先ともに不詳)には「のび太を側面から補助する役割としてドラえもんを登場させた」という当初の構成方針について「主人公ドラえもんの性格描写を忘れ、主人公でありながら、ドラえもんを影の薄い存在にしてしまった。 しかも、演出テクニックとして、原作の特色であるスラップ・スティックな表現を禁じたために、迫力に欠ける単調なコメディの次元に留まってしまった」と、その性向を「単調なコメディ」と自虐的に捉えた記述も確認できる。 これについて編集部のポール舘は「愛読者・視聴者は、のび太にこそ自分の姿を重ねて作品を共感を以て迎え入れることを的確に捉えているのにも関わらず、製作者にとって、マンガ『』の主人公は作品タイトルの『ドラ』本人であってほしい、という不文律を背負ってしまっている『ねじれ』が見受けられる」と指摘している。 作風の変化に関してのは「前半は比較的テンポがゆったりして、の良き仲間としてドラえもんを描けたのに対して、後半はテンポアップして時代にはあっていたようですが、せわしかったように思えました。 私としては、前半の方が好きでした」「終盤は会社を畳むというので、ドタバタしていましたので、あまりよく憶えていませんが、シリーズ後半がな内容になっていたので、でハートウォーミングな話にできて、うまくまとまったと思いました」と語っている。 一方で制作主任のは「ドタバタナンセンスってのはスタッフの性にあってたのかもね。 僕が呼んで来るスタッフはで一緒にやってた仲間が多いから、だんだん地の虫プロのカラーが濃くなってきた」と語っており、後半になると原作の『』のようなテンションの高い作品になっていったという。 は自著『』()で本作を否定する発言を繰り返し行っており 、本人へのインタビューで「日テレ版は全然人気が出なくて半年で打ち切りになった。 原作にない話やキャラクターが出てきたり、途中でドラえもんの声が変わったり、いじりすぎたんです。 アニメ化した人が原作をちゃんと理解してなかったんですね。 作り方があまりにメチャクチャで、こんなのもうドラえもんじゃないって作品になっちゃって。 見てる側が訳がわからずついていけなくなった」と語っている。 一方で主催の藤子アニメで本編を初視聴した作家のは「作品のノリが同時期の系のの系譜で、非常にテンポが良く、全体的に楽しめました。 背景も色彩が濃いなんかよりも全然素晴らしく、下町情緒に溢れていて、まるで氏が描かれたみたいでした。 観賞後、仲間内で、原作の世界観をいじり過ぎだという意見も聞かれましたが、スネ夫のママが空手の有段者だったり、ジャイアンの父ちゃんが背が低かったり、やたらを強調したりのアレンジは、大らかな(東京ムービー全盛)時代のギャグアニメならではの微笑ましさがあり、僕的には全然OKだったりもしました。 ギャグ的にも異常なパワーを感じさせるのも素晴らしかったですね」と肯定的な評価を下している。 またブログ「」を運営している研究家のも「実際に観てみれば、現在の『』のイメージとは違うものの、原作初期のなノリとキャラクターの性格を活かしつつ、独自のアレンジと解釈を施すことで、おもしろい娯楽作品に仕上がっていると感じた。 少なくとも、失敗作などというイメージからは程遠いものだった」 「ドタバタナンセンスのなかに下町的な人情や活気やユーモアが漂い、しかもで引き起こされる不思議な世界がそこにブレンドされて、屈託なく楽しめる」 と高く評価している。 なお、えびはらの証言には「人気が出なくて打ち切りになった」「」「(の絵を指して)原作にはないキャラが出た」など事実誤認が散見され 、一部のネットユーザーからは「非常に一面的で、客観性に欠ける」「当時はテレビアニメ化といえば翻案が行われるのがごく当たり前で、原作に忠実でなかったことを今の価値観で断罪するのは公平ではない」「今になって原作者サイドの一方的かつ感情的な意見を無批判に広めることで、より封印の理由付けに寄与してしまうことも誠実ではない」という批判の声もある。 こうした本作に対する誤解と偏見のみが伝承流布される状況のなか、元スタッフのは「私の後期の仕事は一匹狼のところがあってスタッフも少数しか使っておりませんでした。 自分から連絡を絶ってしまったので自分を責めるしかないのですが、私が関わった物が闇の中にあるような気がします。 正しく伝わっていないのです。 『ドラえもん』も短い期間で当時の事を知っているスタッフも居らず仕方がない事だと思います。 でも間違って伝えられるのは汗と涙を流した仲間たちに申し訳ありません。 出来るだけ思い出して、なるべく正確に伝え残す義務と責任があると考えております」 「私としては昔、『日テレ版のドラえもん』があったよと言いたいんです。 昔は『とんでもない作品』とか、カラー作品なのに『白黒だ』とか、別のものが『これが日テレ版のセル画だ』とか、間違った情報が出回っていたんです。 それが嫌で『一生懸命作ったアニメですよ』と言いたくてサイトを作りました。 自分で作った作品だから愛着ありますよね。 『こういう作品ですよ』と、見せたいというのが僕の活動の根底にあります」 とコメントしている。 脚本を担当したは、本作の方向性に「何につけてもドラえもん頼みである原作のび太の性格に、もう少し自主性を持たせる少年にする方向で始めた番組」と明かしており、文芸担当の徳丸正夫や脚本陣が話し合い「自主性のあるのび太少年」の方向性を決定づけたという。 このことに関して鈴木は「 藤本先生としては原作の思い通りになっていないと感じていたんでしょうね。 ただ、あの先生はそういうことをはっきり拒否しなかったから、僕らがそのまま勢いづいてやってしまった」 「 あれはやっぱり失敗でした。 のび太が何でもドラえもん、ドラえもんって言うでしょう。 それで、僕らはもう少し自立心のあるのび太にしようじゃないか、みたいな話をしたんだけど、子どもたちは別にそれを望んでなかったんですよ」 と原作とアニメに違いが生まれたことを認めている。 なお、最終話のラストシーンでは、ドラえもんに頼らず転げ落ちながらも自転車の練習をする「自立したのび太」が見事に描かれている。 しかし、私にはひとりの情熱にあふれる少年の姿として、非常に美しい光景に思えた。 原作に5話だけ登場し、唐突に姿を消しただが、アニメ化にあたり当時の原作数の少なさを補うために、レギュラーとして登場させたという。 なおガチャ子は、野比家でなく源家に居候している。 最終話では未来に帰らず、引き続き20世紀の源家に居残る。 静香の家には、によく似た風貌のボタ子という訛りが特徴的ながいる(原作ではてんとう虫コミックス第4巻で一度だけ登場)。 富田耕生演じるドラえもんは秘密兵器を出す際、「あ〜らよっ」とでかけ声をかけていた。 のび太とジャイアンの普段着が赤色。 セワシがのび太と同じく眼鏡をかけている。 の総称が「秘密兵器」。 「」の名称が「ヘリトンボ」(原作でも初期作品で使われていた)。 「」は登場せず「ミラクル扉」という秘密兵器が登場する(1973年5月13日放送の第7回Aパート「決闘! のび太とジャイアンの巻」より)。 なお原作では『』1973年4月号掲載の「ハイキングに出かけよう」(てんとう虫コミックス第0巻収録)で「どこでもドア」に相当するひみつ道具が初登場しているが、放映当時はまだ名前が命名されていない。 ドラえもんの鈴は「」というネコを呼び寄せるための鈴だが、原作では故障しており使用描写はない。 しかし「ネコあつめすず」の記述以前に、日本テレビ版ではネコを呼び集める「ネコジャラリン」という鈴が登場しており、作品内では故障せず機能していた(1973年8月5日放送の第18回Bパート「くるったハラ時計の巻」より)。 小学校の名称は下町小学校。 のび太の担任の姓が我成(がなり)。 本作ではドラえもんは21世紀から来た設定になっている(原作初期設定より)。 ジャイアンの母は故人であり、ジャイアンは父子家庭で育つ。 ジャイアンの父は体格が小柄で、人柄が良く息子思いの面が強調されていて、息子のためを思って無理をすることがある。 腕力はとても弱い設定。 名前は「小助」。 雑貨屋「正直屋」を営む。 によると普段は乱暴者の剛田武の優しい一面をどうしたら表現できるかということで、このような剛田家の設定になったという。 原作第1話から登場している「」は不在の設定。 また「」も登場しない。 放映開始前後に発売された『小学五年生』1973年4月号掲載の「ハイキングに出かけよう」で「」が原作に初登場しているが、本作には最後まで登場しなかった。 明確にドラえもんが未来に帰る最終回が存在する唯一のテレビアニメシリーズである。 声の出演 [ ] 所属事務所別ではとが協力している。 - 不明• - 不明• - 不明• - 不明• - ゲスト声優 [ ]• - お世辞鏡• (「水 島鉄夫」と誤表記)• 他 スタッフ [ ]• 原作 - (小学館学習雑誌連載)• 企画 - (日本テレビ)• プロデューサー - 川口晴年、米沢孝雄(日本テレビ)、佐々木一雄• チーフディレクター -• 音楽 -• 効果 - ()• 録音 - 番町スタジオ• 現像 -• 音響演出 - 近森啓祐• 音響制作 -• 美術監督 - 鈴木森繁、• 撮影監督 - 菅谷信行(スタジオ珊瑚礁)• 撮影 - 菅谷正昭(スタジオ珊瑚礁)• 選曲 -• 調整 -• 編集 - 西出栄子()• 文芸 - 徳丸正夫• 担当演出 - 岡迫和之、• 制作進行 - 木沢富士夫、小野忠、増田厚美、山下一郎• 制作事務 - 増田一恵• 制作主任 -• 制作 - 各話スタッフ [ ]• 脚本 - 、、井上知士、吉原幸栄、馬嶋満、園屁蔵士• 絵コンテ - 、、、岡迫和之、棚橋一徳、奥田誠二、矢沢則夫、、• 作画監督 - 鈴木満、生頼昭憲、白川忠志、村田四郎、宇田川一彦• 原画 - 永樹たつひろ、竹市正勝、熊野基雄、上條修、田中保、佐藤徹、山下征二、スタジオジョーク、スタジオテイク• 動画 - 秋山博雅、岡山陽子、荒井政良志、加藤輿治、楠田悟、滝波いつ子、八武崎好郎• 背景 - 、高野正道、亀川尚子、平川やすし、細谷秋男、、阿部行夫、西巻晶子• 仕上 - 江口マキ子、大橋啓子、黒田英里子、小林一幸、島崎あつ子、長村葉子、石田康美• 曲名は「ドラえもん(旧)」という表記が用いられている。 なお、本放送時では音色とテンポがフルコーラス版と異なる。 「ドラえもんのルンバ」と表記されることもある。 主題歌2曲に関しては日本コロムビア『』をはじめ、オムニバス盤CDなどにも収録されている。 パイロットフィルム [ ] 詳細は「」を参照 内容は 「ドラえもんが未来からやってくる」という原作第1話を意識した作品で、第1話「」およびにおいて「ドラえもんが未来からやってくる」といった内容が描かれなかったのに対し、本作はドラえもんとのび太の出会いを描いた物語となっている。 パイロット版の制作および演出は、のと佐々木一雄が担当し、設定やシナリオは文芸担当の徳丸正夫が用意した。 なお、のは、会報誌43号のインタビューでパイロット版の制作には不参加だったと述べている。 」と読み上げる。 なおサブタイトルが「 の巻」で構成されているのは、本作が唯一。 回数 放送日 サブタイトル 1 サブタイトル 2 第1回 1973年 4月1日 出た! ドラえもんの巻 ペコペコバッタ大騒動の巻 第2回 4月8日 屋根の上のすてきな子の巻 のび太のご先祖さんの巻 第3回 4月15日 キューピットで好き好き作戦の巻 弱味をにぎれの巻 第4回 4月22日 ねずみに弱いねこもあるの巻 ガキ大将をやっつけろの巻 第5回 4月29日 おせじ鏡の巻 パパとママの結婚記念日の巻 第6回 5月6日 のろいのカメラの巻 宝くじ大当たり作戦の巻 第7回 5月13日 決闘! のび太とジャイアンの巻 私は誰でしょうの巻 第8回 5月20日 アベコンベ騒動の巻 お化け屋敷の謎の巻 第9回 5月27日 クイック・スロー大作戦の巻 のび太は雨男の巻 第10回 6月3日 ウルトラミキサーの巻 ねがい星流れ星の巻 第11回 6月10日 ふしぎなふろしきの巻 のび太のおばあちゃんの巻 第12回 6月17日 大リーグの赤バットの巻 男は力で勝負するの巻 第13回 6月24日 ガチャ子登場の巻 おしゃべりくちべにの巻 第14回 7月1日 すきすきカメラの巻 天の川でデイトしようの巻 第15回 7月8日 へんなロボットカーの巻 ニコニコせっけんの巻 第16回 7月15日 おれ署長のだいりの巻 さあ夏だ! スキーをやろうの巻 第17回 7月29日 成績表はいやだなあの巻 自分の影をつかまえろの巻 第18回 8月5日 潜水艦で海に行うの巻 くるったハラ時計の巻 第19回 8月12日 キャンプ騒動の巻 忘れな草って何だっけの巻 第20回 8月19日 クーラーパラソルの巻 いつでも日記の巻 第21回 8月26日 宿題お化けが出たの巻 お天気ボックスの巻 第22回 9月2日 ぼくに清き一票をの巻 まんが家修行の巻 第23回 9月9日 すてきなガールフレンドの巻 花いっぱい騒動の巻 第24回 9月16日 そっくりクレヨンの巻 静香の誕生日の巻 第25回 9月23日 宇宙飛行士になりたいの巻 まいごマゴマゴ大騒動の巻 第26回 9月30日 ネンドロン大騒動の巻 さようならドラえもんの巻 関東地区の平均視聴率は6. 第16回と第17回の間のは、「」(。 読売テレビ制作。 枠は19:00 - 21:25)のため休止。 最終話「さようならドラえもんの巻」について [ ] ストーリー が家に帰るととが何か話している。 セワシは何かを話そうとするが、ドラえもんに「僕が話すから」と止められ、「きっとだよ」と言い残し未来に帰って行った。 ドラえもんは浮かない顔で何かを話そうとするが、そこへデパートから最新型の自転車が届く。 のび太は達とサイクリングに行く約束をしたものの、自転車に乗れないので安直にドラえもんを頼ろうとしていたのだ。 しかし、ドラえもんはいつもの調子で甘えるのび太を冷たく突き放す。 いつもと様子が違うドラえもんだったが、のび太は「いざとなったらいつものようにきっと何とかしてくれる」と気にも留めなかった。 思い切って何かを打ち明けようと決心したドラえもん。 しかし、のび太に差し出されたおやつのに心を奪われ、更に「この世に君がいなかったら僕は一人で生きていけない」という彼の言葉に動揺し、そのまま家を飛び出してしまった。 ドラえもんは、頼りっきりなのび太の自立心を養うために未来へ帰ろうと考えていたが、優しくしてくれるのび太にそれを言い出せず悩んでいたのだった。 落ち込んでいた所へ偶然会ったに相談する事にしたドラえもん。 そして、ガチャ子のアイディアで未来に帰る嘘の口実を作る事になった。 「ドラえもんの体の様子がおかしい」とガチャ子から聞かされたのび太。 慌てて駆け付けると、そこには狂ったように苦しみ始めたドラえもんがいた。 「未来に連れて帰って治さないといけない」と言われ、嘘を信じ込んでいたのび太は泣き出してしまう。 それでも、「ドラえもんがいなくなったら困るけど、ドラえもんが治る為なら我慢する。 だから自分に構わず帰って欲しい」とドラえもんに訴えた。 優しい言葉に感涙したドラえもんは嘘をついた事を打ち明け、自分に頼り過ぎてダメな人間になりそうなのび太が心配で、強い人間になって欲しいが為に未来の国に帰る事にしたと本心を告げる。 のび太は「僕の事は心配しなくていいよ」と彼の気持ちを受け入れた様子で愛想笑いを浮かべた。 その後、仲間らは広場に集い送別会を開く。 や、しずかも涙ながらにドラえもんとの別れを惜しみ、のび太と共にどら焼きをプレゼントする。 喜ぶドラえもんの丸い手から黄色い小鳥が飛び立っていく。 テーマソング『ドラえもん』に合わせて仲間らに家まで送って貰ったドラえもんは、やとも別れの挨拶を交わした。 そしてドラえもんとのび太は、いつかの再会を誓い、最後の別れを告げる。 「未来の国でいつも君を応援しているからね」そう言い残したドラえもんは机の引き出しに入り、未来へ帰って行った。 ドラえもんがいなくなった現実に、のび太は「本当は、ずっと居てもらいたかったのに…」と号泣してしまう。 するとドラえもんが、再度引き出しから現れた。 のび太は唖然とするが、プレゼントのどら焼きを持ち帰るのを忘れていたという。 改めて別れの挨拶を交わした二人。 去り際にのび太にエールを送ったドラえもんは、今度こそ帰って来る事はなかった。 そんなのび太の姿を、ドラえもんはセワシと一緒にで未来から温かく見守っていた。 「ドラえもーん! 見てくれよー! 」夕焼け空に向かってそう叫ぶのび太の声と共に、物語は幕を閉じる。 解説 本エピソードの原作は、第6巻収録の「さようなら、ドラえもん」ではなく、雑誌『』3月号に掲載された「ドラえもんがいなくなっちゃう!? 」(第1巻収録)である。 これはが提案したもので、真佐美が幼いころ、塗装会社に勤めていた父親をまで迎えに行くために、自転車を練習した思い出と重なったからだという。 ストーリーは原作とおおむね同じだが、原作には未登場だったジャイアン・スネ夫・しずか・パパ・ママ・ガチャ子が登場し、ドラえもんとの別れを惜しんでいたほか、ドラえもんの嘘に協力するのはセワシではなくガチャ子になっている。 この回が最後の放送だったにもかかわらず、ラストのは「次回をお楽しみに」と表記された。 これは手抜きやミスではなくの再建と続編への希望を込めたものである。 またにはドラえもんの丸い手から黄色い小鳥が飛び立っていく作中のシーンが採用された。 これにも続編製作の希望として「再会」の意味が込められているという。 ヒントに真佐美が昔見た映画で「無事に帰って来て」という願いが黄色いリボンで描写されていたことに由来する。 放送終了から5年半後、の第1話を見た真佐美は「大変素晴らしい出来で、とても安心しました。 さんの声も、あれなら大成功だなと思いました」という感想を述べている。 日本テレビ動画のスタッフ達の願いであった「自分達の手で再び作ること」は遂に叶わなかったが『ドラえもん』に対する思いは、このような形でへと引き継がれたのである。 放送局 [ ] 本放送 [ ] 系列については放送当時のもの。 放送地域 放送局 放送期間 放送日時 放送系列 備考 - 日曜 19:00 - 19:30 制作局 日本テレビ系列 ・ 日本テレビ系列 フジテレビ系列 日本テレビ系列 NETテレビ系列 - 金曜 17:25 - 17:55 - 火曜 18:00 - 18:30 1974年 - 平日 17:00 - 17:30 - 不明 木曜 18:00 - 18:30 フジテレビ系列 再放送 [ ] 一部地域では、本放送時代とは別の局でされていたが、その局も記載する。 この節のが望まれています。 日本テレビ 3月27日 - 5月2日、4月1日 - 5月6日• 1974年4月29日は「」を放送。 1975年度 月曜-金曜 8時00分-8時30分• 以上平日朝の再放送枠『』で放送。 1974年4月1日 - 1974年5月6日• 月曜-金曜 18時00分-18時30分• 1974年12月5日 - 1975年1月17日• 月曜-金曜 16時55分-17時25分(5回休止)• テレビ岩手 1975年1月5日 - 2月17日(5回休止)• 月曜-金曜 17時00分-17時30分• 福岡放送 1975年4月17日 - 5月22日• 読売テレビ 1975年5月12日 - 6月12日• 月曜-金曜 18時00分 - 18時30分、全25話。 最終回は未放送。 (NETテレビ系列)1975年5月22日 - 6月26日、17:30 - 18:00• 宮城テレビ 1975年7月9日 - 8月18日• 月曜-金曜 8時00分 - 8時30分、全25話。 最終回は未放送、休止は4回。 「パパとママの結婚記念日の巻」と「おせじ鏡の巻」が別の日に書いてあるなど、順番が混乱している。 (TBS系列)もしくは頃• (フジテレビ系列) -• 月曜-金曜 18時45分-19時00分(本来、1回・2話構成だったうち、半分の1話ずつ放送された)• 前述のように、からの申し入れで藤子F名義によるを求める警告状がから富山テレビに送られ、8月3日の9回目(第5話Aパート)の放送をもって強制的に打ち切られる()。 これを最後に再放送は二度と行われなかった。 年表 [ ] 「」および「」も参照• - が解散し、体制はそのままで新たにが設立される。 以前 - 社長のを中心に『』の企画が立ち上がる。 - の『』1972年8月号の「にんきものチャンネル」コーナーにおいてのイラストと共に「テレビにでるのをまっててね」という告知文が掲載される。 - 完成。 演出はのと佐々木一雄が担当、設定やシナリオは文芸担当の徳丸正夫が用意した。 - 放送開始。 第1話は『』1970年11月号掲載の「」を原作にした「」。 初夏 - 提出。 放送「ガチャ子登場の巻」より登場。 放送「すきすきカメラの巻」よりの声優をからに交代。 頃 - 放送のが決定。 - 放送終了。 で制作資料が焼却処分される(詳細はのサイト内「」の項に詳しい)。 最終話は『』1972年3月号に掲載された「ドラえもんがいなくなっちゃう!? 」を原作にした「」。 - 杉山卓『テレビアニメ全集2』(秋元文庫)に紹介記事が掲載。 しかし、この記事は前作『』のデータが流用されたため間違いが多く、また以降の資料はこの本を元に作成されたケースが多いため、が正確な情報を公開するまで誤った情報が広く流布する原因となった。 - の再放送が9回目の「おせじ鏡の巻」(第5回Aパート)で打ち切られる()。 これ以降の再放送は途絶える。 - での管理期間が終了。 - の横浜工場から後半16話分のネガフィルムが発見される。 - 元スタッフのが「」名義で会員制「」を開設、自らが保管する全資料を公開する。 - 『』内での所有するフィルムを放送する企画があったが頓挫。 - の所有するラッシュフィルムがネオ・ユートピア主催の第8回藤子アニメ上映会で初公開される。 上映されたのは第12回Bパート「男は力で勝負するの巻」と第18回Aパート「潜水艦で海へ行うの巻」の2本。 - ネオ・ユートピア主催の第9回藤子アニメ上映会で第10回Bパート「ねがい星流れ星の巻」と第21回Bパート「お天気ボックスの巻」が上映される。 またアンコール上映として第18回Aパート「潜水艦で海へ行うの巻」が再上映される。 - ネオ・ユートピア主催の第10回藤子アニメ上映会で第5回Aパート「おせじ鏡の巻」と第18回Bパート「くるったハラ時計の巻」が上映される。 初秋 - がに本作の自主上映を中止するよう警告する(ただし、真佐美はの規定を遵守しており、藤子プロ側の訴えはを欠いた越権行為であったという見方もある)。 - の講演上映会(開催場所:東久留米市立生涯学習センターまろにえホール)で2年ぶりに本作が再上映される。 - 元編成担当のが『視聴率15%を保証します! 』()を上梓。 高橋の証言からテレビ朝日がを放映するにあたり「旧作が再放送されると子どもたちが混乱してしまう恐れがある」としてに旧作の封印措置を求めたことが明らかになった。 - のコミニティーサイト「」の講座「昭和を生きた手塚治虫 -東久留米の思い出-」(開催場所:東久留米市役所)に研究会「」代表のがゲスト講演し 、本作の映像が4年ぶりに再上映される(これが現時点で最後の上映会である)。 現存映像 [ ] 放送終了後、フィルムは制作局の日本テレビで7年間管理され、その間は地方局へ貸し出されたりしていたが、日本テレビでの管理期間終了後に散逸したとされている。 さらに、事実上の封印措置と制作会社の消滅という事象も重なり、現在はネガはもとより保管先も不明(あるいは散逸)といえる状況である。 テレビアニメ作品の著作権は通常、制作プロダクションが保持することになっているが、制作会社である日本テレビ動画の消滅により本作の著作権は、不明瞭のままになっている。 本作の印象からまでの作品全ての版権が不明瞭になっていると誤解されることがあるが、日本テレビ動画作品にはビデオ化や再放送の行われた作品が多数存在するため、現在でも同社から作品の版権を引き継いで管理している者が存在するとみられる。 現存する映像としては、元スタッフのが個人的に保管している8話分のラッシュフィルム(ポジフィルム)のほか、本作の現像を担当した東洋現像所(現:)に後半16話分(第18回、第20回 - 第26回)のネガフィルムが保存されており、現在もIMAGICAが委託している東京湾岸の倉庫にフィルムが保管されているが、のため宙に浮いた存在になっている。 なお、真佐美の保管しているラッシュフィルムは、現像して上がってきたフィルムのうち、、、に誤りがあり、リテイクした未放送の16ミリフィルムを真佐美が個人負担で買い取ったもので、実際の放送に使用されたものではない。 1973年公開の監督の『ドキュメントポルノ 続・痴漢』(プリマ企画)では、開始後34分付近の男性医師がアパートの女性の住む部屋を覗くシーンで、背景のモノクロテレビの画面に本作の映像が写り込んでおり、動く映像を30秒ほど見ることができる。 その後、裏番組の『』にチャンネルが変えられている(音声は『』『』のものを使用)。 現存が確認されているもの• - 真佐美保管• 第3話「屋根の上のすてきな子の巻」 - 真佐美保管• 第4話「のび太のご先祖さんの巻」 - 真佐美保管• 第9話「おせじ鏡の巻」 - 真佐美保管• 第20話「ねがい星流れ星の巻」 - 真佐美保管• 第24話「男は力で勝負するの巻」 - 真佐美保管• 第35話「潜水艦で海へ行うの巻」 - 真佐美・IMAGICA保管• 第36話「くるったハラ時計の巻」 - 真佐美・IMAGICA保管• 第39話「クーラーパラソルの巻」 - IMAGICA保管• 第40話「いつでも日記の巻」 - IMAGICA保管• 第41話「宿題おばけが出たの巻」 - IMAGICA保管• 第42話「お天気ボックスの巻」 - 真佐美・IMAGICA保管• 第43話「ぼくに清き一票をの巻」 - IMAGICA保管• 第44話「まんが家修業の巻」 - IMAGICA保管• 第45話「すてきなガールフレンドの巻」 - IMAGICA保管• 第46話「花いっぱい騒動の巻」 - IMAGICA保管• 第47話「そっくりクレヨンの巻」 - IMAGICA保管• 第48話「静香の誕生日の巻」 - IMAGICA保管• 第49話「宇宙飛行士になりたいの巻」 - IMAGICA保管• 第50話「まいごマゴマゴ大騒動の巻」 - IMAGICA保管• 第51話「ネンドロン大騒動の巻」 - IMAGICA保管• 第52話「」 - IMAGICA保管 本作前後の他の『ドラえもん』映像(企画を含む) [ ] が『ドラえもん』を企画しなかったら、それまで多くの藤子アニメを製作したが『』の後番組として製作する可能性があったという。 日本テレビ動画が本作を企画したには、のによるをキー局とした、もう一つの『ドラえもん』の企画があったとされる。 この企画書は200字詰め原稿用紙(表紙含む)6枚と添付資料「ドラえもんの大ひみつ」(学年誌掲載分)のコピー1枚の合計7枚から成る。 これは系10月新番組の放送枠獲得を狙ったもので『』1972年8月号には「テレビにでるのをまっててね」という告知文も掲載されていた。 当初はアニメと実写の双方で企画され、後に実写へと企画が転向された。 作者の両人もピープロに訪れ「実写でやろう」と同意。 この際にドラえもんの声優として挙がっていたのが、奇しくもだった。 大山の起用は、先にピープロ制作のアニメ『』での演技を見込まれてのことだった。 既にドラえもんの着ぐるみまで試作されていたものの、この企画がどの程度具体化し、どの時点で頓挫したかについては不明。 ちなみに企画書ではのキャラクター設定は原作から改変されて「宇宙からやって来た宇宙ロボット」になる予定だった。 本作終了後、からの「」の内箱にドラえもんやのイラストが掲載されていたが、この時テレビCMに登場したドラえもんは、本作後期の野沢雅子が担当していた。 手塚治虫の関与 [ ] 日本テレビ版『ドラえもん』制作の影には、の師匠筋であるの存在が深く関わっていたとされる。 かつてで手塚の秘書を務めていた(真佐美ジュン)は『ドラえもん』のアニメ化を知った手塚から「いい作品だからやりなさい」と度々励まされ、でアニメ用のやが入手しにくくなった際には、手塚がに直接電話して熱心に口説いてくれたと証言している。 また『ドラえもん』の制作中に「下崎にアニメは作れない」という中傷文が日本テレビに届き、下崎を降板させる動きが局内で出た際には、噂をいち早く聞きつけた手塚が「下崎氏は・で豊富な経験を持つ最も信用のおける男です」「いわば僕の右腕だったんですよ! 」と局関係者に電話口で説得し、その甲斐あって真佐美は名誉を回復することが出来たという。 なおスタッフには出身者が多数在籍していたため、のび太の通う小学校は虫プロ近くの小学校がモデルで、作中に登場する駅舎は虫プロの最寄り駅だったのがモデルとなった。 またスネ夫の家は「明らかに先生の自宅がイメージ」と真佐美は述べている。 手塚と下崎の関わりについては原作・漫画の『TVアニメ創作秘話〜手塚治虫とアニメを作った若者たち〜』(、)で前後編にわたってされている。 関連項目 [ ]• - からにわたり再編を繰り返しながら主にを制作していた。 1973年に本作品を制作した。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 「」の範囲を超えて作業していたので「担当演出」という名称が使用された。 またはの演出も担当している。 2005年4月より放送中のシリーズのDVDは『NEW TV版 ドラえもん』というタイトルで発売されている。 ファンからはを「 」「 」、を「 」などと呼ぶことがある。 は企画の経緯について「(日本テレビ動画の前身)はずっとばかりやっていたので、次回は少年もので『』をやりたいと、社長のがそういう企画を考えて、実際に動いていたのですよ。 ところが、その動きの中で『』の存在を知ったのです。 これは面白いぞということになりまして、早速『ドラえもん』の企画を立てたら、その企画が先に売れちゃったんです。 『』のヒットがあったことも大きな要因でしょうが、あの頃『ドラえもん』に目を付けたということは、彼には先見の明があったと言えますね」と証言している。 ただし、真佐美はのとの仕事上のトラブルから放映当初に『』の制作主任を自主降板している。 当時、は東京都中野区と元来の本拠だった新潟市にスタジオを構えていた。 「東京に本社を移した」とされるが、の調査では登記上は最後まで本社は新潟であった。 第1話の原作は『』1970年11月号掲載の「」に改定を加えたもの。 放映当時、キー局の関東地区など民放4局マストバイ地域では裏番組として『』()や『』(制作・)などが放映されていた。 一方、広島県や福岡県を除く九州各県など日本テレビ系とフジテレビ系をクロスネットとしていた地域では、『マジンガーZ』を(または競合他局への放映譲渡)とした上で、本作を同時ネットしていた。 なお本作でドラえもんを演じた富田耕生は、『マジンガーZ』でもレギュラーキャラクターであるドクターヘルとヌケ(ボスの子分)の二役を演じていた。 かつてが降板したのはを起こしたからだという噂があったが、これは事実ではない。 この噂はの前作『』製作の打ち合わせのため、制作主任のが日本テレビ動画の新潟スタジオに行く途中に交通事故を起こしたことに起因する。 後に下崎は『モンシェリCoCo』放送時にスタッフとのトラブルで番組を自主降板し、そこから「『モンシェリCoCo』のプロデューサーが交通事故を起こしたため辞めた」と言う噂がたち、その噂が一人歩きして、いつのまにか「交通事故で富田耕生が降りた」という噂になっていたという。 その後、新倉はフィリピンに移住し、1986年5月に拳銃密輸で逮捕、送検されている。 送検・起訴後の報道はなく、以後の消息などは不明。 の調査では、登記上のの代表取締役は稲庭で 、は安藤の取材に対して稲庭を「会長だけどお金を出すだけ」と述べている。 真佐美も安藤の取材に対して「稲庭会長」と呼んでいる。 「」の仕事だけでなく作品を幅広く担当したので「担当制作」という名称が使用された。 真佐美が昔見た映画で「無事に帰って来て」という願いが黄色いで描写されていたことに由来する。 監修の『Fライフ』()4号に記載された年表では、1973年の藤子アニメは『』のみとなっているほか、のの年表にも本作に関する記述は不掲載となっている。 一方で、ドラえもん50周年特設サイト内の年表には、1973年に本作が放送開始された旨の記述がある。 生前、公の場で明確に本作を否定した発言はない。 ただし、後述の富山テレビでの再放映を知った際の反応のほか、第三者による証言として• 新旧両方の『ドラえもん』に関与したは「以前やったことは非常に悔いが残る」といったことは言われた。 安藤健二の照会に対して代表取締役(当時)は「『本来のドラえもんの持ち味を出していない作品であり、作品のイメージとはかけ離れたものであった。 海外の輸出用として制作されたアニメーションのようで、作者として気に入った作品ではなかった』と申しておりました」と文書で回答した。 元社長のは、再アニメ化の許諾を得た頃に「『ドラえもん』だけは(引用者注:『』や『』と違って)出戻りなんです。 さんざんな仕打ちを受けて戻って来た、かわいそうな娘です」と言われた。 も本作の再アニメ化に対し「嫁に出し傷ついて帰って来た娘を再び世に出すのは嫌だ」と、難色を示す発言を藤子・F・不二雄から聞いたと夫のが記している。 は、放送終了後に藤子Fが「この件についてはいっさい語りたくない」と漏らしていたと証言している。 といったものがある。 作品初期は、まだ藤子Fと藤子Aの作品ごとの分業が完全に確立しておらず、藤子Aとその関連スタッフも本作品に若干関わっていたとされる。 なお、藤子Aは放送終了後、に「あの時期に『ドラえもん』は早すぎた」と話している。 ラッシュ編集はで、ネガ編集はので行われた。 そのため、最終回後に発行された『小学四年生』1973年11月号掲載の『ドラえもん』の扉絵には「テレビ大人気放送ちゅう」とのあおり文句がある(安藤、1982年、p. 63に該当ページの写真が掲載されている)。 富山県では当時、が放送されていなかった。 1980年4月5日からようやく北日本放送でネット開始された。 のび太がドラえもんに洗面器を渡している構図のセル画で、真佐美ジュンはで使用されたセル画ではないと否定した。 のメディア芸術データベースやの『TVアニメ25年史』(1988年)には本作のスタッフ情報に、、などの表記も確認出来るが、後に関わっていなかったことが判明している。 なお放映前に作成されたとみられるスタッフ表にはの名前が記載されていたことが判明しているが、実際の製作に関わっていたかどうかは不明である。 番組内ではモノクロだと述べているが、実際はカラー作品である。 ただし、当時は白黒テレビで視聴していた人も若干存在した。 、にて第12回Bパート「男は力で勝負するの巻」の一部音声がアップロードされたことにより、富田版ドラえもんの声が久々にお目見えすることになった。 ただし、から発売された主題歌のレコード(SCS-515)のジャケットにはドラミも描かれている。 全体のスケジュール作成管理、スタッフの手配、外注先の選択、単価交渉などを統括した現場責任者。 では「」の名前を使用した。 の制作時は現場の制作と演出を一人で行っていたが、演出責任者としてをに迎え、演出助手に岡迫和之とを迎えたことで、演出の「真佐美ジュン」は要らなくなり、制作として専念した。 『』(小学館)1973年4月号掲載の本作品の漫画「くものねんどのまき」では欄外のネット局一覧には、(現:名古屋テレビ放送=メ〜テレ)が掲載されていたが、放送開始直前の中京圏ネットワーク整理により、中京テレビでの放送となった。 なお、名古屋放送では4月1日時点では『』(毎日放送制作)を1日遅れネットで放送していたが、その後『アップダウンクイズ』(毎日放送制作)の同時ネットに移行した。 当時は岡山県との相互乗り入れの実施前であった。 当時、日本テレビ系列でもあった(日本テレビ動画の代表取締役だった稲庭は同社役員)は本来の時間帯に日曜19:30枠の『』などを30分先行ネットしていた。 また、新潟に日本テレビ動画の制作スタジオがあった。 『』1972年8月号の告知記事は、の実写企画()とのアニメ企画のどちらを意図したものかは判断材料が乏しく明確になっていない。 の初登場回では「ドラえもん、声変わったね? 」「ちょっと風邪ひいちゃって」という的な会話があったと漫画家の滝季山影一が証言している。 結果的には、・制作のテレビドラマ『』が『』の後番組となった。 ちなみに『』(1979年)以前のは『ドラえもん』(1973年)を除いてが全作品を制作している(実制作はが担当)。 出典 [ ]• 藤子不二雄FCネオ・ユートピア会報誌43号. 2006-12. 51 - 54• 三才ブックス : 190-192. 2005-02. 昭和40年男 クレタパブリッシング. 2012-10. 藤子不二雄FCネオ・ユートピア会報誌46号 藤子不二雄FCネオ・ユートピア. 2008-08. 安藤、2008年、p. 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TVアニメ創作秘話〜手塚治虫とアニメを作った若者たち〜 pp. 87-126 2019年5月8日 , 秋田書店 参考文献 [ ]• 『封印作品の憂鬱』、2008年• 』、2014年• 芸能人トリビア制作委員会『』、2003年• 『』2005年2月号「」• 『昭和40年男』2012年10月号「昭和48年 あの日を再検証 早すぎた挑戦!? 『ドラえもん』初アニメ化」• 会報誌43号「特集・日本テレビ版ドラえもん」(2006年12月初版発行、2009年8月改訂版発行)• 藤子不二雄FCネオ・ユートピア会報誌46号(2008年夏発行)• 藤子不二雄FCネオ・ユートピア別冊「特集ドラえもん 129. 3」(1999年2月初版発行、2009年5月改訂版発行、2010年5月3訂版発行)• - MSN産経ニュース(2009年1月10日)• - MSN産経ニュース(2009年1月11日)• - MSN産経ニュース(2009年1月12日) 真佐美ジュン公式サイト [ ]• 真佐美ジュンへのインタビューを含むもの(真佐美ジュン公式以外) [ ]• 外部リンク [ ]• (当時の新聞記事などの資料を掲載)• (設定について詳述あり)• (個人サイト、「旧ドラ」鑑賞記)• (日本テレビ動画の軌跡について詳述あり)• - Togetter• - Togetter• 系 日曜19:00枠 【当番組まで日本テレビ制作枠】 前番組 番組名 次番組.

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ドラえもん (1973年のテレビアニメ)

ドラえもん youtube アニメ

(終了した番組・中継を含みます)は、での販売や公式な、またはが紹介するまで、 出典として用いないで下さい。 に基づき除去される場合があります。 『ドラえもん』のアニメには以下の3作品が存在する。 1973年に日本テレビ系列で放送されたシリーズ• これらを区別する呼称は公式には発表されていないが 、アニメ誌では2005年4月より放送中のシリーズを『ドラえもん(新・第2期)』としている。 本項ではそれに倣い、1973年にで放送されたシリーズを 第1作、1979年よりで放送されているシリーズをまとめて 第2作とする。 また第2作において、1979年から2005年3月まで放送されたシリーズを 第1期、2005年4月から放送中のシリーズを 第2期とする。 本記事では 第1作について記述する。 概要 [ ] ファンからはで放送されている第2作 と区別するために「 旧ドラ」「 日ドラ」「 日テレ(NTV)版ドラえもん」「 日本テレビ版ドラえもん」などと呼ばれることがある。 企画から放映まで [ ] 本作の企画は社長の(別名・渡辺清)によって立ち上げられたと推測されている。 なお、新倉は当初、硬派任侠物の『』のアニメ化を切望したが、企画が頓挫。 として本作が放映されることになった経緯がある。 一方、当時『』編集長だったの井川浩は、新潟のアニメ制作会社が制作するテレビアニメの原作を推薦するよう日本テレビのプロデューサーから頼まれて人気の高かった『』と『』(作)を推薦したことを証言しているほか、日本テレビプロデューサーだった川口晴年は、チーフプロデューサーのが企画を提出した後に、から派遣された専務が会議でで制作することを有無を言わさない形で決めたと証言している。 これに関して制作担当のは、が本作の放送枠を取る時に「周りの反感を買うようなやり方をした」ことや前身の時代に社長のが日本テレビプロデューサーのとを起こしていたことなどから「日本テレビの心ある人は信用してなかったみたい。 だから会社がの反応は早かったですね」とのインタビューで語っている。 また日本テレビ動画の元関係者は、日曜枠に本作を入れるのに「本来は別の番組で決まっていたのを、無理やりねじ込んだ」という噂を聞いたことがあると証言している。 本作の制作進行やスケジュール管理など実務全般を取り仕切った制作主任の(本作では本名の「下崎闊」名義で参加)は、にを退社後、のを担当していたで『』を手伝った縁から日本テレビ動画の佐々木一雄プロデューサーと知り合った。 真佐美によると日本テレビ動画では『モンシェリCoCo』の後作品として企画のひとつに『ドラえもん』があり、1972年7月以前には『ドラえもん』の企画が既に存在していたという。 『ドラえもん』に企画が絞られた頃、真佐美は近くの高級店で、佐々木から本作の制作担当を依頼された。 この時、初めて原作漫画を読んだ真佐美は、本作が子供たちに夢を与える内容であると感じ、アニメの世界に入ってから常に「子供に夢のある作品を」と思い続けていた真佐美は「今後このスタジオから、将来のアニメ界を背負っていくような人材を育てていこう」と将来の夢を佐々木と語り合い、快く協力することを約束。 1972年11月に日本テレビ動画へ入社した。 真佐美が演出を担当したのメインとなるで空を飛べるという、夢のシーンの紹介では、作画スタッフらも童心に返って一生懸命昼夜を問わず作り上げたシーンだったと回想する。 なお、局側の都合で放送3ヶ月前に企画が急遽決定したため、真佐美は予定より早くパイロットフィルムを作り上げ、完成後にはスタジオ近くので試写を行うなどして子供達の反応も事前に確かめていたという。 なお、真佐美は「当時『ドラえもん』をテレビアニメ化するのは相当な冒険であって、今でこそ国民的な漫画となっているが、当時はまだ原作漫画の単行本も出ておらず、子供でも『ドラえもん』を読んでいたのはを買ってもらってる一部の子供だけであり、他の(大手週刊少年)漫画雑誌連載のテレビアニメ化とはわけが違った」と述べている。 また編集部の武藤晃も「この頃の『ドラえもん』の立場を表すなら『』が刊行される前の『』みたいなもので、先輩の『』『』『』などと比べても明らかにマイナーな存在であることは否めなかった」「常識で考えればそのような作品をアニメ化するのは異例とも言えるが、その少し前に放映されていた『』のヒットの影響も大きかったのかもしれない。 勿論『新オバQ』がヒットしたからといって、同じ作者の別の作品が簡単にアニメ化される程この業界は甘くはないだろうから、社長のさん達の先見の明とその後の努力が実を結んだのであろう」と推察している。 メインスタッフには出身のメンバーが集い、アニメ制作はの東京および新潟スタジオ と、幾つかのスタジオがローテーションを組んでスタートした。 グロス請け先は、、、、などのローテーションが当初予定されていたが、放送開始前後にスタッフの変更もあったようで、確定とは行かなかった模様である。 なお、真佐美が個人的にラッシュフィルムを保管している第21回Bパート「お天気ボックスの巻」は、後に第2作以降の制作を請け負うことになるの前身であるAプロダクションに外注されていたことが近年判明している。 は後にを創設するであった。 上梨を選んだ真佐美ジュンは、その理由として「人柄も他人の面倒見も良く、穏やかだが一つ作品に入り込むと妥協を許さない」と述べており、日本テレビ動画で若手を育てようと将来の夢を語ってチーフディレクターに迎え入れたという。 また真佐美は「一人の演出家が全体の流れを統一したほうが原作者の意向を反映出来るため。 そして全体を任せられて、若手で力のある演出家を選びたかったから」とも語っている。 しかし実際には原作者からの注文や要望はほとんどなかったとされ、上梨も最後まで原作者と会うことはなかった。 当初、ドラえもんの声はが担当した。 現在放送中のアニメ第2作とはイメージが異なるが、当時のスタッフは、ドラえもんというキャラクターに「世話好きなおじさん」というイメージを抱いていたことから、動物役なども多く演じていた富田に初めから配役するよう決めていたという。 アニメ第2作以降と比較して、色指定のコントラストは穏やかであった。 これは、1973年当時のアニメの多くが一度35mmネガフィルムで撮影し、その後、16mmポジフィルムに転写してテレシネスコープで放映するという物だったのに対し、本作は直接16mmフィルムで撮影していたことにも起因する。 キャラクターの声を担当したやは本作をモノクロ作品だと記憶しているが、実際にはカラー作品である。 1973年4月1日、事前に制作されていたを流用し再構成した「 出た! ドラえもんの巻」を第1話として放映が開始された。 放映開始後 [ ] 本作は日曜の夜7時からの30分番組というでの放送であったが、小学生向けの漫画を原作として製作された本作は、対象とする年齢が低かったこともあり、強力なに押され、当初は視聴率で苦戦したとされる。 また半年間という当時としては比較的短期間の放送であったため、「不人気で打ち切り」という噂が一般化していたが、実際には元々2クールの放送契約で、ある程度の視聴率が確保出来たらその後も継続するという契約であった。 また『』『』での連載が4月号から開始されたこともあり、番組の対象年齢の引き上げと「世話好きなおじさん」然としたドラえもんの年齢イメージを下げることを目的に、の声を担当していたを降板させ、2代目となるに交代するなどのを図った。 放送2クール目に入ると、原作では数回しか登場しなかったアヒル型ロボット「」をレギュラー入りさせるなど要素も強調したという。 なお、やに掲載された原作漫画は短いページ数でまとめられていてストーリー性が薄く、アニメ化すると尺が余ってしまうため、原作を元にしつつアニメオリジナルの要素を随所に入れていき、放送後半にはテレビアニメのオリジナル要素がかなり増えたという。 また当時は原作漫画の連載が開始されてからまだ3年程度で、原作のストックも少なくすぐに使い切ってしまい、放送が継続されていたとしたらオリジナルストーリー主体になっていただろうとは述べている。 ちなみに原作不足のためテレビ用に書き起こしたオリジナル設定は原作者の承諾済みであり、真佐美としては「原作を外れた内容を作ったという意識はない」としている。 また当時の制作スタッフは音声まで入った完成フィルムを惜しげもなく全面リテイクするなど、クオリティの向上には常に真摯に取り組んでいたという。 これらのテコ入れの甲斐もあり、徐々に視聴率も上がっていたと真佐美は述べている。 また収益自体も黒字で、スタッフらは8月初旬ににある日本テレビのに招かれて豪華な接待を受け 、実際に3クール目に延長する予定もあったという。 主演声優が交代した前半と後半を比較すると、前半の平均7. 突然の中断 [ ] 2クール終了間際の1973年8月中旬、の実質的経営者(社長と自称)だったが突然失踪した。 によると、新倉が失踪する前後の8月初旬と9月初旬に日本テレビのプロデューサーから「日本テレビ動画が解散するという話が下請けから出ている。 それが本当なら下請け側は死活問題なので、入金の保証があるまで納品しないという状況になっている。 その話は本当か? 」と聞かれ、真佐美は否定したが「絶対に放送に穴はあけないでくれ」と釘を刺されたという。 また真佐美は入金を心配する下請け側に対しても「もし何かあったら責任を取って私はこの業界から足を洗う。 私の顔を立ててくれないか? 」と説得しに回ったという。 その後、経営を引き継いだ同社の会長(登記上の代表取締役だった、役員の稲庭左武郎を指すとみられる )はアニメ会社の経営に無関心な人物で、「もう止めよう」の一言で会社は解散したという。 解散について真佐美は、失踪した社長のが前身の時代に社運をかけて製作した『』で出した大赤字を本作で得た収益で補填できたことに加え、「その前にいろんなことをやられて懲りた」という稲庭が、新倉の失踪を機に「少しでも赤字が埋まったところで解散した」と述べている。 一方、美術監督のは新倉の失踪の理由を「次回作が決まらずに資金ショートしたからではないか」との取材に答えている。 会社の解散という混乱の中、同年9月30日放送の「 」をわずか2週間で作り上げ最終話とし、半年で終了となった。 最終回は自転車が漕げなかったのび太が泣きながら自転車を漕ぐ練習をする姿を、未来の世界に帰ったドラえもんがタイムテレビで見守るところで物語が終わる。 最終回ラストのは「次回もお楽しみに」として終了させており、これは制作主任の真佐美による演出であった。 これを疑問に思った(担当制作)の木沢富士夫 に、真佐美は「こんな形で日本テレビ動画のドラえもんは終わってしまったがスタッフのみんなは、まだ続けたかった。 また番組最後の「おわり」のでドラえもんの丸い手から黄色い小鳥が飛び立っていくシーンがあり、これにも続編製作の希望として「再会」の意味が込められているという。 最終回が放送された9月30日、ブラウン管に映る『ドラえもん』が描かれたスタジオには既に人影はいなかった。 その後、残された旧作スタッフは債権処理などに追われ、ついにが再建されることはなかった。 しかし、6年後に他局他社ではあるものの現在のテレビ朝日版によって「」は実現し、テレビ朝日版の第1話は「未来の国からはるばると」という原作第1話のエピソードではなく、通常のエピソードの1本である「」とした。 これが普通に本編から始まっている所からも、まるで第1作の続編を意識したかのような形がとられ、両者の間で受け渡しがあったかのような構図になっている。 放映終了後 [ ] 残されたのスタッフらは、先の支払い金を充てるために会社の備品など売れるものは全て売り払い、社屋引き払いのため本作に関する資料のほとんどを止むを得ず廃棄処分したという。 しかし、実際には、のように全く支払われなかった外注スタッフもおり、川本は日本テレビのプロデューサーから「制作費は既に日本テレビ動画に支払っているから、これ以上は払えない」と言われたという。 また、川本によると少なくとも日本テレビ動画が外注した(川本が主催)とには最終2話分のギャラが未だに支払われていない。 この件に関して「私の後任のプロデューサーは局と外注スタッフとの板ばさみになって非常に苦労された」という企画当初のプロデューサーである川口晴年の証言も存在する。 は最終回が放映された9月30日の夜、の解散に伴う社屋引き払いのためセル画や絵コンテなどの制作資料を、(現・)内ので止むを得ず焼却処分したと証言している。 このような理由から、結果的に本作の資料は当時のスタッフが個人的に所有している一部のものを除いて、ほぼ現存しないとみられている。 様々な想いを馳せたライトバン一杯に詰まったセル画、せりふ台本、絵コンテ、カット表、シナリオ原本、色見本、色指定キャラクター集、現金出納帳が目の前で燃えていったことを、真佐美は「わが子をに付す気持ちでした」と、当時置かれた心境を回想している。 放送終了後も藤子・F・不二雄は後述する作品内容への評価とは別に、個々のスタッフの姿勢に対しては好意的であり、真佐美が放送終了後に藤子本人に会いに行った際には「是非またやろうよ」と言って握手してもらったと述べている。 解散後、元スタッフらはのアパートに日本テレビ動画の労働組合を作り、を受け取りながらとの交渉の拠点としていた。 その後、元スタッフらは就職先が決まったり、仕事を廃業して田舎に帰ったりしていたので、日本テレビ動画の労働組合はに活動を終結した。 本作のフィルムは放送終了後も日本テレビで7年間管理され、その間は地方局へ貸し出されることもあった。 は系での放送が開始されるまでの5年余りの間に、日本テレビ平日朝の再放送枠『』()をはじめ、地方局などで比較的多く行われていた。 フィルムは日本テレビでの管理期間終了後、散逸して行方不明になっていたと思われていたが、の調査により、本作の現像を担当した東洋現像所(現:)がに横浜工場を閉鎖する際の在庫整理でを含む後半16話分のネガフィルムを発見し、同社が委託している東京湾岸の倉庫に保管されていることが判明した。 ただし、日本テレビ動画の著作権の引継ぎ手が不明なため、宙に浮いた状態となっている (現存状況については)。 編成上、日曜夜7時枠は日本テレビ制作枠から読売テレビ制作枠に切り替えられ、元々月曜夜7時半に放送されていた「」が移動、空いた月曜夜7時半枠は一旦日本テレビ制作枠に変更し、木曜夜7時半に放送していた『』が移動した。 木曜夜7時半枠は夜8時に放送していた「」を枠拡大するように変更された。 なお日曜夜7時枠でアニメが放送されたのは、からまで放送された『』以来だが、『ディズニーランド』は「海外作品」「1時間番組」「実写と併用」であったため、「国産」「30分作品」「オールアニメ」は『ドラえもん』が開局以来初めてであった。 その後、同枠ではに『』、に『』がそれぞれ放送されるが、いずれも制作作品であるため、日本テレビ制作作品は『ドラえもん』が唯一となった。 本作の放送終了後、日本テレビ制作の『』が1989年に放送されるまでの間、で新作のが放送されることはなかった。 旧から新へ [ ] 本作の声優を担当した声優の一部は、シンエイ版にも主要人物を演じており、はのび太から、はからのび太、はからを演じている。 また(のび太のクラス担任)、スネ夫の父を担当したは同じく先生は一時期、スネ夫の父は2005年に声優陣が一新されるまで担当していた(途中、代役あり)。 劇場版では、は『』においてポセイドンを演じているほか、は『』でログを、『』でクルリンパを、『』で少年を演じた。 また1983年の(シンエイ版)実写アニメ合成の特別番組『』では、しゃべるひみつ道具キャラクター「なんでもナレーター」の声として登場している。 他にも野村道子、神谷明、田中亮一など、シンエイ版でもドラえもんのキャラクターを演じた人物が出演している。 「封印」の状況とメディアでの扱い [ ] の段階で、再放送およびDVD化はなく、テレビ番組などでまれに紹介される機会があっても、本作に関する説明がなされたこともほとんどない(雑誌やなどのドラえもんやの年表にも本作のことが掲載されていないケースが多い)。 その理由と経緯については、の著書『封印作品の憂鬱』(、)において、関係者などの証言が詳しく述べられている。 原作者のは本作の内容に否定的であったとされる。 このアニメ化は、前記のようにのプロデューサーからの小学館への申し入れによって決まったとされ、当初藤子・F・不二雄は日本テレビから寄せられた依頼に応じて舞台となる街や野比家の設定に使う絵を制作会社に送ったりしたが、それに対する反応がまったくなかったと前記の井川浩は述べている。 その一方で、制作主任であったによると、藤子・F・不二雄との打ち合わせに関しては、当初は真佐美が喫茶店で当たっていたと証言しており、「原作者からの注文や要望は最後までなかった」と述べている。 その後、藤子・F・不二雄は次第に仕事の都合から出向いてまで打ち合わせを行える暇がなくなり、その際には当時藤子・F・不二雄と共に「」として活動していた名義上は本作の原作者の一人である安孫子素雄() と校正などの打ち合わせをしたという。 藤子・F・不二雄とのパイプ役には文芸担当の徳丸正夫が「演出的センスを持っていて人当たりがよく辛抱強い」という理由から「原作者との校閲係」に選ばれ、藤子・F・不二雄との「脚本」「絵コンテ」「キャラクター設定」「色指定の校閲」のパイプ役として打ち合わせにあたっていたという。 徳丸正夫は打ち合わせをするため、(かつてはのビル内にあった)に24時間待機して、空いた時間を使って藤子・F・不二雄と常に校閲を行っていたという。 これらの点は、井川浩ら「原作者や小学館とは没交渉のままアニメ制作が進められた」という小学館関係者の証言とは大きく食い違っている。 ちなみにフィルムの編集作業は、奇しくも当時の藤子スタジオと同じビルのスタジオ・ゼロで行われていた。 放映中に制作会社が突然解散したことで残されたスタッフは債権処理などに追われた。 そのためか「番組が打ち切られた報せが小学館に来なかった」と、井川浩は述べている。 当時の漫画界では「アニメが終わったら原作も終わる」というのが常識であり、そのため『ドラえもん』も一時は連載を終わらせ、新キャラクターと入れ替えようという話が小学館から出ていたという。 しかし自作『ドラえもん』に愛着のあった藤子・F・不二雄は、それを押し切る形で新連載である『』との2本立ての形で連載を続行したが、1974年より刊行が始まった『ドラえもん』の単行本が予想外の大ヒットとなったため、『みきおとミキオ』の連載は1年で打ち切られた。 富山県での再放送打ち切り [ ] 、の放送が開始された頃、7月から8月にかけて藤子・F・不二雄の故郷でもあるの(系列)で本作が再放送された が、9回目(第5話Aパート)の放送で打ち切られた。 これを最後に再放送は行われていない。 この出来事は「 富山事件」とも呼ばれている。 元小学館専務の赤座登はこの件について、富山県での再放送の情報が小学館やに入った時、藤子・F・不二雄は憤慨し、「私が作った原作のイメージと違うし、放送してほしくない。 できたら何とかしてほしい」と述べ 、これを受けて小学館と藤子スタジオは日本テレビ版の契約書がない(作成していなかった)ことを確認し、「口頭契約は最初の放映の許諾にとどまる」という弁護士の見解を得てから、原作者の意向に沿って、小学館と藤子スタジオの連名で、放送中止を求める警告状をで富山テレビに送ったと証言している。 一方、元編成担当のは自著『視聴率15%を保証します! 』(、)の中で「せっかく放送開始したのに日本テレビの旧作が再放送されると、子どもたちが混乱してしまう恐れがあるので、小学館に旧作を封印してもらいました」と証言しており 、本作の封印はテレビ朝日関係者が主導したことを明かしている。 これは赤座の「原作者からの苦情で再放送の中止を依頼した」という証言とは全く異なるなど、当事者同士の間で話が完全に食い違っており、依然として情報が錯綜している。 関係者は安藤の取材に「 仮に『日テレ版』の露出があったところで(中略)現行の『ドラえもん』のイメージを損ねるマイナス露出でしかないんですよ。 原作者や権利者サイドに特にメリットがないため、露出に向けて積極的に動くことはないでしょうね。 基本的には触れてはいけないものという感じです」と述べ、安藤は「今のテレビ朝日版のイメージが唯一のもので、それ以外のものを出す必要はない」という「ビジネスの論理」の存在を指摘している。 また、それ以外の「封印」理由に「制作会社の解散から著作権の扱いが曖昧」のうえ「当時の資料が乏しいため公式でも内容を取り扱いにくい」という問題がある。 現状の扱い [ ] および小学館が監修発刊したムック『ドラえ本3』(小学館、)には写真入りで本作がわずかに解説されており、「原作のイメージと違っていて半年で終了した幻の番組」と紹介されている。 こうした公式サイドによる否定的見解の慣例化や、雑な偽物の が出回るうえ、事実無根のデマや誤った情報の流布、資料の焼却、フィルムの散逸などから情報、露出の非常に乏しい作品となっていた。 少なくとも初頭までは、誤った情報が公式に伝わっており、頃に元スタッフのが自身の上で正確な情報を公開するまでは、がでなくとされていた。 なおスタッフの情報が間違って伝わっていた理由として日本テレビ動画が解散して当時のスタッフや状況の調査が困難になった末、に杉山卓(元・)が執筆した『テレビアニメ全集2』(秋元文庫)において日本テレビ動画の前作品『』のスタッフ情報を引用し、以降の資料は全てこの本を元に作成されたため、このような誤解が生まれたのであろうとは述べている。 末、日本テレビで放送されていた『』においての所蔵している映像を放送する企画があったが、明確な理由が示されずにオンエアには至らなかった。 には、会報誌43号(2006年12月発行、8月改訂版発行)にて本作の特集が行われ、チーフディレクターの、制作主任の、作曲家の、初代声優ののインタビュー、真佐美が提供したオープニング絵コンテ、第1回スケジュール表、サブタイトルリスト、スタッフ・キャストデータ、作画設定資料、フィルムストーリー、、放送の第1話「出た! ドラえもんの巻」の原作「」の再録など多数の資料が掲載された。 なお本特集では「今まで歴史の隅に隠されてきたアニメ『ドラえもん』の原点にスポットを当てる必要があるし、またそうすることによって、これまで思い込みで『失敗作』と決めつけられたのスタッフ達の業績に対して、正しい評価が下されることであろう」「日テレ版『ドラ』は、これまで残された情報があまりにも少なく『失敗作』というレッテルを貼られてきたが、そのレッテルを一旦剥がして、もう一度新たなる評価を下す必要があるのではないだろうか」と結ばれている。 、CS「」が旧作を再放送するために権利者とフィルムの行方を捜索したが、またしてもオンエアには至らなかった。 は自身の所持するフィルムを元に無償での上映会を行っていたが、にから上映会を中止するよう要求された。 真佐美側は「非営利」「無償」「無報酬」の上映会であれば、著作権者の許可を得ずに開催可能()であること、現在の作品自体の権利状況において上映に問題が無いことを訴えたが、結果的に両者の交渉は決裂してしまった。 そんな自分たちが携わってきた愛すべき作品に興味を持って頂けるなら、多くの方に知っていただきたい、と思うのが人として当たり前だと理解していただきたい。 しかし、という剣を振りかざして、それらの作品を封じ込めようとする営利目的企業などが存在することも事実である。 (中略)私は営利を目的とせず、ただ、こういう作品を作ったという証を多くの方に知っていただきたく思うので、年金暮らしの苦しい中でも相変わらず、夢を追いかけることを喜びにした。 これからの短い人生を楽しみたいのである。 、日本テレビ『』のインタビューでが「ぼくドラえもん。 」とドラえもんの声を演じている。 また、野沢は『』(2015年7月9日放送)でも、「モノクロだったんです 」「出すの早すぎたんでしょうね、そんなに長く続かなかった」などと僅かではあるがこの作品について証言している。 そして番組の最後には「今日もごきげんよう」とドラえもんの声を演じている。 設定 [ ]• 制作主任のは、製作にあたっての色を決めるのに『』編集長の井川浩や『』の坂本副編集長、『』の上野編集者らと会い、原作者に修正など無いか見てもらうためのを渡され、原作の3色刷のカラーページを参考にして色指定を行ったという。 この時、参考にしたカラーページのドラえもんは青色で印刷されていたため、青いドラえもんを何色か作り、藤子Fの校閲を受け青色に決定した。 しかし、実際に青色にすると空の色と一緒になってしまうため、作画スタッフは背景に雲を入れるなどして対処したという。 第1話「」(1973年4月1日放送)には、相手の頭も体も弱くさせるという秘密兵器が登場している。 後に真佐美は、今ではだが、当時はまったく問題なかったと述べている。 なお、この話は『小学一年生』1970年11月号掲載の「」(未収録)に改定を加えたものであり、原作の「クルパーでんぱ」と同様の効果を及ぼす。 またアニメ版ではガチャ子でなくドラえもんが使用した。 のによれば放送局から内容への注文は特になく、プロデューサーのから打ち合わせ前に「この番組のへそ(キーポイント)はなんですか」と聞かれた程度のものだったという。 ただしとの兼ね合いで第16回Aパート「おれ署長のだいりの巻」では「」を「」に言い換えるなど、制作当時のに合わせた微細な調整は行われていた。 一方では、を提出した頃、日本テレビからの要請で「年上の召使い」然としたを「のび太の友達」というイメージに近づけるため、声優をからに変更したと証言している。 この際、制作側から「今のままの声で良い」と言う意見が出なかったため「そういうことなら仕方ない」と声優交代に応じたが、演出部は富田の降板に反対していたという。 なお、真佐美は声優交代に対する視聴者の反響について「葉書が回ってくる頃にはもなくなってしまったから、どのような反響があったかはわからない」 と回答しているが、放送当時の(1973年7月15日付)には「ドラえもんはユニークな声の魅力に負うところが大だった。 どういう事情で変わったのか知らないが、声変わりしたドラえもんは魅力がなくなった」という批判的な投書が掲載されていた。 のちに真佐美は「声優さんに途中で変わってもらうと言うことは、大変失礼なことで、声優さんにはなんの落ち度もなく、一方的に交代して貰ったわけで、大変心苦しく思ったことを覚えています。 ただ何のトラブルもなく、気持ちよく交代して頂けたと報告を受け安堵いたしました」「新しく『』が始まって声優もでイメージがぴったりで、これがドラえもんの声だと思いました。 作品的にも良く出来上がっていて、文句の付けようもなく、安心してドラえもんをお任せできると、そのとき思ったことを思い出しました」と回想している。 原作及び第2作との相違点 [ ] 初期原作の設定やアニメオリジナル設定を用いているので、第2作以降とは異なる設定が複数存在する。 これは連載当初のドラえもん像に顕著である。 序盤は中年男性だったがドラえもん声優を担当したこともあって、非常におっとりとした哀愁漂う親父臭い性格に設定されていた。 しかし担当声優がに代わって以降、原作の連載初期のような短気で自己主張が強く活発で好戦的な性格に変更され、近所の相撲大会や小学校のラジオ体操などの行事に参加したり、のび太と一緒にのび太の父親に海水浴に連れていくことを強請る描写があり、原作以上に子供らしい性格に描かれている。 このように声優の性別が入れ替わるドラえもんの声変わりは、当時の視聴者に大きな衝撃を与えた。 シリーズ前半はのを舞台にしたハートフルな人情路線であったのに対し、シリーズ後半では「の声優交代」や「のレギュラー化」など大胆なテコ入れを図ってドタバタ喜劇を中心とした「」へと路線変更した。 なお放送開始まもない1973年5月末頃までに提出された(提出先・配布先ともに不詳)には「のび太を側面から補助する役割としてドラえもんを登場させた」という当初の構成方針について「主人公ドラえもんの性格描写を忘れ、主人公でありながら、ドラえもんを影の薄い存在にしてしまった。 しかも、演出テクニックとして、原作の特色であるスラップ・スティックな表現を禁じたために、迫力に欠ける単調なコメディの次元に留まってしまった」と、その性向を「単調なコメディ」と自虐的に捉えた記述も確認できる。 これについて編集部のポール舘は「愛読者・視聴者は、のび太にこそ自分の姿を重ねて作品を共感を以て迎え入れることを的確に捉えているのにも関わらず、製作者にとって、マンガ『』の主人公は作品タイトルの『ドラ』本人であってほしい、という不文律を背負ってしまっている『ねじれ』が見受けられる」と指摘している。 作風の変化に関してのは「前半は比較的テンポがゆったりして、の良き仲間としてドラえもんを描けたのに対して、後半はテンポアップして時代にはあっていたようですが、せわしかったように思えました。 私としては、前半の方が好きでした」「終盤は会社を畳むというので、ドタバタしていましたので、あまりよく憶えていませんが、シリーズ後半がな内容になっていたので、でハートウォーミングな話にできて、うまくまとまったと思いました」と語っている。 一方で制作主任のは「ドタバタナンセンスってのはスタッフの性にあってたのかもね。 僕が呼んで来るスタッフはで一緒にやってた仲間が多いから、だんだん地の虫プロのカラーが濃くなってきた」と語っており、後半になると原作の『』のようなテンションの高い作品になっていったという。 は自著『』()で本作を否定する発言を繰り返し行っており 、本人へのインタビューで「日テレ版は全然人気が出なくて半年で打ち切りになった。 原作にない話やキャラクターが出てきたり、途中でドラえもんの声が変わったり、いじりすぎたんです。 アニメ化した人が原作をちゃんと理解してなかったんですね。 作り方があまりにメチャクチャで、こんなのもうドラえもんじゃないって作品になっちゃって。 見てる側が訳がわからずついていけなくなった」と語っている。 一方で主催の藤子アニメで本編を初視聴した作家のは「作品のノリが同時期の系のの系譜で、非常にテンポが良く、全体的に楽しめました。 背景も色彩が濃いなんかよりも全然素晴らしく、下町情緒に溢れていて、まるで氏が描かれたみたいでした。 観賞後、仲間内で、原作の世界観をいじり過ぎだという意見も聞かれましたが、スネ夫のママが空手の有段者だったり、ジャイアンの父ちゃんが背が低かったり、やたらを強調したりのアレンジは、大らかな(東京ムービー全盛)時代のギャグアニメならではの微笑ましさがあり、僕的には全然OKだったりもしました。 ギャグ的にも異常なパワーを感じさせるのも素晴らしかったですね」と肯定的な評価を下している。 またブログ「」を運営している研究家のも「実際に観てみれば、現在の『』のイメージとは違うものの、原作初期のなノリとキャラクターの性格を活かしつつ、独自のアレンジと解釈を施すことで、おもしろい娯楽作品に仕上がっていると感じた。 少なくとも、失敗作などというイメージからは程遠いものだった」 「ドタバタナンセンスのなかに下町的な人情や活気やユーモアが漂い、しかもで引き起こされる不思議な世界がそこにブレンドされて、屈託なく楽しめる」 と高く評価している。 なお、えびはらの証言には「人気が出なくて打ち切りになった」「」「(の絵を指して)原作にはないキャラが出た」など事実誤認が散見され 、一部のネットユーザーからは「非常に一面的で、客観性に欠ける」「当時はテレビアニメ化といえば翻案が行われるのがごく当たり前で、原作に忠実でなかったことを今の価値観で断罪するのは公平ではない」「今になって原作者サイドの一方的かつ感情的な意見を無批判に広めることで、より封印の理由付けに寄与してしまうことも誠実ではない」という批判の声もある。 こうした本作に対する誤解と偏見のみが伝承流布される状況のなか、元スタッフのは「私の後期の仕事は一匹狼のところがあってスタッフも少数しか使っておりませんでした。 自分から連絡を絶ってしまったので自分を責めるしかないのですが、私が関わった物が闇の中にあるような気がします。 正しく伝わっていないのです。 『ドラえもん』も短い期間で当時の事を知っているスタッフも居らず仕方がない事だと思います。 でも間違って伝えられるのは汗と涙を流した仲間たちに申し訳ありません。 出来るだけ思い出して、なるべく正確に伝え残す義務と責任があると考えております」 「私としては昔、『日テレ版のドラえもん』があったよと言いたいんです。 昔は『とんでもない作品』とか、カラー作品なのに『白黒だ』とか、別のものが『これが日テレ版のセル画だ』とか、間違った情報が出回っていたんです。 それが嫌で『一生懸命作ったアニメですよ』と言いたくてサイトを作りました。 自分で作った作品だから愛着ありますよね。 『こういう作品ですよ』と、見せたいというのが僕の活動の根底にあります」 とコメントしている。 脚本を担当したは、本作の方向性に「何につけてもドラえもん頼みである原作のび太の性格に、もう少し自主性を持たせる少年にする方向で始めた番組」と明かしており、文芸担当の徳丸正夫や脚本陣が話し合い「自主性のあるのび太少年」の方向性を決定づけたという。 このことに関して鈴木は「 藤本先生としては原作の思い通りになっていないと感じていたんでしょうね。 ただ、あの先生はそういうことをはっきり拒否しなかったから、僕らがそのまま勢いづいてやってしまった」 「 あれはやっぱり失敗でした。 のび太が何でもドラえもん、ドラえもんって言うでしょう。 それで、僕らはもう少し自立心のあるのび太にしようじゃないか、みたいな話をしたんだけど、子どもたちは別にそれを望んでなかったんですよ」 と原作とアニメに違いが生まれたことを認めている。 なお、最終話のラストシーンでは、ドラえもんに頼らず転げ落ちながらも自転車の練習をする「自立したのび太」が見事に描かれている。 しかし、私にはひとりの情熱にあふれる少年の姿として、非常に美しい光景に思えた。 原作に5話だけ登場し、唐突に姿を消しただが、アニメ化にあたり当時の原作数の少なさを補うために、レギュラーとして登場させたという。 なおガチャ子は、野比家でなく源家に居候している。 最終話では未来に帰らず、引き続き20世紀の源家に居残る。 静香の家には、によく似た風貌のボタ子という訛りが特徴的ながいる(原作ではてんとう虫コミックス第4巻で一度だけ登場)。 富田耕生演じるドラえもんは秘密兵器を出す際、「あ〜らよっ」とでかけ声をかけていた。 のび太とジャイアンの普段着が赤色。 セワシがのび太と同じく眼鏡をかけている。 の総称が「秘密兵器」。 「」の名称が「ヘリトンボ」(原作でも初期作品で使われていた)。 「」は登場せず「ミラクル扉」という秘密兵器が登場する(1973年5月13日放送の第7回Aパート「決闘! のび太とジャイアンの巻」より)。 なお原作では『』1973年4月号掲載の「ハイキングに出かけよう」(てんとう虫コミックス第0巻収録)で「どこでもドア」に相当するひみつ道具が初登場しているが、放映当時はまだ名前が命名されていない。 ドラえもんの鈴は「」というネコを呼び寄せるための鈴だが、原作では故障しており使用描写はない。 しかし「ネコあつめすず」の記述以前に、日本テレビ版ではネコを呼び集める「ネコジャラリン」という鈴が登場しており、作品内では故障せず機能していた(1973年8月5日放送の第18回Bパート「くるったハラ時計の巻」より)。 小学校の名称は下町小学校。 のび太の担任の姓が我成(がなり)。 本作ではドラえもんは21世紀から来た設定になっている(原作初期設定より)。 ジャイアンの母は故人であり、ジャイアンは父子家庭で育つ。 ジャイアンの父は体格が小柄で、人柄が良く息子思いの面が強調されていて、息子のためを思って無理をすることがある。 腕力はとても弱い設定。 名前は「小助」。 雑貨屋「正直屋」を営む。 によると普段は乱暴者の剛田武の優しい一面をどうしたら表現できるかということで、このような剛田家の設定になったという。 原作第1話から登場している「」は不在の設定。 また「」も登場しない。 放映開始前後に発売された『小学五年生』1973年4月号掲載の「ハイキングに出かけよう」で「」が原作に初登場しているが、本作には最後まで登場しなかった。 明確にドラえもんが未来に帰る最終回が存在する唯一のテレビアニメシリーズである。 声の出演 [ ] 所属事務所別ではとが協力している。 - 不明• - 不明• - 不明• - 不明• - ゲスト声優 [ ]• - お世辞鏡• (「水 島鉄夫」と誤表記)• 他 スタッフ [ ]• 原作 - (小学館学習雑誌連載)• 企画 - (日本テレビ)• プロデューサー - 川口晴年、米沢孝雄(日本テレビ)、佐々木一雄• チーフディレクター -• 音楽 -• 効果 - ()• 録音 - 番町スタジオ• 現像 -• 音響演出 - 近森啓祐• 音響制作 -• 美術監督 - 鈴木森繁、• 撮影監督 - 菅谷信行(スタジオ珊瑚礁)• 撮影 - 菅谷正昭(スタジオ珊瑚礁)• 選曲 -• 調整 -• 編集 - 西出栄子()• 文芸 - 徳丸正夫• 担当演出 - 岡迫和之、• 制作進行 - 木沢富士夫、小野忠、増田厚美、山下一郎• 制作事務 - 増田一恵• 制作主任 -• 制作 - 各話スタッフ [ ]• 脚本 - 、、井上知士、吉原幸栄、馬嶋満、園屁蔵士• 絵コンテ - 、、、岡迫和之、棚橋一徳、奥田誠二、矢沢則夫、、• 作画監督 - 鈴木満、生頼昭憲、白川忠志、村田四郎、宇田川一彦• 原画 - 永樹たつひろ、竹市正勝、熊野基雄、上條修、田中保、佐藤徹、山下征二、スタジオジョーク、スタジオテイク• 動画 - 秋山博雅、岡山陽子、荒井政良志、加藤輿治、楠田悟、滝波いつ子、八武崎好郎• 背景 - 、高野正道、亀川尚子、平川やすし、細谷秋男、、阿部行夫、西巻晶子• 仕上 - 江口マキ子、大橋啓子、黒田英里子、小林一幸、島崎あつ子、長村葉子、石田康美• 曲名は「ドラえもん(旧)」という表記が用いられている。 なお、本放送時では音色とテンポがフルコーラス版と異なる。 「ドラえもんのルンバ」と表記されることもある。 主題歌2曲に関しては日本コロムビア『』をはじめ、オムニバス盤CDなどにも収録されている。 パイロットフィルム [ ] 詳細は「」を参照 内容は 「ドラえもんが未来からやってくる」という原作第1話を意識した作品で、第1話「」およびにおいて「ドラえもんが未来からやってくる」といった内容が描かれなかったのに対し、本作はドラえもんとのび太の出会いを描いた物語となっている。 パイロット版の制作および演出は、のと佐々木一雄が担当し、設定やシナリオは文芸担当の徳丸正夫が用意した。 なお、のは、会報誌43号のインタビューでパイロット版の制作には不参加だったと述べている。 」と読み上げる。 なおサブタイトルが「 の巻」で構成されているのは、本作が唯一。 回数 放送日 サブタイトル 1 サブタイトル 2 第1回 1973年 4月1日 出た! ドラえもんの巻 ペコペコバッタ大騒動の巻 第2回 4月8日 屋根の上のすてきな子の巻 のび太のご先祖さんの巻 第3回 4月15日 キューピットで好き好き作戦の巻 弱味をにぎれの巻 第4回 4月22日 ねずみに弱いねこもあるの巻 ガキ大将をやっつけろの巻 第5回 4月29日 おせじ鏡の巻 パパとママの結婚記念日の巻 第6回 5月6日 のろいのカメラの巻 宝くじ大当たり作戦の巻 第7回 5月13日 決闘! のび太とジャイアンの巻 私は誰でしょうの巻 第8回 5月20日 アベコンベ騒動の巻 お化け屋敷の謎の巻 第9回 5月27日 クイック・スロー大作戦の巻 のび太は雨男の巻 第10回 6月3日 ウルトラミキサーの巻 ねがい星流れ星の巻 第11回 6月10日 ふしぎなふろしきの巻 のび太のおばあちゃんの巻 第12回 6月17日 大リーグの赤バットの巻 男は力で勝負するの巻 第13回 6月24日 ガチャ子登場の巻 おしゃべりくちべにの巻 第14回 7月1日 すきすきカメラの巻 天の川でデイトしようの巻 第15回 7月8日 へんなロボットカーの巻 ニコニコせっけんの巻 第16回 7月15日 おれ署長のだいりの巻 さあ夏だ! スキーをやろうの巻 第17回 7月29日 成績表はいやだなあの巻 自分の影をつかまえろの巻 第18回 8月5日 潜水艦で海に行うの巻 くるったハラ時計の巻 第19回 8月12日 キャンプ騒動の巻 忘れな草って何だっけの巻 第20回 8月19日 クーラーパラソルの巻 いつでも日記の巻 第21回 8月26日 宿題お化けが出たの巻 お天気ボックスの巻 第22回 9月2日 ぼくに清き一票をの巻 まんが家修行の巻 第23回 9月9日 すてきなガールフレンドの巻 花いっぱい騒動の巻 第24回 9月16日 そっくりクレヨンの巻 静香の誕生日の巻 第25回 9月23日 宇宙飛行士になりたいの巻 まいごマゴマゴ大騒動の巻 第26回 9月30日 ネンドロン大騒動の巻 さようならドラえもんの巻 関東地区の平均視聴率は6. 第16回と第17回の間のは、「」(。 読売テレビ制作。 枠は19:00 - 21:25)のため休止。 最終話「さようならドラえもんの巻」について [ ] ストーリー が家に帰るととが何か話している。 セワシは何かを話そうとするが、ドラえもんに「僕が話すから」と止められ、「きっとだよ」と言い残し未来に帰って行った。 ドラえもんは浮かない顔で何かを話そうとするが、そこへデパートから最新型の自転車が届く。 のび太は達とサイクリングに行く約束をしたものの、自転車に乗れないので安直にドラえもんを頼ろうとしていたのだ。 しかし、ドラえもんはいつもの調子で甘えるのび太を冷たく突き放す。 いつもと様子が違うドラえもんだったが、のび太は「いざとなったらいつものようにきっと何とかしてくれる」と気にも留めなかった。 思い切って何かを打ち明けようと決心したドラえもん。 しかし、のび太に差し出されたおやつのに心を奪われ、更に「この世に君がいなかったら僕は一人で生きていけない」という彼の言葉に動揺し、そのまま家を飛び出してしまった。 ドラえもんは、頼りっきりなのび太の自立心を養うために未来へ帰ろうと考えていたが、優しくしてくれるのび太にそれを言い出せず悩んでいたのだった。 落ち込んでいた所へ偶然会ったに相談する事にしたドラえもん。 そして、ガチャ子のアイディアで未来に帰る嘘の口実を作る事になった。 「ドラえもんの体の様子がおかしい」とガチャ子から聞かされたのび太。 慌てて駆け付けると、そこには狂ったように苦しみ始めたドラえもんがいた。 「未来に連れて帰って治さないといけない」と言われ、嘘を信じ込んでいたのび太は泣き出してしまう。 それでも、「ドラえもんがいなくなったら困るけど、ドラえもんが治る為なら我慢する。 だから自分に構わず帰って欲しい」とドラえもんに訴えた。 優しい言葉に感涙したドラえもんは嘘をついた事を打ち明け、自分に頼り過ぎてダメな人間になりそうなのび太が心配で、強い人間になって欲しいが為に未来の国に帰る事にしたと本心を告げる。 のび太は「僕の事は心配しなくていいよ」と彼の気持ちを受け入れた様子で愛想笑いを浮かべた。 その後、仲間らは広場に集い送別会を開く。 や、しずかも涙ながらにドラえもんとの別れを惜しみ、のび太と共にどら焼きをプレゼントする。 喜ぶドラえもんの丸い手から黄色い小鳥が飛び立っていく。 テーマソング『ドラえもん』に合わせて仲間らに家まで送って貰ったドラえもんは、やとも別れの挨拶を交わした。 そしてドラえもんとのび太は、いつかの再会を誓い、最後の別れを告げる。 「未来の国でいつも君を応援しているからね」そう言い残したドラえもんは机の引き出しに入り、未来へ帰って行った。 ドラえもんがいなくなった現実に、のび太は「本当は、ずっと居てもらいたかったのに…」と号泣してしまう。 するとドラえもんが、再度引き出しから現れた。 のび太は唖然とするが、プレゼントのどら焼きを持ち帰るのを忘れていたという。 改めて別れの挨拶を交わした二人。 去り際にのび太にエールを送ったドラえもんは、今度こそ帰って来る事はなかった。 そんなのび太の姿を、ドラえもんはセワシと一緒にで未来から温かく見守っていた。 「ドラえもーん! 見てくれよー! 」夕焼け空に向かってそう叫ぶのび太の声と共に、物語は幕を閉じる。 解説 本エピソードの原作は、第6巻収録の「さようなら、ドラえもん」ではなく、雑誌『』3月号に掲載された「ドラえもんがいなくなっちゃう!? 」(第1巻収録)である。 これはが提案したもので、真佐美が幼いころ、塗装会社に勤めていた父親をまで迎えに行くために、自転車を練習した思い出と重なったからだという。 ストーリーは原作とおおむね同じだが、原作には未登場だったジャイアン・スネ夫・しずか・パパ・ママ・ガチャ子が登場し、ドラえもんとの別れを惜しんでいたほか、ドラえもんの嘘に協力するのはセワシではなくガチャ子になっている。 この回が最後の放送だったにもかかわらず、ラストのは「次回をお楽しみに」と表記された。 これは手抜きやミスではなくの再建と続編への希望を込めたものである。 またにはドラえもんの丸い手から黄色い小鳥が飛び立っていく作中のシーンが採用された。 これにも続編製作の希望として「再会」の意味が込められているという。 ヒントに真佐美が昔見た映画で「無事に帰って来て」という願いが黄色いリボンで描写されていたことに由来する。 放送終了から5年半後、の第1話を見た真佐美は「大変素晴らしい出来で、とても安心しました。 さんの声も、あれなら大成功だなと思いました」という感想を述べている。 日本テレビ動画のスタッフ達の願いであった「自分達の手で再び作ること」は遂に叶わなかったが『ドラえもん』に対する思いは、このような形でへと引き継がれたのである。 放送局 [ ] 本放送 [ ] 系列については放送当時のもの。 放送地域 放送局 放送期間 放送日時 放送系列 備考 - 日曜 19:00 - 19:30 制作局 日本テレビ系列 ・ 日本テレビ系列 フジテレビ系列 日本テレビ系列 NETテレビ系列 - 金曜 17:25 - 17:55 - 火曜 18:00 - 18:30 1974年 - 平日 17:00 - 17:30 - 不明 木曜 18:00 - 18:30 フジテレビ系列 再放送 [ ] 一部地域では、本放送時代とは別の局でされていたが、その局も記載する。 この節のが望まれています。 日本テレビ 3月27日 - 5月2日、4月1日 - 5月6日• 1974年4月29日は「」を放送。 1975年度 月曜-金曜 8時00分-8時30分• 以上平日朝の再放送枠『』で放送。 1974年4月1日 - 1974年5月6日• 月曜-金曜 18時00分-18時30分• 1974年12月5日 - 1975年1月17日• 月曜-金曜 16時55分-17時25分(5回休止)• テレビ岩手 1975年1月5日 - 2月17日(5回休止)• 月曜-金曜 17時00分-17時30分• 福岡放送 1975年4月17日 - 5月22日• 読売テレビ 1975年5月12日 - 6月12日• 月曜-金曜 18時00分 - 18時30分、全25話。 最終回は未放送。 (NETテレビ系列)1975年5月22日 - 6月26日、17:30 - 18:00• 宮城テレビ 1975年7月9日 - 8月18日• 月曜-金曜 8時00分 - 8時30分、全25話。 最終回は未放送、休止は4回。 「パパとママの結婚記念日の巻」と「おせじ鏡の巻」が別の日に書いてあるなど、順番が混乱している。 (TBS系列)もしくは頃• (フジテレビ系列) -• 月曜-金曜 18時45分-19時00分(本来、1回・2話構成だったうち、半分の1話ずつ放送された)• 前述のように、からの申し入れで藤子F名義によるを求める警告状がから富山テレビに送られ、8月3日の9回目(第5話Aパート)の放送をもって強制的に打ち切られる()。 これを最後に再放送は二度と行われなかった。 年表 [ ] 「」および「」も参照• - が解散し、体制はそのままで新たにが設立される。 以前 - 社長のを中心に『』の企画が立ち上がる。 - の『』1972年8月号の「にんきものチャンネル」コーナーにおいてのイラストと共に「テレビにでるのをまっててね」という告知文が掲載される。 - 完成。 演出はのと佐々木一雄が担当、設定やシナリオは文芸担当の徳丸正夫が用意した。 - 放送開始。 第1話は『』1970年11月号掲載の「」を原作にした「」。 初夏 - 提出。 放送「ガチャ子登場の巻」より登場。 放送「すきすきカメラの巻」よりの声優をからに交代。 頃 - 放送のが決定。 - 放送終了。 で制作資料が焼却処分される(詳細はのサイト内「」の項に詳しい)。 最終話は『』1972年3月号に掲載された「ドラえもんがいなくなっちゃう!? 」を原作にした「」。 - 杉山卓『テレビアニメ全集2』(秋元文庫)に紹介記事が掲載。 しかし、この記事は前作『』のデータが流用されたため間違いが多く、また以降の資料はこの本を元に作成されたケースが多いため、が正確な情報を公開するまで誤った情報が広く流布する原因となった。 - の再放送が9回目の「おせじ鏡の巻」(第5回Aパート)で打ち切られる()。 これ以降の再放送は途絶える。 - での管理期間が終了。 - の横浜工場から後半16話分のネガフィルムが発見される。 - 元スタッフのが「」名義で会員制「」を開設、自らが保管する全資料を公開する。 - 『』内での所有するフィルムを放送する企画があったが頓挫。 - の所有するラッシュフィルムがネオ・ユートピア主催の第8回藤子アニメ上映会で初公開される。 上映されたのは第12回Bパート「男は力で勝負するの巻」と第18回Aパート「潜水艦で海へ行うの巻」の2本。 - ネオ・ユートピア主催の第9回藤子アニメ上映会で第10回Bパート「ねがい星流れ星の巻」と第21回Bパート「お天気ボックスの巻」が上映される。 またアンコール上映として第18回Aパート「潜水艦で海へ行うの巻」が再上映される。 - ネオ・ユートピア主催の第10回藤子アニメ上映会で第5回Aパート「おせじ鏡の巻」と第18回Bパート「くるったハラ時計の巻」が上映される。 初秋 - がに本作の自主上映を中止するよう警告する(ただし、真佐美はの規定を遵守しており、藤子プロ側の訴えはを欠いた越権行為であったという見方もある)。 - の講演上映会(開催場所:東久留米市立生涯学習センターまろにえホール)で2年ぶりに本作が再上映される。 - 元編成担当のが『視聴率15%を保証します! 』()を上梓。 高橋の証言からテレビ朝日がを放映するにあたり「旧作が再放送されると子どもたちが混乱してしまう恐れがある」としてに旧作の封印措置を求めたことが明らかになった。 - のコミニティーサイト「」の講座「昭和を生きた手塚治虫 -東久留米の思い出-」(開催場所:東久留米市役所)に研究会「」代表のがゲスト講演し 、本作の映像が4年ぶりに再上映される(これが現時点で最後の上映会である)。 現存映像 [ ] 放送終了後、フィルムは制作局の日本テレビで7年間管理され、その間は地方局へ貸し出されたりしていたが、日本テレビでの管理期間終了後に散逸したとされている。 さらに、事実上の封印措置と制作会社の消滅という事象も重なり、現在はネガはもとより保管先も不明(あるいは散逸)といえる状況である。 テレビアニメ作品の著作権は通常、制作プロダクションが保持することになっているが、制作会社である日本テレビ動画の消滅により本作の著作権は、不明瞭のままになっている。 本作の印象からまでの作品全ての版権が不明瞭になっていると誤解されることがあるが、日本テレビ動画作品にはビデオ化や再放送の行われた作品が多数存在するため、現在でも同社から作品の版権を引き継いで管理している者が存在するとみられる。 現存する映像としては、元スタッフのが個人的に保管している8話分のラッシュフィルム(ポジフィルム)のほか、本作の現像を担当した東洋現像所(現:)に後半16話分(第18回、第20回 - 第26回)のネガフィルムが保存されており、現在もIMAGICAが委託している東京湾岸の倉庫にフィルムが保管されているが、のため宙に浮いた存在になっている。 なお、真佐美の保管しているラッシュフィルムは、現像して上がってきたフィルムのうち、、、に誤りがあり、リテイクした未放送の16ミリフィルムを真佐美が個人負担で買い取ったもので、実際の放送に使用されたものではない。 1973年公開の監督の『ドキュメントポルノ 続・痴漢』(プリマ企画)では、開始後34分付近の男性医師がアパートの女性の住む部屋を覗くシーンで、背景のモノクロテレビの画面に本作の映像が写り込んでおり、動く映像を30秒ほど見ることができる。 その後、裏番組の『』にチャンネルが変えられている(音声は『』『』のものを使用)。 現存が確認されているもの• - 真佐美保管• 第3話「屋根の上のすてきな子の巻」 - 真佐美保管• 第4話「のび太のご先祖さんの巻」 - 真佐美保管• 第9話「おせじ鏡の巻」 - 真佐美保管• 第20話「ねがい星流れ星の巻」 - 真佐美保管• 第24話「男は力で勝負するの巻」 - 真佐美保管• 第35話「潜水艦で海へ行うの巻」 - 真佐美・IMAGICA保管• 第36話「くるったハラ時計の巻」 - 真佐美・IMAGICA保管• 第39話「クーラーパラソルの巻」 - IMAGICA保管• 第40話「いつでも日記の巻」 - IMAGICA保管• 第41話「宿題おばけが出たの巻」 - IMAGICA保管• 第42話「お天気ボックスの巻」 - 真佐美・IMAGICA保管• 第43話「ぼくに清き一票をの巻」 - IMAGICA保管• 第44話「まんが家修業の巻」 - IMAGICA保管• 第45話「すてきなガールフレンドの巻」 - IMAGICA保管• 第46話「花いっぱい騒動の巻」 - IMAGICA保管• 第47話「そっくりクレヨンの巻」 - IMAGICA保管• 第48話「静香の誕生日の巻」 - IMAGICA保管• 第49話「宇宙飛行士になりたいの巻」 - IMAGICA保管• 第50話「まいごマゴマゴ大騒動の巻」 - IMAGICA保管• 第51話「ネンドロン大騒動の巻」 - IMAGICA保管• 第52話「」 - IMAGICA保管 本作前後の他の『ドラえもん』映像(企画を含む) [ ] が『ドラえもん』を企画しなかったら、それまで多くの藤子アニメを製作したが『』の後番組として製作する可能性があったという。 日本テレビ動画が本作を企画したには、のによるをキー局とした、もう一つの『ドラえもん』の企画があったとされる。 この企画書は200字詰め原稿用紙(表紙含む)6枚と添付資料「ドラえもんの大ひみつ」(学年誌掲載分)のコピー1枚の合計7枚から成る。 これは系10月新番組の放送枠獲得を狙ったもので『』1972年8月号には「テレビにでるのをまっててね」という告知文も掲載されていた。 当初はアニメと実写の双方で企画され、後に実写へと企画が転向された。 作者の両人もピープロに訪れ「実写でやろう」と同意。 この際にドラえもんの声優として挙がっていたのが、奇しくもだった。 大山の起用は、先にピープロ制作のアニメ『』での演技を見込まれてのことだった。 既にドラえもんの着ぐるみまで試作されていたものの、この企画がどの程度具体化し、どの時点で頓挫したかについては不明。 ちなみに企画書ではのキャラクター設定は原作から改変されて「宇宙からやって来た宇宙ロボット」になる予定だった。 本作終了後、からの「」の内箱にドラえもんやのイラストが掲載されていたが、この時テレビCMに登場したドラえもんは、本作後期の野沢雅子が担当していた。 手塚治虫の関与 [ ] 日本テレビ版『ドラえもん』制作の影には、の師匠筋であるの存在が深く関わっていたとされる。 かつてで手塚の秘書を務めていた(真佐美ジュン)は『ドラえもん』のアニメ化を知った手塚から「いい作品だからやりなさい」と度々励まされ、でアニメ用のやが入手しにくくなった際には、手塚がに直接電話して熱心に口説いてくれたと証言している。 また『ドラえもん』の制作中に「下崎にアニメは作れない」という中傷文が日本テレビに届き、下崎を降板させる動きが局内で出た際には、噂をいち早く聞きつけた手塚が「下崎氏は・で豊富な経験を持つ最も信用のおける男です」「いわば僕の右腕だったんですよ! 」と局関係者に電話口で説得し、その甲斐あって真佐美は名誉を回復することが出来たという。 なおスタッフには出身者が多数在籍していたため、のび太の通う小学校は虫プロ近くの小学校がモデルで、作中に登場する駅舎は虫プロの最寄り駅だったのがモデルとなった。 またスネ夫の家は「明らかに先生の自宅がイメージ」と真佐美は述べている。 手塚と下崎の関わりについては原作・漫画の『TVアニメ創作秘話〜手塚治虫とアニメを作った若者たち〜』(、)で前後編にわたってされている。 関連項目 [ ]• - からにわたり再編を繰り返しながら主にを制作していた。 1973年に本作品を制作した。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 「」の範囲を超えて作業していたので「担当演出」という名称が使用された。 またはの演出も担当している。 2005年4月より放送中のシリーズのDVDは『NEW TV版 ドラえもん』というタイトルで発売されている。 ファンからはを「 」「 」、を「 」などと呼ぶことがある。 は企画の経緯について「(日本テレビ動画の前身)はずっとばかりやっていたので、次回は少年もので『』をやりたいと、社長のがそういう企画を考えて、実際に動いていたのですよ。 ところが、その動きの中で『』の存在を知ったのです。 これは面白いぞということになりまして、早速『ドラえもん』の企画を立てたら、その企画が先に売れちゃったんです。 『』のヒットがあったことも大きな要因でしょうが、あの頃『ドラえもん』に目を付けたということは、彼には先見の明があったと言えますね」と証言している。 ただし、真佐美はのとの仕事上のトラブルから放映当初に『』の制作主任を自主降板している。 当時、は東京都中野区と元来の本拠だった新潟市にスタジオを構えていた。 「東京に本社を移した」とされるが、の調査では登記上は最後まで本社は新潟であった。 第1話の原作は『』1970年11月号掲載の「」に改定を加えたもの。 放映当時、キー局の関東地区など民放4局マストバイ地域では裏番組として『』()や『』(制作・)などが放映されていた。 一方、広島県や福岡県を除く九州各県など日本テレビ系とフジテレビ系をクロスネットとしていた地域では、『マジンガーZ』を(または競合他局への放映譲渡)とした上で、本作を同時ネットしていた。 なお本作でドラえもんを演じた富田耕生は、『マジンガーZ』でもレギュラーキャラクターであるドクターヘルとヌケ(ボスの子分)の二役を演じていた。 かつてが降板したのはを起こしたからだという噂があったが、これは事実ではない。 この噂はの前作『』製作の打ち合わせのため、制作主任のが日本テレビ動画の新潟スタジオに行く途中に交通事故を起こしたことに起因する。 後に下崎は『モンシェリCoCo』放送時にスタッフとのトラブルで番組を自主降板し、そこから「『モンシェリCoCo』のプロデューサーが交通事故を起こしたため辞めた」と言う噂がたち、その噂が一人歩きして、いつのまにか「交通事故で富田耕生が降りた」という噂になっていたという。 その後、新倉はフィリピンに移住し、1986年5月に拳銃密輸で逮捕、送検されている。 送検・起訴後の報道はなく、以後の消息などは不明。 の調査では、登記上のの代表取締役は稲庭で 、は安藤の取材に対して稲庭を「会長だけどお金を出すだけ」と述べている。 真佐美も安藤の取材に対して「稲庭会長」と呼んでいる。 「」の仕事だけでなく作品を幅広く担当したので「担当制作」という名称が使用された。 真佐美が昔見た映画で「無事に帰って来て」という願いが黄色いで描写されていたことに由来する。 監修の『Fライフ』()4号に記載された年表では、1973年の藤子アニメは『』のみとなっているほか、のの年表にも本作に関する記述は不掲載となっている。 一方で、ドラえもん50周年特設サイト内の年表には、1973年に本作が放送開始された旨の記述がある。 生前、公の場で明確に本作を否定した発言はない。 ただし、後述の富山テレビでの再放映を知った際の反応のほか、第三者による証言として• 新旧両方の『ドラえもん』に関与したは「以前やったことは非常に悔いが残る」といったことは言われた。 安藤健二の照会に対して代表取締役(当時)は「『本来のドラえもんの持ち味を出していない作品であり、作品のイメージとはかけ離れたものであった。 海外の輸出用として制作されたアニメーションのようで、作者として気に入った作品ではなかった』と申しておりました」と文書で回答した。 元社長のは、再アニメ化の許諾を得た頃に「『ドラえもん』だけは(引用者注:『』や『』と違って)出戻りなんです。 さんざんな仕打ちを受けて戻って来た、かわいそうな娘です」と言われた。 も本作の再アニメ化に対し「嫁に出し傷ついて帰って来た娘を再び世に出すのは嫌だ」と、難色を示す発言を藤子・F・不二雄から聞いたと夫のが記している。 は、放送終了後に藤子Fが「この件についてはいっさい語りたくない」と漏らしていたと証言している。 といったものがある。 作品初期は、まだ藤子Fと藤子Aの作品ごとの分業が完全に確立しておらず、藤子Aとその関連スタッフも本作品に若干関わっていたとされる。 なお、藤子Aは放送終了後、に「あの時期に『ドラえもん』は早すぎた」と話している。 ラッシュ編集はで、ネガ編集はので行われた。 そのため、最終回後に発行された『小学四年生』1973年11月号掲載の『ドラえもん』の扉絵には「テレビ大人気放送ちゅう」とのあおり文句がある(安藤、1982年、p. 63に該当ページの写真が掲載されている)。 富山県では当時、が放送されていなかった。 1980年4月5日からようやく北日本放送でネット開始された。 のび太がドラえもんに洗面器を渡している構図のセル画で、真佐美ジュンはで使用されたセル画ではないと否定した。 のメディア芸術データベースやの『TVアニメ25年史』(1988年)には本作のスタッフ情報に、、などの表記も確認出来るが、後に関わっていなかったことが判明している。 なお放映前に作成されたとみられるスタッフ表にはの名前が記載されていたことが判明しているが、実際の製作に関わっていたかどうかは不明である。 番組内ではモノクロだと述べているが、実際はカラー作品である。 ただし、当時は白黒テレビで視聴していた人も若干存在した。 、にて第12回Bパート「男は力で勝負するの巻」の一部音声がアップロードされたことにより、富田版ドラえもんの声が久々にお目見えすることになった。 ただし、から発売された主題歌のレコード(SCS-515)のジャケットにはドラミも描かれている。 全体のスケジュール作成管理、スタッフの手配、外注先の選択、単価交渉などを統括した現場責任者。 では「」の名前を使用した。 の制作時は現場の制作と演出を一人で行っていたが、演出責任者としてをに迎え、演出助手に岡迫和之とを迎えたことで、演出の「真佐美ジュン」は要らなくなり、制作として専念した。 『』(小学館)1973年4月号掲載の本作品の漫画「くものねんどのまき」では欄外のネット局一覧には、(現:名古屋テレビ放送=メ〜テレ)が掲載されていたが、放送開始直前の中京圏ネットワーク整理により、中京テレビでの放送となった。 なお、名古屋放送では4月1日時点では『』(毎日放送制作)を1日遅れネットで放送していたが、その後『アップダウンクイズ』(毎日放送制作)の同時ネットに移行した。 当時は岡山県との相互乗り入れの実施前であった。 当時、日本テレビ系列でもあった(日本テレビ動画の代表取締役だった稲庭は同社役員)は本来の時間帯に日曜19:30枠の『』などを30分先行ネットしていた。 また、新潟に日本テレビ動画の制作スタジオがあった。 『』1972年8月号の告知記事は、の実写企画()とのアニメ企画のどちらを意図したものかは判断材料が乏しく明確になっていない。 の初登場回では「ドラえもん、声変わったね? 」「ちょっと風邪ひいちゃって」という的な会話があったと漫画家の滝季山影一が証言している。 結果的には、・制作のテレビドラマ『』が『』の後番組となった。 ちなみに『』(1979年)以前のは『ドラえもん』(1973年)を除いてが全作品を制作している(実制作はが担当)。 出典 [ ]• 藤子不二雄FCネオ・ユートピア会報誌43号. 2006-12. 51 - 54• 三才ブックス : 190-192. 2005-02. 昭和40年男 クレタパブリッシング. 2012-10. 藤子不二雄FCネオ・ユートピア会報誌46号 藤子不二雄FCネオ・ユートピア. 2008-08. 安藤、2008年、p. 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ドラえもん (1973年のテレビアニメ)

ドラえもん youtube アニメ

アニメ「ドラえもん」の詳細 タイトル ドラえもん 画像 サイズ 説明 ジャンル 児童漫画 作者 藤子・F・不二雄 出版社 小学館 掲載誌 小学館の学習雑誌 コロコロコミック てれびくん 開始 1969年 終了 冊数 45冊 未収録版を除く ドラえもんは藤子・F・不二雄によるギャグ漫画、SF漫画。 また、その作品に登場するネコ型ロボットの名前でもあるが、それについてはドラえもん 架空のキャラクター に記述する。 本作は1969年に小学館発行学年誌の一部(よいこ、小学一年生? 四年生)で連載開始した。 いずれも1970年1月号で、当時の作者名義は藤子不二雄。 当初は1話ごとに完結する短編として執筆された。 ちなみに、「ドラえもん」は「ウメ星デンカ」の後継連載だが、そのアイデアは入稿期日まで思い浮かばなかった。 (正確には、その日までにアイディアをまとめ描き始めねばならなかった。 )あせって起き上がりこぼしにつまずいたことが、「ドラえもん」のキャラクターを思いつくきっかけとなる。 第1話• その他 第2話• その他 第3話• その他 第4話• その他 第5話• その他 第6話• その他 第7話• その他 第8話• その他 第9話• その他 第10話• その他 第11話• その他 第12話• その他 第13話• その他 第14話• その他 第15話• その他 第16話• その他 第17話• その他 第18話• その他 第19話• その他 第20話• その他 第21話• その他 第22話• その他 第23話• その他 第24話• その他 第25話• その他 第26話• その他 第27話• その他 第28話• その他 第29話• その他 第30話• その他 第31話• その他 第32話• その他 第33話• その他 第34話• その他 第35話• その他 第36話• その他 第37話• その他 第38話• その他 第39話• その他 第40話• その他 第41話• その他 第42話• その他 第43話• その他 第44話• その他 第45話• その他 第46話• その他 第47話• その他 第48話• その他 第49話• その他 第50話• その他 第51話• その他 第52話• その他 第53話• その他 第54話• その他 第55話• その他 第56話• その他 第57話• 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